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風に吹かれて46

时间: 2020-07-29    进入日语论坛
核心提示:赤線と青線の間に〈赤線〉という言葉は、いつまで生きのびるであろう。先日、大学生を相手に、「新宿のH神社のあたりは昔の青線
(单词翻译:双击或拖选)
赤線と青線の間に

〈赤線〉という言葉は、いつまで生きのびるであろう。
先日、大学生を相手に、
「新宿のH神社のあたりは昔の青線地帯《・・・・》で——」
と喋《しゃべ》ったら、青線地帯とは何か、と男の学生に質問された。
〈青線〉なる言葉が危機にひんしているとすれば、〈赤線〉の命脈もいずれつきると見ねばなるまい。雑誌社に勤める友人に聞いた話では、ある新入社員は、〈アオセン〉を野天で行うオナニーの事だと信じ込んでいたという。おそらくこれは〈アオカン〉という市《し》井《せい》の卑語から連想したものやも知れぬ。
明治百年よりも、戦後の二十年を大切にしたいと考えている私としては、これら〈赤線〉〈青線〉の記憶もまた大切にしたいものの一つである。
私の学生時代は、まさに赤線末期の数年間と重なっていた。そのため、亡《ほろ》び行く街の最後の光芒《こうぼう》のようなものを、私たちは見たように思う。それは決して先輩諸氏の語られるように、美しくも哀《かな》しいものではなかった。むしろ大変なまなましく、しかも薄汚《うすよご》れた遠景として記憶の底に残っている。
当時、私たちは貧しすぎて一流の赤線地帯には殆《ほとん》ど縁がなかった。二流、ときには三流の古い陰気な街を訪《たず》ねる事が多かった。
それらの取り残された暗い街並みには、それなりの雰《ふん》囲気《いき》が色濃く漂っていて、奇妙にくすんだ楽しみを味わう事が出来た。たとえば、部屋を出て行ったまま一向に帰って来ない女を待ちながら、床の間に投げ出されている古雑誌などを拾い読みするのは、一種低迷した情緒があって面白かった。二流、三流の赤線といえば都心を離れた地域にあるため、それらの雑誌も〈家の光〉とか、〈果樹栽培〉などという類《たぐ》いの本が置いてあったりした。新小岩あたりには、まだ水田が残っており、夏は蛙《かえる》の声がしきりにした。東京都内にも農協の倉庫があるんだな、とびっくりしたのもその頃である。
私をそういった土地に案内してくれたのは、露文科の先輩でTという真面目《まじめ》な青年だった。その人はいつもロシア語の原書を手離さず、立石《たていし》とか北品川などの暗い小部屋で、女を待ちながらシーモノフの〈夜となく昼となく〉だとか、オストロフスキイの〈鋼鉄はいかにきたえられたか〉だとかいった本を読んでいるという話だった。
非常にきちんとした人で、貧乏学生がそのような街に出かける際の心得のようなものを、くり返し私に教えてくれた。
「できるだけ月曜日か火曜あたりに行くんですね。土曜は駄目です。それから月末、労働者達が労賃を支払われた直後はさけたほうがいい。雨降り、風の日、雪の時などはいいが台風の晩は止《や》めること。それから下手《へた》な同情や、ヒューマニズムはいけません。彼女らは自分を商品として扱う男には反撥《はんぱつ》しないが、人間として接しながら、それを買おうという相手には憎《ぞう》悪《お》を覚えるからです」
Tさんは面白い人で、自分はかなりの趣味人でありながら、プロレタリアートを心から尊敬しているふしがあった。後年、一度いっしょに麻雀《マージャン》をした事がある。
大きな手で待っている時に、私の上家《かみちや》がひどく安い手でさっとあがった。
「このどん百姓め!」
と私が怒ったらTさんがニコリともせずに私をたしなめて言った。
「農民と言いなさい。百姓はいけない」
それから私たちの間で、
「この農民め!」
という言い方が流行《はや》ったものだった。
一度やはりTさんと一緒に青線的な場所に行った事があった。そこでTさんは見ただけでズベ公とわかる一人の少女を拾った。いや拾われたといった方が正確かも知れない。
右手の甲に煙草の火を押しつけて焼いたあとがいくつもあり、目のすわり方にただものではない雰囲気がある少女だった。
その晩、Tさんはその少女と一緒に私を残して消えた。次の日、正午ちかくに帰って来たTさんは、私にこんな話をした。
その少女に連れられて、場末の天井の低い宿屋に行った。Tさんはその相手に、少なからぬ警戒心を抱《いだ》いていた。
「いくら要《い》る?」
ときいた時に、
「泊りで二千五百円」
と、その少女は言った。
「いま払ってよ」
「駄目だ。金はここにあるが払うのは明日の朝だ。金だけ持って逃げるのがいるからね」
そしてTさんは金をこっそり脱ぎ捨てた靴下の中に丸めて部屋の隅《すみ》に投げ出しておいた。
ポウの〈盗まれた手紙〉にヒントを得たTさんの戦術である。
翌朝、Tさんが目をさました時、部屋には陽《ひ》がさしていた。隣りに少女の姿はなかった。ふと見ると、靴下が枕元《まくらもと》においてある。その中にTさんは昨夜、虎《とら》の子の五千円札を一枚まるめて突っ込んでおいたのだ。
〈やられた!〉
瞬間そう思ったTさんは、震える手で靴下をまさぐった。すると中から千円札が二枚と百円札が五枚出て来た。
その女の子は五千円をくずして、自分の分を取り、わざわざ二千五百円の釣りをおいて行ったのだった。
「なあ、君、人間というもんは信ずべきもんだと思うよ」
と、Tさんはその話をし終ると首を振って言った。
当時は学生運動や、政治の中に様々な奇怪な事件が続発した時期で、デモの先頭に立ってアジったり火《か》焔《えん》びんを投げたりする学生が警視庁の人間だったり、都学連のリーダーがスパイだったりした時代だった。不信のどす黒い空気が、いたる所にメタンガスのようによどんでいた。
そんな時代の中で、いつの間にか私たちは人間不信を自己防御の姿勢として身につけて来たが、最後のところでそれに徹しきれないままに私は自分の青春を通過したように思う。
いま考えてみると、その最後のところで私が引っかかっていたのは、当時、愛読していたゴーリキイの自伝小説と、Tさんの存在だったように思う。
「なあ、君、人間というもんは信ずべきもんだと思うよ」
と、げっそり精力を消耗した顔で頬《ほお》をなでたTさんの声は、その後、長い間私につきまとっていた。
これまで、私は、人間を信じない部分と、人間を信じる部分とにかけられた一本のロープを渡って生きて来たような気がする。
その一方の岸には、いつもおぼろげながらTさんの顔があった。
「農民といいなさい。百姓はいけない」
と言ったTさんの声と、雨の夜、廊下の足音を気にしながら読んだ〈家の光〉の記事が、私の記憶の底からしばしばよみがえってくる。〈赤線〉も〈青線〉も、それなりに裸の人間の率直なかかわりあいの場であった、と私は思う。今のGOGOを踊る地下クラブにも、やはりそのような何かは存在するのだろうか?
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