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風に吹かれて18

时间: 2020-07-29    进入日语论坛
核心提示:砂糖はあまくおいしくて牛乳なんぞに入れてのむ 砂糖は甘くおいしくて、牛乳なんぞに入れて飲む時たま、ふっとこんな文句が頭の
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砂糖はあまくおいしくて牛乳なんぞに入れてのむ

 砂糖は甘くおいしくて、牛乳なんぞに入れて飲む——時たま、ふっとこんな文句が頭の中に浮んできて、あの真夏の八月十五日を思い浮べさせるのだ。私の家は、当時、平壌《へいじょう》の航空隊と同じ一角にあった。その敗戦の数日間、若い飛行機乗りたちが、毎晩のように私の家へ砂糖の麻袋を運んできた。数年間、私の見た事もなかったような純白の輝く砂糖が、敗戦と同時に私の目の前に現われ、私を驚かせた。その若い飛行機乗りたちのうちの何人かは、深夜、飛行場の堤防に機銃掃射を行いながら、無意味な自爆をとげた。間もなく北鮮側の人民委員会の保安隊員が現われて、私の家の麻袋に入った砂糖の山を摘発して行った。私たちは、それから引揚げまでの一年半あまり、砂糖の味など全く忘れてしまう日々を送った。
砂糖は甘くおいしくて、牛乳なんぞに入れて飲む——。
戦中から戦後、そして今もなおしばしば私の胸中を去来する絶唱はこの歌詞である。ランボーでもなければ、中原中也《ちゅうや》でもない。そして、金髪碧眼《へきがん》のスチュワーデスに気がねしながら、私は未だに残された砂糖の袋をポケットにしまい込むのである。これが後遺症でなくて何であろうか。
ナイフ、磁石、マッチ、懐中電灯、乾パン、地図、ETC。
それらのものに対する偏愛も、また私の後遺症の一つである。それらは荒野に自分の生命を守る時に必要欠くべからざるものばかりだ。喫茶店で自由に手に入るマッチが、ある時代にはどのような偉大な物質であったか。
私は車を持っていない。なぜならば車はガソリンを必要とするからだ。ガソリンは我国には充分産出しないと国民学校の地理で教わった。ABCDラインはその血の一滴(ガンリンのこと)を絶とうとした。車のカタログを持ってくるセールスマンに私は首をふって言う。
「車はいいけど、もしガソリンが手にはいらなくなったらどうする?」
「それ、どういう意味ですか?」
若いアイビールックのセールスマン氏はキョトンと私をみつめて首をかしげる。私は車が嫌《きら》いではない。だが、自分で買い込んだ車のドテッ腹に代燃用のタンクをつけ、手回しのサイレンみたいなフイゴを回す悪夢が私の購買意欲を減退させる。これも後遺症の一つに違いない。
今年は金沢も例年にない、ひどい暑さである。仕事用にクーラーをつけないかという人がやって来た。私は断わった。金も問題だが、「ゼイタクはテキダ!」と、どこか頭の奥の方で声がしたからである。これは良くない症状で、幻聴という分裂病の徴候だそうだ。
四十代、五十代の人たちは、戦争のもう一つ前の時代を知っているのかも知れない。モボ・モガ時代とか、昔恋しい銀座の柳、とか。
しかし、私たちは人間がその生涯の歩き方のパターンを決める時期に、海洋少年団にいた。酒席で何かやれと言われて私の出来るのは手旗信号位のものだ。それに、あの、イトー、ロジョーホコー、ハーモニカ、ニューヒゾーカ、ホーコク、ヘ……
ヘ、とは何か。それはヘである。トンであって、ツーではない。モールス符号を憶えきれずに、自殺を計った幼き級友がいた。彼は、そのヘ、と、オ、だけを真先に憶えた。オ、はオショーショーコーである。ト・ツー・ツー・ツー。
戦没学生の手記を読んで、私は彼らが古今東西の古典を驚くほど読んでいることに、一種の反撥《はんぱつ》を憶えずにはいられなかった。
私たちはオショーショーコーであり、オヨソグンジンニハ、カミゲンスイヨリシモイッソツニイタルマデ、ソノアイダニカンショクノカイキュウアリテトウゾクスルノミナラズ、ドウレツドウキュウトテモ、テイネンニシンキュウアレバ、シンニンノモノハキュウニンノモノニフクジュウスベキモノゾ、だからである。
この荒々しい形成期の中で、やはり私たちはデフォルメされたし、それは私たちに抵抗の努力が足りなかったためだと責められる事柄ではあるまい。
そして戦後。私たちはインフレイションの嵐《あらし》の中で少年期を迎え、いま、三十四歳を迎えて金銭に対する不信感を固く抱《いだ》きつづけている。今日の一万円は明日の百円だ。今のうちに早く使っちまえ。そんな声がどこからともなく聞え、私は慌《あわ》てて財《さい》布《ふ》を掴《つか》んで外へ飛び出すのだ。
本当のところ、原稿料を品物、たとえば純綿のサラシとか地下足袋《じかたび》とかでもらえれば、もっと安心するに違いないのだが。
やがて八月十五日がくる。もう、以前ほど誰もそれを意識しないようになってきた。だが、私の中では戦争は変らず生きている。後遺症に悩まされてばかりいてもはじまらない。そろそろ、私白身の問題として、もう一度、戦争について考えなおしてみたい夏である。
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