朝方まで起きていて、新聞を読んでベッドにもぐり込む生活が習慣になってしまった。
明るくなり出すと、毎朝、山鳩が奇妙な声で鳴く。二羽の山鳩が庭先の樫《かし》の木に住みついているらしい。昼間、塀《へい》の上に止っているのを、よく見かける。猫のミーシャが狙《ねら》っているらしいが、雀《すずめ》を捕えるような具合には行かぬようだ。
山鳩の鳴き声と知るまでは、何の物音だろうと不思議に思っていた。ググウ・グルルル——といった調子の、奇妙な声である。
朝の新聞配達の小走りの足音と、この鳩の鳴き声を聞くと、条件反射的に睡《ねむ》気《け》を覚えるようになった。金沢も中心を離れた小《こ》立《だつ》野《の》台地あたりになると、朝はまだ静かなものである。
明るくなり出すと、毎朝、山鳩が奇妙な声で鳴く。二羽の山鳩が庭先の樫《かし》の木に住みついているらしい。昼間、塀《へい》の上に止っているのを、よく見かける。猫のミーシャが狙《ねら》っているらしいが、雀《すずめ》を捕えるような具合には行かぬようだ。
山鳩の鳴き声と知るまでは、何の物音だろうと不思議に思っていた。ググウ・グルルル——といった調子の、奇妙な声である。
朝の新聞配達の小走りの足音と、この鳩の鳴き声を聞くと、条件反射的に睡《ねむ》気《け》を覚えるようになった。金沢も中心を離れた小《こ》立《だつ》野《の》台地あたりになると、朝はまだ静かなものである。
先日、夜明けの頃に、下駄を突っかけて兼六園まで出かけてみた。小堀遠州がレイアウトしたとかいうこの庭園は、昼間は観光客の隊列と、ガイド嬢の携帯マイクで引っかき回されて騒々しい。
金沢に住んではいるが、不風流な私には余り縁のない場所だ。未明の頃なら人も居まいと、散歩のつもりで出かけたわけである。美術館と山崎山の間を抜けて、庭園にはいって行く。空気が冷たくて良い気持だ。連日の晴天で乾《かわ》きかけた樹陰の苔《こけ》も、しっとりと生気を取りもどしているように見える。
誰もいまいと思ってやって来たところが、意外にも先客がいた。綺《き》麗《れい》な水が流れている曲水《きょくすい》のあたりに、立ったり坐ったり、七、八人もいるだろうか。
着流しの老人もいたし、中年の婦人もいた。私が寝ぼけまなこを慌《あわ》ててこすったのは、一見してそれと知れる廓《くるわ》の芸者衆の姿をその中に発見したからである。初老の紳士に連れられてやってきたらしい若い妓《こ》たちの着物は、明けがたの兼六園に良く映った。どちらかといえば、ミニスカート党の私だが、その朝だけは着物もいいもんだな、と思った。
彼等は曲水のほとりに、ただ何となくたたずんで、時おり小声で何か語り合っていた。
「何かあるんですか?」
と、私が聞いたのは生来の弥次《やじ》馬《うま》根性のせいである。
「いや、べつに」
初老の紳士が苦笑するのを若い妓の一人がくすりと笑って、
「なにがあるいうわけやないけど——」
曲水のカキツバタのつぼみが開くのを見に来ているのだ、という意味のことを金沢弁で喋《しゃべ》った。
カキツバタのつぼみが、夜明けに開く。その時、ポッと小さな音がするんだという。本当か嘘《うそ》か知らないが、その音を聞くために、夜明け前の兼六園へ出かける人が居るという話は、以前に聞いたことがあった。
すると、ここに集まっている人たちは、そのためだけに夜明け前から待っているわけであろうか。こんな所が、金沢という古い町の面白さだと言えるかも知れない。
さきに廓と書いたが、金沢には現在、三つの廓がある。東、西、主計《かずえ》町《まち》、の三廓《かく》である。浅野川の両岸に、東と主計町、犀川《さいかわ》にそって西の廓となる。
廓と聞いて、ある雑誌が遊廓と書いた。これは間違いである。花街ではあるが、仲々に格式の高い、伝統のある場所だという。新橋や祇《ぎ》園《おん》に劣らぬ気位の高さを保ちつづけて、今もなお北陸人士の遊魂をそそる存在らしい。
北陸は元来、ロシアと縁の深い土地である。一般に内閉的と称される裏日本の性格の中にも、大陸沿岸と結びついたスケールの大きな感覚がひそんでいるように思う。この、金沢の廓を背景に、革命直後のシベリアと北陸とを結ぶ日ソ交渉物語を書いてみたいと考えたのは昨年のことだった。ぼつぼつ調べにかかったが、わずか六、七十年前のことさえはっきりしないものである。結局は想像力を駆使して書く以外にはないのではないか、という感じがした。
こんな事を書くと、金沢が現代ばなれのした大そう古風な都市のように思われかねないが、この町の新しさも、また相当なものだ。サパークラブ、スナックなどは勿論《もちろん》、バニーガールも、フォークのグループも、ミニスカートも、およそ東京にあるものは何でもある。
