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ガダルカナル05

时间: 2020-07-30    进入日语论坛
核心提示:5 八月七日、日の出と前後してツラギ通信基地とガブツ島の横浜空(横浜海軍航空隊の略称)は続々と緊急電を発した。「敵猛爆中
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 八月七日、日の出と前後してツラギ通信基地とガブツ島の横浜空(横浜海軍航空隊の略称)は続々と緊急電を発した。
「敵猛爆中」
「敵機動部隊見ユ」
「敵機動部隊二〇隻ツラギニ来襲空爆中、上陸準備中、救助頼ム」
「〇四三〇空襲ニ依リ大艇全機火災」
「巡洋艦四空母一見ユ」
「敵ハツラギニ上陸開始」
「状況ニ依り今直ク装備(暗号書のことであろう──引用者)ヲ焼ク」
「我艦砲射撃ヲ受ク」
「敵各艦艦砲射撃、揚陸開始」
「至近弾電信所付近。戦艦一巡洋艦三駆逐艦一五其ノ他輸送船」
「爆弾艦砲射撃銃撃未タ衰ヘス」
「敵兵力大、最後ノ一兵迄守ル、武運長久ヲ祈ル」(以上『山田日記』──二十五航戦)
右記最後の電文をもって通信は絶えた。午前六時十分ごろと思われる。
ガダルカナル所在部隊からの緊急電はなかった。前記『山田日記』には「ガダルカナルハ〇二〇〇頃ヨリ通信杜絶」とあるが、理由は明らかでない。午前二時ごろには米軍の攻撃はまだはじまっていなかったから、通信がなかったのは他の事情によってのことであろう。
米軍上陸時のガダルカナルには、先に述べた通り、第十一設営隊(門前大佐以下一二二一名)と第十三設営隊(岡村少佐以下一三五〇名)が居り、その大部分は工員で、小銃または拳銃を装備して陸戦能力のある者は、第十一設営隊約一八〇名、第十三設営隊約一〇〇名に過ぎなかった。他に、第八十四警備隊としてガダルカナルにはルンガ岬付近に約一五〇名、ガブツ島(ツラギの隣島)に約五〇名、ツラギに約二〇〇名配置されていたに過ぎない。八二隻の大艦船団を組んで遠征して来た米軍に立ち向うことは到底出来なかった。
右の緊急電を受信した第八艦隊司令部は、米軍来攻には意表を衝かれたが、事態の認識と状況判断は楽観的であった。まず、敵のガダルカナル来攻は、本格的反攻の開始であるよりは、強行偵察程度のものであると判断した。現地からの緊急電は敵兵力を過大視しているのではないかとさえ疑っていた。理由は、大本営以下各級司令部の参謀たちの間では、米軍の反攻開始は早くても昭和十八年(翌年)以降であるという希望的観測が一般であったことである。ミッドウェーの痛烈な敗北があったにもかかわらず、緒戦の戦果の過大評価と、敵の戦力と戦意を下算する悪弊がまだ十分に反省されていなかったし、その心理的土壌では希望的観測が発芽しやすかったのである。
第八艦隊司令部は、この時点では何の根拠もなしに、一個大隊程度の陸戦兵力を投入すれば奪回は可能であると考え、第八艦隊の海上決戦兵力で敵艦隊を撃破し、十一航艦の航空兵力で敵母艦群を撃滅してガダルカナル近辺の制海制空権を確保することは困難ではない、という楽観的判断に傾いていた。
第八艦隊(外南洋部隊)司令長官三川軍一中将は、緊急電接到中の七日午前五時三十五分、早くも、ラバウル所在の麾下艦艇に出撃準備の完成を命じ、またこの朝早くブナ輸送作戦(ニューギニア)支援のためにカビエンからアドミラルティ諸島に向っていた旗艦鳥海と第六戦隊(青葉、衣笠、加古、古鷹)に南下を命じた。
さらに、第八艦隊では、二十五航戦の要請に応じて第十八戦隊の駆逐艦一隻をショートランドに急派した。ラバウルを出撃してツラギとガダルカナルに向った二十五航戦の飛行隊(特に艦爆隊)が、帰途に航続力が尽きて洋上着水しなければならないのを、その搭乗員を救助するためである。
