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風に吹かれて50

时间: 2020-07-29    进入日语论坛
核心提示:果てしなきさすらい 最初、三カ月の予定で書き始めたこの勝手な文章も、ようやく五十回を迎えた。およそ一年ちかくになる。この
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果てしなきさすらい

 最初、三カ月の予定で書き始めたこの勝手な文章も、ようやく五十回を迎えた。およそ一年ちかくになる。この辺で一応、最終回という事にしたい。
スタートしたのは、私がN賞をもらってから間もなくの頃だったと思う。ちょうど自分がプロとして物書きの道に踏み込んだ時期だ。その意味で、この〈風に吹かれて〉を書き続けてきた一年は、私のプロ小説家生活の一年と重なりあう、まことに印象がふかい一年でもあった。
恐らく私の人生の内でも、最も激しく、あわただしい季節だったと言えるだろう。この一年間、私は自分なりに全力をつくしてマスコミの潮流の中を泳ぎ抜こうと努力して来た。
はたから見れば、おそらくそれは荒海に放り出された人間の、必死のあがきとしか見えなかっただろうと思う。私はそこで、これまでに考えてもみなかった様々な体験を数多く持った。どれも企業としてのジャーナリズムの利害と、人間としてのジャーナリストの哀歓につながる、虚実のドラマだったと言える。
それは一人の無名の人間が、世の中に出て、外部と内部の誤差をはかりながら次第に最初の目的地からそれつつ動いて行く、ありふれた過程なのかも知れない。
私には私なりの航海図も、羅《ら》針盤《しんばん》も有った。それにしたがって、目的地への最短距離を泳ぎ抜くつもりだった。だが、荒れ狂う深夜の海に放り出された時、私はそれまでの計画の何もかもが全く役に立たないものである事を発見したのだった。
風は激しく西へ、時には東へ吹き荒れていた。ジャーナリズムの奈《な》落《らく》は、大きな口を開けて獲物を待っていた。板子一枚下は地獄、とは現代のマスコミの事だ。前に人を使う側にいて、その世界の裏方をつとめた事もあるだけに、それがある程度はわかっていた。私が東京へ移転せず、北陸に居すわったままだったのは、そういった世界への怖《おそ》れが私を躊《ちゅう》躇《ちょ》させていたからである。一言で言えば、私はまだ逃げ腰だったのだ。
一度、その世界から抜け出して、別な人生を選びかけた時点で、私は再びその世界へ引きもどされたのだった。もし、うまくやれなければ、いつでも最初の目的通り地方でマスコミに無縁な人間として生きて行く積りだった。
その気持は今でもある。だが、すでに私の住んでいる土地も、マスコミとは無縁な場所ではあり得なくなっている。逃げる所はどこにもない、というのが最近の私の心境だ。
金沢はとても気に入った土地だった。東京から帰って来ると、ほっとする感じがある。だが、以前は私という人間にとって、この古い街は一種の敵だったともいえる。この街において、私はまぎれもない異邦人であり、よ《・》そもん《・・・》として遇されていた。そして、私はそれが嫌《きら》いではなかった。
私は朝鮮半島において、よそものとして少年時代を過し、九州に引揚げて来てからは、外地からやって来た余計者として扱われて来た。当時の日本にとって、外地から体一つで帰って来た引揚者たちは、まぎれもない厄介者であったわけである。故郷は私たちに取って異国も同じだった。そこでは、むしろ追放されて来た外地の山河の方が、私の郷愁をそそるのだった。
  ——今日も暮れ行く 異国の丘で
 という、あの流行歌を、私はむしろ自分のその当時の立場に引きよせて聞いたものである。その時の私にとって、異国とはハバロフスクでもナホトカでもなく、日本列島であり九州であったと言っていい。
