池田満寿夫《ますお》氏がベルリンからの通信の中で、「自分の語感が衰弱したように思う」という意味のことを書いていた。
英語、フランス話、ドイツ語、スペイン語と、雑然たる会話の中に身をおいていると、一種のアナーキイな語感の混乱を覚えるという意味の述懐である。
外国語と日本語、という問題について、このところしきりに考える。われわれはどうしてヨーロッパやアメリカの人間と全く平静な態度で対し得ないのだろうか、と私はそのことを考えていたのだった。
言葉の問題だけではない何かが、そこにあるように思えるのだ。
こんな事もわからないのか、といったさも苦々しい表情で外国人にまくしたてられるとき、相手の言葉を理解しかねている日本人は、ほとんど卑屈になるか、反対にふてくされた傲慢《ごうまん》さを示すかのどちらかになる。
しかし、それはまだいい。私が嫌《きら》いなのは、外国人とほとんど同じように英語、あるいはフランス語を喋《しゃべ》る日本人に対する相手方の反応だ。
そこには、一種独特のかすかな優越の感情が匂《にお》うように思う。自分らの国語を、さぞかし苦心してマスターしたであろうところの東洋人に対する、無意識の満足と思いあがりがひそんでいるのを感じる。
私たちは日本語を巧みに話す外国人に対して、無邪気な感嘆と、素朴な好意を感じる場合が多い。まれに悪達者な日本語をあやつる外国人に、一種のうさん臭さをおぼえる程度である。
その差異の背後にあるものは、やはりヨーロッパと、コロンの関係ではないか、という気がしてならない。彼らの自信を支《ささ》えているのは、ヨーロッパの文明と富に対する自負であろうし、更にその文化や富を支えてきたのは植民地の存在ではなかったか。
パリから帰って来た伊《い》丹《たみ》十三氏は、渋谷の街を眺《なが》めて暗然たる感慨を覚えた、という意味のことを書いていたように思う。その気持はわかる。わかるが伊丹氏がその時おぼえた感慨は、それだけではなかっただろうという気がする。
整然たるパリの街なみと、見事な街路樹の景色に、現在の私たちは、すでに無邪気に感嘆することは出来ない。少なくとも、エトワールからコンコルドの方角を眺めた私の感情は、強いアンビバレンツの状態にあった。この豪奢《ごうしゃ》を支えた富は、どこから来たのか? それはフランス人の勤勉と、美意識と、才《さい》智《ち》のみが創《つく》りあげたものではないことを私は感じていた。
〈にもかかわらず、なぜ?〉
と、私は道行くこの国の人々に問いかけたいと思ったのだ。〈なぜ君らは?〉
いつぞや〈パリは燃えているか?〉という映画を見たとき、私は激しい不快感をおぼえた。あの作品を作ったのがフランス人であるか、アメリカ人であるか、私は知らない。だが、あの、パリのみが世界の首府、人類の宝石であるかのような歌いあげかたには、私の体のどこかに強く反撥《はんぱつ》させるものがあった。かえりみて雑然たる渋谷ハチ公前に立つとき、私は強い嫌《けん》悪《お》感《かん》と、激しい愛着の念を同時におぼえずにはいられない。
不《ふ》揃《ぞろ》いな家並み。ラーメンとバーゲンセールの看板。都電のきしみと、タクシーの群れ、街頭放送の絶叫。そしてクモの巣の如《ごと》き電線。ネオン。演歌と地下道を走るネズミたち。灰色の群衆。
だが、これは私たちが自国の植民地を持たずに作りあげた精一杯の街ではないか、という気がする。しかし、フィンランドはどうなのだ、という声が頭の中できこえる。戦後、巨額の賠償をソ連に払い、国土を割譲し、引揚者と多数の戦傷者を抱《かか》えたあの小国の、静かに整然たる街並みは? また逆に、現在最も大きな植民地を持つといわれるポルトガルのスラムは?
「渋谷だけが東京じゃない。新しい日本の市街が見たけりゃ、新宿の西口へ行ってみろ」
と、ある晩、友人の一人が言った。私は彼の車で新宿の西口へ行った。そこには、新しい巨大な鉄とセメントの街があった。私はまたそこで別な感慨をおさえきれなかった。私は自分の国が、再び奇妙な道へ歩みを出しかけていることを感じたのだった。
私はそのとき、自分の感慨を整理できぬままに一つのいやな観念にとらわれていた。
〈見事な街を作るのは、富の偏在ではないのか?〉
富の偏在がある種の文明を開化させる、という考えは、私にとってひどく重い観念のように感じられる。それは自明の理かも知れないが、私はそれに慣れることができない。私には、新宿西口の、巨大なビルの集団が、ひどく不吉な暗いもののように感じられた。私と友人とは、その日車を捨て、国電の沿線にしがみつくようにして残っている旧マーケットあとの、〈コーシカ〉というロシア酒場でウイスキーを飲んだ。客が五人も坐れば満員になりそうなその店は、大デパートの陰に、点として存在しているに過ぎない。いずれ消滅するにちがいない、その〈点〉のカウンターで、私たちは黙って飲んでいた。
最初、友人はオールドの水割りを頼んだのだった。
「そんなものおいてないわ」
と、少し疲れた顔のロシア婦人が日本語で言ったのだ。「角ならあるけど」
恥じいった友人と私は、角を頼み、十年前、中野の酒場でトリスのグラスを宝石のように大事に抱えて、カウンターにねばっていた時のことを思い出していた。電車が通るたびに、私たちの椅子と、私たちのグラスが震えた。
これからの日本の街を作るのは、日本人の美意識だろうか?
