飛行機のことについて、少し書きたい。
最近、仕事の都合で飛行機を多く使うようになった。
なにぶん、金沢と東京では新幹線を利用しても六時間半はかかる。信越回りの特急だと八時間だ。
これを飛行機で飛ぶと、一時間半あまりで東京・金沢(小松)間を一またぎすることができる。
時間に追われて仕事をしていると、つい飛行機にたよりがちだ。だが、考えてみると、それだけではない。本来、私が飛行機という代物《しろもの》を好きだ、という理由もある。
飛行機、それもジェット機でなく、プロペラ機が私は好きだ。
滑走路の白線の所で、勢いよくエンジンをふかし、ぐぐっと加速してふわりと浮き上る感じは列車にはない。
バイカウントだとか、フレンドシップだとかいった飛行機に乗っていると、飛んでいる間、エンジンが営々と働いているといった感じを受ける。
エンジンの横腹に、Rの字が二つ重ねて書いてある。ロールス・ロイスのマークだろう。はじめての飛行機旅行でそわそわ落ちつかぬ乗客に、隣りの英国紳士が、そのRのマークを指して、
「ロールス・ロイス」
とただ一言、落ちつけといわんばかりに大きくうなずいた、などという旨《うま》いコマーシャルを思い出させるマークである。
ロールス・ロイスだって、故障する時は故障はするだろう。いかにもイギリス人らしい自信ぶりを旨く利用した、巧妙なパブリシティにちがいない。
度々《たびたび》乗っているうちに、飛行機が怖《こわ》くなった。慣れて平気になるかと思ったら、逆である。この飛行機はこの位走って、こんな角度で上って、この辺で旋回して、などとおよそ見当がついてくるからいけない。そのうちに、操縦士の個人的なくせ、のようなものがわかってくる。
着陸の時などもそうだ。滑走路の端に、この位の高さで進入するという見当がついてくると、その時その時の高低が、ひどく気になってくる。F空港などという、せまい滑走路などの時は、それが実によくわかるのだ。まず、荒っぽい離陸をする機長の時は、着陸も相当の覚悟がいる。
これは何も国内の話だけではない。世界のいろんな飛行機に乗った時の印象が、それそれひどく違った。
アエロフロートのTU一一四でモスクワに着陸した時、調理室のコップが棚《たな》からガシャガシャンと音を立てて床にこぼれ落ち、スチュワーデスが転《ころ》んで悲鳴をあげたことがあった。あれは、かなりの荒っぽい着地だったと思う。安全性では定評のあるTU一一四だが、あの時は少々ショックだった。隣りのロシアの小母さんは平然として、編物の手を休めなかったから、あの位で驚く必要はないのかも知れない。
それにしても、私たちの少年時代は飛行機が当時の花形だった。今でいうなら、さしずめスポーツカー並みの人気があった。
私たちは木片をけずって、当時の軍用機のモデル作りに専念したものだ。日本の飛行機だけでなく、敵国のものや、同盟国の飛行機も注目の的だった。
ノースアメリカンP五一ムスタング。
ロッキードP三八。(これは双胴の妙な戦闘機だった)
グラマン・ワイルドキャット。
主翼がW型になったヴォート・シコルスキー艦上戦闘機。(これはいかにも強そうに見えた)
英国でホーカー・ハリケーン。
名機、スピット・ファイヤー。
ナチス・ドイツのメッサーシュミット。
ソ連のE十六型戦闘機。
この辺《あた》りが私たち当時の小学生のスターだったと思う。
もちろん日本のハヤブサ、ショーキ、ヒエン、三式戦、新司偵、なども人気があった。私たちは爆音ではっきりとそれらの機種を識別することができたし、細かなデーターについてもくわしく知っていた。
たとえば、ショーキは、ハヤブサに比べて速度、上昇力、火器等においてはるかに優《すぐ》れているが、旋回半径が大きく格闘能力において劣る、などということは私たち子供仲間の常識であり、中でも粋《いき》な少年たちは新鋭機よりも、脚《あし》の引っ込まない九七戦などを高く評価したりもしたものだ。
いま、男性週刊誌などでは、新しいスポーツカーのカラー写真や仕様が必《ひっ》須《す》の頁《ページ》として重要視されている。若い男の子や女の子たちは、恰好《かっこう》のいい車に夢中である。しかし、私には、彼らの車によせる情熱と、私たちがかつて戦闘機に示した関心との間に、ひどく大きな差異があるのを感ぜずにはいられない。
私たち当時の少国民にとっては、飛行機は単に恰好のいいメカニズムだけではなかった。新鋭機とは、戦《いくさ》の局面を、すなわち祖国の運命を左右するに足る力を持つ代物であった。そして、いつかは自分たちも、その操縦席に身を沈め、敵の機種と生死を賭《か》けた戦闘を演じるであろう武器でもあった。
