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ガダルカナル32

时间: 2020-07-30    进入日语论坛
核心提示:32 大本営では、第十七軍への兵力増強のため、九月十七日、杉山参謀総長が上奏を行なった。これより先、八月二十九日の上奏で第
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32
 大本営では、第十七軍への兵力増強のため、九月十七日、杉山参謀総長が上奏を行なった。
これより先、八月二十九日の上奏で第二師団の第十七軍への配属が発令されていたが、この時点では、先に述べたように、第二師団の増加はガダルカナル奪回に充当するというよりも、ポートモレスビー作戦を目的としていたのである。それが川口支隊の攻撃失敗の結果、九月十七日の上奏では第二師団の使用目的は明らかにガダルカナルとなった。
九月十七日の上奏内容は、大体次のようなものであった。
川口支隊の攻撃失敗の主な原因は、我はジャングルを利用する奇襲に主眼を置いたため、連絡が十分にとれず、兵力分散し、戦力の統合発揮が出来なかったのに対し、敵の防禦組織、物的威力が予想以上に整備されていたことにあると判断される。したがって、今後の戦闘は奇襲ではなく、全くの力押しに依る外ない状態である、という認識の下に、増強兵力として、
青葉支隊(歩兵第四連隊)の残部、第二師団主力及び戦車中隊、重砲のほか自動砲(一〇)、重擲弾筒(三〇)、火焔放射機(一〇)、各種兵器資材を増加し、陸海軍戦力を統合発揮して一挙に飛行場を奪回する。攻撃時機は十月。
さらに、敵が兵力増強を行なっていることからみて、今後右記以上の兵力を増加する必要が生ずる場合も予想されるばかりでなく、ラビ作戦、ポートモレスビー作戦もあることであるから、この際、第三十八師団、速射砲二大隊、戦車一連隊、十五榴一連隊、十加一中隊、野戦高射砲二大隊、三十糎臼砲一大隊、独立工兵一連隊、揚陸団一個及び所要の後方部隊を第十七軍に増加する、というのであった。
この上奏に基づいて、九月十七日発令された大陸命第六八八号によって、関東軍、支那派遣軍、南方軍等から約二〇単位に近い部隊が第十七軍に編入されたが、この兵力増強の一部が無理であることが、その日のうちに判明していた。
同じ九月十七日、大本営陸軍部の田中第一部長名で、井本派遣参謀に打たれた電報の中に、次のくだりがある。(戦史室前掲書)
左記兵力ハ十月上旬迄ニ現地ニ到着スル如ク緊急ニ輸送ヲ処理シツツアリ
十五榴一大隊
十加一中隊
戦車一連隊
野戦高射砲一大隊
沖電六〇一号貴電ニヨル|緊急輸送兵力ノ希望ハ船舶ノ関係上目下ノ処右ノ程度以上ニ如何トモ為シ難キ状況《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》ニアリ(傍点引用者)
つまり、船舶事情が既に|逼迫《ひつぱく》していて、大兵力とそれに伴う資材の転用が困難になっていたのである。
それにしても、大陸命六八八号による兵力増強は、これまで用兵規模が過小であった日本軍としては、かなり思いきった規模で、これが、もし、遅くとも川口支隊投入の時点で実施に移されていれば、ガダルカナル戦の様相は全く異っていたであろう。
第十七軍への兵力増強だけでなく、軍司令部の強化も行なわれた。これまで軍参謀が三名しかいなかったのが、十一名に増員された。小沼高級参謀の赴任(松本参謀は第二師団へ転出)のほか、大本営派遣参謀井本中佐と交代に大本営作戦班長の辻政信中佐と、情報参謀として杉田一次中佐が赴任した。
 青葉支隊(第二師団・歩兵第四連隊)のカミンボ上陸は既に記したが、第二歩兵団長那須弓雄少将以下の支隊司令部も十月一日夜、カミンボに上陸した。
ガダルカナルヘの推進を急がれていた野戦重砲兵第二十一大隊第二中隊(九六式十五榴四門)は十月三日夜、迫撃第三大隊(迫撃砲三六門)は十月八日夜、いずれもタサファロング(コカンボナから北西へ直線距離で約八キロ)に上陸、独立戦車第一中隊は輸送手段の都合で遅れ、十月十四日夜の船団輸送(後述)で揚陸された。
