陸兵派遣に関する海軍の要請に基づいて一木支隊のガダルカナル投入が決定されたのは八月九日である。七日以来八日九日と大本営陸海軍部の連絡研究は連日行なわれ、ソロモン方面に指向する陸軍兵力は一木支隊の外に歩兵第四十一連隊か、または歩兵第三十五旅団が予定された。八日の段階では、四十一連隊にするか、第三十五旅団にするか未定であったが、事実経過の示す通り、後には三十五旅団がガダルカナルに投入されることになる。
大本営はガダルカナル作戦が孕んでいる問題の深刻さを予見する能力に欠けていたから、ガダルカナルヘ陸兵を派遣するのと同時並行的にポートモレスビー作戦を既定計画通りに遂行することに、何のためらいも覚えなかった。したがって、十日の航空偵察でガダルカナルに敵艦隊がいなくなったとわかると、その虚に乗じて反撃奪回の手を打つのではなくて、ソロモン方面航空攻撃のためにラエ(ニューギニア)からラバウルに移動させていた戦闘機隊をまたラエに復帰させ、先に横山先遣隊をニューギニアのオーエン・スタンレー山系へ突入させている南海支隊のブナ上陸を強行するように陸海で申合せた。
乏しい兵力機材で敢えて二正面作戦をやろうというのである。
もっとも、九日までの情報を検討した結果、ガダルカナルに来攻上陸した敵兵力は一個師団位あるかもしれぬと判断されるようになり、陸軍中央にも一木支隊程度の小兵力投入に危惧の念を抱く意見を生じた(たとえば陸軍省西浦軍事課長)が、統帥部一般には敵の戦意と戦力を下算する傾向が強くて、臆病と思われるのが厭なのか、慎重な再検討は行なわれなかった。
陸兵派遣を要請した連合艦隊でも、投入兵力の過少に対する不安があったが、陸軍部からの説明では一木支隊は精兵揃いであるから心配はないということであった。
ガダルカナル揚陸敵兵約一個師団という判断がほぼ形成されていて、そこへ約二〇〇〇の一木支隊を投入して心配はないという根拠が「精兵揃い」ということで、なんらかの答えになり得ているのか。敵の海兵師団が「精兵」でないという証拠を大本営は持ってはいなかったのである。
七日・八日・九日の二十五航戦の誇大戦果報告と九日未明(八日深夜)の第八艦隊の奇蹟的戦果は、喜ぶべき戦果にはそぐわない現象を生じた。大本営では、戦果報告に惑わされたこともあって、米艦隊がガダルカナル近海から姿を消したことを、敵が海空にわたる痛打を蒙って敗退したのではないか、という希望的判断を下したことである。
八月十日以降三日間の飛行機、潜水艦、駆逐艦による偵察の結果を綜合すると、大本営の希望的観測も正当であるかのようにみえる。つまり、ガダルカナル海域に敵艦船は影もなく、敵飛行機も後方基地から飛来するB17の日施哨戒が視認されるだけであって、日本軍艦船の行動は安全である。敵上陸部隊の兵力は不明だが、ツラギとガダルカナルのルンガ岬以外には進出していない。
日本艦船の行動が安全な期間こそ、日本は大兵を使用して一挙に奪回し、補給確保の途を図るべきであったが、楽観が先行して実効ある行動は伴わなかった。
八月十二日に二十五航戦が陸攻三機で行なった爆撃兼偵察に同乗した第八根拠地隊(ラバウル)の先任参謀は、次のような趣旨の報告をした。
ガダルカナル飛行場付近には若干の敵兵があるが、その動作は萎縮していて元気がない。海岸付近の舟艇は盛んに運航しているが、敵の主力は既に撤退したか、撤退しようとしているかに見える。残存敵兵や舟艇は取り残されたもののようである、というのであった。
敵が何故萎縮して見えたかについては、亀井宏『望郷の島』(雑誌『丸』連載)に、右の偵察を行なった元参謀に同書の著者が照会したことに対する回答が記載されている。私信なので引用は避けなければならないが、大略次のようなことであったらしい。
