トキという鳥がいる。朱鷺という字を当てるが、桃花鳥とも呼ぶらしい。翼と尾の一部が淡紅色をおびていて、くちばしが長い。
石川県の能登《のと》に一羽だけ残っているほか、佐渡にわずかに棲息《せいそく》するだけだという。国際保護鳥として大事に保護されているが、やがて絶滅するかも知れぬ。
つい数日前、県で五十万円を投じて残りの一羽を捕えようとした記事が新聞に出ていた。たかが鳥一羽のために五十万円とは、と感じないでもなかったが、それも爆弾やジェット機にくらべれば物の数ではあるまいと考えなおした。
小説に使う必要があって、調べていたのだが、朱鷺という字体が気に入ってタイトルにも使用する事にした。若い人達に、シュロと読まれなければ幸いである。もっとも、私は最初これをアカサギと読んで笑われた記憶があるから、偉そうな事は言えない。
こういう知識がないためのミスとは別に、よく人名や固有名詞を間違って憶《おぼ》えこむくせが、私にはある。
つい先日まで、例の〈星の王子さま〉の作者をテグジュベリ《・・》と思いこんでいた。これをペリだと知って驚きかつ大いにあわてた。
中学生の頃、ベテランを、ベラテンと信じ込んでいて嘲笑《ちょうしょう》された時の恥ずかしさは今も忘れ難い。
田舎《いなか》の方へ行くと、老人達がデバートなどという。ギヤカというのはリヤカーのことだ。
ブロマイドをプロマイドという人には、今もしばしば出くわす。バドミントンはバトミントンの方が本当らしく聞えるから妙だ。
最近さすがにキッチャ店という人は少なくなった。昨年、パリで地図を買い、タクシーに乗って、チャンプ・エリゼーへ行けと言ったら、鳥打帽をかぶった運転手が笑って、
「シャンゼリゼー」
と訂正してくれた。これはひどい。
お互いに外国人同志となると、どうも話がややこしくなる。
たとえば〈あゝ水銀大軟膏《だいなんこう》〉などという、ふざけた小説の題のおかしさは、〈あゝ忠臣大楠公《だいなんこう》〉という文句がパッとだぶって、はじめて生きる。エンツェンスベルガーの〈何よりもだめなドイツ〉が〈世界に冠たるドイツ〉を踏まえて、そのアイロニーが冴《さ》えてくるのと同じだろう。このへんは解説ぬきでは、とてもお互いにわかりっこない。
大阪では、東京でいうアイス・コーヒーのことを〈冷《れい》コーヒー〉と称する。
「アイス・コーヒーをください」
「はい。レイコーですね」
おそらくこれはカウンターの中で使う専門語を、客までが用いるようになったものだろう。
「レイコーふたつ」
などと中年のカップルが言っているのは、慣れるまでは何となく照れくさい風景だ。
レコード業界では、作詩、作曲、編曲家らを総称して〈作家〉という。Cレコード会社のアーチストが熱海《あたみ》に旅行した時、〈C作家クラブ〉と電話で申し込んでおいたら、着いてみると〈Cサッカー・クラブ様〉と大看板が出ていた。
「運動選手にしては余り体格のいい人はおらんね」
と、女中さんらが話し合っていた。
ふり返ってみると、間違いだらけの人生である。どうやらこうやら世の中を渡ってこれたのが不思議な位だ。
小さな言葉のミスから、大きな失敗まで、数えあげればきりがない。
これから先も、またこんな恥をかきながら生きて行くのだろう。それはそれで仕方がない。
夢が人生か、人生が夢か、と首をかしげたくなるような瞬間が、ときどき訪れてくる。外は吹雪《ふぶき》で、家の中も静かで、本も読みたくない。テレビも見たくない。そんな時、うつらうつらとコタツの中に身を横たえていると、頭の中がぼうっと霧がかかったようになってくる。半分眠って、半分目覚《めざ》めている状態のまま、時間が流れて行くのを感じているのは何とも言えぬいい気持だ。
「寝るより楽はなかりけり。浮世の馬鹿が起きて働く」
などと死んだ父親が床に入る時、誰にともなく呟《つぶや》いていたのを思い出す。ロシア文学の流れの中の一つの典型として在《あ》る、オブローモフの魂が乗りうつったのであろうか。電話を毛布でくるみ、コタツの中へ入れておくと、時々、虫の鳴くようなジジッという音がする。悪いとは思うが、いたしかたない。眠りに落ち込んではならず、目が覚めてしまってはいけない。ギリギリの綱渡りのような地点に辛《かろ》うじて意識を支《ささ》えて、うとうとして日を過す。これが果して人間の生活といえるだろうか。気にはなるが、仕方がない。