第二師団の輸送は、敵の制空権下での大事業であった。
第十七軍では、正攻法によるガダルカナル奪回作戦のために、総兵力として、
歩兵約一三個大隊
火砲約二〇〇門
戦車、軽装甲車約七五輛
人員 総計約二万八〇〇〇名
別に第三十八師団の歩兵一連隊基幹を上陸点付近に集結しておく。海軍航空部隊は約二〇〇機を予定していた。
敵兵力としては、兵員七〇〇〇乃至八〇〇〇、(既に一万に達しているかもしれない。)戦車約二〇乃至三〇輛、火砲約一五〇門、飛行機約六〇機、高射砲約二〇門、を見込んでいた。(戦史室『南太平洋陸軍作戦』(2))
敵兵力を下算する悪癖はまだ矯正されていない。日本側が能力の上限いっぱいの増強を実施するというのに、敵がそれを上廻る兵力を保持していては困るから下算するかのようである。
右記の所要兵力をガダルカナルに送るために、十七軍は、十月十五日までに、兵員二万五〇〇〇名の二十日分の糧食(攻撃開始までにさらに十日分)と、〇・八会戦分の弾薬をガダルカナルに集積しようとしていた。
「会戦分」というのは、軍需品の消費・補給の単位量で、必ずしも確定数量を表わさない。一会戦は三乃至四カ月の作戦期間と概定し、一個師団一会戦の軍需品は約一万トン、弾薬は、たとえば重機関銃一梃当二万三〇〇〇発、野砲一門当二〇〇〇発、十榴一門当一五〇〇発等である。
十七軍では、海軍との打合せによって、鼠輸送(駆逐艦輸送)と蟻輸送(大発によって基地伝いに前送する方法)との併用によって、十月十三、四日ごろまでに兵員・軍需品の輸送を完了し、二十日には攻撃開始という計画を立てていた。
十月二十日攻撃開始のために、在ガ島陸軍は十月初めから飛行場砲撃を実施し、海軍航空隊は九月二十六日ころからはブイン飛行場を使用してガダルカナル攻撃を行なうという計画であった。
日本軍の計画は、いつものことだが、甘かった。計画を保障する手段と条件がいつも整わないのである。官僚主義に侵蝕された組織の仕事はいつもそうしたものである。
ブイン飛行場の建設は、先に述べたような技術上の問題から完成が遅延し、したがって輸送時の航空掩護は期待できず、鼠輸送は月明の関係で九月二十三、四日から月末まで中止しなければならなくなり、したがって、全攻略部隊の十月十五日ガダルカナル集結は不可能になった。次の夜闇を待つとすれば、攻撃を一カ月のばさなければならない。その間に米軍の増援と陣地強化はさらに進むはずである。
十月総攻撃を行なうとすれば、結局、危険を冒してでも大輸送船団を組んで輸送を敢行するほかはなかった。
大船団輸送は海軍の護衛なしには行なえない。
九月二十六日、小沼、辻の両参謀が第八艦隊を訪れて船団護衛を要望したが、第八艦隊独自の力量で宰領し得ることではなかった。
九月二十七日、辻、林両参謀と大前海軍参謀はトラックの連合艦隊司令部に飛んだ。辻によれば「連合艦隊司令長官に会って、直接決裁を受ける」ためである。山本連合艦隊司令長官にしてみれば、ガダルカナルは元来海軍の責任に属する所であり、そこで陸軍が苦戦を強いられているのは、補給難、つまりは制海権と制空権に帰することであるし、それはまた海軍が不用意に基地を延伸した結果であったから、陸軍が戦略単位の兵団を投入して奪回作戦を行なうのにどうしても大船団輸送が必要ということであれば、海軍は全力を挙げてその護衛に任じなければならないことであった。
後述する船団輸送は、山本元帥の決断によって実施されることになったのである。
 第二師団の第一梯団(師団司令部、歩兵第二十九連隊、野砲兵第二連隊の一中隊、工兵第二連隊主力)は、九月十九日スラバヤを発って、二十九日ラバウルに到着した。第二師団の先遣隊(歩兵第十六連隊本部、同第三大隊、速射砲半中隊、連隊砲半中隊)は九月二十日既にラバウルに到着していた。同師団第二梯団のラバウル到着は十月六、七日の両日であった。(福島県在住の滝沢市郎氏──当時第二師団歩兵第二十九連隊本部員、電報班主任下士官で、昭和十七年十月六日ガ島上陸、翌十八年二月四日ガ島から撤退した人──から、筆者宛ての書簡によれば、第二師団第一梯団のジャワ出発は、九月十七日タンジョンブリオク港出発、九月二十七日ラバウル着である、という訂正注意があった。)