青年に達して東京へ出て来た私は、そこでようやくそのような違和感からまぬがれる事が出来たように思う。東京とは大いなる植民地であり、そこは異邦人同志の街だったからである。
私はその時から、東京でおよそ十五年間を過した。奇妙な生活だったが、それはやはり東京以外のどの都市でもあり得なかった生活だったような気がする。
数年前に東京から金沢へ住所を移した。そして、きわめて強い異邦人意識を抱《いだ》きながらこの街で暮して来た。前に何度も書いた事があるが、それは一種の〈城〉の世界だった。
私はそれまでの異邦人生活から、他国者の取るべき最良の処世術を身につけていた。それは、〈城〉の内部へ性急に入りこもうとしてはいけない、という事だった。また、力づくで〈城〉を攻める事も不可能であり、さらに一番いけないのは卑屈に〈城〉へ入れてくれるように懇願する事だった。
そこでは、ただ待つことが大事なことだと思う。無関心をよそおって、自分に向けられる視線を黙ってうけること。そして自分を人々の目の下にさらして、じっとしていればいいのだった。
そのうちに、彼らはその異邦人が少しずつ風化し、その土地になじんで来るのを認めるにちがいなかった。或《あ》る日、突然、何気なく通りかかった城の門が、わずかに開かれているのを私は見た。
私がその門から中へ入って行く事を、誰もとがめなかった。いつの間にか、私はその城の支配する国に同化してしまっている自分を発見するのだ。
現在の私の状態は、ほぼそんなところである。しかし、私は自分を忠実な〈城〉の国の市民のようには考えたくなかった。私はやはり、隠密《おんみつ》の魂を心のどこかに残しておきたかった。
最近、私は私の前に開かれた城門をくぐる事を意識的にさけるようになって来た。やはり異邦人の自分の方が自分らしい、と思うようになったのである。
私は金沢に住み、一月に一週間から十日ほど上京して仕事をする。東京へ来る度《たび》に、全《すべ》てのものが生き生きと新鮮に目に映る。そして、もみくしゃにされて金沢へ帰ると、ここはまた静かで、とてもいい所だ。だが、はたしてこれでいいのだろうか、という気持が日増しに色濃く私の中に拡《ひろ》がって来るようである。
私はやはり基地を失ったジェット機でありたいと思う。港を持たぬヨット、故郷を失った根なし草でありたいと感じる。逃げ場を持っている人生というものが、果して人間にふさわしいものかどうか、私は疑うのだ。いつかはこの土地を出て行かねばなるまい、と私は今、思うようになった。金沢という閉鎖的な土地が、私をうけ入れてくれた時に、私は異邦人でも、うさん臭い存在でもなくなっている。私とて人並み以上の名声や栄光へのあこがれはある。しかし、その反対のものへ傾斜するひねくれた心情もまだ失ってはいない。
金沢というかたくなな〈城〉が、私を公認《・・》してくれた時、私はこの土地に住む一種の張りのようなものを失ったように感じる。いずれ私は風に吹かれて再び別な街へ漂流することになるのだろう。
この四月は南太平洋の島々をヨットで回る予定だった。出来ればボラボラ島周辺の無人島で海と風と太陽だけの孤独な一週間を独《ひと》りで過すつもりでいた。だが、先発したパイオニア号が不運にも太平洋でSOSを出し、引き返す事となった。艇長の天尾君は輝かしい記録をひっそりと自分だけの胸にひそめて、黙々と海との対話を続ける優《すぐ》れたヨットマンである。私は彼の指揮下に一艇員として加わり、マルケサス群島からフィジー諸島への航海を夢にまで見ていただけに、残念でならない。天尾君らはいずれ再び果てしない航海へ出発するに違いない。私もまた風に吹かれてどこまでも漂い続けて行くだろう。
この文章を書き続ける事は、私にとって苦しくも実に充実した経験だった。ながながと拙《つたな》い仕事を支持して下さった読者の方々ならびにこれを書かせて下さった編集部のスタッフに、心から感謝したいと思う。
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