「走《そう》狗《く》ってのは何だか知ってるか?」
と、家内にきく。
「ソークって?」
「ほら、幕府の走狗、などというだろう」
「ああ、あれね。走る天《てん》狗《ぐ》でしょう」
「天狗?」
「ちがうの?」
走るイヌだと思っていたが、そう真顔できき返されると自信がなくなってくる。
「じゃあ、天狗ってのは何だ」
「天狗は天の……」
「狗《ぐ》かね」
「ええ」
「それじゃ、狗《ぐ》とは何だ?」
「そんな事より屋根の雪でも降ろしてくださいな。縁側のガラス戸が開かなくなってるのよ」
頭《こうべ》をめぐらせば雪はヒヒとして——
漢字というものは、実に便利なものだと思う。疲れている時は、文章の中に漢字の割合が多くなる傾向がある。便利な言葉をつい使いたくなるのだろう。
こんな時には、如何《いか》なる音楽がいいか。それはボサノバに限る。ボサノバは倦怠《けんたい》の音楽なり。中国人民に聞かせたところで、ぜんぜん受けつけないに違いないと思う。私自身も、ふだんはボサノバは苦手だ。どちらかといえばR&Bのほうが性に合う。
日本海波高し。古都ユエは依然として解放戦線の手中にあり。眠ってなどいる時ではない。起き上って顔を洗う。机の前に坐って鉛筆をけずる。
物を書くという事は、一体どういう事なのか? そもそも自分は何ものか?
窓の外で昨年から棲《す》みついている山鳩が、ククウ、ククウと妙な声で鳴いている。仕方がない。立ちあがって、ヤッケを着込み、長《なが》靴《ぐつ》をはいて外へ出る。
チェーンをまいたライトバンが、道路の端で立往生している。空転する後輪から、雪が空中に舞う。
「押しますか」
「すまんの」
「よいしょ」
「駄目やな。ジープにでも引っぱってもらわんなん」
「降りますね」
「昭和三十八年以来やな」
「それじゃ」
「ありがと」
首をすくめながら真白な道を歩いて行く。ひとつ、天徳院へでも行ってみるか。空気は清らかで冷たい。少しずつ目が覚めて来るような感じがあった。
石川県の能登《のと》に一羽だけ残っているほか、佐渡にわずかに棲息《せいそく》するだけだという。国際保護鳥として大事に保護されているが、やがて絶滅するかも知れぬ。
つい数日前、県で五十万円を投じて残りの一羽を捕えようとした記事が新聞に出ていた。たかが鳥一羽のために五十万円とは、と感じないでもなかったが、それも爆弾やジェット機にくらべれば物の数ではあるまいと考えなおした。
小説に使う必要があって、調べていたのだが、朱鷺という字体が気に入ってタイトルにも使用する事にした。若い人達に、シュロと読まれなければ幸いである。もっとも、私は最初これをアカサギと読んで笑われた記憶があるから、偉そうな事は言えない。
こういう知識がないためのミスとは別に、よく人名や固有名詞を間違って憶《おぼ》えこむくせが、私にはある。
つい先日まで、例の〈星の王子さま〉の作者をテグジュベリ《・・》と思いこんでいた。これをペリだと知って驚きかつ大いにあわてた。
中学生の頃、ベテランを、ベラテンと信じ込んでいて嘲笑《ちょうしょう》された時の恥ずかしさは今も忘れ難い。
田舎《いなか》の方へ行くと、老人達がデバートなどという。ギヤカというのはリヤカーのことだ。
ブロマイドをプロマイドという人には、今もしばしば出くわす。バドミントンはバトミントンの方が本当らしく聞えるから妙だ。
最近さすがにキッチャ店という人は少なくなった。昨年、パリで地図を買い、タクシーに乗って、チャンプ・エリゼーへ行けと言ったら、鳥打帽をかぶった運転手が笑って、
「シャンゼリゼー」
と訂正してくれた。これはひどい。
お互いに外国人同志となると、どうも話がややこしくなる。
たとえば〈あゝ水銀大軟膏《だいなんこう》〉などという、ふざけた小説の題のおかしさは、〈あゝ忠臣大楠公《だいなんこう》〉という文句がパッとだぶって、はじめて生きる。エンツェンスベルガーの〈何よりもだめなドイツ〉が〈世界に冠たるドイツ〉を踏まえて、そのアイロニーが冴《さ》えてくるのと同じだろう。このへんは解説ぬきでは、とてもお互いにわかりっこない。
