攻撃失敗後の川口支隊の困難をきわめた撤退行動を述べる前に、支隊の攻撃に連繋して大作戦を展開する予定であった連合艦隊の行動にふれてみる。
連合艦隊では、このころ、南東方面に集中し得る敵の海上兵力を、戦艦二、空母約四、巡洋艦約七、駆逐艦約二〇、潜水艦約一〇と見積っていた。
九月六日、連合艦隊は、川口支隊の攻撃開始は九月十二日という予定の下に作戦命令を発した。その命令に基づいて出された「ガ島奪回の総攻撃実施予定行動要領」には、
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
一、第八艦隊基幹の外南洋部隊及び基地航空部隊の大部で陸軍の攻撃に策応し「ガ」島所在の敵攻撃及び敵増援阻止退路遮断を行なう。
二、囮船団(陸軍輸送船〈空船〉十隻駆逐艦二)を十二、十三両日「ガ」島の北方二〇〇浬附近に機宜行動せしめ、敵空母機動部隊に好餌を示し誘出を図り、敵が之にかかる際我機動部隊で撃滅する。
三、前進部隊(第二艦隊──近藤部隊)は之等に応じ、十二日早朝「ガ」島の北方六〇〇浬附近まで進出して索敵、十三日早朝「ガ」島の北東三〇〇浬附近まで南下
四、機動部隊(第三艦隊──南雲部隊)は概ね前進部隊の後方一五〇浬附近を機宜行動(以下略)
[#ここで字下げ終わり]
等のことが示されている。宇垣参謀長によれば「相当練りたる揚句」の行動要領であった。
『要領』によれば、囮船団は十二、三日の両日ガダルカナル北方二〇〇浬を行動し、前進部隊は同じく北方六〇〇浬というから、囮船団と前進部隊の距離は四〇〇浬、我が機動部隊は前進部隊のさらに後方一五〇浬に在るから、囮船団との距離は五五〇浬あることになる。したがって、ほぼラバウル─ガダルカナル間の距離にひとしい。もし、囮船団を敵機動部隊が襲撃した場合、五五〇浬も離れている我機動部隊が囮を利用して敵機動部隊を捕捉し得るという計算的根拠が如何にして成り立つのか、この限りでは判然していない。いつもの通り、機動部隊は虎の子のように温存されているようであった。
それはともかくとして、川口支隊の攻撃に連繋する連合艦隊の作戦思想は、ガダルカナル飛行場の奪回は、川口支隊による地上攻撃と基地航空部隊による航空攻撃によって成功するという前提に立っており、ガダルカナルの奪回直後に当然敵機動部隊が反撃に出て来るものと予想し、これを捕捉撃滅してソロモン付近の制海権を握ろうというのである。
九月七日、十七軍司令部から川口支隊の攻撃は十三日に延期と通報された。これは、既述の通り、川口支隊が行動を開始してみると、部隊の前進も弾薬糧秣の集積も捗らないために、支隊長が当初大事をとった結果である。
翌九月八日、十七軍司令部から、攻撃開始を繰り上げるよう川口支隊に要望中と連絡があり、次いで攻撃開始は十一日の予定という電報が来た。これも既述の経過である。
艦隊は十三日を十一日に繰り上げた。機動部隊は十日午前六時、前進部隊(第二艦隊)は同日午後、トラックを出撃した。
川口支隊長は、前日八日、十七軍司令部に対して攻撃一日繰上げ可能と思わせるような報告をしたが、九日朝には、攻撃を十二日と確定して司令部に報告した。連合艦隊もそれに従って、十一日をまた十二日に改め、各艦隊は予定通り行動を展開した。
外南洋方面部隊は囮船団から所定の距離をとった。基地航空部隊はガダルカナル飛行場に進攻した。三水戦司令官指揮する外南洋方面奇襲隊は巡洋艦一隻、駆逐艦三隻をもって、十二日夜ルンガ泊地に突入、飛行場を砲撃し、駆逐艦一隻は兵器弾薬をカミンボに揚陸した。
川口支隊の攻撃は、しかし、十二日夜には既述の通り行なえなかったのである。陸海軍の協同作戦ははじめから齟齬を来した。
十三日の朝になっても、川口支隊の攻撃の有無成否はわからなかった。
同日午前九時二十分、哨戒機が、ツラギの南東方三四五浬に、空母一、戦艦二、駆逐艦二を報じた。
連合艦隊司令部では、距離が遠いので、十四日朝これを捕捉することとして、機動部隊と前進部隊を一時反転北上させた。
翌朝、予定通り再反転南下したが、敵情を得ず、補給の必要も生じて、また反転北上した。