したがって、当然、私たちの飛行機によせる関心には、歴史と、自己の生死がそれに依《よ》るところの一種荘重な感動があり、それはまた実に深い魅力として感じられたのである。
私はこれまで、「今時の若い者は——」などという言い方をした事もなければ、書いたこともない。
だが、彼らと自分の間に越え難い断絶を覚えるのは、あのスポーツカーに対する彼らの熱中ぶりである。熱中することは問題ではない。
私が理解し難いのは、彼らは果してスポーツカーへの情熱から、どのような感動をくみ取っているか、という一点につきる。
かつて私たちは、幼稚な愛国的少国民であった。私たちの目の前に現われる新鋭機は、子供なりに自己の未来の生死と、民族の運命に関与するものとして映じていた。その視線にうつる飛行機には、一種独特の美が感じられたように思う。
そんな時代をくぐって来た私たちは、あの見事なスタイルと能力を持つスポーツカーや、フォーミュラーカーの美に対して、それほど感動しないところがあるように思う。そこには、かつて私たちが戦闘機に覚えた、あの叙事詩的な感動というものは存在してないのではなかろうか。
現在も戦闘機はあるではないか、と、言う声がきこえる。
たしかに、それはある。私がいつも行き来する小松飛行場にもF八六だのE一○四だのといった自衛隊のジェット戦闘機が、金属質の爆音をひびかせながら空を引き裂いては飛び去って行く。
だが、今や私もかつての少年ではない。それらのジェット機を眺《なが》めても、かつてのあの旧式なプロペラ機に心を躍《おど》らせたような感動はよみがえってはこない。
そして、現代の青年たちは国産のスポーツカーと、外国製のそれとの優劣を論ずることに熱中しているだけだ。飛行機は彼らの関心の外にある。
それはなぜだろう、と、飛行場の青草の中に立って考えた。
ジェット機という化物は、すでにそのような情熱の対象とはならないものなのであろうか?
それとも、外に何か理由があるのだろうか?
さきの中近東の戦乱で、あれほど活躍しながら、ミラージュ機の熱狂的なファンであるという子供に、私は出会ったことがない。ミグにいたってはなおさらである。
最近、仕事の都合で飛行機を多く使うようになった。
なにぶん、金沢と東京では新幹線を利用しても六時間半はかかる。信越回りの特急だと八時間だ。
これを飛行機で飛ぶと、一時間半あまりで東京・金沢(小松)間を一またぎすることができる。
時間に追われて仕事をしていると、つい飛行機にたよりがちだ。だが、考えてみると、それだけではない。本来、私が飛行機という代物《しろもの》を好きだ、という理由もある。
飛行機、それもジェット機でなく、プロペラ機が私は好きだ。
滑走路の白線の所で、勢いよくエンジンをふかし、ぐぐっと加速してふわりと浮き上る感じは列車にはない。
バイカウントだとか、フレンドシップだとかいった飛行機に乗っていると、飛んでいる間、エンジンが営々と働いているといった感じを受ける。
エンジンの横腹に、Rの字が二つ重ねて書いてある。ロールス・ロイスのマークだろう。はじめての飛行機旅行でそわそわ落ちつかぬ乗客に、隣りの英国紳士が、そのRのマークを指して、
「ロールス・ロイス」
とただ一言、落ちつけといわんばかりに大きくうなずいた、などという旨《うま》いコマーシャルを思い出させるマークである。
ロールス・ロイスだって、故障する時は故障はするだろう。いかにもイギリス人らしい自信ぶりを旨く利用した、巧妙なパブリシティにちがいない。
度々《たびたび》乗っているうちに、飛行機が怖《こわ》くなった。慣れて平気になるかと思ったら、逆である。この飛行機はこの位走って、こんな角度で上って、この辺で旋回して、などとおよそ見当がついてくるからいけない。そのうちに、操縦士の個人的なくせ、のようなものがわかってくる。
着陸の時などもそうだ。滑走路の端に、この位の高さで進入するという見当がついてくると、その時その時の高低が、ひどく気になってくる。F空港などという、せまい滑走路などの時は、それが実によくわかるのだ。まず、荒っぽい離陸をする機長の時は、着陸も相当の覚悟がいる。
これは何も国内の話だけではない。世界のいろんな飛行機に乗った時の印象が、それそれひどく違った。
