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風に吹かれて26

时间: 2020-07-29    进入日语论坛
核心提示:奇妙な酒場の物語 どんな男でも、それぞれ自分の青年期を彩《いろど》る、いくつかの酒場を持っているものだ。先日来、ひとしき
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奇妙な酒場の物語

 どんな男でも、それぞれ自分の青年期を彩《いろど》る、いくつかの酒場を持っているものだ。
先日来、ひとしきり騒がれたフーテン族たちのベースキャンプが新宿駅前の芝生であったように、私たちもまた自分らの〈自由の天地〉を持っていた。
十数年の年月を経て、いまその跡を訪《たず》ねてみると、様相はすでに一変してしまっている。それは当然のことであろう。店も変れば、人も変る。それは逆らうことのできない時の流れというものだ。
私たちの大学生活は、二つの相を持っていた。昼と夜との生活が、はっきりと別箇の世界に属していたといえるだろう。
日没は私たち二十歳をわずかに越えた青年たちの夜の生活の開幕であり、私たちはその新しい舞台へ、日ごと新たな戦慄《せんりつ》をもって登場して行くのだった。
私たちは当時の中央線にそって棲息《せいそく》していた。中野の北口が私たちの〈自由の天地〉であったことについては、前に書いた。その地は、私たちのグループが開拓したのではなく、多くのフロンティアたちが先に住んでいた荒野だった。
だが、私たちは、新たな侵略者として夜の中野の舞台に登場し、そこを根城に数年間の黄金時代を持ったのである。
中野美観街の一角にあった喫茶店、〈K〉について語ったからには、その姉妹店であり、また本格的な酒場であった〈R〉について述べねばなるまい。
〈R〉は、美観街を突き当って右へ折れ、更に左、内外映画へ向って曲った場所にあった。〈R〉とは、欧州の幻想画家の名前をとってつけられた店名であるが、私は最初そのことを知らなかった。
その酒場は、一本のカウンターと、数箇の木製の椅子からなっており、当時の酒場としても、やや古風な造作の部類に属しただろう。
その店で、私たちはもっぱらウイスキーのシングルを飲んだ。私の友人たちの中には、アワモリ専門の男もいたが、私はアワモリを飲んだ記憶はない。
ウイスキーのシングルは三十円である。十円銅貨三枚を、手の中に汗ばむほど握りしめて、私は西武線の下落合から中野まで歩いてやってくるのだった。
当時、私たちは皆、例外なく貧しかった。にもかかわらず、なぜあのように毎晩、酒場で酒が飲め、かつ、若く個性ある女性たちに支持されたか、判断に苦しまざるを得ない。
思うに、それはある時代に不意に現出するエアポケットのようなものだったのだろう。私たちのグループの性格と、その店のキャラクターが、全く偶然に一致したためとしか考えられない。
その店のマダムは、コミュニストだという事だった。私は今もコミュニストに対して一種の親愛感を抱《いだ》いている。それは、私の個人的な感情に過ぎない。コミュニストと聞くたびに、私はあの中野の〈R〉のマダムの顔や言動を反射的に思い出すためだ。
私たちの仲間には、有能なコミュニストもいたし、激烈なアンチ・コミュニストもいた。文学部の地下の暗い部屋で、奇々怪々な査問にかけられ、下着一枚で窓から逃げ出した女子学生もいた。コミュニストに対する反応を見ることで、私はある人のかなり多くの精神生活のパターンを見抜くことができると思う。
中野の〈R〉のマダムは、決して男たちを魅了しつくす美女というのではなかったが、まことに女そのものの可《か》隣《れん》さと、現実性とをかねそなえた愛すべき女性であった。
彼女には恐らく事業家としての才能はなかったに違いない。その店は決して景気が良くはなかったし、いつの間にかマダムも、店そのものも中野から姿を消してしまっていたからである。
彼女は、若い学生たちのことを、年中ぐちりながら、それでも自分の同志と感じているようであった。彼女は私たちと共に酒を飲み、歌い、大声で笑うのだった。
実際には中年に達していながら、その心情においては少女のような女性だった。
私たちは時に十円も持たずに〈R〉へ行き、マダムに頼んで店の名前を書いたプラカードを持たせてもらった。そのプラカードを肩にかついて数時間、中野駅前をうろついて帰って来ると、マダムは何がしかの労賃を払ってくれるのである。その金で私たちは酒を飲み、看板まで坐っていた。
「しようがない連中ね」
といいながら、彼女は私たちを追い出そうとはしなかった。そして、私たちは、その店に働く若い娘たちと、たちまち家族的な友情を持つことになった。
〈イン〉と〈アウト〉という思考方法について、誰かが語っていたが、私たちは〈R〉とその店の女性たちにとって〈イン〉的な存在だったと思う。
酒場の女性と親密な関係に入るためには、ある独特の方法があり、〈イン〉に属している人間は、面倒な手続きをふまずに、いきなり彼女らの友人として遇されるのである。私たちは、〈R〉において〈イン〉のグループであった。コミュニストのマダムを筆頭に、その店に働く娘たちは、ほとんどはっきりした個性の持主だった。
客の誰よりも大酒飲みで、酔うと無《む》闇《やみ》と大地からの脱出を試みて跳躍するくせのある演劇少女がいた。ある惚《ほ》れた学生の下宿を訪れる時、わざわざフトン一組を抱《かか》えてやって来た奇妙な娘もいた。
客にすすめられて少しアルコールが入ると、無闇と気が大きくなり、マダムが横を向いているスキを見て、私たちのグラスにゴボゴボとウイスキーを注《つ》ぎ足す女がいたり、私たちの伝票を故意につけ忘れたりする少女もいた。
私たちのテーマソングが、その店で受けていた。それは例の有名な童謡〈こがね虫〉の一部をアレインジしたものである。こんな歌詞だった。
  こがね虫は 虫だ
金倉たてた 虫だ
なぜ虫だ
やっぱり 虫だ
 これはナンセンスの限りであり、歌としては正常な構成を欠いている代物《しろもの》である。しかし、
なぜ虫だ やっぱり 虫だ
という一節には奇妙なペーソスがあり、他の客たちは呆《あき》れはてたような顔で私たちの合唱を聞きながら、もう一度やれ、と私たちにリクエストするのだった。
私たちは店の女性たちと、アバンディポポロ……と声を合わせて歌い、もしもし亀《かめ》よ いい気持……と合唱し、時に、こがね虫の歌を歌った。金がなくなるとマダムに強要して、プラカードをかついで街に出た。
実際、よくあんな酒場があったと思う。〈R〉が中野から消えたのは、やはり直接的、間接的に私たち学生グループの責任に違いない。
〈R〉のマダムとは、その後七、八年たって一度だけ会った。五月一日の午後、新宿を通るメーデーの行列の中に、麦ワラ帽をかぶったマダムがいるのを、私は見た。私はその頃、ある小新聞社にいて、スピグラをかついで走り回っていた。
最近、中野へ行ってみたが、もちろん〈R〉はなかった。その辺には巨大なビルが建ち並び、人々があわただしく歩き回っていた。
〈R〉のような店は、今でもあるのだろうか。現在の学生たちには、それなりの〈自由の天地〉があるのかも知れない。だが、私には、もう二度と〈R〉のような酒場が現われてくることはないだろう。たとえ、そんな店があったとしても、私自身がすでに変ってしまっているからだ。
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