川口支隊の状況は依然として不明であった。陸海軍の作戦行動は遂に食いちがったまま時間が経過したのである。
十五日早朝、ラバウルの十一航艦司令部から、ようやく、川口支隊の攻撃失敗の通報があった。
連合艦隊は川口支隊のガダルカナル飛行場攻撃を中軸とした大規模な海軍作戦を、ここに中止し、トラックヘ引揚げざるを得なかった。宇垣参謀長の曰う「相当練りたる」作戦も空振りに終ったのである。
ただ、大作戦の幕切れに、みやげのような戦果があった。
十五日午前八時十五分ころ、ソロモン諸島の東方海面を行動中の基地航空部隊の哨戒機が、空母一、水上機母艦一、駆逐艦三を発見し、約一時間後、輸送船九、駆逐艦六をガダルカナルの南東に発見した。
連合艦隊は先遣部隊(潜水艦部隊)に船団攻撃を命じた。船団は十六日にはガダルカナルに入泊するものと考えられた。
第一潜水部隊の伊十九潜は、十時五十分、ワスプ型空母を発見し、攻撃の機を窺った。魚雷四本の命中音を聞いたのは、約一時間後の十一時四十五分であったが、伊十九潜自身が爆雷攻撃を受けていて潜水中であったので、戦果の確認が出来なかった。
午後三時三十五分、伊十五潜がワスプ型空母その他が炎上中であるのを発見した。
ワスプは午後六時沈没を確認された。
米側戦史によれば、ワスプ沈没のほかに、戦艦ノースカロライナと駆逐艦オブライエンに魚雷が一発ずつ命中しているという。
敵空母の撃滅を主目的として、ガダルカナル飛行場への攻撃は基地航空部隊に任せきりの第三艦隊(機動部隊)は、いっこうに会敵せず、遠く敵の行動圏内へ潜入した潜水部隊が敵空母を|屠《ほふ》ったのである。
先に発見された米船団は、ガダルカナル増援のための第七海兵隊約四〇〇〇名を輸送中で、伊十九潜が攻撃した機動部隊は船団を間接掩護していたものであった。船団は十八日にガダルカナルに揚陸を果した。
日本海軍の機動部隊は囮を使って敵をおびき寄せようとはしたが、敵の来攻を邀撃するべく危険海域へ踏み込もうとはしなかった。
米軍はガダルカナルに着々と増強し、日本軍はガダルカナルで日に日に苦境が深刻化する。
連合艦隊では、このころ、南東方面に集中し得る敵の海上兵力を、戦艦二、空母約四、巡洋艦約七、駆逐艦約二〇、潜水艦約一〇と見積っていた。
九月六日、連合艦隊は、川口支隊の攻撃開始は九月十二日という予定の下に作戦命令を発した。その命令に基づいて出された「ガ島奪回の総攻撃実施予定行動要領」には、
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
一、第八艦隊基幹の外南洋部隊及び基地航空部隊の大部で陸軍の攻撃に策応し「ガ」島所在の敵攻撃及び敵増援阻止退路遮断を行なう。
二、囮船団(陸軍輸送船〈空船〉十隻駆逐艦二)を十二、十三両日「ガ」島の北方二〇〇浬附近に機宜行動せしめ、敵空母機動部隊に好餌を示し誘出を図り、敵が之にかかる際我機動部隊で撃滅する。
三、前進部隊(第二艦隊──近藤部隊)は之等に応じ、十二日早朝「ガ」島の北方六〇〇浬附近まで進出して索敵、十三日早朝「ガ」島の北東三〇〇浬附近まで南下
四、機動部隊(第三艦隊──南雲部隊)は概ね前進部隊の後方一五〇浬附近を機宜行動(以下略)
[#ここで字下げ終わり]
等のことが示されている。宇垣参謀長によれば「相当練りたる揚句」の行動要領であった。
『要領』によれば、囮船団は十二、三日の両日ガダルカナル北方二〇〇浬を行動し、前進部隊は同じく北方六〇〇浬というから、囮船団と前進部隊の距離は四〇〇浬、我が機動部隊は前進部隊のさらに後方一五〇浬に在るから、囮船団との距離は五五〇浬あることになる。したがって、ほぼラバウル─ガダルカナル間の距離にひとしい。もし、囮船団を敵機動部隊が襲撃した場合、五五〇浬も離れている我機動部隊が囮を利用して敵機動部隊を捕捉し得るという計算的根拠が如何にして成り立つのか、この限りでは判然していない。いつもの通り、機動部隊は虎の子のように温存されているようであった。
