私の先生で、都営木造のボロ家に住んている貧乏学者がいる。たまたま外国へ行くチャンスがあって、半額自己負担で三週間ほど欧州を回ってきた。留守中に台風がきて、海抜0《ゼロ》メートル地帯にある先生の家は床上まで浸水した。私が景気のいい帰国談でもきくつもりて訪《たず》ねた日、先生はステテコ一枚でタタミ干しをやっていた。
「あちらじゃ、どんな所に泊ったんです?」と、私がきくと、先生は腐りかけた床板の上に石灰をまきながらヤケクソな声でどなった。
「ヒルトンホテル! ロイヤルホテル! パレスホテル! グランドホテル! アストリアホテル! くそ!」
くそ! とどなった先生の気持が、私にはよくわかった。先生が欧州へでかけたのはゼイタクをしにではない。先生の一生を捧《ささ》げた専門的学問の母胎であるヨーロッパの、風土と人情、そして現実の姿を、その目で確かめ肌《はだ》身《み》に感じたかったからにほかならない。格式ある一流ホテルの羽毛ぶとんに寝るために息子《むすこ》さんの子供銀行の預金までおろしたのではサラサラないのである。先生は簡素なミッション・ホテルにでも泊り、カフェテリアでサンドイッチをかじるような、貧乏学者にふさわしいつつましやかな外国旅行が望みだったのに。この先生の場合、悪かったのは旅行代理店の方であって、先生に罪はない。
だが、どだい私たちの精神構造の中には、外国へ出て体面を気にしすぎる要素が根強く生き残っているのではないかと思う。
私自身、そんな傾向がことに強かった。貧乏なくせに見栄《みえ》っぱりなのである。そのクセが少しなおったのは、フィンランドの少女のなにげない一言が骨身にしみてこたえたせいかも知れない。
ヘルシンキの学生広場の裏手に、〈ニッセン〉という大きな喫茶店がある。フィンランド人は日本人と似て、本を読むこととコーヒーの好きな国民だ。このカフェにも、お洒落《しゃれ》な若い女の子や学生たちがわんさと集まる。コーヒーが五十五ペニア(約六十円)だから日本より安い。レニングラードから着いた日の晩そこで大学生だという女の子と知りあった。北欧独特のプラチナ・ブロンドで、お尻《しり》が全日空のボーイング727みたいに跳《は》ねあがっていて、花模様のヒップボーン・スラックスがよく似合った。私たちは片言の英語とスケッチブックを使って、たあいのないお喋《しゃべ》りをした。言葉のせいだけでなく、しばしば話が食い違って困った。
たとえば彼女が、「ヴィンセントの絵はお好き?」ときく。ヴィンセント? それは北欧の画家かね? と私がきき返す。彼女は哀《かな》しそうに首をふって、スケッチブックに下手《へた》な糸杉の絵を描いてみせる。おお、ゴッホのことであるか! すると今度は彼女が不思議そうな顔をする。
「ゴッホって、だあれ?」
彼女が「チャーリイ」といえば、それはチャップリンのことである。「ローレンス」といえば、〈チャタレイ夫人の恋人〉の作者のことではなく、ローレンス・ダレルをさすといった具合だ。ややこしいことおびただしい。
ウェスターンの未来をどう思うか、と彼女がきく。「行きづまってるな」と私。「そうね。もう英雄《ヒーロー》の出る幕じゃないのよ」「そのとおり」「でも、ドゴールは……」「ドゴールだって�」。彼女は西欧諸国《ウエスターン》について語っており、私は西部活劇《ウエスターン》について論じているといった調子なのである。
まあ、そんなことはどうでもいい。語り疲れた彼と彼女は、どこか静かな場所へ行きたくなった。言葉の要《い》らない会話も悪くはない。
白夜のシベリウス公園はどう? そいつは結構。しかし問題はそのあとである。私はタクシーをおごるつもりだった。ベンツやクライスラーのタクシーが、ゴキブリみたいにうようよしてる街ではないか。ここはひとつ外国映画のムードでスマートにいこう。
ところが、である。彼女は頑《がん》として私のギャラントリイに応じようとしないのだ。やせ馬みたいな市電を指さして、あれで行くとがんばって一歩もひかないのである。
「あなたは百万長者《ミリオネーア》か?」と彼女がいう。
「ノウ!」と私。
「電車だと三十五ペニアよ」とかなんとか口走っている彼女をタクシーに押しこんだときには、正直ほっとした。
公園の近くで車がとまる。運転手のおっさんがさっと降りてドアを開けてくれる。良い気持で四マルカのところを五マルカ渡す。おっさんは首をふって、一マルカ札をおし返した。ソ連のタクシーだってチップは当り前のような顔でうけとったのに。
白夜のシベリウス公園はキスをするには余りに明るすぎた。歩きながら何を喋ったかはほとんど憶《おぼ》えていない。どうせ単語を勝手にならべただけの会話だ。記憶にのこっているのはたったひとつ、私が帰りに再びタクシーで行こうと言った時の彼女の言葉である。「I LIKE YOU,BUT……」と彼女は私の頬《ほお》を軽くなでて皮肉っぽく言った。「YOU ARE TOO PROUD.」
