「衣食足って礼節を知る」
という言葉が好きだった。幼少の頃より、私は礼節を知らない。他人にそれを指摘されたり、自分で恥じたりする度《たび》に、
「衣食足らざれば礼節を知らず」
と、うそぶいて来た。
ところが、いかなる風の吹き回しか、どうやら文章を書いて人並みに食えるようになった。今さら「おれは引揚者だぞう」などと尻《しり》をまくったところで、最近の若い連中には「引揚」などという語感が通じないのだから仕方がない。
今年の年頭に、何を決心したか。
明治百年である。それがどんな意味を持つのか、私にはさっぱりわからないが、何でも復古調の世の中が来るという。
これは隣りの精神病院の患者さんに聞いたのであるから、当てにはならないが、そんなムードも確かにある。精神病の患者さんの意識には、世間の動きが敏感に反映するからだ。かつて、誇大妄想《もうそう》の対象は総理大臣とか、陸海軍大将だったらしい。それが敗戦後一転して、
「おれはマッカーサーであるぞ」
と、自称する患者さんが増《ふ》えた。しかるに朝鮮戦争の後期から、自分を天皇だと信じ込む妄想が流行し出したそうだ。
そんなふうに、動物的な勘で世の中の移り変りを見抜く人たちだから、馬鹿にはできない。今年は復古、といえば、そうなるかも知れぬ。
と言うわけで、私も心を入れかえて古式にのっとり礼儀作法を学ぶことにした。本来怠《なま》け者だから、先生の所へ茶の湯を習いに行ったりする気はない。早速、古本屋へ行って作法書を一部、百五十円也《なり》を投じて買って来た。最近のエチケット読本まがいの代物《しろもの》ではない。正真正銘の古式にのっとった作法書である。明治三十一年に発行されていらい、数度の版を重ねているらしい。当時の定価、金三十五銭也。
その日以来、原稿を書くのを一時休んで、日夜営々として礼節を学んだ、今年、東京で出会う友人たちが、さぞかし驚くにちがいないと、今から楽しみである。
さて、一日に一課ずつマスターして進んでいる。形を改めれば心も改まるの道理、最近では、かなりの程度に人品高雅になったような感じがする。家の者に言わすれば、ちっとも変ってないなどと鈍い事を言うが、それは毎日少しずつ進歩しているのが、身近にいるため目につかないだけの話だろう。
ところで今日は何を勉強したか。
参考のために書いておこう。本日は、第五章、書籍について、という所をやった。
古い人とは偉いものである。本が好きで、最近は自分の本を出したりしながら、本に関して、これほど面倒な礼儀作法があるとは、全く知らなかった。例《たと》えば、来客または目上の人に本を渡す場合、本のどちらを頭にして相手に差し出すべきか、などというマナーがちゃんと明記されているのである。
〈——書籍を出すには、字頭を向うに、すなわち我が読むようにして両手にて胸の辺《あた》りに捧《ささ》げて持ち出《い》で、ほど良き所に坐《ざ》し、そのまま左の掌《てのひら》に載せ、右手にも右の向角を取り、字頭の我が前になるよう右の方に取り回して先者の膝《ひざ》前に置き、少し推し進めて参らすべし。云々《うんぬん》〉
本を他人に見せるにも、かくの如《ごと》き順序があるのだ。それを受け取るにも、当然、受け取り方の作法というものが存在する。これでは肩がこるので飛び越して楽器の項を見る。
〈——バイオリンを出されたる時は、会釈して之《これ》を受けたる後、左手にバイオリンを持ち、右手に弓を取り、静に調子をととのえて弾ずべし〉
バイオリンを出されたりする気づかいはないので、この辺は飛び越える。すると次は食事が出て来る。いや、食事ではなくて、食事の作法の問題である。飯を食う時のタブーとして、こんな事項があげられている。