ガダルカナルの見張所員宛ての報告球を投下するためにきわめて低空飛行をしたが、高射砲の砲撃を受けるでもなく、敵機が飛び立って来るでもなく、往来している舟艇からも何の反撃も受けなかったからである、と。
大輸送船団が揚陸未済のまま九日午後には撤退したから、このころガダルカナルの上陸米軍がある程度の耐乏を強いられていたことは事実だが、せっかく上陸した主力が撤退したりしたのではなかった。米軍状況の一例をあげると、八月十二日ゴームレー中将は、利用出来る限りの輸送駆逐艦(古くなった駆逐艦を改装して高速輸送船に仕立てた船)に航空ガソリン、潤滑油、爆弾、爆薬、地上整備員を乗せて、エスピリサント(ガダルカナルの南東、経度にして約七度、南緯にして約五度離れている)からガダルカナルに運ぶよう第六三特別編成部隊指揮官マッケーン少将に命じている。この輸送艦隊は昼間は日本航空機の攻撃を避けるために、適時エスピリサントを出発して夜になってガダルカナルに着き、翌早朝ガダルカナルを出発し、第六三隊の飛行機が掩護に当った。(米公刊戦史『ガダルカナル作戦』──ジョン・ミラー)。
米軍も作戦初期の暫くの間、のちに日本側が「鼠輸送」または「東京急行」と呼ばれるようになった駆逐艦輸送を行なわねばならなかったのと同じように、駆逐艦輸送を行なっていたのである。
先の偵察報告は第八艦隊と十一航艦を経由して連合艦隊にも大本営にも報告された。根拠地隊の先任参謀自身が行なった飛行偵察であるから、それなりの重みをもって評価されるのは当然であった。
右の報告は、十三日に永野軍令部総長が行なった次のような上奏の要旨にそっくり移植されている。
ガダルカナルに上陸した敵はその兵力未詳であるが、行動は活溌でない。七日八日我方の攻撃によって受けた甚大な損害と、十日には既に全艦船が引揚げている状況に|鑑《かんが》み、陸上残存兵力の戦力は大きくないものと判断している、というのである。
同じ十三日、杉山参謀総長は前日陸海軍で協定した作戦要領を上奏した。
「(前段略)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
一 ポートモレスビー作戦ハ既定計画ニ基キマシテ速ニ之ヲ遂行致シマス
二 ソロモン群島方面ニ対シマシテハ速ニ出発シ得ル第十七軍ノ一部ヲシテ海軍ト協同致シガダルカナル島所在ノ敵ヲ撃滅シテ同島ノ要地特ニ飛行場ヲ奪回致シ又努メテ速ニツラギヲ攻略奪回致シマス
三 (前段略)
ソロモン群島要地奪回ノ為ニ使用スル陸軍兵力ハ一ツニ敵情ニ依リマシテ第十七軍司令長官カ決定スルコトトナルノテ御座イマスカ一応考慮セラレマス部隊ハ一木支隊(歩兵一大隊強基幹)、歩兵第三十五旅団(歩兵三大隊)、青葉支隊(歩兵三大隊基幹)等テ御座イマス、然シテ一木支隊ハ既ニ昨夕トラックニ到着致シテ居リマスノテ若シ残存シテ居ル敵力微弱テアリマシテ一木支隊ト海軍陸戦隊ノミテ奪回ヲ企図シ得ル様ナ状況テアリマスレハ十五日頃ニハトラックヲ出発シ二十二、三日頃ガダルカナル島ニ上陸シ得ル様ニナルト存シマス、然シ若シ有力ナル敵カソロモン群島ヲ確保シテ居ル場合ニハ歩兵第三十五旅団ヲモ使用スルヲ要シマスル関係上作戦開始ハ二十五日頃トナリガダルカナル上陸ハ今月末又ハ来月初メニナルカト存シマス(以下略)」
[#ここで字下げ終わり]
これでソロモン諸島奪回作戦は陸海軍協同の方針として上奏裁可され、確定したのである。
右の陸海両総長の上奏に既に窺えることだが、情況把握が甘くて、敵の戦力を下算しており、用兵が緩慢である。簡略化すれば、こうである。敵は既に敗退して、残存兵力は微弱であると思われる。だから一木支隊と海軍陸戦隊だけで奪回出来るだろう。もし有力な敵がいれば、歩三十五旅団(のちの川口支隊)をさし向けよう、というのである。兵力の逐次投入はしてはならないという兵法禁忌は、最初から犯されている。つまり、敵を知らず、己れを知らず、大敵を無謀にも侮っていたのである。
