一九六八年である。明治百年の春がきた。
新しい年を迎えると、奇妙に昨日までの一年間がはっきりした遠近法で見えてくる。
昨年、最も多く質問されたことは何だっただろう。私の場合、それは小説についてでも、政治に関してでもなかった。もちろん、女や酒についてでもない。
〈現代の若者たちをどう思うか?〉
おそらく最も多く浴びせられたのは、そんな質問だったように思う。
これは何を意味するのか? 大人《おとな》たちは、その回答に何を求めているのか?
私はそれらの質問の背後に、ある一つの無言の期待を感じた。質問者たちは、時にはジャーナリストであり、時にはアナウンサーであった。彼らの立場や、表情は、それぞれにちがった。だが、あらかじめ一つの方向づけられた答えに対する期待で、彼らは体をふくらませていた。私がその言葉を吐けば、間髪《かんはつ》をいれずそれをくわえて走り去ろうという構えである。私が求められているのは、警棒だった。その棒で私が若者たちの背骨を痛撃するのを、彼らは期待していたのである。
思うに、昨年はミニスカートの完全勝利の年であった。PTAの集まりをさえ、ミニは堂々と制圧したのである。だが、それと同時に、一九六七年は若者総批判の年でもあった。フーテン族、三派全学連、そしてグループ・サウンズ。そして小市民的若者たち。
スカートの短いのはいいが、髪の長いのはいけないという。目的はいいが、手段が間違っているという。大人の酒はいいが、若い連中の睡眠薬はけしからんという。
私に求められていたのは、それらの若者批判の、ちょっぴりひねった発言だったにちがいない。私は、まだそれほど老いず、といって若者の同類でもなかったからである。
私は北朝鮮からの引揚者であり、きわめて貧しい学生生活を送った。社会に出てからも、いわば現代社会の底辺を縦断して生きてきた。
そんな私の目に、花模様のブラウスを着、エレキギターを抱《かか》えて長髪を振り乱し、イェイェイェイとしなをつくる連中が、どう映るか。カルダン調の背広に身を固め、マイカーで大学に乗りつける学生に何を感じるか。またはカラーヌードのグラビアと、女性ハント術を満載した男性週刊誌読者をどう思うか。
質問のねらいは、その辺にあったのだろう。だが、私の答えは彼らを満足させなかったようだ。私は常に口ごもるか、支離滅裂な長広舌をふるうかのどちらかに偏したからである。
現実のさまざまな事件や風俗に関して、たずねられれば言下に意見をのべることのできる人々を、私は畏《い》敬《けい》の目で眺《なが》めてきた。
たとえば、明治百年の日本の歩みをどのように評価するか。革命五十年のソ連におけるスターリンの役割を否定するか。それとも必要悪とみとめるか。学生運動の暴力は、是か非か。アラブ連合とイスラエルは、どちらが正しいか。
二者択一の答えを求められ、口ごもらずに即決できる自信と決断を、私は正直うらやましいと思う。私はいつもそのたびに絶句するか、錯乱とも思える多弁におちいるのである。
歴史は常に対立する現実を止揚しながら動いてきた。私が立ち止ろうと、口ごもろうと、世界は容赦なく進んで行く。にもかかわらず、私には現実のすべての相が二重にダブって見える。どんなに目を凝らしたところで、影の部分をかき消すことはできない。かつて早大事件の時、警官に蹴《け》ちらされる側にいた際でさえも私は警官を人間的に憎むことはできなかったし、スクラムを組んだ学生を百パーセント信じることも不可能だった。
私の母は敗戦後の外地の混乱の中で、死ななくともよい死に方をしたが、その事件さえも私には二つの相をおびて見える。
このような人間が、傍観者としてでなく生きて行くためには、どうすればよいか。私は思うのだが、それには一つしか道はあるまい。つまり、その口ごもり、立ちすくむ姿勢を堅持すること。現実が大きなターニング・ポイントにさしかかっている時には、粘り強くあいまいさに固執することさえも力の要《い》る仕事だろう。なぜならば、強風の中で立ち続けることは、風の方向にさからうことなしには不可能だからである。
〈現代の若者たちをどう思うか?〉