ユー・アー・ツー・プラウド。見栄っぱりの日本人。ユー・アー・ツー・プラウド。
それ以来、旅行代理店や、ホテルのフロントや、レストランで、私は幾度となくこの言葉を腹の中でくり返してとなえたものである。すると不思議に「サード・クラス!」とか「チーペスト・プリーズ」とか「ノー・サンキュー!」とかいった文句が、堂々と実に優雅な調子ですべりだすのであった。
「あちらじゃ、どんな所に泊ったんです?」と、私がきくと、先生は腐りかけた床板の上に石灰をまきながらヤケクソな声でどなった。
「ヒルトンホテル! ロイヤルホテル! パレスホテル! グランドホテル! アストリアホテル! くそ!」
くそ! とどなった先生の気持が、私にはよくわかった。先生が欧州へでかけたのはゼイタクをしにではない。先生の一生を捧《ささ》げた専門的学問の母胎であるヨーロッパの、風土と人情、そして現実の姿を、その目で確かめ肌《はだ》身《み》に感じたかったからにほかならない。格式ある一流ホテルの羽毛ぶとんに寝るために息子《むすこ》さんの子供銀行の預金までおろしたのではサラサラないのである。先生は簡素なミッション・ホテルにでも泊り、カフェテリアでサンドイッチをかじるような、貧乏学者にふさわしいつつましやかな外国旅行が望みだったのに。この先生の場合、悪かったのは旅行代理店の方であって、先生に罪はない。
だが、どだい私たちの精神構造の中には、外国へ出て体面を気にしすぎる要素が根強く生き残っているのではないかと思う。
私自身、そんな傾向がことに強かった。貧乏なくせに見栄《みえ》っぱりなのである。そのクセが少しなおったのは、フィンランドの少女のなにげない一言が骨身にしみてこたえたせいかも知れない。
ヘルシンキの学生広場の裏手に、〈ニッセン〉という大きな喫茶店がある。フィンランド人は日本人と似て、本を読むこととコーヒーの好きな国民だ。このカフェにも、お洒落《しゃれ》な若い女の子や学生たちがわんさと集まる。コーヒーが五十五ペニア(約六十円)だから日本より安い。レニングラードから着いた日の晩そこで大学生だという女の子と知りあった。北欧独特のプラチナ・ブロンドで、お尻《しり》が全日空のボーイング727みたいに跳《は》ねあがっていて、花模様のヒップボーン・スラックスがよく似合った。私たちは片言の英語とスケッチブックを使って、たあいのないお喋《しゃべ》りをした。言葉のせいだけでなく、しばしば話が食い違って困った。
たとえば彼女が、「ヴィンセントの絵はお好き?」ときく。ヴィンセント? それは北欧の画家かね? と私がきき返す。彼女は哀《かな》しそうに首をふって、スケッチブックに下手《へた》な糸杉の絵を描いてみせる。おお、ゴッホのことであるか! すると今度は彼女が不思議そうな顔をする。
「ゴッホって、だあれ?」
彼女が「チャーリイ」といえば、それはチャップリンのことである。「ローレンス」といえば、〈チャタレイ夫人の恋人〉の作者のことではなく、ローレンス・ダレルをさすといった具合だ。ややこしいことおびただしい。
ウェスターンの未来をどう思うか、と彼女がきく。「行きづまってるな」と私。「そうね。もう英雄《ヒーロー》の出る幕じゃないのよ」「そのとおり」「でも、ドゴールは……」「ドゴールだって�」。彼女は西欧諸国《ウエスターン》について語っており、私は西部活劇《ウエスターン》について論じているといった調子なのである。
まあ、そんなことはどうでもいい。語り疲れた彼と彼女は、どこか静かな場所へ行きたくなった。言葉の要《い》らない会話も悪くはない。
白夜のシベリウス公園はどう? そいつは結構。しかし問題はそのあとである。私はタクシーをおごるつもりだった。ベンツやクライスラーのタクシーが、ゴキブリみたいにうようよしてる街ではないか。ここはひとつ外国映画のムードでスマートにいこう。
ところが、である。彼女は頑《がん》として私のギャラントリイに応じようとしないのだ。やせ馬みたいな市電を指さして、あれで行くとがんばって一歩もひかないのである。
「あなたは百万長者《ミリオネーア》か?」と彼女がいう。
「ノウ!」と私。
「電車だと三十五ペニアよ」とかなんとか口走っている彼女をタクシーに押しこんだときには、正直ほっとした。
公園の近くで車がとまる。運転手のおっさんがさっと降りてドアを開けてくれる。良い気持で四マルカのところを五マルカ渡す。おっさんは首をふって、一マルカ札をおし返した。ソ連のタクシーだってチップは当り前のような顔でうけとったのに。