大本営はガダルカナル作戦が孕んでいる問題の深刻さを予見する能力に欠けていたから、ガダルカナルヘ陸兵を派遣するのと同時並行的にポートモレスビー作戦を既定計画通りに遂行することに、何のためらいも覚えなかった。したがって、十日の航空偵察でガダルカナルに敵艦隊がいなくなったとわかると、その虚に乗じて反撃奪回の手を打つのではなくて、ソロモン方面航空攻撃のためにラエ(ニューギニア)からラバウルに移動させていた戦闘機隊をまたラエに復帰させ、先に横山先遣隊をニューギニアのオーエン・スタンレー山系へ突入させている南海支隊のブナ上陸を強行するように陸海で申合せた。
乏しい兵力機材で敢えて二正面作戦をやろうというのである。
もっとも、九日までの情報を検討した結果、ガダルカナルに来攻上陸した敵兵力は一個師団位あるかもしれぬと判断されるようになり、陸軍中央にも一木支隊程度の小兵力投入に危惧の念を抱く意見を生じた(たとえば陸軍省西浦軍事課長)が、統帥部一般には敵の戦意と戦力を下算する傾向が強くて、臆病と思われるのが厭なのか、慎重な再検討は行なわれなかった。
陸兵派遣を要請した連合艦隊でも、投入兵力の過少に対する不安があったが、陸軍部からの説明では一木支隊は精兵揃いであるから心配はないということであった。
ガダルカナル揚陸敵兵約一個師団という判断がほぼ形成されていて、そこへ約二〇〇〇の一木支隊を投入して心配はないという根拠が「精兵揃い」ということで、なんらかの答えになり得ているのか。敵の海兵師団が「精兵」でないという証拠を大本営は持ってはいなかったのである。
七日・八日・九日の二十五航戦の誇大戦果報告と九日未明(八日深夜)の第八艦隊の奇蹟的戦果は、喜ぶべき戦果にはそぐわない現象を生じた。大本営では、戦果報告に惑わされたこともあって、米艦隊がガダルカナル近海から姿を消したことを、敵が海空にわたる痛打を蒙って敗退したのではないか、という希望的判断を下したことである。
八月十日以降三日間の飛行機、潜水艦、駆逐艦による偵察の結果を綜合すると、大本営の希望的観測も正当であるかのようにみえる。つまり、ガダルカナル海域に敵艦船は影もなく、敵飛行機も後方基地から飛来するB17の日施哨戒が視認されるだけであって、日本軍艦船の行動は安全である。敵上陸部隊の兵力は不明だが、ツラギとガダルカナルのルンガ岬以外には進出していない。
日本艦船の行動が安全な期間こそ、日本は大兵を使用して一挙に奪回し、補給確保の途を図るべきであったが、楽観が先行して実効ある行動は伴わなかった。
八月十二日に二十五航戦が陸攻三機で行なった爆撃兼偵察に同乗した第八根拠地隊(ラバウル)の先任参謀は、次のような趣旨の報告をした。
ガダルカナル飛行場付近には若干の敵兵があるが、その動作は萎縮していて元気がない。海岸付近の舟艇は盛んに運航しているが、敵の主力は既に撤退したか、撤退しようとしているかに見える。残存敵兵や舟艇は取り残されたもののようである、というのであった。
敵が何故萎縮して見えたかについては、亀井宏『望郷の島』(雑誌『丸』連載)に、右の偵察を行なった元参謀に同書の著者が照会したことに対する回答が記載されている。私信なので引用は避けなければならないが、大略次のようなことであったらしい。
ガダルカナルの見張所員宛ての報告球を投下するためにきわめて低空飛行をしたが、高射砲の砲撃を受けるでもなく、敵機が飛び立って来るでもなく、往来している舟艇からも何の反撃も受けなかったからである、と。
