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風に吹かれて09

时间: 2020-07-29    进入日语论坛
核心提示:最初のミニスカート ミニスカートばやりである。私などの所へも、あれをどう思うか、などというアンケートが舞い込んできたりす
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最初のミニスカート

 ミニスカートばやりである。私などの所へも、あれをどう思うか、などというアンケートが舞い込んできたりする。
脚《あし》の形の良くない日本人にはどうか、などという良識派の抵抗もあるようだが、私はミニが嫌《きら》いではない。理屈でどうこう言うのではなくて、感覚的に好きなのだ。スカートという代物《しろもの》には、〈自由〉と〈解放〉の匂《にお》いがある。短ければ短いほど、それは強い。
これは私の個人的な感じ方であって、それを主張する気は毛頭ない。少年時代に、はじめてスカートなるものを見た時の印象が、あまりに強烈だったため、それが一種のフェティッシュとして定着したのだろう。
私の幼年期から少年期にかけて、女の脚はほとんど隠され続けていた。カスリの〈もんぺ〉か、国防色のズボンしか、記憶に残っていない。実際には、スカートをはいていた女の人にも会っているはずだ。また、家にあった古い〈主婦之友〉や何かで、スカートの形態や用途は知っていただろうと思う。
それにもかかわらず、私は敗戦までスカートに関する記憶はなかった。私はそれを、北鮮から脱出して、生命の危険にさらされながら三十八度線を越えた後で、はじめて見たような気がする。いわば、私にとって、「スカートは自由と手をつないできた」のだった。
その年の夏おそく、私たちは開城《かいじょう》の街とK江とを見おろす小高い台地のキャンプに集まって暮していた。
それは半島の北側から脱出してくる日本人引揚者たちを収容するアメリカ側の施設だった。うしろが小さな山になっているその台地には、何十という巨大な軍用テントが中近東風に盛大に立ち並んでいた。
私は十四歳で、大人《おとな》や老人たちを、自分と同じ水準の仲間のように心得ている、手におえない少年だった。
日本人たちは一日おき位に、行列を作って南下してきた。彼らは歩いて三十八度線の境界をこえ、それからまた歩いたり牛車に乗ったりしてやってきた。台地のキャンプからは彼らがやってくるのが良く見えた。
ふつう明け方に境界をこえるので、行列はたいてい正午か、午後に開城の街のむこう、K江のさらにむこうの赤い丘陵地帯に現われ、それからまっすぐに白い埃《ほこり》をたてながら街道を動いてくる。その行列は、長いこともあり、短いこともあったが、独《ひと》りでやってくるものはいなかった。
裸足《はだし》の女や、子供をおぶった男たちが多く、なかには目を閉じてかつがれてくるものもあった。彼らは、テントに入る前に、モーターつきのポンプで、体中に白い粉を吹きつけられ、予防注射をうたれる。男も女も、子供もみんなそうしなければならなかった。私たちのときも、そうしたのだ。それから、ふつうだと一週間ほどキャンプで待ち、もう一度注射をしてから列車で東海岸の港へ運ばれ、そこから引揚船に乗りこむことになっていた。だが、その夏は半島の南側て大きな鉄道の反米ストがあったため、かなり長い間そのキャンプから動けなかったのである。
私たちのテントは、台地のいちばん端の方にあった。そこからは、竜骨のように反《そ》り返った家家の屋根や、市街を迂《う》回《かい》して鋭くカーブするK江の水流、ギラギラ光るポプラの青い群落などが良く見えた。おまけに、盆地から吹きあげてくる上昇気流のせいで、暑さもそれほどはこたえなかった。
