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風に吹かれて28

时间: 2020-07-29    进入日语论坛
核心提示:女を書くという事 女について語ることは、ひどく難《むず》かしいことだ。特に私は女を描くのが下手《へた》だと定評がある物書
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女を書くという事

 女について語ることは、ひどく難《むず》かしいことだ。特に私は女を描くのが下手《へた》だと定評がある物書きである。
いかにもその女の息づかいや、体臭が匂《にお》いたつような描写などというものは、私のよくするところではない。
そもそも、この連載をはじめるに当って、編集部のほうでは、私の青春放浪を女性を縦糸として物語らせようという考えだったらしい。
だが、それは私には無理な話だった。私とても、自分なりに女性とのふれ合いはある。だが、それを書くためには、人生や、人間や世界に対する確固たる視点を持たねばならぬように思う。
精神とは何か、肉体とは何か、希望とは、絶望とは、そして自己とはいったい如何《いか》なる存在であるか?
それらの終局的な結論は、おそらく誰にもみちびき出すことは不可能であろう。しかし、それにアプローチする各人各様の姿勢というものはある。そのはっきりした姿勢が、私にはないと思えてならないのだった。
たとえば、ジャズや絵画に関しては、私は素朴な経験主義からはいって行ったと言っていい。しかし、人間や、世界に関しては、私は最初から観念的な道から近づいて行ったのだった。私は少年時代から友人を持たずに生きることになれていた。それには、私個人の問題ではない、外的条件が重なっている。
私は幼児期を南朝鮮の地方で過した。私の父が校長として勤めた学校は、父を除いてはすべて朝鮮人の職員、生徒からなっていた。
その村に住んでいた日本人といえば、私たち一家と、たった一人の日本人巡査がいただけである。
私はそこで友人を持つことが出来なかった。私の唯一の仲間は、冒険ダン吉であり、タンク・タンクローであり、ベティちゃんであり、のらくろ上等兵であった。
私の父は、私を質実剛健な九州男子に育てたかったらしい。父は私が父の書庫に出入りするのをひどく嫌《きら》った。
父が買いあたえてくれる本は、科学物語か偉人伝のたぐいばかりだった。しかし、それはそれで私にとって大変興味ぶかい種類の本だったと思う。
今になっても、私の精神の深い部分に眠っていて、時にちらと顔を見せる観念は、その当時の本からあたえられたものが多い。
たとえば、私は原宿あたりの深夜のスナックで、全く不意に〈潮目〉などという単語をふっと思い出すことがある。
それはおそらく、私が幼年時代に読んだ、岩波書店の〈少国民科学文庫〉の〈海の話〉から記憶に残ったものだろう。ほかに〈地震の話〉〈トンネルの話〉などといった本の中の単語やフレイズが、全く何の脈絡もなく私の内部から意識の表面に浮び上ってくることがある。
やがて私の一家は京城《けいじょう》に移り、また平壌《へいじょう》に移った。その転勤生活の中で、私は小学校だけでも五回は変っているはずだ。
新しい学校へ移るたびに、私はせっかく出来かかっていた友人と別れねばならなかった。
しかも、奇妙なことに、私たち一家があたえられた官舎は、いつも、その学校の内に、一軒だけぽつんと孤立しているのだった。
そのため、私は、他の少年たちのように、学校から帰って仲間とカンケリをしたり、集まって遊んだりすることがなかった。私の友人はほとんど一匹の犬か、父の教え子である青年学生であるかのどちらかだった。
私が最も長く住んだ平壌では、私の父の官舎は学校農園の片隅《かたすみ》にあり、同じ建物の中に図書室が同居していた。
最近の小学生たちがどのような類《たぐ》いの本を読んでいるか私は知らないが、当時の私の読み得た書物のレパートリイは、今考えても実に奇妙なものだったように思う。
山中峯《みね》太《た》郎《ろう》や、南洋一郎などは友人から借りて読んだ。半七捕物帳《とりものちょう》や、江戸川乱歩などは年上の学生が貸してくれた。父の本棚《ほんだな》からは、〈小島の春〉や〈もめん随筆〉や〈碧巖《へきがん》録《ろく》〉や〈暗夜行路〉などが手にはいった。母の押入れからは、〈主婦之友〉や、〈女の一生〉や〈生活の探求〉や〈大地〉などが出て来た。谷崎源氏や宮本武蔵《むさし》は、図書室で読んだ。そして、父は毎朝、小学生の私を叩《たた》き起して〈古事記〉の素読と、剣道と詩吟を交互に強制するのだった。
小学生の私にとって、
「アメツチノハジメノトキマズナリマセルカミノミナハ——」
とか、
「コウベヲメグラセバソウボウタリナニワノシロ——」
だとかいった文句は何やら無気味な印象をあたえた。父は私に〈雲峯《ウンポウ》〉という俳名をつけてくれ、むやみと俳句を作らせようともした。
当時の私の作品は、今なお記憶の底にあって、何気なく呟《つぶや》いてみることがある。たとえば、父にほめられた句の中には次のようなものがあった。
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