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ガダルカナル26

时间: 2020-07-30    进入日语论坛
核心提示:26 川口支隊長の十三日夜襲再興の命令は、遠く離れている砲兵隊や右翼隊(熊大隊)と左翼隊 (岡部隊=舞鶴大隊)には電信で伝
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26
 川口支隊長の十三日夜襲再興の命令は、遠く離れている砲兵隊や右翼隊(熊大隊)と左翼隊 (岡部隊=舞鶴大隊)には電信で伝えられ、中央隊には各隊命令受領者を集めて口達筆記によって与えられた。
左翼隊長の岡大佐は、夜襲を十四日夜に延期するように意見具申をした。理由は、舟艇機動部隊の残部と青葉支隊の第三大隊(長・佐々木少佐)が十三日夕刻マタニカウ川河口に到着する予定であったから、夜襲にはこの部隊をも加えて、準備を周到にととのえたいということである。理由としてはもっともなことであったが、支隊長は採用しなかった。周到な準備をしたくても、支隊主力が携行した食糧が十三、四日で尽きてしまうし、タイボ方面に残置した食糧は、上陸した米軍に押えられてしまったから、夜襲を急ぐ必要があったものと考えられる。
夜襲は決行された。
はじめに、川口手記はこう綴られている。
「十三日夜の各隊の夜襲は命令の通り決行されたらしい。けれども報告は仲々出来ない。青い火、赤い火の曳光弾は煙火の様にキレイである、盛んに来る。|我が砲兵は実弾が尽きたのか一向射撃しない《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。昨夜は支隊司令部が歩き廻って指揮が少しもとれなかった。今夜は樹のない一寸した高地の反対斜面に司令部を進めた、初めに来る報告はドレもコレも悲観的報告ばかりである。
『大隊長戦死部隊全滅』『大隊長行方不明』等々である。」(傍点引用者)
傍点部分の「砲兵は実弾が尽きたのか一向射撃しない」というのは、揚陸した砲弾の数量も少なかったから前夜で撃ちつくしていたかもしれないが、この場合は、実弾の有無よりも、命令が次のようになっていたからである。
[#1字下げ]「四、砲兵隊ハ明十四日払暁以後中川陣地及敵機戦車ニ対シ射撃スル場合ヲ考慮シ逐次陣地ヲ西南方ニ移動スヘシ
|夜襲ニ際シテハ射撃ヲ行ハス《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》」(傍点引用者)
川口少将は手記を誌した時点では、自分が出した命令の細目を忘れていたらしい。
以下、各部隊の夜襲状況を概観してみる。
 右翼隊(旧一木支隊)は敵情と自隊の進路をほぼ把握して、十三日午後五時、中川上流約八キロの地点を縦隊で出発した。
午後八時ごろ、中川左岸の草原地帯に出ようとしたとき、右前方約一〇〇メートルの近距離から軽機による射撃を受けた。
そのとき既に草原に進出していたのは大隊本部と第一中隊指揮班だけであったが、それだけの兵力で直ちに突入して敵火線を撃退した。
水野大隊長は進出の遅れている重火器部隊に追及を命じ、みずから第一、第二中隊を率いて海岸線ヘ一挙に進出しようとしたが、今度は左方森林内から射撃を受け、間もなく鉄条網をもって防護した陣地に衝突し、攻撃は頓挫、大隊長水野少佐は戦死した。
指揮官を失って、右翼隊は攻撃続行の気力を失ったようである。
 第一大隊(中央隊左第一線攻撃部隊。長・国生少佐)は、十三日午後三時、攻撃準備位置を出発。前日の経験があるのでジャングル内の行進にさほど難渋しなかったらしく、予定の午後八時より早く夜襲を開始した。
第一大隊に指示されている突進目標は飛行場北西の三五高地であるが、第一次夜襲のくだりで記したように、目標に達する以前に、ムカデ高地西側に鉄条網を施した二条の陣地があって、これを突破しなければならなかった。
国生大隊長は白刃を振るって陣頭に立ち、敵陣地の第一線を抜いたが、第二線は突破出来なかった。米軍火力の烈しさは、川口支隊長以下の想像を絶していたのである。日本軍得意の夜襲白兵も濃密な火網には通用しなかった。
大隊長以下多数の戦死者が出て、戦力激減した。
やがて天明を迎え、砲爆撃は激しさを加え、せっかく抜いた陣地も保持出来なくなり、撤退を余儀なくされた。
米側資料によると、第一大隊の攻撃によって、米軍挺進大隊の二個中隊が後退し、師団予備の一個大隊が午前二時ごろ投入されたという。(F・O・HOUGH前掲書)