今後も再々触れることになるであろうが、ラバウル─ガダルカナル間五六〇浬という長遠な距離は、航空作戦にとって致命的な欠陥となった。当時の航空機の性能からすれば、陸上航空基地の推進は三〇〇浬が標準の上限といってよかった。それを、海軍は、ガダルカナル基地を設けるにあたっては、いきなり五六〇浬にも伸長したのである。五六〇浬では、航続力の大きいことを誇っていた零戦でも、敵地上空での滞空時間はせいぜい十五分しかなく、それを越えれば帰投はできないことになる。艦爆に至っては攻撃半径は二五〇浬しかなかった。したがって、零戦も艦爆も出撃のためには中継基地が必要であったが、敵の早期反攻を全然計算に入れていなかった海軍は、基地推進にあたって中継の配慮がなかったのである。
八月七日早朝の突然の緊急事態発生に際して、山田二十五航戦司令官は、来攻した敵艦船群に対して艦爆隊の片道攻撃敢行を決意し、搭乗員の救助のために水上機母艦と二式大艇を予定海域に配備し、第八艦隊に対して駆逐艦の急派を要請した。
こうして、二十五航戦は全力を挙げ、機種によっては帰途には洋上着水という非常措置までとって攻撃したにもかかわらず、ガダルカナルとツラギ沖にあった米軍攻略部隊は無傷のまま上陸を行なっていた。
その理由の第一は、先に述べたラバウルから目的地までの距離が長遠なために、効果的な攻撃時間を十分に持てなかったことである。第二は、これも既述のことだが、連合軍がブーゲンビル島に配置してあったコースト・ウォッチャー(沿岸監視員)が、日本軍飛行隊の発進をその目的地到着の一時間半前に通報していたことである。第三は、米重巡シカゴのレーダーが日本軍攻撃隊の殺到をおそくも五分前に探知して、米空母ワスプ、エンタープライズ、サラトガから六〇機に及ぶ戦闘機群が飛び立ち、|邀撃《ようげき》したことである。第四は、雲量多く視界不良であったことである。
日本側攻撃隊の戦果報告は過大であり、米側の邀撃戦果の報告も適正とは思えないので、彼我の戦果を比較することにはあまり意味がない。ただ、二十五航戦の敵来攻初動の時期の果敢な反撃によって、米空母を中核とする来攻艦隊が早期撤退の必要を覚えたことは事実であろう。
初動第一撃で、しかし、敵の上陸作戦に重大な打撃を加え得なかったことは、結果から見て、その後半年に及ぶガダルカナル戦の趨勢を予告するかのようであった。この日以後、日本軍の揚陸と補給は、ほとんどその都度米軍航空機によってしたたかに損害を蒙り、反対に米軍の増強補給に対する日本軍航空部隊の攻撃はもどかしいばかりに効果をあげ得ない事態が反復するのである。
その理由は、基地推進にあたっての浅慮と並んで、基地設営能力と補給能力が彼我の間で比較を絶していたこと、その認識が全く不足していたことである。空を飛んで戦うことだけが航空戦ではなかった。日本は格闘戦だけを重視して、基地の設営や補給を甚だしく等閑視していた。また、設営能力や補給能力の貧弱は、帰するところは生産力の貧困であった。それにもかかわらず、日本は、周到な注意力をもって早期に時間をかけて準備することを怠っていた。あるいは、生産力が貧困であるからこそ、敵の早期反攻はないものと希望的判断を下したがったというべきかもしれない。
航空戦に関してさらに言えば、操縦者の練成に関しても、彼我は全く隔絶していた。日本が誇っていた少数精鋭主義は、激甚をきわめた消耗戦に耐え得なかった。ミッドウェーで熟練飛行士を半数近く失い、その後補充した平均練度の低い搭乗員も半歳にわたるガダルカナル航空戦で逐次失われた。米軍は、そのころ、多数の母艦群の建造を急ぐとともに、一〇万二〇万という規模で搭乗員を練成していたのである。
太平洋上では航空戦がすべてを決定したといってよい。制空権のないところに艦船の行動の安全はない。艦船行動の自由がなければ、地上兵力の輸送も物資の補給も至難の業である。ソロモンの海には|夥《おびただ》しい艦船が沈んで、そこは鉄底海峡と呼ばれ、ガ島(ガダルカナル)は餓島と呼ばれる相貌を呈することになるのである。
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