前記した大陸命六八八号によって十七軍に編入された三十八師団も、第二師団につづいてラバウルに到着している。第一梯団十月六日、第二梯団十月十九日、第三梯団十月三十日、東方支隊十月八日、十三日である。
第三十八師団については後で述べる。いまは第二師団である。
この師団、二見十七軍参謀長には、幕僚、各部長等が充実していて頼もしい感じを与えたらしいが、辻大本営派遣参謀による評価はひどく低い。第二師団はジャワ攻略の基幹兵団だが、辻はこう書いている。
「早速その部隊を一巡した。精鋭兵団の名に背かぬものとばかり、大きな期待を以て臨んだのに、上も下も一向に元気がない。さっぱり気勢が上っていない。要求するものは家屋であり、御馳走である。兵隊に至るまで金側の恐らく鍍金であろうが腕時計を持っている。将校の軍用行李に至っては、部隊の弾薬箱の数倍である。一人三、四個の大きな行李を携行し、それには、故郷へのお土産がぎっしり詰まっている。これではとても実戦の、激戦の役に立ちそうもない。困った事だ。将校全員を集めて、ガ島戦場の実相を話したがさっぱり反応がない。」
辻参謀自身、この時点では、まだ、「ガ島戦場の実相」にふれてはいないのである。
彼はつづいてこう書いている。
「大本営がこの師団を、ガ島に使ったことは大きな黒星であった。併し、当時、素早く抜き得るものは、これ以外になかった。元来が素質のよい兵団である。何とか指導し、援助して、使わねばならない。それ以外に手はなかった。」(辻政信『ガダルカナル』)
第二師団に対する採点が辛いのは辻参謀だけではない。小沼高級参謀の印象が公刊戦史に載せられている。こうである。
「予の飛行場攻撃強調に対し、師団長(丸山政男中将──引用者)は『努力するも至難のことと思われるので出来ねば止むなし』と称し、飽くまで行なう意志表われず、これがひいて海軍の輸送掩護を鈍らし、集中遅延の因となることを説明したのに、かかる態度をとるは実に心外なり。田中耕二軍参謀の波止場における状況視察から観るも、各隊長中に意気あがらざるものある模様。軍司令官、参謀長は第二師団の戦力を優秀と認めていた模様なるも、この点から観て日露戦争当時の第二師団に比し、不安を感ぜざるを得ない。」(戦史室前掲書より)
日露戦争当時などという古い時代との対比にどれだけの現代的な意味があるのかわからないが、暫くジャワで安穏な日々を送っていた第二師団将兵の態度は、ガダルカナルとニューギニアという困難な二正面作戦を抱えているラバウルでは、緊張の欠けたものと見えたのかもしれない。
第二師団長丸山中将は、九月二十九日、ラバウルで、「速ニガ島ニ前進シガ島攻略ノ目的ヲ以テ十月十七日頃迄ニ飛行場附近ノ敵ニ対シ攻撃ヲ準備スヘシ」という任務を受領して、十月三日午後十時、タサファロングに上陸した。翌四日早朝ママラ川(タサファロングから南東へ約五キロ)上流に進出、戦闘司令所を設けた。
川口支隊長は、ここで、第二師団長に対して状況報告を行なった。その報告によれば、第二師団上陸以前の在ガダルカナル日本軍兵力は、海軍をも含めて約九〇〇〇名、うち戦病死等約二〇〇〇、健在のもの約五〇〇〇だが、戦力回復にはかなりの日時を要するから、攻撃兵力としては期待出来ない、というのである。
「健在」といったところで、独歩出来れば健在の部類であった。林間を兵たちが、手ぶらで、銃剣を軍袴の紐の間にさし込み、飯盒を腰にさげて、ふらふら、ぞろぞろ、黙々と西へ歩いていた。糧秣の補給を受けに行くのである。これが「健在」の部類に属する男たちであった。
そのころの米軍兵力は、第二師団命令(十月四日正午)では「ルンガ飛行場附近ニ在ル敵ハ米海兵約一万」とあるが、実際には一万九〇〇〇以上であった。これだけの兵力が、山や丘を利用した主抵抗線を構築し、豊富な有刺鉄線で二重の前垂れのついた囲いを二条にめぐらし、死角のない強力な連続火線を構成して、日本軍の白兵突撃に備えていたのである。
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