私には必ずしもそうとは考えられない。日本の市街を作るのは、日本の経済力だろうという気がする。少なくとも新宿西口の様相には、それが露骨に感じられた。そして、今後は、あらゆる場所で、そのような街づくりが進められて行くに違いないという予感がする。新宿西口のあの市街は、深夜になると数十人の守衛氏たちを残して、無人の都市になるだろう。暗黒の中にそそり立つ、鉄骨とセメントとガラスの巨大なノーマンズランドを想像するとき、私は何かひどく空《むな》しい思いにかられる。〈点〉のような小さな酒場には、少なくとも数人の客と、疲れた顔の異邦人がいた。だが、その〈点〉を踏みつぶして次第に拡大して行く無人都市は、何によって支えられ、何によって維持されるのであろうか。私は少なくとも古い伝統とか、風《ふ》情《ぜい》とかいったものに対しては無関心な人間である。滅び行くものの哀感などといった洒落《しゃ》れたものより荒々しい建設の雑然を愛している。だが、〈点〉を消して無気味に広がり行く〈面〉の現実は、ある薄気味悪さをおぼえずにはいられない。いま、なにか得体の知れない新しい季節が始まろうとしていることを私は感じる。ほんのわずかの期間、あわただしく外国へ飛び出して帰って来てみると、〈風の音にぞ驚かれぬる〉といった気がしないでもない。
あの光彩にみちた「太陽の季節」は、どうやら終りを告げて、奇妙な「白夜の季節」がやってきたようだ。〈コーシカ〉という新宿西口の小さな酒場で、そんな事をぼんやり考えた。蛇《だ》足《そく》だが、〈コーシカ〉とは仔《こ》猫《ねこ》の意味である。年寄りの方のオバさんが弾《ひ》くバラライカにダルな哀感がある。オールドはおいていない。
英語、フランス話、ドイツ語、スペイン語と、雑然たる会話の中に身をおいていると、一種のアナーキイな語感の混乱を覚えるという意味の述懐である。
外国語と日本語、という問題について、このところしきりに考える。われわれはどうしてヨーロッパやアメリカの人間と全く平静な態度で対し得ないのだろうか、と私はそのことを考えていたのだった。
言葉の問題だけではない何かが、そこにあるように思えるのだ。
こんな事もわからないのか、といったさも苦々しい表情で外国人にまくしたてられるとき、相手の言葉を理解しかねている日本人は、ほとんど卑屈になるか、反対にふてくされた傲慢《ごうまん》さを示すかのどちらかになる。
しかし、それはまだいい。私が嫌《きら》いなのは、外国人とほとんど同じように英語、あるいはフランス語を喋《しゃべ》る日本人に対する相手方の反応だ。
そこには、一種独特のかすかな優越の感情が匂《にお》うように思う。自分らの国語を、さぞかし苦心してマスターしたであろうところの東洋人に対する、無意識の満足と思いあがりがひそんでいるのを感じる。
私たちは日本語を巧みに話す外国人に対して、無邪気な感嘆と、素朴な好意を感じる場合が多い。まれに悪達者な日本語をあやつる外国人に、一種のうさん臭さをおぼえる程度である。
その差異の背後にあるものは、やはりヨーロッパと、コロンの関係ではないか、という気がしてならない。彼らの自信を支《ささ》えているのは、ヨーロッパの文明と富に対する自負であろうし、更にその文化や富を支えてきたのは植民地の存在ではなかったか。
パリから帰って来た伊《い》丹《たみ》十三氏は、渋谷の街を眺《なが》めて暗然たる感慨を覚えた、という意味のことを書いていたように思う。その気持はわかる。わかるが伊丹氏がその時おぼえた感慨は、それだけではなかっただろうという気がする。
整然たるパリの街なみと、見事な街路樹の景色に、現在の私たちは、すでに無邪気に感嘆することは出来ない。少なくとも、エトワールからコンコルドの方角を眺めた私の感情は、強いアンビバレンツの状態にあった。この豪奢《ごうしゃ》を支えた富は、どこから来たのか? それはフランス人の勤勉と、美意識と、才《さい》智《ち》のみが創《つく》りあげたものではないことを私は感じていた。
〈にもかかわらず、なぜ?〉
と、私は道行くこの国の人々に問いかけたいと思ったのだ。〈なぜ君らは?〉
いつぞや〈パリは燃えているか?〉という映画を見たとき、私は激しい不快感をおぼえた。あの作品を作ったのがフランス人であるか、アメリカ人であるか、私は知らない。だが、あの、パリのみが世界の首府、人類の宝石であるかのような歌いあげかたには、私の体のどこかに強く反撥《はんぱつ》させるものがあった。かえりみて雑然たる渋谷ハチ公前に立つとき、私は強い嫌《けん》悪《お》感《かん》と、激しい愛着の念を同時におぼえずにはいられない。
不《ふ》揃《ぞろ》いな家並み。ラーメンとバーゲンセールの看板。都電のきしみと、タクシーの群れ、街頭放送の絶叫。そしてクモの巣の如《ごと》き電線。ネオン。演歌と地下道を走るネズミたち。灰色の群衆。
だが、これは私たちが自国の植民地を持たずに作りあげた精一杯の街ではないか、という気がする。しかし、フィンランドはどうなのだ、という声が頭の中できこえる。戦後、巨額の賠償をソ連に払い、国土を割譲し、引揚者と多数の戦傷者を抱《かか》えたあの小国の、静かに整然たる街並みは? また逆に、現在最も大きな植民地を持つといわれるポルトガルのスラムは?
