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風に吹かれて38

时间: 2020-07-29    进入日语论坛
核心提示:十二月八日の夜の雪 十二月八日未明、金沢には雪が降った。午後になっても降りやまず、夜になってもまだ降り続く。こたつにもぐ
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十二月八日の夜の雪

 十二月八日未明、金沢には雪が降った。午後になっても降りやまず、夜になってもまだ降り続く。
こたつにもぐり込んで、さらさらと降る雪を眺《なが》めているのも悪くはないが、一日中坐っていると飽きてくる。時おり、どさりと屋根から滑《すべ》り落ちる雪の音も、何やらこちらをせき立てるような気配。
家人の呆《あき》れ顔を尻《しり》目《め》に、防寒用の長靴《ながぐつ》、ヤッケ姿もものものしく、北国随一の繁華街、香林坊《こうりんぼう》は片町周辺へ出かける事にする。
私の家は小《こ》立《だつ》野《の》台地の一角にあり、市の中心部に出かける時は、街に降りる、という感じだ。市電廃止後の石引の通りは、何やら少々もの足りぬ景色。兼六園の横を抜け、坂を下れば雪片ひらめくかなたににじむ赤い灯、青い灯、とまでは行かぬが、どうやら人里に来た心地がする。
金沢という町は面白い所で、これまで市の中心部にいかがわしきトルコ風呂とストリップの常打ち小屋がなかった。文部省から賞を受けた作家のT氏に言わすれば、
「そりゃいかん。早急に何とかせにゃ」
ということになる。最近、トルコ風呂が出来るとか出来ないとかで、しきりに新聞紙上をにぎわせているのは、のどかな風景だ。この辺が金沢のいいところであろう。
先日、地元の新聞紙上で、読者の声の投書欄を舞台に一大論戦があった由《よし》。残念ながら私はそのころ出《で》稼《かせ》ぎに上京中のため、くわしい事情は知らぬ。私はそれを東のくるわ《・・・》の芸者衆に聞いたのだが、何でも二号さんと一号さん、ではない本妻さんとの丁々発止の投書合戦が行われたそうだ。お互いに相互の立場を主張し合って金沢市民三十数万の耳目をそばだてたという。
さて、こんな晩にはどうすればよいか。例《たと》えば遊心雲の如《ごと》くに湧《わ》いて東か西か主計《かずえ》町《まち》あたりのお座敷に出かけたとする。山中節だの白頭山《はくとうさん》節だの加賀囃《ばや》子《し》など一しきり拝聴して、さて帰途につくとする。そのまま帰るんじゃつまらないし、折しも夜半のぼってり重い牡《ぼ》丹雪《たんゆき》。
傘《かさ》でもさして少し歩こうじゃないか、ということになる。なるかならぬかは保証の限りではない。さて、雪《せっ》駄《た》ばきの相合傘《あいあいがさ》。泉鏡花先生の〈義血侠血《きょうけつ》〉変じて〈滝の白糸〉の舞台となった浅野川は天神橋のほとりなど回り、川べりの松の木の下を経て、木ざま《・・・》の奥にアンコウの匂《にお》い漂う鍋《なべ》屋《や》〈太郎〉の裏から坂を登ると新町の神明社。
「もうちょっこし、おそうらと歩いてたいま——」
そうせかせか歩かないで頂戴《ちょうだい》、と言われて、そうだ、ここは町人どもの跋《ばっ》扈《こ》する江戸ではなかった、加賀百万石の城下町であったなと、お能めいた足どりを真似《まね》るも浅ましい。
さて、それじゃこの辺でとサヨナラしようとするが、いえ、お送りしますと勝手知ったる街の中、さっさとタクシーを止めてこちらの住所を言う。
ここで慌《あわ》ててはみっともない。たちまち車は自宅の前、ごていねいにもクラクションを鳴らすから隣近所の人たちも窓を開けたりする。家人出て来て、少しもさわがず、ご苦労さまとか何とか芸者をねぎらえば、