先日の百万石祭りでは、加賀とび、武者行列などの前後に、CMカーや、マスゲームも現われて面白かった。古式に統一したほうがいいという意見もあったが、私は新旧入り混っている方がエネルギーが感じられて良いと思った。何事によらず、調和とか、統一とかいった発想は、貧血の証拠であろう。昔ながらの土《ど》塀《べい》の間にはさまるブロック塀も、あれはあれで一種の対立感があって悪くない。現代と前近代が、こぢんまりとうまくまとまるのではなく、むしろ火花を散らして対決し合ってるほうが金沢の未来には望ましいのだ。変に、古いものにマッチした街づくりを、などと小細工は用いないほうがいいだろう。古い土塀や、家並みを、圧倒し去る位の迫力のある建築物が出てきて欲しいものだ。
古九《こく》谷《たに》の赤などにある、いやらしいほどのどぎつさを、もう一度見なおす必要がありはしないか。今はすっかり落ち着いている尾山神社の建物なども、最初出現したときは相当にどぎついグロテスクな感じのものだったのではあるまいか、という気がする。
金沢の街を歩いて気付くことだが、赤い色彩が次々と減って行くようだ。そして、白い建物だけが無《む》闇《やみ》と増《ふ》えて行く。
これは世界的な建築界の傾向だろうが、白が本当に美しいのは、金色の陽光と、真青な空の下ではあるまいか。北陸の陰鬱《いんうつ》な背景の中では、赤がひときわ美しいはずである。
金沢の街にも、車があふれはじめた。私の住んでいるあたりも、大型バスや、トラックが轟音《ごうおん》をあげて走り抜ける。
先日、私のところで飼っていた犬が死んだ。ドンという名前の雑犬だが、とぼけた面白い犬だった。
ドンというのは、幼犬の時からワンともスンとも吠《ほ》えぬところからつけた名前である。〈静かなドン〉という意味だ。
私のところにはミーシャという猫がいて、ドンとミーシャは無二の親友だった。ある日、二匹で玄関の前でふざけていて、ドンが自動車にはね飛ばされたのである。ミーシャは信じられないような顔で、倒れたドンを眺《なが》めていた。
翌日からしばらくの間、ミーシャは玄関の所に坐ったきりぼんやりしていた。ドンはどこへ行ったのだろうと考え続けている風《ふ》情《ぜい》だった。
しばらくして、ドンの事を忘れると、ミーシャは猛然と雀を捕《と》りだした。ほとんど一日に一羽位の割で、口にくわえて見せにくるのである。
最近、なんだか少し怠《なま》けていると思ったら、彼女は大志を抱《いだ》いているらしい。昼間、庭の塀の上に姿を見せる山鳩に目をつけたのだ。さすがに鳩となると、事は簡単には運ばない。だが、いつかやられる日がくるような気がする。
毎朝、夜が明けて、新聞配達の足音が聞えだすと、それに起されたように山鳩が鳴きはじめる。その声を聞きつけて、眠っていたミーシャが、むっくり起き上ると、外へ静かに出て行く。私は朝刊を持ってベッドへもぐり込む。中国、水爆実験に成功。
金沢の朝は、まだまだ静かである。今朝も兼六園の曲水のあたりには、花を待つ人たちが集まっているのであろうか。
金沢に住んではいるが、不風流な私には余り縁のない場所だ。未明の頃なら人も居まいと、散歩のつもりで出かけたわけである。美術館と山崎山の間を抜けて、庭園にはいって行く。空気が冷たくて良い気持だ。連日の晴天で乾《かわ》きかけた樹陰の苔《こけ》も、しっとりと生気を取りもどしているように見える。
誰もいまいと思ってやって来たところが、意外にも先客がいた。綺《き》麗《れい》な水が流れている曲水《きょくすい》のあたりに、立ったり坐ったり、七、八人もいるだろうか。
着流しの老人もいたし、中年の婦人もいた。私が寝ぼけまなこを慌《あわ》ててこすったのは、一見してそれと知れる廓《くるわ》の芸者衆の姿をその中に発見したからである。初老の紳士に連れられてやってきたらしい若い妓《こ》たちの着物は、明けがたの兼六園に良く映った。どちらかといえば、ミニスカート党の私だが、その朝だけは着物もいいもんだな、と思った。
彼等は曲水のほとりに、ただ何となくたたずんで、時おり小声で何か語り合っていた。
「何かあるんですか?」
と、私が聞いたのは生来の弥次《やじ》馬《うま》根性のせいである。
「いや、べつに」
初老の紳士が苦笑するのを若い妓の一人がくすりと笑って、
「なにがあるいうわけやないけど——」
曲水のカキツバタのつぼみが開くのを見に来ているのだ、という意味のことを金沢弁で喋《しゃべ》った。