〈また盛り〉箸《はし》にて飯を椀《わん》の中へ押付けて食するを言う。
〈受吸い〉汁の再進等を受けて一旦《いったん》置かずして其《そ》のまま吸うを言う。
〈こみ箸〉食するものを箸にて口中に妄《みだ》りに押込むをいう。
といった調子の講義が続く。
〈移り箸〉〈そら箸〉〈膳《ぜん》越し〉〈袖《そで》越し〉〈箸なまり〉〈にらみ食い〉〈探食〉〈もぎ食〉〈ねぶり箸〉
等々、まだまだ続くのである。こういうのを眺《なが》めていると、厄介で食事もおっくうになりそうだ。
先日、新聞を読んでいたら、先日芥川賞を受けられた作家のO氏が、色紙の表裏を間違えられた話の紹介があった。読んでいて、つい私も赤面した。
昨年の夏であったか、あるデパートで色紙展が開かれ、私も五枚の色紙を割り当てられた事がある。その時、金粉をまいた方が表か、それとも裏かで大そう悩んだ事があったのだ。
私は、迷った末、やはり金粉を散らした方に筆を走らせて五枚を書いて渡したが、あれはすべて反対だったらしい。受け取った担当者の一瞬、はっとした表情を後から思い出して、なぜその時これは反対ですと言ってくれなかったかと恨んだものである。
さて、例えば銀座などをふらふら歩いていて、知人の作家、編集者などに会った場合は、どうするか。それが偉い人である場合は、できるだけ早く見付けて逃げるから問題はない。仲間であったらどうすればよいか。作法書によれば、次の如くになる。
〈——同輩に行き逢いたる時は、四、五尺手前にて互に左の方へ二歩避け、斜に向き合いて静に礼を施し、挨拶《あいさつ》終らば双方同時に歩み出て行き過ぐべし〉
それでなくとも混んでいる銀座で互いに左の方へ二歩避け、斜めに向き合って礼を交《か》わすことなど、とうてい不可能だろう。だが、明治百年である。今年は誰かに会ったらサッと左へ二歩飛び、斜めに向いて静かに礼をしようと思う。交通事故にあったりしたら、責任は明治百年に取ってもらおう。ひょっとすると、サッと飛びかわした瞬間に、大変な美人と衝突し、物のはずみで一緒にお茶でも、という事にならぬとも限らない。そうなれば明治百年万歳である。
今年は明治にちなんで、様々な催しが行われるだろうが、まず礼儀作法を百年前にもどしてみたらどうか、〈一日明治の日〉などという記念日をもうけて、フーテン族も、グループ・サウンズの連中も、三派全学連も、古式にのっとった典雅な一日を送ってみるのである。勿論《もちろん》、デモ規制の機動隊も、代議士諸先生もまた然《しか》り。
だが、それは妄想をたくましくするだけで、実際には不可能なことだ。それは誰もが知っている。とすれば、明治百年とは、いったい何だろう。それが単なる時間の区切りであれば、百年にこだわる必要はあるまい。二百年でもよければ、逆に半分でもいい。今年は米騒動五十年でもあれば、シベリア出兵五十年でもある。
聞くところによれば、街角に出ているEXPO' 70 のポスターのEXを、ANに書き変えて歩くいたずらが流行しているそうだ。今年は礼儀を正しくしよう、と決心したが、それも食えている間だけの話だ。物価がべら棒に上ったり、生活が不安になった時には、いつでも礼節を知らざる者に逆もどりするつもりである。ボクシングの藤選手に大和《やまと》魂があるなら、私にも泥水すすり草をはみつつ半島を縦断して来た引揚者魂がある。私は昭和二十二年に九州へ上陸したから、昨年は引揚二十年の年でもあった。「遠い親戚《しんせき》より近くの他人」という言葉を信じるなら、私もまた、「遠い百年より近い二十年」を大事に考えている一人である。たとえさし当り作法を守って生きても、やはり礼節を知らざる性根だけは失うまいと思う。