大人たちはテントの下をまくり上げ、みんな死んだように寝そべって一日中じっとしていた。日ざしの強いテントの外を駆け回ったりするのは、私たち少年や子供だけで、私たちは同じ年頃の男の子や、少女らが大勢いることで興奮していたのだろう。それに、もう荷物をかついでの、あのうんざりする徒歩旅行が終ったと知っていたし、学校も、大人たちの干渉も全くないのがうれしかったのだ。餓《う》えていても、それはやはり私たちにとってかけがえのない自由な夏休みだったのである。大人たちは妙に優しかったし、時たま支給される米軍のコーンビーフの罐詰《かんづめ》は、死ぬほどうまかった。そして、私はそこであのスカートに出会ったのだった。
ある日の午後、裏山のアカシアの木陰で仲間と花札をしていると、街道に長い行列が見えた。それは今までに見たどの行列よりも長く、動き方も早かった。
「大きいのがやってくるぞ」
と、私が言った。仲間の少年たちは立ち上って手をかざし、そちらを眺《なが》めた。
「ずいぶん人数が多いぜ」
と一人が言った。「どこの連中だろう」
その大きな行列は、いちばん暑い時間にキャンプへ現われた。私たちは花札をやめ、それを見物にゲイトの方へ降りて行った。
広場で、消毒がはじまろうとしていた。ほかの行列と違って、今度の連中は、比較的身なりが良く、荷物も多かった。四、五人の青年が列の前後につきそい、女たちの荷物をおろしてやったり、人数を数えたりしていた。
「どこから来た連中だろうな」
と、一人の中学生が言った。「すげえ荷物だ」
「こいつら、歩いてきたんじゃないな」
と、私が言った。「きっと途中までトラックをやとってきたんだ」
「金持なんだな、よし」
何が「よし」だかわからないが一人の中学生が、敵意を見せて呟《つぶや》いた。
やがて、消毒がはじまった。男たちはズボンの前を拡《ひろ》げて、一人ずつアメリカ兵の前に進み出た。黒いホースが震え、DDTの白い粉がぱっと飛び散った。
「あれを見ろよ!」
と、不意に仲間の一人が、すっとんきょうな声をあげた。「あいつ、変なものはいてやがら」
それは小学校六年生くらいの女の子で、たしかに私たちの見なれないものをはいていた。
「ばか。あれはスカートだ」
と、中学生の一人が笑って言った。「昔の女学生は、みんなはいてたんだぞ」
私は仲間をおしのけて、前にのり出した。たしかにそれはスカートだった。すごく短いスカートで、白い、まっすぐな脚が膝《ひざ》の上の方まで、すっかりむき出しになっていた。片方の足のふとももに、赤くマーキュロのあとがついているのまで見えた。
私は口の中が、ひどく乾《かわ》いて、息苦しいような感じがした。その女の子は、袖《そで》なしの少ない布でできたシャツを着ていた。まぶしそうに目を細めながら、白い額にはりついた前髪を、しきりに小指の先でかきあげていた。
私たち引揚不良の一群は、その高貴な美少女の白い脚を、恐ろしいものでも見るように息をつめて眺めていた。
「みろ! みろ!」
と、小学生がわめいた。女の子が、アメリカ兵の前に進み出て、スカートの上の方を両手でおし拡げたのだった。アメリカ兵は、太いホースを差し込み、レバーをおした。しかし白い粉は短いスカートの中を素通りして、地面にパッと煙をまきあげただけだった。
兵隊は苦笑し、ホースを引きぬくと、素早く女の子のスカートの下へ突っこんだ。
「あっ!」
と、私たちは思わず大声をあげた。スカートが一瞬、ふわりとめくれ上り、私たちの目の前に、ゴムの食い込んだ、少女の真白なふとももがむき出しになった。
彼女は、まぶしそうに目を細め、それから私たちの方をみて微笑した。
「すげえなあ!」
と、仲間の一人が言った。
「なんでえ。あんなの」
と、私は呟いたが、膝頭《ひざがしら》ががくがくするのが自分でもわかった。
それが、私の記憶に残っている、最初のスカートである。それは、大変なミニであり、戦争の終った事を告げる一つの象徴だった。私がミニスカートに与《くみ》するのは、その為《ため》かも知れない。
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