第二線攻撃部隊である青葉大隊(田村大隊)は、午後四時、第一線左右両大隊(第一、第三大隊)の中央後方にあたる攻撃準備位置につき、薄暮を利してさらに間合をつめた。
突入時刻の午後八時になると、敵の砲火は第一線両大隊の位置に集中し、次第に青葉大隊の位置にまで弾着が延伸してきた。
大隊長田村少佐は支隊長の命令を待たず、独自の判断において第一線中隊(第五、第七中隊)に攻撃前進を命じた。
左第一線の第五中隊は第一線陣地を突破して、果敢に第二線陣地に肉薄、突撃を敢行して第二線陣地(ムカデ高地陣地線)をも奪取したが、小隊長以下損害が多く、突進が鈍った。中隊長は第一線小隊の残兵を集め、予備隊(一個小隊)を加えて突進を続行させたが、中隊長が倒れたため第五中隊の突進は頓挫した。
右第一線の第七中隊も第五中隊と前後して敵陣に突入、ムカデ高地を越えてその北東側地域に進出したが、天明を迎えるに及んで前進困難に陥った。
田村大隊長は第一線両中隊の攻撃停頓を知ると、予備隊の第六中隊に攻撃前進を命じた。
第六中隊は第五中隊を超越して敵陣に近迫した。そのころ戦線は既に全く混乱していて、日本軍の後方で米軍が電話連絡をとっている声が聞えるほどであったという。
第六中隊では、中隊長が負傷し、兵力の半数が損害を受けたが、中隊長は残兵を掌握して突入を続行、ムカデ高地を越え、天明ごろ、飛行場南東地区に進出した。その付近に敵の幕舎群があり、米側戦史によれば、それは第一海兵師団司令部と工兵部隊の宿営地であった。
第六中隊はそこを蹂躪突破しようとしたが、敵の防禦火力は激烈をきわめ、遂に突進を阻止された。
当時の新聞に、握り飯がもう二つあれば夜襲は成功していたであろうという趣旨の記事が出ている。つまり、飲まず食わずで力尽きたわけだが、敵の心臓部にまで達しかけて、僅かに届かなかったのは事実なのであろう。
この夜、米軍はこの戦闘で一夜に一九九二発の十糎砲弾を射ち、しかも一六〇〇ヤードの至近距離射撃を行なったという。(戦史室前掲『陸軍作戦』)
田村大隊長は天明となっても攻撃を続行しようとしたが、敵の熾烈な砲火の下、部下中隊の掌握は困難をきわめた。
支隊長の攻撃中止の命令が伝わったのは、十四日昼過ぎのことである。敵中各地に分散した残兵が集結地へ戦場を離脱するには二日を要した。
川口支隊長は次のように手記に書いている。
「最も花々しく戦ったのは、田村大隊である。(中略)十三日夜田村大隊は白兵攻撃、敵線を突破し、飛行場を乗り越えて敵キャンプのある処迄進出し、天幕内にあった敵の糧食や水迄ソックリ頂戴したというのである。田村大隊は孤立し敵の反撃を撃退した。しかし不死身ではないので死傷続出し、十四日夜、退却して来たのである。」
のちに大本営派遣参謀として十七軍に赴き、ガダルカナルヘ行く参謀辻政信は、こう書いている。
「勇敢な田村大隊も遂に食を絶たれ、水を絶たれて、後援続かず、怨みを呑んで引上げねばならなかった。川口少将が自ら陣頭に立ち、田村大隊の戦果を、夜襲で拡大したら、或は|一縷《いちる》の望みがあったかも知れぬ。」(辻政信『ガダルカナル』)
これに対して川口手記はこう答えている。
「遺憾ながら田村大隊のこの情況は大隊が帰ってから後、始めて聞いたことである。仮りに適時に聞いて居たとしても前記の様に、私は一兵の予備隊も持っていなかったのである。」
田村大隊に関しては次のような記述もある。
「田村少佐は……『支隊全部が一緒に固まって夜襲していたら、きっととれたのになァ』とも言っている。この�全部�という意味は、渡辺大隊の|蹉跌《さてつ》(第三大隊──後述)などを言うのではなく、オーステン山の占領に奮闘した岡部隊主力(左翼隊──後述)と、たぶん、カミンボ付近へ上陸した青葉支隊の他の一個大隊をも、含んでいるのだろう。」(越智春海『ガダルカナル』)
暗夜のジャングルという悪条件があったにしても、その中を行進し、接敵し、入念な偵察を行なうに足るだけの十分な時間を見込み、その難作業を持続するに足るだけの食糧の準備をもって、一斉に夜襲を行なえば、全く異った結果を生じたであろう。
最初に用兵規模の測定を誤り、つづいて緩慢な兵力の逐次投入を行ない、十分な糧秣弾薬の集積もなく、兵力の集結を待つ暇もなくて攻撃前進に移り、おまけに敵情不明とあっては、成功しない方が当然だったのである。