こういう質問に対して、私はあらかじめ質問する側が抱《いだ》いている期待に、かすかな反撥《はんぱつ》を覚える。今の若者たちに痛棒をくらわし、叱《しっ》咤《た》激励しようという人々は、エレキギターのかわりに何を彼らに持たせようというのか。おそらく今年は、昨年の若者総批判に代って、若者をほめ、持ちあげる年になるのではないか、という気がする。そして、その持ちあげられるヒーローたちは、多分すでにこの世にいない過去の人物であるにちがいない。新年早々えんぎでもない言い方だが、今年はお化けの年になりそうだ。
相対的安定期といい、昭和元禄《げんろく》という。グループ・サウンズをどう思うか、とたずねられるたびに私の頭に浮んでくるのは、斎藤緑雨の次のような戯《ぎ》文《ぶん》である。
「音楽は即《すなは》ち国のささやき也《なり》。彼れの曲と此《こ》れの歌、強《しひ》て東西の異《ことな》るを綴《つづ》り合せて妖怪《ようかい》に似たるの声をなすの音楽あるときは、妖怪に似たる声をなすの日本国なることを知るべし」
君の国の青年を見せ給え、君の国の未来を占ってみせよう、と言った男がいるそうだ。私はこういう言い方が、好きではない。
先日、ある集まりで、私は今の青年たちに何も期待はしていないと発言した。彼らは率直に「ぼくらも大人たちには期待していません」と言い、そして私たちはお互いに何となくおかしくなり、笑い合った。
それはとてもさわやかな気分だった。私は若者たちを粘土のようなものだとは考えない。こねたり、たたいたり、水を注いだり、焼きを入れたりして、自分の思うようなものを作りあげるわけには行かないだろう。
今年は〈青年〉という言葉が巷《ちまた》に氾濫《はんらん》するのではないかと思う。曰《いわ》く〈青年の船〉〈青年日本〉〈青年の歌〉〈期待される青年像〉〈青年の思想〉。
私白身も〈青年〉という言葉を使った小説を書いた。だが、それはジャズ気違いで、ナショナル・コンセンサスなどとはさっぱり関心のない青年が主人公である。私たちにとって、大切なのは、ナショナル・コンセンサスなどではなく、インターナショナル・コンセンサスではあるまいか。もしくはその両者の対立関係に目を向けることだろう。明治百年は同時に、ロシア革命五十年とほぼ重なり、それはまたスペイン戦争三十年、フィンランド独立五十年と同じ線上にある。
一九六八年は、若者たちにとって、どのような年になるであろうか。
新しい年を迎えると、奇妙に昨日までの一年間がはっきりした遠近法で見えてくる。
昨年、最も多く質問されたことは何だっただろう。私の場合、それは小説についてでも、政治に関してでもなかった。もちろん、女や酒についてでもない。
〈現代の若者たちをどう思うか?〉
おそらく最も多く浴びせられたのは、そんな質問だったように思う。
これは何を意味するのか? 大人《おとな》たちは、その回答に何を求めているのか?
私はそれらの質問の背後に、ある一つの無言の期待を感じた。質問者たちは、時にはジャーナリストであり、時にはアナウンサーであった。彼らの立場や、表情は、それぞれにちがった。だが、あらかじめ一つの方向づけられた答えに対する期待で、彼らは体をふくらませていた。私がその言葉を吐けば、間髪《かんはつ》をいれずそれをくわえて走り去ろうという構えである。私が求められているのは、警棒だった。その棒で私が若者たちの背骨を痛撃するのを、彼らは期待していたのである。
思うに、昨年はミニスカートの完全勝利の年であった。PTAの集まりをさえ、ミニは堂々と制圧したのである。だが、それと同時に、一九六七年は若者総批判の年でもあった。フーテン族、三派全学連、そしてグループ・サウンズ。そして小市民的若者たち。
スカートの短いのはいいが、髪の長いのはいけないという。目的はいいが、手段が間違っているという。大人の酒はいいが、若い連中の睡眠薬はけしからんという。
私に求められていたのは、それらの若者批判の、ちょっぴりひねった発言だったにちがいない。私は、まだそれほど老いず、といって若者の同類でもなかったからである。
私は北朝鮮からの引揚者であり、きわめて貧しい学生生活を送った。社会に出てからも、いわば現代社会の底辺を縦断して生きてきた。
そんな私の目に、花模様のブラウスを着、エレキギターを抱《かか》えて長髪を振り乱し、イェイェイェイとしなをつくる連中が、どう映るか。カルダン調の背広に身を固め、マイカーで大学に乗りつける学生に何を感じるか。またはカラーヌードのグラビアと、女性ハント術を満載した男性週刊誌読者をどう思うか。
