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ガダルカナル19

时间: 2020-07-30    进入日语论坛
核心提示:19 駆逐艦による輸送の失敗は二つの問題を誘発した。一つは、十七軍司令部にほんの一時的にもせよガダルカナル放棄論が生じたこ
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 駆逐艦による輸送の失敗は二つの問題を誘発した。一つは、十七軍司令部にほんの一時的にもせよガダルカナル放棄論が生じたこと、もう一つは、川口支隊長が舟艇機動説を固執したことである。
第十七軍司令部にとっては、駆逐艦輸送の失敗は衝撃であった。船団輸送では成功の見込みがないから、ほとんど唯一の手段と信じて行なったのが駆逐艦輸送なのである。それが失敗したとあっては、兵力輸送の方法がなくなり、ガダルカナル奪回作戦は成り立たない。引きつづいて補給問題も起こってくる。だから、いっそのこと、ガダルカナルを放棄して、一木支隊の生存者を撤収し、十七軍としてはポートモレスビー攻略に専念する方が賢明ではないかという、これは主として百武軍司令官の意見であった。
これに対して、参謀の一人は、先の駆逐艦輸送の失敗は、昼間過早に敵航空攻撃圏内に入ったのと、味方空母の協力がなかったからである、海軍も今後は空母をもって掩護すると言明しているから、駆逐艦輸送は有望である、という説であった。
海軍が空母をもって掩護すると言明したという事実は、資料の上では見当らない。
ただ、席上、第八艦隊参謀がこう言っている。次もまた不成功ならば、作戦を考え直さなければならない。海軍としてはブーゲンビル島南端に飛行場を設置して輸送掩護に協力する。それまでは、一木支隊先遣隊に補給だけをつづけることにする、と。
軍司令官がガダルカナルからの撤収を|諮《はか》ると、先の参謀は、海軍を残して一木支隊だけを引揚げるわけにはゆかない、放棄を十七軍から言い出すようなことは出来ない、と述べ、また別の参謀は、今度の輸送(八月二十九日)も不成功に終ったり、ブーゲンビル島の飛行場設置に長日月を要するようなら、撤収するか否かを、そのときに考えてはどうか、という意見であった。
結局、後述するように、八月二十九日の駆逐艦輸送は成功したので、問題の本質はなんら解決したわけでもないのに、放棄論は沙汰やみとなった。事実は、輸送問題はこの後深刻となるばかりであったが、放棄論のような弱気と見える説を主張しつづける軍人は、ほんとうはそれが賢明な策であるかもしれないとしても、ほとんどいないのである。
次は川口支隊長の舟艇機動問題である。
川口支隊長乗船の佐渡丸はラバウルから八月二十九日午前十時ごろショートランドに到着したが、その途中、七時ごろ、既述の第二十駆逐隊によって輸送された川口支隊第二大隊の被害を知った川口支隊長は、午前九時、十七軍司令部に意見具申を打電した。
状況ニ鑑ミ駆逐艦ニヨル上陸ヲ中止シ 夜間舟艇機動ニヨリ「ギゾ」(ソロモン諸島南西側列島のベララベラ島とコロンバンガラ島との中間の小島。ガダルカナル島エスペランス岬まで直線距離で約三二〇キロ──引用者)ヨリ列島ヲ躍進シツツ「ガ」島西北端附近ニ上陸ヲ敢行スルヲ有利ト認ム
右敢ヘテ意見ヲ具申ス
