外南洋を担当していた第八艦隊は、先に述べた通り、ツラギからの緊急電に接しても、米軍上陸を本格的反攻のはじまりとは判断せず、一個大隊程度の地上兵力をさし向ければ奪回できると考え、艦隊出撃の準備を急ぐとともに、第十七軍(在ラバウル陸軍。司令官百武中将)に陸軍兵力の派遣を要請した。十七軍には作戦日程にのぼっているポートモレスビー攻略に充当を予定している南海支隊以外の兵力はなかったので、ガダルカナルヘの転用には応じなかった。
十七軍は──十七軍に限らないが──ガダルカナルが全戦局を左右する焦点になろうなどとは想像もしていなかった。当初は、ガダルカナルをもツラギという名称のうちに含めて呼ぶ程度の認識しかなかったのである。
第八艦隊は前記のように事態を楽観視する傾向にあったから、陸軍部隊の応急派遣が出来なくても、所在の海軍陸戦隊の投入で間に合せようと考え、佐世保鎮守府第五特別陸戦隊(以下佐五特と略記)、呉鎮守府第三、第五特別陸戦隊(以下呉三特、呉五特と略記)から計五一九名を抽出(指揮官遠藤海軍大尉)してガダルカナルへの派遣を部署し、艦隊自体は七日午後二時半ラバウルを出撃した。遠藤部隊のラバウル出港は七日午後九時であった。この部隊には後述する次第で、思いがけぬ不運が待ちかまえていたのである。
第十七軍はポートモレスビー作戦を重視して第八艦隊の要求には応じなかったが、ポートモレスビー攻略のためにも、ガダルカナル基地が米軍の手中に陥ることは不利なので、第八艦隊の出撃に際しては、軍司令官以下が艦隊出陣を見送りがてらに敵輸送船団撃滅の希望を伝えるつもりであったという。ところが、艦隊は出撃準備に忙しく、十七軍の方ではポートモレスビー作戦の図上演習を行なっているうちに、艦隊は出撃してしまったというのである。連絡事務に類することさえ確実には行なわれなかったのだ。
第十七軍は、この時点では、ガダルカナル戦を必ずしも緊急重要とは見ていなかった。ラバウルに位置する十七軍司令部の正面には、敵が占拠している三つの拠点があった。ポートモレスビー(ニューギニア南東岸)、ラビ(ニューギニア東端)、ツラギ(ガダルカナルを合む)の三つである。このうち、十七軍はポートモレスビーを最重要視していた。戦略上果してどれが最も重要といえたのかは多分に疑義のあるところである。オーストラリアからの前進基地としてなら、ポートモレスビーあるいはラビが価値が高かったし、米海軍の前進根拠地としてのサモア、フィジー、ニューカレドニアの延長線として考えれば、ガダルカナルあるいはツラギが重要度が高いといってよい。
十七軍がポートモレスビーを重要視するのは、事実において戦略上最重要であるからというよりも、それが重要だと早くから考えていて、ニューギニアの北岸からオーエン・スタンレー山脈を踏破して南岸のポートモレスビーを陥すという陸路攻略(後述)のために、既に独立工兵第十五連隊長横山大佐を長とする横山先遣隊を七月二十一日北岸のゴナに上陸させ、スタンレー山系へ突進させていたから、この作戦を継続拡大したがったのである。
ガダルカナル戦の実相は東部ニューギニア作戦と切り離して独立に考えることは出来ない。陸軍はガダルカナルが決戦的死闘の様相をおびるようになるまでポートモレスビー重点主義の思考を変えず、|徒《いたず》らに二正面で中途半端な兵力の逐次投入を行ない、二正面とも惨澹たる失敗を重ねることになるのである。
十七軍は──十七軍に限らないが──ガダルカナルが全戦局を左右する焦点になろうなどとは想像もしていなかった。当初は、ガダルカナルをもツラギという名称のうちに含めて呼ぶ程度の認識しかなかったのである。
第八艦隊は前記のように事態を楽観視する傾向にあったから、陸軍部隊の応急派遣が出来なくても、所在の海軍陸戦隊の投入で間に合せようと考え、佐世保鎮守府第五特別陸戦隊(以下佐五特と略記)、呉鎮守府第三、第五特別陸戦隊(以下呉三特、呉五特と略記)から計五一九名を抽出(指揮官遠藤海軍大尉)してガダルカナルへの派遣を部署し、艦隊自体は七日午後二時半ラバウルを出撃した。遠藤部隊のラバウル出港は七日午後九時であった。この部隊には後述する次第で、思いがけぬ不運が待ちかまえていたのである。
第十七軍はポートモレスビー作戦を重視して第八艦隊の要求には応じなかったが、ポートモレスビー攻略のためにも、ガダルカナル基地が米軍の手中に陥ることは不利なので、第八艦隊の出撃に際しては、軍司令官以下が艦隊出陣を見送りがてらに敵輸送船団撃滅の希望を伝えるつもりであったという。ところが、艦隊は出撃準備に忙しく、十七軍の方ではポートモレスビー作戦の図上演習を行なっているうちに、艦隊は出撃してしまったというのである。連絡事務に類することさえ確実には行なわれなかったのだ。
第十七軍は、この時点では、ガダルカナル戦を必ずしも緊急重要とは見ていなかった。ラバウルに位置する十七軍司令部の正面には、敵が占拠している三つの拠点があった。ポートモレスビー(ニューギニア南東岸)、ラビ(ニューギニア東端)、ツラギ(ガダルカナルを合む)の三つである。このうち、十七軍はポートモレスビーを最重要視していた。戦略上果してどれが最も重要といえたのかは多分に疑義のあるところである。オーストラリアからの前進基地としてなら、ポートモレスビーあるいはラビが価値が高かったし、米海軍の前進根拠地としてのサモア、フィジー、ニューカレドニアの延長線として考えれば、ガダルカナルあるいはツラギが重要度が高いといってよい。
十七軍がポートモレスビーを重要視するのは、事実において戦略上最重要であるからというよりも、それが重要だと早くから考えていて、ニューギニアの北岸からオーエン・スタンレー山脈を踏破して南岸のポートモレスビーを陥すという陸路攻略(後述)のために、既に独立工兵第十五連隊長横山大佐を長とする横山先遣隊を七月二十一日北岸のゴナに上陸させ、スタンレー山系へ突進させていたから、この作戦を継続拡大したがったのである。
ガダルカナル戦の実相は東部ニューギニア作戦と切り離して独立に考えることは出来ない。陸軍はガダルカナルが決戦的死闘の様相をおびるようになるまでポートモレスビー重点主義の思考を変えず、|徒《いたず》らに二正面で中途半端な兵力の逐次投入を行ない、二正面とも惨澹たる失敗を重ねることになるのである。