大輸送船団が揚陸未済のまま九日午後には撤退したから、このころガダルカナルの上陸米軍がある程度の耐乏を強いられていたことは事実だが、せっかく上陸した主力が撤退したりしたのではなかった。米軍状況の一例をあげると、八月十二日ゴームレー中将は、利用出来る限りの輸送駆逐艦(古くなった駆逐艦を改装して高速輸送船に仕立てた船)に航空ガソリン、潤滑油、爆弾、爆薬、地上整備員を乗せて、エスピリサント(ガダルカナルの南東、経度にして約七度、南緯にして約五度離れている)からガダルカナルに運ぶよう第六三特別編成部隊指揮官マッケーン少将に命じている。この輸送艦隊は昼間は日本航空機の攻撃を避けるために、適時エスピリサントを出発して夜になってガダルカナルに着き、翌早朝ガダルカナルを出発し、第六三隊の飛行機が掩護に当った。(米公刊戦史『ガダルカナル作戦』──ジョン・ミラー)。
米軍も作戦初期の暫くの間、のちに日本側が「鼠輸送」または「東京急行」と呼ばれるようになった駆逐艦輸送を行なわねばならなかったのと同じように、駆逐艦輸送を行なっていたのである。
先の偵察報告は第八艦隊と十一航艦を経由して連合艦隊にも大本営にも報告された。根拠地隊の先任参謀自身が行なった飛行偵察であるから、それなりの重みをもって評価されるのは当然であった。
右の報告は、十三日に永野軍令部総長が行なった次のような上奏の要旨にそっくり移植されている。
ガダルカナルに上陸した敵はその兵力未詳であるが、行動は活溌でない。七日八日我方の攻撃によって受けた甚大な損害と、十日には既に全艦船が引揚げている状況に|鑑《かんが》み、陸上残存兵力の戦力は大きくないものと判断している、というのである。
同じ十三日、杉山参謀総長は前日陸海軍で協定した作戦要領を上奏した。
「(前段略)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
一 ポートモレスビー作戦ハ既定計画ニ基キマシテ速ニ之ヲ遂行致シマス
二 ソロモン群島方面ニ対シマシテハ速ニ出発シ得ル第十七軍ノ一部ヲシテ海軍ト協同致シガダルカナル島所在ノ敵ヲ撃滅シテ同島ノ要地特ニ飛行場ヲ奪回致シ又努メテ速ニツラギヲ攻略奪回致シマス
三 (前段略)
ソロモン群島要地奪回ノ為ニ使用スル陸軍兵力ハ一ツニ敵情ニ依リマシテ第十七軍司令長官カ決定スルコトトナルノテ御座イマスカ一応考慮セラレマス部隊ハ一木支隊(歩兵一大隊強基幹)、歩兵第三十五旅団(歩兵三大隊)、青葉支隊(歩兵三大隊基幹)等テ御座イマス、然シテ一木支隊ハ既ニ昨夕トラックニ到着致シテ居リマスノテ若シ残存シテ居ル敵力微弱テアリマシテ一木支隊ト海軍陸戦隊ノミテ奪回ヲ企図シ得ル様ナ状況テアリマスレハ十五日頃ニハトラックヲ出発シ二十二、三日頃ガダルカナル島ニ上陸シ得ル様ニナルト存シマス、然シ若シ有力ナル敵カソロモン群島ヲ確保シテ居ル場合ニハ歩兵第三十五旅団ヲモ使用スルヲ要シマスル関係上作戦開始ハ二十五日頃トナリガダルカナル上陸ハ今月末又ハ来月初メニナルカト存シマス(以下略)」
[#ここで字下げ終わり]
これでソロモン諸島奪回作戦は陸海軍協同の方針として上奏裁可され、確定したのである。
右の陸海両総長の上奏に既に窺えることだが、情況把握が甘くて、敵の戦力を下算しており、用兵が緩慢である。簡略化すれば、こうである。敵は既に敗退して、残存兵力は微弱であると思われる。だから一木支隊と海軍陸戦隊だけで奪回出来るだろう。もし有力な敵がいれば、歩三十五旅団(のちの川口支隊)をさし向けよう、というのである。兵力の逐次投入はしてはならないという兵法禁忌は、最初から犯されている。つまり、敵を知らず、己れを知らず、大敵を無謀にも侮っていたのである。