これが川口少将の舟艇機動説再燃のはじまりだが、既にラバウルで第十一駆逐隊に移乗していた川口支隊第一大隊主力(四五〇名)は、二十九日午前十時ショートランドを出発、ガダルカナルに向った。前夜敵機に発見されないのに反転した第二十四駆逐隊(一木支隊第二梯団の一部三〇〇名と速射砲四門)も、故障の駆逐艦磯風を除いて、第十一駆逐隊と行動を共にした(先任の第二十四駆逐隊司令指揮)。一木支隊第二梯団残部を乗せた哨戒艇四隻も午前二時ごろショートランドを出港したが、これは速度が遅いので、上陸は一日遅れの三十日夜の予定であった。
第十一駆逐隊と第二十四駆逐隊は、同二十九日午後十時三十分、タイボ岬に無事上陸した。(前記のガダルカナル放棄論はこれで沙汰やみとなったのである。)
タイボ岬から西方八キロあたりまで、一木支隊第一梯団の生き残りが確保しており、折畳舟三五隻が役に立ったという。
同じ二十九日午後一時三十分、ガダルカナル守備隊長は、米軍のルンガ泊地への増援を報告したので、第八艦隊司令部は第二十四駆逐隊司令に対して泊地攻撃を命令したが、第二十四駆逐隊司令は敵機の在空を理由として、攻撃を行なわず、陸兵揚陸後速かに撤退してしまった。前夜の反転といい、この夜の撤退といい、第二十四駆逐隊司令の行動は、上級司令部の怒りを買わずには済まなかった。
 先の川口支隊長の舟艇機動意見具申を百武十七軍司令官は容認しなかったが、軍司令官側に峻厳さに欠けるところがあってか、川口支隊長は自説を固持した。
八月三十日は支隊長以下主力が上陸する予定日であったが、支隊長は艦艇輸送の準備に応じなかった。
三十日早朝、佐渡丸乗船中の川口支隊長は、前夜の艦艇輸送による上陸が成功したことを知っても、なお舟艇機動を固執して、十七軍司令部に次のように意見具申した。
舟艇機動ノ不利ナルハ「タイボ」岬附近ニ上陸シ得サルニアリ(舟艇機動は走航距離を短くする必要からガダルカナル西端部に上陸することになり、タイボ岬のように島の中央以東では距離が遠くなり過ぎる。──引用者)然ルニ国生部隊(第一大隊。二十九日艦艇輸送──引用者)ハ同地ニ上陸成功セルヲ以テ益々舟艇機動ノ必要度を増加セルモノト認ム
右の意見具申には説得力が乏しいように思われる。どうして舟艇機動の必要度が増加するのか。
同三十日、二十八日に大打撃を蒙った第二十駆逐隊がショートランドに辿りついた。部下の被害を出した第二大隊長鷹松少佐と、同行した大曾根支隊参謀から遭難状況を聞いた川口少将は、いよいよ自説を固持した。
重ねて十七軍司令部へ次のように強硬な意見具申をしたのである。
舟艇機動ニ関シテハ|田中海軍少将《ヽヽヽヽヽヽ》(二水戦司令官──引用者)|モ全然同意ナリ《ヽヽヽヽヽヽヽ》、艦艇ヲ以テスル上陸ハ途中徒ラニ貴重ナル艦ヲ失ヒ 忠良ナル部下ヲ犠牲ニシ 且大小発ナキ為上陸困難ナリ 小官「ボルネオ」ニテ五〇〇浬舟艇機動ノ経験ニ鑑ミ成功ヲ確信シアリ 実戦ハ第一線部隊長ノ意見ヲ尊重スルコト勝利ノ一因ナラスヤ 厳ニ再考ヲ要望ス
本電ニ対スル確答アル迄 支隊ハ軍ノ正式命令アル迄現在地ヲ動カス 一九四五(傍点引用者)
傍点部分の田中海軍少将云々は、二十九日、第八艦隊、十一航艦各参謀長宛ての増援部隊指揮官としての次の電文に表われている。
川口支隊長ヨリ十七軍ニ意見具申ノアリシ通駆逐隊又ハ哨戒艇ヲ以テスル同一地点ニ対スル連続的揚陸ハ敵ノ陥穽ニ陥ルノ算尠カラサルヲ以テ「ギゾ」附近迄海軍艦艇運送船ニ依リ輸送、爾後ハ舟艇機動ヲ以テスル奇襲作戦ヲ実施スルヲ可ト認ム 一九〇五
少し横路にそれる嫌いがあるが、田中海軍少将の川口支隊長への同調も一つの理由となって、田中二水戦司令官は増援部隊指揮官を橋本三水戦司令官と更迭させられるので、その経緯を略記しておく。
二十八、九の両日、ショートランド泊地はB17によって偵察され、二十八日夜、伊十五潜はサンクリストバル島南東一二〇浬に敵機動部隊を発見、二十九日午前二時三十分には、伊百二十一潜がマライタ島東方一一〇浬に機動部隊発見を報じた。