質問のねらいは、その辺にあったのだろう。だが、私の答えは彼らを満足させなかったようだ。私は常に口ごもるか、支離滅裂な長広舌をふるうかのどちらかに偏したからである。
現実のさまざまな事件や風俗に関して、たずねられれば言下に意見をのべることのできる人々を、私は畏《い》敬《けい》の目で眺《なが》めてきた。
たとえば、明治百年の日本の歩みをどのように評価するか。革命五十年のソ連におけるスターリンの役割を否定するか。それとも必要悪とみとめるか。学生運動の暴力は、是か非か。アラブ連合とイスラエルは、どちらが正しいか。
二者択一の答えを求められ、口ごもらずに即決できる自信と決断を、私は正直うらやましいと思う。私はいつもそのたびに絶句するか、錯乱とも思える多弁におちいるのである。
歴史は常に対立する現実を止揚しながら動いてきた。私が立ち止ろうと、口ごもろうと、世界は容赦なく進んで行く。にもかかわらず、私には現実のすべての相が二重にダブって見える。どんなに目を凝らしたところで、影の部分をかき消すことはできない。かつて早大事件の時、警官に蹴《け》ちらされる側にいた際でさえも私は警官を人間的に憎むことはできなかったし、スクラムを組んだ学生を百パーセント信じることも不可能だった。
私の母は敗戦後の外地の混乱の中で、死ななくともよい死に方をしたが、その事件さえも私には二つの相をおびて見える。
このような人間が、傍観者としてでなく生きて行くためには、どうすればよいか。私は思うのだが、それには一つしか道はあるまい。つまり、その口ごもり、立ちすくむ姿勢を堅持すること。現実が大きなターニング・ポイントにさしかかっている時には、粘り強くあいまいさに固執することさえも力の要《い》る仕事だろう。なぜならば、強風の中で立ち続けることは、風の方向にさからうことなしには不可能だからである。
〈現代の若者たちをどう思うか?〉
こういう質問に対して、私はあらかじめ質問する側が抱《いだ》いている期待に、かすかな反撥《はんぱつ》を覚える。今の若者たちに痛棒をくらわし、叱《しっ》咤《た》激励しようという人々は、エレキギターのかわりに何を彼らに持たせようというのか。おそらく今年は、昨年の若者総批判に代って、若者をほめ、持ちあげる年になるのではないか、という気がする。そして、その持ちあげられるヒーローたちは、多分すでにこの世にいない過去の人物であるにちがいない。新年早々えんぎでもない言い方だが、今年はお化けの年になりそうだ。
相対的安定期といい、昭和元禄《げんろく》という。グループ・サウンズをどう思うか、とたずねられるたびに私の頭に浮んでくるのは、斎藤緑雨の次のような戯《ぎ》文《ぶん》である。
「音楽は即《すなは》ち国のささやき也《なり》。彼れの曲と此《こ》れの歌、強《しひ》て東西の異《ことな》るを綴《つづ》り合せて妖怪《ようかい》に似たるの声をなすの音楽あるときは、妖怪に似たる声をなすの日本国なることを知るべし」
君の国の青年を見せ給え、君の国の未来を占ってみせよう、と言った男がいるそうだ。私はこういう言い方が、好きではない。
先日、ある集まりで、私は今の青年たちに何も期待はしていないと発言した。彼らは率直に「ぼくらも大人たちには期待していません」と言い、そして私たちはお互いに何となくおかしくなり、笑い合った。
それはとてもさわやかな気分だった。私は若者たちを粘土のようなものだとは考えない。こねたり、たたいたり、水を注いだり、焼きを入れたりして、自分の思うようなものを作りあげるわけには行かないだろう。
今年は〈青年〉という言葉が巷《ちまた》に氾濫《はんらん》するのではないかと思う。曰《いわ》く〈青年の船〉〈青年日本〉〈青年の歌〉〈期待される青年像〉〈青年の思想〉。
私白身も〈青年〉という言葉を使った小説を書いた。だが、それはジャズ気違いで、ナショナル・コンセンサスなどとはさっぱり関心のない青年が主人公である。私たちにとって、大切なのは、ナショナル・コンセンサスなどではなく、インターナショナル・コンセンサスではあるまいか。もしくはその両者の対立関係に目を向けることだろう。明治百年は同時に、ロシア革命五十年とほぼ重なり、それはまたスペイン戦争三十年、フィンランド独立五十年と同じ線上にある。
一九六八年は、若者たちにとって、どのような年になるであろうか。