大阪では、東京でいうアイス・コーヒーのことを〈冷《れい》コーヒー〉と称する。
「アイス・コーヒーをください」
「はい。レイコーですね」
おそらくこれはカウンターの中で使う専門語を、客までが用いるようになったものだろう。
「レイコーふたつ」
などと中年のカップルが言っているのは、慣れるまでは何となく照れくさい風景だ。
レコード業界では、作詩、作曲、編曲家らを総称して〈作家〉という。Cレコード会社のアーチストが熱海《あたみ》に旅行した時、〈C作家クラブ〉と電話で申し込んでおいたら、着いてみると〈Cサッカー・クラブ様〉と大看板が出ていた。
「運動選手にしては余り体格のいい人はおらんね」
と、女中さんらが話し合っていた。
ふり返ってみると、間違いだらけの人生である。どうやらこうやら世の中を渡ってこれたのが不思議な位だ。
小さな言葉のミスから、大きな失敗まで、数えあげればきりがない。
これから先も、またこんな恥をかきながら生きて行くのだろう。それはそれで仕方がない。
夢が人生か、人生が夢か、と首をかしげたくなるような瞬間が、ときどき訪れてくる。外は吹雪《ふぶき》で、家の中も静かで、本も読みたくない。テレビも見たくない。そんな時、うつらうつらとコタツの中に身を横たえていると、頭の中がぼうっと霧がかかったようになってくる。半分眠って、半分目覚《めざ》めている状態のまま、時間が流れて行くのを感じているのは何とも言えぬいい気持だ。
「寝るより楽はなかりけり。浮世の馬鹿が起きて働く」
などと死んだ父親が床に入る時、誰にともなく呟《つぶや》いていたのを思い出す。ロシア文学の流れの中の一つの典型として在《あ》る、オブローモフの魂が乗りうつったのであろうか。電話を毛布でくるみ、コタツの中へ入れておくと、時々、虫の鳴くようなジジッという音がする。悪いとは思うが、いたしかたない。眠りに落ち込んではならず、目が覚めてしまってはいけない。ギリギリの綱渡りのような地点に辛《かろ》うじて意識を支《ささ》えて、うとうとして日を過す。これが果して人間の生活といえるだろうか。気にはなるが、仕方がない。
「走《そう》狗《く》ってのは何だか知ってるか?」
と、家内にきく。
「ソークって?」
「ほら、幕府の走狗、などというだろう」
「ああ、あれね。走る天《てん》狗《ぐ》でしょう」
「天狗?」
「ちがうの?」
走るイヌだと思っていたが、そう真顔できき返されると自信がなくなってくる。
「じゃあ、天狗ってのは何だ」
「天狗は天の……」
「狗《ぐ》かね」
「ええ」
「それじゃ、狗《ぐ》とは何だ?」
「そんな事より屋根の雪でも降ろしてくださいな。縁側のガラス戸が開かなくなってるのよ」
頭《こうべ》をめぐらせば雪はヒヒとして——
漢字というものは、実に便利なものだと思う。疲れている時は、文章の中に漢字の割合が多くなる傾向がある。便利な言葉をつい使いたくなるのだろう。
こんな時には、如何《いか》なる音楽がいいか。それはボサノバに限る。ボサノバは倦怠《けんたい》の音楽なり。中国人民に聞かせたところで、ぜんぜん受けつけないに違いないと思う。私自身も、ふだんはボサノバは苦手だ。どちらかといえばR&Bのほうが性に合う。
日本海波高し。古都ユエは依然として解放戦線の手中にあり。眠ってなどいる時ではない。起き上って顔を洗う。机の前に坐って鉛筆をけずる。
物を書くという事は、一体どういう事なのか? そもそも自分は何ものか?
窓の外で昨年から棲《す》みついている山鳩が、ククウ、ククウと妙な声で鳴いている。仕方がない。立ちあがって、ヤッケを着込み、長《なが》靴《ぐつ》をはいて外へ出る。
チェーンをまいたライトバンが、道路の端で立往生している。空転する後輪から、雪が空中に舞う。
「押しますか」
「すまんの」
「よいしょ」
「駄目やな。ジープにでも引っぱってもらわんなん」
「降りますね」
「昭和三十八年以来やな」
「それじゃ」
「ありがと」
首をすくめながら真白な道を歩いて行く。ひとつ、天徳院へでも行ってみるか。空気は清らかで冷たい。少しずつ目が覚めて来るような感じがあった。