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風に吹かれて37

时间: 2020-07-29    进入日语论坛
核心提示:自分だけの独《ひと》り言《ごと》 たとえば講演会というやつがある。人前で何かを話さなければならない。或《ある》いはアンケ
(单词翻译:双击或拖选)
自分だけの独《ひと》り言《ごと》

 たとえば講演会というやつがある。人前で何かを話さなければならない。或《ある》いはアンケートというものがある。自分の考えなり、生活の一部を公開しなければならない。
自分を人々の面前にさらすのはいい。それは恥をかけばすむことだからである。だが、私たち普通の神経を持った人間にとって、最も耐え難いのは、人々に何かを期待されることだろう。
たとえばテレビ局の人から電話がかかってくる。
「今の若い者に対してですね、一言その、何か言って欲しいんです」
と、担当氏。
「一言何かって、何をですか」
と、私。
「つまりですね、マイホーム主義に毒されるなとか、体制に埋没してしまってはいけないとか——」
「しかし、ぼくは——」
「いや、ご自分の学生時代とくらべてですね、今の大学生のあり方を批判していただいてもいいんです。何かあるでしょう」
「…………」
こういう時、何と言えばよいか。
みずからの学生時代をふり返れば、今の連中に面をあげて言えることなんぞ、一言もありゃしない。深夜、ふと目覚《めざ》めて自分の三十五年の生き方をふり返ってみる。気が滅入《めい》って、酒でも飲まなければ眠れない心境におそわれる。
いくつか思い出しても不愉快でない事はある。だが、人間の生きてきた過去の世界なぞというものは、裸の目で振り返ると無残なものだ。
〈私の歩んだ道〉などという本が書ける人々を、私は尊敬せずにはいられない。何という大胆さ。そして神経の太さ。
私はマルクス主義も近代経済学の素養もないが、わかっている事が一つある。それは、世界というものは、Aが得をすればBが損をする、そういうしくみに出来ているという、素朴そのものの観念だ。Aが生きるためにはBは死ぬ。
Aの歓《よろこ》びが同時にBの歓びでもあるのは、セックスの行為のみだ、と考えたイギリス人がいたが、私はその思想も疑っている。女性の有頂天を見おろして男性の心に去来するのは、一点の虚無感でなくて何であろう。
戦中派の元将兵諸氏でなくとも、私たちの生き永らえて来た背後には、他者の死が隠されている。かえりみて今の若者たちに何を言えというのか。自分の歩いて来た道を振り返ってみる度《たび》に、私は冷汗が出る。あの若い時代にもどってみたいなどとは、二度と思わない。
外地から引揚げて来て、およそ五年あまりを私は九州で過した。その間の記憶も、今にして思えば屈辱と自嘲《じちょう》の記憶のみが多い。
私は今、金沢に住んでいる。この土地のことを時たま書くのは、それが自分にとって一種の異国であるせいだろう。
作家のI氏は上海《シャンハイ》から引揚げて来て金沢に住んだ事があると聞いた。金沢一中にいたそうだから大秀才である。
I氏にとって、引揚げて移住した金沢の記憶は、まことに無残なものらしい。
「あなたはお客さんだから金沢の事が好きだなんて言っていられるんだ」
と、l氏は言う。上海から引揚げて来た少年にとって、金沢は思い出すだにおぞましい屈辱の町だったという。
先日、ある出版社の主催で、地方の講演会に参加した。私はこれまで講演というものを引き受けたことがなかった。みずからをかえりみて、人々に何を言えるかという、うしろめたさがあったからである。
だが、その講演会は、新人作家にとっての一つの義務のようなものであり、私はしりごみしながら引き受けた講演だった。
〈日本人を考える〉というのが、私のテーマだった。
私は一般に言われるように、老人の自殺が多いのは北欧諸国などではなく、経済的に貧しい国であること、また日本の方が北欧などより、はるかに老人の自殺が多いことなどをあげ、最近の日本大国説に反省をうながすつもりでいたのである。
ところが、予期せぬ事態がおこった。私の話に先だち、司会者の方が私と、私の演題について前説を述べはじめたのである。それは情熱的なスピーチであり、本人は誠意をこめて話されたには違いないが、私の考えている内容とはおよそかけはなれたものだった。
私は舞台の袖《そで》でたちまち上ってしまって、一体自分は何を喋《しゃべ》るつもりだったのだろうと疑いはじめる始末だった。
司会者の方は、〈日本人を考える〉という題から、早飲み込みして、そう判断したのだろう。「神国日本」などという言葉がポンポン飛び出してくるのである。
私の講演は勿論《もちろん》不出来なものだった。自己嫌《けん》悪《お》に駆られながら喋っている上に、「神国日本」という言葉が強迫観念のように頭にこびりついていたからなおさらである。
 師《し》走《わす》のあわただしい気配が、あたりにある。私にはこの追いたてられるような師走の感じがひどく懐《なつ》かしいもののように思われる。
学生時代に、年末になるとどういうものか浅草の方へ足が向いた。乏しい小《こ》遣《づか》いをポケットに入れて、中古服の店を眺《なが》めて歩き、屋台のヤキソバを食った。あの辺はどういうわけか、朝鮮服の生地《きじ》を売る店が多い。その独特の光沢や色彩をぼんやり眺め歩いたり、靴屋で皮を見たりする。
そしてカジノ座のせまい客席に坐って毎年同じ顔の踊り子を眺め、絶対に入らぬパチンコを少しやり、小遣いを使い果すと、どぜう屋の店の前を歩き、時には橋を渡ってビール工場を眺め、都電に揺られて師走の街の灯を見ながら帰る。
何の目的もないそういった日が、師走にはきっと一度くらいはあった。ただぼんやりと人々のあわただしい様子を眺めて歩くだけだ。
一度、そんな季節に京成電車の市川真間《まま》駅で永井荷風に出会ったことがあった。寒い日で、その作家は集金バッグみたいな袋を膝《ひざ》の上に握りしめて私の向い側に坐っていた。あの老作家も、たぶん浅草に出かけるところだったにちがいない。
自分の学生時代を振り返って、ふと思い出すのは、そんな事である。
断片的な、フィルムの切れ端のような、そんな思い出を拾い集めてみたところで、とうていそこから今の学生に一席弁じることなど、出て来るわけがないではないか。
早大事件や、メーデー事件や、アルバイトの記憶や、友人たちのことや、それらの全《すべ》ては、あくまで私の経験であって、それが現在の学生たちと結びつくことはないだろう。
先日、ある席で、私は対話によるコミュニケイションへの不信を語った。その席には若い人々が多く集まっていたが、彼らは一様に不満げな表情だった。
「何かをぼくらに言って下さい」
と、彼らの一人が言った。
「何か行動の指針になるような、そして勇気づけられるような、そんな話を聞きたいんです」
そこで私が彼らの求めるような何かを喋れば、それは嘘《うそ》になる、と思った。私はその考えを、そのまま彼らに喋った。
「五木さんの考え方は、ちょっと退廃的だと思います」
と、女子学生の一人が言った。
そうかも知れない、と私も思う。だが、あまりにも自信に満ちた空《むな》しい演説が多すぎる時代のような気がしないでもない。
無理やりに何かを語らせられる度に覚える自己嫌悪の中で、私は誰にもきこえない位の声で、「これが最後」と呟《つぶや》くのである。
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