という言葉が好きだった。幼少の頃より、私は礼節を知らない。他人にそれを指摘されたり、自分で恥じたりする度《たび》に、
「衣食足らざれば礼節を知らず」
と、うそぶいて来た。
ところが、いかなる風の吹き回しか、どうやら文章を書いて人並みに食えるようになった。今さら「おれは引揚者だぞう」などと尻《しり》をまくったところで、最近の若い連中には「引揚」などという語感が通じないのだから仕方がない。
今年の年頭に、何を決心したか。
明治百年である。それがどんな意味を持つのか、私にはさっぱりわからないが、何でも復古調の世の中が来るという。
これは隣りの精神病院の患者さんに聞いたのであるから、当てにはならないが、そんなムードも確かにある。精神病の患者さんの意識には、世間の動きが敏感に反映するからだ。かつて、誇大妄想《もうそう》の対象は総理大臣とか、陸海軍大将だったらしい。それが敗戦後一転して、
「おれはマッカーサーであるぞ」
と、自称する患者さんが増《ふ》えた。しかるに朝鮮戦争の後期から、自分を天皇だと信じ込む妄想が流行し出したそうだ。
そんなふうに、動物的な勘で世の中の移り変りを見抜く人たちだから、馬鹿にはできない。今年は復古、といえば、そうなるかも知れぬ。
と言うわけで、私も心を入れかえて古式にのっとり礼儀作法を学ぶことにした。本来怠《なま》け者だから、先生の所へ茶の湯を習いに行ったりする気はない。早速、古本屋へ行って作法書を一部、百五十円也《なり》を投じて買って来た。最近のエチケット読本まがいの代物《しろもの》ではない。正真正銘の古式にのっとった作法書である。明治三十一年に発行されていらい、数度の版を重ねているらしい。当時の定価、金三十五銭也。
その日以来、原稿を書くのを一時休んで、日夜営々として礼節を学んだ、今年、東京で出会う友人たちが、さぞかし驚くにちがいないと、今から楽しみである。
さて、一日に一課ずつマスターして進んでいる。形を改めれば心も改まるの道理、最近では、かなりの程度に人品高雅になったような感じがする。家の者に言わすれば、ちっとも変ってないなどと鈍い事を言うが、それは毎日少しずつ進歩しているのが、身近にいるため目につかないだけの話だろう。
ところで今日は何を勉強したか。
参考のために書いておこう。本日は、第五章、書籍について、という所をやった。
古い人とは偉いものである。本が好きで、最近は自分の本を出したりしながら、本に関して、これほど面倒な礼儀作法があるとは、全く知らなかった。例《たと》えば、来客または目上の人に本を渡す場合、本のどちらを頭にして相手に差し出すべきか、などというマナーがちゃんと明記されているのである。
〈——書籍を出すには、字頭を向うに、すなわち我が読むようにして両手にて胸の辺《あた》りに捧《ささ》げて持ち出《い》で、ほど良き所に坐《ざ》し、そのまま左の掌《てのひら》に載せ、右手にも右の向角を取り、字頭の我が前になるよう右の方に取り回して先者の膝《ひざ》前に置き、少し推し進めて参らすべし。云々《うんぬん》〉
本を他人に見せるにも、かくの如《ごと》き順序があるのだ。それを受け取るにも、当然、受け取り方の作法というものが存在する。これでは肩がこるので飛び越して楽器の項を見る。
〈——バイオリンを出されたる時は、会釈して之《これ》を受けたる後、左手にバイオリンを持ち、右手に弓を取り、静に調子をととのえて弾ずべし〉
バイオリンを出されたりする気づかいはないので、この辺は飛び越える。すると次は食事が出て来る。いや、食事ではなくて、食事の作法の問題である。飯を食う時のタブーとして、こんな事項があげられている。