アエロフロートのTU一一四でモスクワに着陸した時、調理室のコップが棚《たな》からガシャガシャンと音を立てて床にこぼれ落ち、スチュワーデスが転《ころ》んで悲鳴をあげたことがあった。あれは、かなりの荒っぽい着地だったと思う。安全性では定評のあるTU一一四だが、あの時は少々ショックだった。隣りのロシアの小母さんは平然として、編物の手を休めなかったから、あの位で驚く必要はないのかも知れない。
それにしても、私たちの少年時代は飛行機が当時の花形だった。今でいうなら、さしずめスポーツカー並みの人気があった。
私たちは木片をけずって、当時の軍用機のモデル作りに専念したものだ。日本の飛行機だけでなく、敵国のものや、同盟国の飛行機も注目の的だった。
ノースアメリカンP五一ムスタング。
ロッキードP三八。(これは双胴の妙な戦闘機だった)
グラマン・ワイルドキャット。
主翼がW型になったヴォート・シコルスキー艦上戦闘機。(これはいかにも強そうに見えた)
英国でホーカー・ハリケーン。
名機、スピット・ファイヤー。
ナチス・ドイツのメッサーシュミット。
ソ連のE十六型戦闘機。
この辺《あた》りが私たち当時の小学生のスターだったと思う。
もちろん日本のハヤブサ、ショーキ、ヒエン、三式戦、新司偵、なども人気があった。私たちは爆音ではっきりとそれらの機種を識別することができたし、細かなデーターについてもくわしく知っていた。
たとえば、ショーキは、ハヤブサに比べて速度、上昇力、火器等においてはるかに優《すぐ》れているが、旋回半径が大きく格闘能力において劣る、などということは私たち子供仲間の常識であり、中でも粋《いき》な少年たちは新鋭機よりも、脚《あし》の引っ込まない九七戦などを高く評価したりもしたものだ。
いま、男性週刊誌などでは、新しいスポーツカーのカラー写真や仕様が必《ひっ》須《す》の頁《ページ》として重要視されている。若い男の子や女の子たちは、恰好《かっこう》のいい車に夢中である。しかし、私には、彼らの車によせる情熱と、私たちがかつて戦闘機に示した関心との間に、ひどく大きな差異があるのを感ぜずにはいられない。
私たち当時の少国民にとっては、飛行機は単に恰好のいいメカニズムだけではなかった。新鋭機とは、戦《いくさ》の局面を、すなわち祖国の運命を左右するに足る力を持つ代物であった。そして、いつかは自分たちも、その操縦席に身を沈め、敵の機種と生死を賭《か》けた戦闘を演じるであろう武器でもあった。
したがって、当然、私たちの飛行機によせる関心には、歴史と、自己の生死がそれに依《よ》るところの一種荘重な感動があり、それはまた実に深い魅力として感じられたのである。
私はこれまで、「今時の若い者は——」などという言い方をした事もなければ、書いたこともない。
だが、彼らと自分の間に越え難い断絶を覚えるのは、あのスポーツカーに対する彼らの熱中ぶりである。熱中することは問題ではない。
私が理解し難いのは、彼らは果してスポーツカーへの情熱から、どのような感動をくみ取っているか、という一点につきる。
かつて私たちは、幼稚な愛国的少国民であった。私たちの目の前に現われる新鋭機は、子供なりに自己の未来の生死と、民族の運命に関与するものとして映じていた。その視線にうつる飛行機には、一種独特の美が感じられたように思う。
そんな時代をくぐって来た私たちは、あの見事なスタイルと能力を持つスポーツカーや、フォーミュラーカーの美に対して、それほど感動しないところがあるように思う。そこには、かつて私たちが戦闘機に覚えた、あの叙事詩的な感動というものは存在してないのではなかろうか。
現在も戦闘機はあるではないか、と、言う声がきこえる。
たしかに、それはある。私がいつも行き来する小松飛行場にもF八六だのE一○四だのといった自衛隊のジェット戦闘機が、金属質の爆音をひびかせながら空を引き裂いては飛び去って行く。
だが、今や私もかつての少年ではない。それらのジェット機を眺《なが》めても、かつてのあの旧式なプロペラ機に心を躍《おど》らせたような感動はよみがえってはこない。
そして、現代の青年たちは国産のスポーツカーと、外国製のそれとの優劣を論ずることに熱中しているだけだ。飛行機は彼らの関心の外にある。
それはなぜだろう、と、飛行場の青草の中に立って考えた。
ジェット機という化物は、すでにそのような情熱の対象とはならないものなのであろうか?
それとも、外に何か理由があるのだろうか?
さきの中近東の戦乱で、あれほど活躍しながら、ミラージュ機の熱狂的なファンであるという子供に、私は出会ったことがない。ミグにいたってはなおさらである。