「それじゃ確かに——」
お引き渡ししましたとは言わぬが、いずれ請求書は、とニッコリ笑って家人に頭を下げ一目散に闇《やみ》の中。タイヤに鳴るチェーンの音の遠ざかるのを見送って、家人もの静かに、「お疲れでしたでしょう。お茶でも——」
……と、こんな調子の妄想《もうそう》にふけりつつ香林坊の鋪道を雨靴踏みしめ散策する心地もまた格別。東は高いからやめたとばかり、目の前のおでん屋ののれんをくぐる。
金沢のおでん屋は、東京とは少しちがう。安直でありながら、かなりぜいたくだ。まず、タコにフキ。可愛らしいタコの頭を丸かじりすれば香《こう》ばしい匂いがあたりに漂う。タコの後にはセリがいい。こいつはさっと浸すだけで、青々とした色合いを楽しむ。次はカニを食うとするか。ちょうど掌《てのひら》に乗る位の大きさのカニの甲《こう》羅《ら》を合わせて、中に身をつめ、カンピョウでひとしめくくってある。地元の人は大きなズワイガニ(越前《えちぜん》ガニ)より、こちらのコウバコガニの方を珍重するようだ。紅白ガニと書いてコウバコガニと呼ぶ由。
甲羅を開ければ、中から赤い子と白い身のきっちりつまった鮮《あざ》やかさ。
こいつは一箇いくらだろうと、値段を気にしながら三つ目をもらう。親《おや》父《じ》さんは手元で何やら麻雀《マージャン》の点棒にあらず、小さな下足札の如き木片をカチャカチャ鳴らしながら、
「はい、六百五十円」
ことのついでに飯でも食うかと注文すれば、
「茶飯かね」
「いや」
「はい、ホワイト一ちょう」
デパートなどで、ライスでございますね、と念を押される不快さはなく、むしろ愛敬《あいきょう》がある。番茶の茶碗《ちゃわん》に、
「明暗を香林坊の柳かな」
有名な小松砂丘さんの句である。
店を出る。雪はますます激しく、風さえも出て来た。酒場やキャバレーに行くには、長靴とヤッケが邪魔。バッティング・センターも、もうおそい。
今はむかし、赤玉とか、銀座会館とかいったカフエーが流行《はや》った頃の探訪記事に、
「ビールが五十銭。チップを含めて一円もあれば足りるだろう」
とあったのを思い出す。
一人で歩いていても、しかたがない。タクシーを拾って帰る。小立野台地に雪ふかく、などと軍歌の節で歌っていると運転手氏、首をかしげて、
「それ、どこの校歌やったかね」
最近、〈香林坊ブルース〉とか、〈金沢の夜〉とかいった歌謡曲が出来て、大変流行っているそうだ。但《ただ》し、金沢での話である。
タクシーは広坂から兼六園にそって登る。右手に赤煉《あかれん》瓦《が》の旧陸軍の武器庫が見えてくる。
今は美術工芸大学の校舎になっているが、赤煉瓦の兵舎というやつは、奇妙に雪がよく似合う。
カーブを切れば、雪のちらつくライトの中に夜目にも白きなまこ《・・・》塀《べい》が浮び上る。
やがてタクシーが家の前につく。金沢のタクシーは高い。冬期料金の割増の上に、更に深夜料金というやつまでつく。これを高いと感じさせないのは、運転手氏たちの人柄だろう。
中にはひどいのもいるが、おおむね話好きで親切な人たちが多い。
「金沢のタクシーじゃ、中でお茶を出すって聞いたが本当かね」
と、ある作家が真顔で聞いた。おそらく誰かにかつがれたのだろう。その話はいささかオーバーだ。
「お疲れでしょう。お茶でも——」
とは家人は言わなかった。「こんな雪の中を、物好きねえ」と笑っている。空想と現実の落差は、おおむねかくの如きものであろう。
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