〈また盛り〉箸《はし》にて飯を椀《わん》の中へ押付けて食するを言う。
〈受吸い〉汁の再進等を受けて一旦《いったん》置かずして其《そ》のまま吸うを言う。
〈こみ箸〉食するものを箸にて口中に妄《みだ》りに押込むをいう。
といった調子の講義が続く。
〈移り箸〉〈そら箸〉〈膳《ぜん》越し〉〈袖《そで》越し〉〈箸なまり〉〈にらみ食い〉〈探食〉〈もぎ食〉〈ねぶり箸〉
等々、まだまだ続くのである。こういうのを眺《なが》めていると、厄介で食事もおっくうになりそうだ。
先日、新聞を読んでいたら、先日芥川賞を受けられた作家のO氏が、色紙の表裏を間違えられた話の紹介があった。読んでいて、つい私も赤面した。
昨年の夏であったか、あるデパートで色紙展が開かれ、私も五枚の色紙を割り当てられた事がある。その時、金粉をまいた方が表か、それとも裏かで大そう悩んだ事があったのだ。
私は、迷った末、やはり金粉を散らした方に筆を走らせて五枚を書いて渡したが、あれはすべて反対だったらしい。受け取った担当者の一瞬、はっとした表情を後から思い出して、なぜその時これは反対ですと言ってくれなかったかと恨んだものである。
さて、例えば銀座などをふらふら歩いていて、知人の作家、編集者などに会った場合は、どうするか。それが偉い人である場合は、できるだけ早く見付けて逃げるから問題はない。仲間であったらどうすればよいか。作法書によれば、次の如くになる。
〈——同輩に行き逢いたる時は、四、五尺手前にて互に左の方へ二歩避け、斜に向き合いて静に礼を施し、挨拶《あいさつ》終らば双方同時に歩み出て行き過ぐべし〉
それでなくとも混んでいる銀座で互いに左の方へ二歩避け、斜めに向き合って礼を交《か》わすことなど、とうてい不可能だろう。だが、明治百年である。今年は誰かに会ったらサッと左へ二歩飛び、斜めに向いて静かに礼をしようと思う。交通事故にあったりしたら、責任は明治百年に取ってもらおう。ひょっとすると、サッと飛びかわした瞬間に、大変な美人と衝突し、物のはずみで一緒にお茶でも、という事にならぬとも限らない。そうなれば明治百年万歳である。
今年は明治にちなんで、様々な催しが行われるだろうが、まず礼儀作法を百年前にもどしてみたらどうか、〈一日明治の日〉などという記念日をもうけて、フーテン族も、グループ・サウンズの連中も、三派全学連も、古式にのっとった典雅な一日を送ってみるのである。勿論《もちろん》、デモ規制の機動隊も、代議士諸先生もまた然《しか》り。
だが、それは妄想をたくましくするだけで、実際には不可能なことだ。それは誰もが知っている。とすれば、明治百年とは、いったい何だろう。それが単なる時間の区切りであれば、百年にこだわる必要はあるまい。二百年でもよければ、逆に半分でもいい。今年は米騒動五十年でもあれば、シベリア出兵五十年でもある。
聞くところによれば、街角に出ているEXPO' 70 のポスターのEXを、ANに書き変えて歩くいたずらが流行しているそうだ。今年は礼儀を正しくしよう、と決心したが、それも食えている間だけの話だ。物価がべら棒に上ったり、生活が不安になった時には、いつでも礼節を知らざる者に逆もどりするつもりである。ボクシングの藤選手に大和《やまと》魂があるなら、私にも泥水すすり草をはみつつ半島を縦断して来た引揚者魂がある。私は昭和二十二年に九州へ上陸したから、昨年は引揚二十年の年でもあった。「遠い親戚《しんせき》より近くの他人」という言葉を信じるなら、私もまた、「遠い百年より近い二十年」を大事に考えている一人である。たとえさし当り作法を守って生きても、やはり礼節を知らざる性根だけは失うまいと思う。