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風に吹かれて31

时间: 2020-07-29    进入日语论坛
核心提示:おろしや語奇談 風に吹かれて、ほうぼう流れ歩いた。今は裏日本の金沢に住んでいる。妙な街だが、住みついてみると、なかなか面
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おろしや語奇談

 風に吹かれて、ほうぼう流れ歩いた。今は裏日本の金沢に住んでいる。
妙な街だが、住みついてみると、なかなか面白い土地だ。当分は腰をおちつけて、のんびり暮すつもりでいる。
家の前の道路に出ると、白く雪をかぶった医《い》王山《おうぜん》の山腹が見える。裏手に回るとはるか下のほうに、浅野川が光っている。今年は雪がよく降った。屋根から滑《すべ》り落ちる雪の上に、さらに雪が降り積んで、庭先に白い丘ができたほどだ。
水芦《みずあし》光子さんの〈雪の喪章〉という小説が、テレビや映画化され、話題を集めた。そのせいかどうか知らぬが、金沢という街が、最近なんとなく若い女性たちに受けているらしい。
金沢に住んでいる、というと、「まあ」と目をみはって、ため息をつく女の子もいる。
「いいじゃない。わたしも行きたいわ」
行きたいわ、とはおっしゃるが、住みたいとは言わない。その辺が微妙なところだ。
澄んだ用水の流れる町、兼六園に雪《ゆき》吊《つ》りの映《は》える町、土《ど》塀《べい》を曲ると金箔《きんぱく》を打つ音のきこえる町、出前の小僧さんが謡曲を唸《うな》りながらやってくる町、能登《のと》のブリと犀川《さいかわ》のゴリの美味な町、本妻と二号さんが平和共存する町、などと、夢見るような目つきで喋《しゃべ》りたてたあげく、
「いいわねえ」
とくる。冗談じゃない。
なるほど金沢は古いものが、かなり多く残っている街だ。人々の挙止動作も、東京にはないまろやかさがある。
だが、金沢はまた、まぎれもない千九百六十年代の都市なのだ。古いものを古きままにとどめしめよ、というのは無責任な旅行者の郷愁に過ぎない。金沢の顔はどちらを向いているか? 足もとを見つめているのでもなく、東京へ向いているのでもない。金沢は今、シベリアへその古い顔を向けている、と私は思う。
今朝の新聞を読んでいると、金沢とソ連のイルクーツク市が姉妹都市になるそうだ。そういえばしばらく前に、犀川の上にある〈つば甚《じん》〉でロシア人と出会ったことがあった。
どこかの部屋で謡曲の会でもやっているのだろう。低音のコーラスが流れてくる廊下で、その人とすれちがった。
「誰だい、あれは?」
「ソ連の代理大使さんや」
女中さんが何でもないような調子で答えた。市内でも指おりの古い料亭、〈つば甚〉でソ連の代理大使と会っても、別に不思議はない。そんな空気が、最近の金沢にはある。いや、ずっと以前からそうだったのかも知れない。
日露戦争当時、金沢にはロシア軍の捕虜が収容されていたそうだ。捕虜の中には、帝政ロシアの貴族の子弟などもいた。彼らは黒い長靴《ちょうか》を光らせ、将校服にカイゼルひげという伊達《だて》姿で、街を濶《かっ》歩《ぽ》したという。
何しろ赤十字を通じて、どしどし仕送りがあるので、金回りはいい。のんびりしたもので、彼ら将校の中には、廓《くるわ》で芸者をあげて豪遊する者もいたそうだ。
金髪碧眼《へきがん》、ペテルブルグ仕込みのギャラントリイで、当時の売れっ妓《こ》を射落した色男もいた、と聞いた。
金沢という古い町には、そんなのびやかな気風もあるのである。せせこましい袋小路の奥から、金箔を打つ音のかわりに、ロシア語の変化を暗誦《あんしょう》する声が流れてきたとしても、驚くにはあたるまい。