カキツバタのつぼみが、夜明けに開く。その時、ポッと小さな音がするんだという。本当か嘘《うそ》か知らないが、その音を聞くために、夜明け前の兼六園へ出かける人が居るという話は、以前に聞いたことがあった。
すると、ここに集まっている人たちは、そのためだけに夜明け前から待っているわけであろうか。こんな所が、金沢という古い町の面白さだと言えるかも知れない。
さきに廓と書いたが、金沢には現在、三つの廓がある。東、西、主計《かずえ》町《まち》、の三廓《かく》である。浅野川の両岸に、東と主計町、犀川《さいかわ》にそって西の廓となる。
廓と聞いて、ある雑誌が遊廓と書いた。これは間違いである。花街ではあるが、仲々に格式の高い、伝統のある場所だという。新橋や祇《ぎ》園《おん》に劣らぬ気位の高さを保ちつづけて、今もなお北陸人士の遊魂をそそる存在らしい。
北陸は元来、ロシアと縁の深い土地である。一般に内閉的と称される裏日本の性格の中にも、大陸沿岸と結びついたスケールの大きな感覚がひそんでいるように思う。この、金沢の廓を背景に、革命直後のシベリアと北陸とを結ぶ日ソ交渉物語を書いてみたいと考えたのは昨年のことだった。ぼつぼつ調べにかかったが、わずか六、七十年前のことさえはっきりしないものである。結局は想像力を駆使して書く以外にはないのではないか、という感じがした。
こんな事を書くと、金沢が現代ばなれのした大そう古風な都市のように思われかねないが、この町の新しさも、また相当なものだ。サパークラブ、スナックなどは勿論《もちろん》、バニーガールも、フォークのグループも、ミニスカートも、およそ東京にあるものは何でもある。
先日の百万石祭りでは、加賀とび、武者行列などの前後に、CMカーや、マスゲームも現われて面白かった。古式に統一したほうがいいという意見もあったが、私は新旧入り混っている方がエネルギーが感じられて良いと思った。何事によらず、調和とか、統一とかいった発想は、貧血の証拠であろう。昔ながらの土《ど》塀《べい》の間にはさまるブロック塀も、あれはあれで一種の対立感があって悪くない。現代と前近代が、こぢんまりとうまくまとまるのではなく、むしろ火花を散らして対決し合ってるほうが金沢の未来には望ましいのだ。変に、古いものにマッチした街づくりを、などと小細工は用いないほうがいいだろう。古い土塀や、家並みを、圧倒し去る位の迫力のある建築物が出てきて欲しいものだ。
古九《こく》谷《たに》の赤などにある、いやらしいほどのどぎつさを、もう一度見なおす必要がありはしないか。今はすっかり落ち着いている尾山神社の建物なども、最初出現したときは相当にどぎついグロテスクな感じのものだったのではあるまいか、という気がする。
金沢の街を歩いて気付くことだが、赤い色彩が次々と減って行くようだ。そして、白い建物だけが無《む》闇《やみ》と増《ふ》えて行く。
これは世界的な建築界の傾向だろうが、白が本当に美しいのは、金色の陽光と、真青な空の下ではあるまいか。北陸の陰鬱《いんうつ》な背景の中では、赤がひときわ美しいはずである。
金沢の街にも、車があふれはじめた。私の住んでいるあたりも、大型バスや、トラックが轟音《ごうおん》をあげて走り抜ける。
先日、私のところで飼っていた犬が死んだ。ドンという名前の雑犬だが、とぼけた面白い犬だった。
ドンというのは、幼犬の時からワンともスンとも吠《ほ》えぬところからつけた名前である。〈静かなドン〉という意味だ。
私のところにはミーシャという猫がいて、ドンとミーシャは無二の親友だった。ある日、二匹で玄関の前でふざけていて、ドンが自動車にはね飛ばされたのである。ミーシャは信じられないような顔で、倒れたドンを眺《なが》めていた。
翌日からしばらくの間、ミーシャは玄関の所に坐ったきりぼんやりしていた。ドンはどこへ行ったのだろうと考え続けている風《ふ》情《ぜい》だった。
しばらくして、ドンの事を忘れると、ミーシャは猛然と雀を捕《と》りだした。ほとんど一日に一羽位の割で、口にくわえて見せにくるのである。
最近、なんだか少し怠《なま》けていると思ったら、彼女は大志を抱《いだ》いているらしい。昼間、庭の塀の上に姿を見せる山鳩に目をつけたのだ。さすがに鳩となると、事は簡単には運ばない。だが、いつかやられる日がくるような気がする。
毎朝、夜が明けて、新聞配達の足音が聞えだすと、それに起されたように山鳩が鳴きはじめる。その声を聞きつけて、眠っていたミーシャが、むっくり起き上ると、外へ静かに出て行く。私は朝刊を持ってベッドへもぐり込む。中国、水爆実験に成功。
金沢の朝は、まだまだ静かである。今朝も兼六園の曲水のあたりには、花を待つ人たちが集まっているのであろうか。