白夜のシベリウス公園はキスをするには余りに明るすぎた。歩きながら何を喋ったかはほとんど憶《おぼ》えていない。どうせ単語を勝手にならべただけの会話だ。記憶にのこっているのはたったひとつ、私が帰りに再びタクシーで行こうと言った時の彼女の言葉である。「I LIKE YOU,BUT……」と彼女は私の頬《ほお》を軽くなでて皮肉っぽく言った。「YOU ARE TOO PROUD.」
ユー・アー・ツー・プラウド。見栄っぱりの日本人。ユー・アー・ツー・プラウド。
それ以来、旅行代理店や、ホテルのフロントや、レストランで、私は幾度となくこの言葉を腹の中でくり返してとなえたものである。すると不思議に「サード・クラス!」とか「チーペスト・プリーズ」とか「ノー・サンキュー!」とかいった文句が、堂々と実に優雅な調子ですべりだすのであった。
もうひとつ、スウェーデンのホテル案内所での出来事を書いておこう。その時、私のうしろには、国籍不明の人品いやしからざる中年紳士が並んでいた。私が魅力的な案内嬢に「チーペスト・プリーズ!」と叫ぶと、彼女は「オーケイ」と微笑し、汗だくで何十回も電話をかけ、ホテルを決めてくれた。
「タック《ありがとう》」と、ひとつ憶えのスウェーデン語で礼をいい、私は中年紳士と交代した。彼がどんな交渉の仕方をするか、ちょっと興味があったので私は横で眺《なが》めていた。
「チーペスト」と彼ははっきりと発言し、それから何とも気品のある口調てサラリとつけくわえた。「アンド・クリーン」
「イエス」と女の子は丁重に答えたのである。「イエス・サー!」
「おれはまだ修業がたりんな」とその時私は思ったものだ。「チーペスト・アンド・クリーンか」
これで行こうと私は決めたのだった。見栄をはらず、卑屈にならず、しかも要求することは堂々と要求する。金銭に関してケチでなく、しかもブルジョア的な姿勢など断固として拒否しよう。それこそ庶民大衆の心意気ではあるまいか。
とは言うものの、言うは易《やす》く行うは難し。私自身、いつもお金に関しては自分の思う通りの使い方が出来たためしがない。終戦後のあのものすごいインフレの中で育ったせいか、お金というものに対する信頼感が全く欠如しているのである。
石油ストーブの灯油を買うのに、ドラム罐《かん》四、五本もまとめて買い込み物置にしまったりするのは、一体いかなる心境によるものであろうか。要するに頼りになるのは金銭ではないという物資へのフェティシズムが骨までしみこんでいるせいであろう。
それは戦後に精神の形成期をすごした人間の後遺症のようなものかもしれない。そういうわけで、たまたま手《て》許《もと》に現金があったりすると、貨幣価値の下落せぬうちに早く使ってしまわなければいけないような強迫観念にとらわれるのである。
ドラム罐の灯油は、いつも家人の物笑いの種子《たね》であったが、中近東の戦争が始まった時には、言わんこっちゃない、という気がした。
思うに、私達の世代は、どんな太平ムードの中でも、一刻も戦争を忘れる事の出来ない因果な世代なのだろう。
「タック《ありがとう》」と、ひとつ憶えのスウェーデン語で礼をいい、私は中年紳士と交代した。彼がどんな交渉の仕方をするか、ちょっと興味があったので私は横で眺《なが》めていた。
「チーペスト」と彼ははっきりと発言し、それから何とも気品のある口調てサラリとつけくわえた。「アンド・クリーン」
「イエス」と女の子は丁重に答えたのである。「イエス・サー!」
「おれはまだ修業がたりんな」とその時私は思ったものだ。「チーペスト・アンド・クリーンか」
これで行こうと私は決めたのだった。見栄をはらず、卑屈にならず、しかも要求することは堂々と要求する。金銭に関してケチでなく、しかもブルジョア的な姿勢など断固として拒否しよう。それこそ庶民大衆の心意気ではあるまいか。
とは言うものの、言うは易《やす》く行うは難し。私自身、いつもお金に関しては自分の思う通りの使い方が出来たためしがない。終戦後のあのものすごいインフレの中で育ったせいか、お金というものに対する信頼感が全く欠如しているのである。
石油ストーブの灯油を買うのに、ドラム罐《かん》四、五本もまとめて買い込み物置にしまったりするのは、一体いかなる心境によるものであろうか。要するに頼りになるのは金銭ではないという物資へのフェティシズムが骨までしみこんでいるせいであろう。
それは戦後に精神の形成期をすごした人間の後遺症のようなものかもしれない。そういうわけで、たまたま手《て》許《もと》に現金があったりすると、貨幣価値の下落せぬうちに早く使ってしまわなければいけないような強迫観念にとらわれるのである。
ドラム罐の灯油は、いつも家人の物笑いの種子《たね》であったが、中近東の戦争が始まった時には、言わんこっちゃない、という気がした。
思うに、私達の世代は、どんな太平ムードの中でも、一刻も戦争を忘れる事の出来ない因果な世代なのだろう。