東、西、主計《かずえ》町《まち》など、風《ふ》情《ぜい》のある古い廓が残っている一方、網タイツのバニーガールのいるクラブもある。ただし、トルコ風呂と、ストリップの常打ち小屋だけはない。この辺が、金沢らしい所と言えるのだろうか。
ロシア語といえば、シベリア上空を飛ぶTU一一四機上で会った大先生を思い出す。
ハバロフスク空港を離陸するやいなや、空港で買ったコニャックをやりはじめた。年の頃は六十五歳前後であろうか。なんでも、大学の偉い先生なのだそうだ。
飲むほどに酔うほどに、豪快さを加えた。アエロフロートの美人スチュワーデスを、ドイツ語でからかって睨《にら》まれたり、隣りの女子学生にY談の講義をしたり、あれよあれよである。
四十歳前後の他の日本人乗客は、借りてきた猫のようにかしこまっていた。赤ら顔の大先生だけが意気けんこう。二十代の学生たちは、笑って見ているだけだ。
ひと騒ぎおえて、大先生が私に言った。
「おい、君、わしにロシア語を教えてくれ」
教えるほど達者なわけではない。だが簡単な挨拶《あいさつ》ぐらいなら何とかなる。
「何をやりますか?」
「お早よう、は何と言うんだ」
「えーと、ドブロエ・ウートロ」
「よし。わかった」
大先生はポケットから手帳を取り出して、なにか書きこんだ。
「つぎは、ありがとう、をやってくれ」
「スパシーボ」
「よろしい」
また鉛筆をなめながら、書く。
「つぎは——」
「もうよろしい」
口の中で二、三度もごもごと呟《つぶや》くと、大先生は手帳をテーブルに伏せたまま、シートを倒していびきをかきだした。
そこには、私たち戦後に精神の形成期をむかえた人間とは、まるで違ったタイプの日本人がいた。明治生れの日本人という種族である。声が大きく、姿勢がいい。
「最低ね」
と、隣りの席の女子学生が言った。彼女はパリへ私費留学するグループの一人だった。
「大したサムライだなあ」
と、ソ連教育事情視察団の中年の紳士が首をふった。
気流のせいか、飛行機が揺れた。大先生の手帳が、私の目の前にある。隣りの女子学生も、中年の紳士も、眠りはじめた。私は先生の手帳の鉛筆がはさんである部分を、指先でひろげて見た。よくないことだと思ったが、先生がさっき書きつけたロシア語の発音を見てみたかったのだ。カタカナだろうか? それとも表音記号だろうか?
「お早よう」という文字の下に、達筆で、
「丼《どんぶり》ウォーター」とあった。
「有難う」と書かれた下には「千葉水郷」とある。
「丼ウォーター」がドブロエ・ウートロの日本式表音であり、「千葉水郷」がスパシーボである事を理解するまで、しばらく時間がかかった。
私は手帳をそっと閉じて、大きないびきをかいている赤ら顔の男を眺《なが》めた。自分とちがう種族を見ているような気がしたが、思わず頬《ほお》がゆるんだ。
モスクワに着いて、三日目に、大先生とぱったり出会った。ゴーリキイ通りの、商店の地下から、大先生はグルジアの葡《ぶ》萄酒《どうしゅ》のびんを両手に抱《かか》えて、ヒグマのように現われてきたのだ。
「よう」
と、大先生は、大きな声で言った。
「あんたに習ったロシア語はよく通じたぞ」
「丼ウォーター、に千葉水郷ですか」
「うん?」
と大先生は私を眺め、それから豪快に笑って言った。「なんだ。手帳を見とったのか。まあ、よかろう。だが、あれはまったく役に立った。朝起きて丼ウォーター。あとは何でも千葉水郷で大威張りさ」
その晩、私はホテルのエレベーターをおりる時、中年のマダムに、「千葉水郷」と言ってみた。ちゃんと通じたらしく、彼女は優雅に微笑して、私にうなずいた。参った、と私は思った。
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