それはともかくとして、川口支隊の攻撃に連繋する連合艦隊の作戦思想は、ガダルカナル飛行場の奪回は、川口支隊による地上攻撃と基地航空部隊による航空攻撃によって成功するという前提に立っており、ガダルカナルの奪回直後に当然敵機動部隊が反撃に出て来るものと予想し、これを捕捉撃滅してソロモン付近の制海権を握ろうというのである。
九月七日、十七軍司令部から川口支隊の攻撃は十三日に延期と通報された。これは、既述の通り、川口支隊が行動を開始してみると、部隊の前進も弾薬糧秣の集積も捗らないために、支隊長が当初大事をとった結果である。
翌九月八日、十七軍司令部から、攻撃開始を繰り上げるよう川口支隊に要望中と連絡があり、次いで攻撃開始は十一日の予定という電報が来た。これも既述の経過である。
艦隊は十三日を十一日に繰り上げた。機動部隊は十日午前六時、前進部隊(第二艦隊)は同日午後、トラックを出撃した。
川口支隊長は、前日八日、十七軍司令部に対して攻撃一日繰上げ可能と思わせるような報告をしたが、九日朝には、攻撃を十二日と確定して司令部に報告した。連合艦隊もそれに従って、十一日をまた十二日に改め、各艦隊は予定通り行動を展開した。
外南洋方面部隊は囮船団から所定の距離をとった。基地航空部隊はガダルカナル飛行場に進攻した。三水戦司令官指揮する外南洋方面奇襲隊は巡洋艦一隻、駆逐艦三隻をもって、十二日夜ルンガ泊地に突入、飛行場を砲撃し、駆逐艦一隻は兵器弾薬をカミンボに揚陸した。
川口支隊の攻撃は、しかし、十二日夜には既述の通り行なえなかったのである。陸海軍の協同作戦ははじめから齟齬を来した。
十三日の朝になっても、川口支隊の攻撃の有無成否はわからなかった。
同日午前九時二十分、哨戒機が、ツラギの南東方三四五浬に、空母一、戦艦二、駆逐艦二を報じた。
連合艦隊司令部では、距離が遠いので、十四日朝これを捕捉することとして、機動部隊と前進部隊を一時反転北上させた。
翌朝、予定通り再反転南下したが、敵情を得ず、補給の必要も生じて、また反転北上した。
川口支隊の状況は依然として不明であった。陸海軍の作戦行動は遂に食いちがったまま時間が経過したのである。
十五日早朝、ラバウルの十一航艦司令部から、ようやく、川口支隊の攻撃失敗の通報があった。
連合艦隊は川口支隊のガダルカナル飛行場攻撃を中軸とした大規模な海軍作戦を、ここに中止し、トラックヘ引揚げざるを得なかった。宇垣参謀長の曰う「相当練りたる」作戦も空振りに終ったのである。
ただ、大作戦の幕切れに、みやげのような戦果があった。
十五日午前八時十五分ころ、ソロモン諸島の東方海面を行動中の基地航空部隊の哨戒機が、空母一、水上機母艦一、駆逐艦三を発見し、約一時間後、輸送船九、駆逐艦六をガダルカナルの南東に発見した。
連合艦隊は先遣部隊(潜水艦部隊)に船団攻撃を命じた。船団は十六日にはガダルカナルに入泊するものと考えられた。
第一潜水部隊の伊十九潜は、十時五十分、ワスプ型空母を発見し、攻撃の機を窺った。魚雷四本の命中音を聞いたのは、約一時間後の十一時四十五分であったが、伊十九潜自身が爆雷攻撃を受けていて潜水中であったので、戦果の確認が出来なかった。
午後三時三十五分、伊十五潜がワスプ型空母その他が炎上中であるのを発見した。
ワスプは午後六時沈没を確認された。
米側戦史によれば、ワスプ沈没のほかに、戦艦ノースカロライナと駆逐艦オブライエンに魚雷が一発ずつ命中しているという。
敵空母の撃滅を主目的として、ガダルカナル飛行場への攻撃は基地航空部隊に任せきりの第三艦隊(機動部隊)は、いっこうに会敵せず、遠く敵の行動圏内へ潜入した潜水部隊が敵空母を|屠《ほふ》ったのである。
先に発見された米船団は、ガダルカナル増援のための第七海兵隊約四〇〇〇名を輸送中で、伊十九潜が攻撃した機動部隊は船団を間接掩護していたものであった。船団は十八日にガダルカナルに揚陸を果した。
日本海軍の機動部隊は囮を使って敵をおびき寄せようとはしたが、敵の来攻を邀撃するべく危険海域へ踏み込もうとはしなかった。
米軍はガダルカナルに着々と増強し、日本軍はガダルカナルで日に日に苦境が深刻化する。