ショートランドには艦艇と輸送船が集中している折りでもあり、田中増援部隊指揮官は敵機動部隊のショートランド襲撃を懸念して、二十九日午前十一時二十分、第八艦隊及び十一航艦参謀長宛てに、増援輸送基地をショートランドからラバウルヘ移動するよう次の要望を打電した。
彼我機動部隊ノ位置並ニ敵機連日の偵察ニ鑑ミ「ショートランド」泊地ハ被空襲ノ虞極メテ大ニシテ重巡輸送船ノ在泊ハ適当ナラズ、多少遠距離ナルモ「ラバウル」方面ニ移動セシムルヲ可ト認ム(戦史室『南東方面海軍作戦』(2))
この要望にせよ、川口支隊長の舟艇機動案への同調にせよ、ガダルカナルヘの急速増援を企図している第八艦隊司令部の意図とは相反するものであった。この他にも、田中少将は、弱気と見られる慎重な意見具申を幾度か行なっていたらしい。田中二水戦司令官は、二十九日夜の外南洋部隊電令によって増援部隊の指揮を解かれた。
舟艇機動を固執する川口支隊長は、三十日午前十時ショートランド出港予定の駆逐艦移乗を拒否した。上級司令部の態度が鮮明と峻厳を欠くから、無駄な時間を費やすのである。二水戦司令官(橋本三水戦司令官到着まで増援部隊の指揮官)は川口支隊が乗艦しないので、予定の陽炎と天霧は取り止め、一木支隊の残部を乗せた夕立だけを出港させた。
この夕立と、前日同じく一木支隊の残部を乗せて出撃した四隻の哨戒艇は、三十日夜、無事タイボ岬の上陸に成功した。
 十七軍司令部では川口支隊長の態度を決して快くは思わなかったが、第一線指揮官の意見であることと、現地海軍指揮官も同意している点を考慮して、軍司令官名で「艦艇と併用する一部兵力ならば(舟艇機動も)可なり」と、条件つきで認可した。
川口支隊長は、しかし、まだ釈然としなかった。軍参謀長宛てに再び電報したのである。
舟艇機動ヲ本職ニ一任セラレタルヤ 又艦艇ニヨリ上陸スヘキヤ 陸海軍約束ニ矛盾アリ 軍司令官ノ正式命令到着迄支隊ノ動カサルコト前電ノ如シ
先の条件つきの内容が明確でないから、こじれるのである。
やむなく、十七軍司令部と第八艦隊司令部は川口支隊の舟艇機動に関する覚書を協定して、それぞれ川口支隊長と田中二水戦司令官に指令した。
その内容は、
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一、本舟艇機動作戦ハ艦艇ニヨル上陸作戦ノ補助トス
二、上陸点ハタイボ岬附近トシ、止ムヲ得サレハ「ガ」島西北端附近トス
三、|兵力ハ最少限トシ《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》為シ得ル限リ多クノ弾薬糧秣ヲ携行スルモノトス
四、使用舟艇ハ将来哨戒艇ニ積載スヘキ大発一二隻ヲ除ク陸軍舟艇トス(傍点引用者)
[#ここで字下げ終わり]
傍点部分の「兵力ハ最少限トシ」というあいまいな表現が命令として示達されたりするから、後述するように無用の|齟齬《そご》を来したりするのである。
右の命令を川口支隊長が受領したのは、三十日午後二時三十分であった。支隊長は、ようやく行動を開始した。
十七軍司令部では、舟艇機動の「兵力ハ最少限トシ」て、歩兵一個中隊、機関銃若干程度とするように高級参謀が手紙に書いて、船舶工兵第一連隊長脇谷中佐に托して川口支隊長に伝えさせたが、川口支隊長は歩兵第百二十四連隊長岡明之助大佐の指揮する一個大隊基幹一〇〇〇名に及ぶ兵力に舟艇機動を実施させたのである。
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