「渋谷だけが東京じゃない。新しい日本の市街が見たけりゃ、新宿の西口へ行ってみろ」
と、ある晩、友人の一人が言った。私は彼の車で新宿の西口へ行った。そこには、新しい巨大な鉄とセメントの街があった。私はまたそこで別な感慨をおさえきれなかった。私は自分の国が、再び奇妙な道へ歩みを出しかけていることを感じたのだった。
私はそのとき、自分の感慨を整理できぬままに一つのいやな観念にとらわれていた。
〈見事な街を作るのは、富の偏在ではないのか?〉
富の偏在がある種の文明を開化させる、という考えは、私にとってひどく重い観念のように感じられる。それは自明の理かも知れないが、私はそれに慣れることができない。私には、新宿西口の、巨大なビルの集団が、ひどく不吉な暗いもののように感じられた。私と友人とは、その日車を捨て、国電の沿線にしがみつくようにして残っている旧マーケットあとの、〈コーシカ〉というロシア酒場でウイスキーを飲んだ。客が五人も坐れば満員になりそうなその店は、大デパートの陰に、点として存在しているに過ぎない。いずれ消滅するにちがいない、その〈点〉のカウンターで、私たちは黙って飲んでいた。
最初、友人はオールドの水割りを頼んだのだった。
「そんなものおいてないわ」
と、少し疲れた顔のロシア婦人が日本語で言ったのだ。「角ならあるけど」
恥じいった友人と私は、角を頼み、十年前、中野の酒場でトリスのグラスを宝石のように大事に抱えて、カウンターにねばっていた時のことを思い出していた。電車が通るたびに、私たちの椅子と、私たちのグラスが震えた。
これからの日本の街を作るのは、日本人の美意識だろうか?
私には必ずしもそうとは考えられない。日本の市街を作るのは、日本の経済力だろうという気がする。少なくとも新宿西口の様相には、それが露骨に感じられた。そして、今後は、あらゆる場所で、そのような街づくりが進められて行くに違いないという予感がする。新宿西口のあの市街は、深夜になると数十人の守衛氏たちを残して、無人の都市になるだろう。暗黒の中にそそり立つ、鉄骨とセメントとガラスの巨大なノーマンズランドを想像するとき、私は何かひどく空《むな》しい思いにかられる。〈点〉のような小さな酒場には、少なくとも数人の客と、疲れた顔の異邦人がいた。だが、その〈点〉を踏みつぶして次第に拡大して行く無人都市は、何によって支えられ、何によって維持されるのであろうか。私は少なくとも古い伝統とか、風《ふ》情《ぜい》とかいったものに対しては無関心な人間である。滅び行くものの哀感などといった洒落《しゃ》れたものより荒々しい建設の雑然を愛している。だが、〈点〉を消して無気味に広がり行く〈面〉の現実は、ある薄気味悪さをおぼえずにはいられない。いま、なにか得体の知れない新しい季節が始まろうとしていることを私は感じる。ほんのわずかの期間、あわただしく外国へ飛び出して帰って来てみると、〈風の音にぞ驚かれぬる〉といった気がしないでもない。
あの光彩にみちた「太陽の季節」は、どうやら終りを告げて、奇妙な「白夜の季節」がやってきたようだ。〈コーシカ〉という新宿西口の小さな酒場で、そんな事をぼんやり考えた。蛇《だ》足《そく》だが、〈コーシカ〉とは仔《こ》猫《ねこ》の意味である。年寄りの方のオバさんが弾《ひ》くバラライカにダルな哀感がある。オールドはおいていない。