 左翼隊では、岡大佐が歩兵二個中隊と機関銃一中隊を率いて、九月十三日午後四時十五分、マタニカウ川の線を出発、日本軍がトラと名づけた高地(ルンガ川とマタニカウ川の中間、アウステン山の北東、海岸に近い高地)へ向って前進した。ルンガ下流までまだかなりの距離があるのに出発時刻が遅いのが不審であるし、先に支隊長へ報告したところによれば、日没までに発電所(十三設がルンガ川橋梁付近に施設してあったもの)の南西約一キロの高地端に進出して夜襲を決行することになっていたはずだが、実際の行動がそれとも異っている理由が明らかでない。四時過ぎにマタニカウ川の線を出発して、命令通り飛行場西方の敵に対して夜襲をするのに間に合うはずがないのである。
午後八時十五分、トラ高地南端の草原に進出したころ、東方から銃声砲声がしきりにした。中央隊の夜襲がはじまったのである。
八時四十分、左翼隊長岡大佐は舞鶴大隊(歩兵百二十四連隊第二大隊──舟艇機動部隊)に対して、西川(ルンガ川の西、ククムの東側を流れている川)南東の高射砲陣地の攻撃を命じ、青葉大隊(歩兵第四連隊第三大隊──十一日夜カミンボ上陸)に対しては、海岸道方向から西川付近の敵を攻撃するよう命令した。
舞鶴大隊が前記の草原を出発したのが午後九時三十分であったというから、夜襲予定時刻はとっくに過ぎている。中央隊や右翼隊と東西呼応する気は全くなかったように見える。
同大隊がトラ高地の北端に達したとき、前方から猛射を受けたが、それが既に明け方の三時半ごろであった。
大隊長は第一線中隊に攻撃を命じ、敵陣地の一角にとりついたが、次第に集中砲火を浴び、前進困難に陥り、天明を迎えて左翼隊命令によって後退した。
青葉大隊は一個中隊で西川方向の敵情捜索にあたらせ、主力は海岸道を進んだ。マタニカウ川右岸に進出して前進すると、尖兵が敵と遭遇、交戦した。既に十四日朝、四時三十分ごろであった。
米軍は正面の小川に沿って展開し、海上の舟艇と連繋して挟撃の形で猛射を加え、青葉大隊の前進を阻んだ。
要するに左翼隊の行動は、十三日の夜襲としての組織的な戦闘を成さなかった。この時点までの行動に見る限り、川口支隊長があれほど頑強に主張して実施した舟艇機動は、何の意味も効果ももたらさなかったのである。
 最後は中央隊右第一線攻撃部隊の第三大隊である。本来なら、第一大隊と並んで第一線を形成しているから、既にその部分で述べておくべきであったが、この部隊には特殊な事情が発生したので、あとまわしとした。
川口手記はこう述べている。
「ここに一つ遺憾に堪えぬことがあり、言うに忍びないが、真相を明かにするという主旨から敢てこの恥を記述せねばならぬ。
之は第三大隊のことである。この大隊には飛行場を突き進み、先ず15高地という最も大事な高地を占領せよと命じてあった。然るに十三日昼間の敵大射撃におびえた為か、大隊長は副官其他を連れ、安全な処に隠れて出て来ない。
取り残された大隊は古参中隊長が代理を勤めて大隊を指揮して夜襲すべきであるが、特別志願のB大尉はそれをしなかった。結局全大隊が遂に十三日夜無為に過したのである。一番大事にし、望みをかけて居た有力大隊がこの始末になった。
私は之を知り、|惘然《もうぜん》たると共に無念の涙が流れる。十五日大隊長を呼び、怒り心頭に発し『卑怯者腹を切れ』と怒号した。(以下略)」(川口前掲書)
全然事実無根のことをこうは書けない。しかし、第三大隊長が心臆して「安全な処に隠れて出て来」なかったのかどうかもわからない。この大隊は、前記したように、前夜の夜襲では敵と接触した唯一の部隊であり、夜が明けると(十三日)、猛烈な砲撃を受けて、第九、第十一中隊長を失っている。
第三大隊長は支隊長に呼ばれる前に、支隊の山本高級副官に、この間の事情について手紙を書いている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
「一、昨十三日支隊司令部ヘ赴カントシ果サズ残念ナリ、第一線ニモ復帰シ得ズ、連続ノ砲撃ヲ受ク、連日ノ激動ノタメ小官先年在満中ノ外傷(左脚)再発、昨日頃ヨリ激化遂ニ支隊司令部ニモ行ケズ、第一線ヘモ帰り得ズ、数名ノ大隊本部ノ者ト後方ニアリ。各方面ト連絡中ナリ。暫時休養セバ恢復スルモノト思ハレマス、
二、閣下以下司令部各位ノ御心痛御苦労如何バカリカト思フ」
[#ここで字下げ終わり]
大隊長の行動の詮索は無益と思われる。仮りに第三大隊が夜襲を実施していても、川口支隊長が期待したような成功をおさめ得たとは考えられない。
既に再三にわたって述べたように、十分な準備と十分な敵情把握を行なった上で、各隊全兵力同時一斉に突入するのでなければ、敵の濃密な火力の壁を突破し、本陣を蹂躪する機会は百に一つもなかったであろう。
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