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ガダルカナル33

时间: 2020-07-30    进入日语论坛
核心提示:33 川口少将はラバウルの軍司令部から出頭命令を受けて、第二師団長の許可を得て、十月四日夜駆逐艦でショートランド経由、ラバ
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 川口少将はラバウルの軍司令部から出頭命令を受けて、第二師団長の許可を得て、十月四日夜駆逐艦でショートランド経由、ラバウルへ出向いた。少将によれば、軍がガダルカナルでの体験談を聞きたいから、というのであった。
ラバウルでは、十月一日付で第十七軍参謀長は二見少将から宮崎少将に替った。(宮崎少将着任は十月六日)
川口手記によれば、軍司令官が川口少将を招致したのは、少将の体験談を聞くためではなくて、一つは舟艇機動に関して軍司令部の意思に反して何度も意見具申をしたこと、もう一つはマタニカウ川右岸占領の命令を直ちに実行せず意見具申をしたこと、以上の二点について軍司令官から詰問的叱責を受けるためにラバウルに呼ばれたのであるという。
ところが、辻参謀の記述によれば、事情は甚だしく異っている。こう書かれている。
「沈欝な空気であった。その空気の中に突然鬚ボウボウの少将が、痩せ衰えた中尉を帯同して軍司令部に出頭した。
よく見ると、K少将であり、中尉は、半年前、一木支隊の通信掛将校として勇躍出動したS中尉であった。
悪戦苦闘の俤がボロボロの軍服にも、痩せこけた顔にも現われている。
それにしても、|ガ島の戦場に部下を残置して《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、|どうして唯二人帰ったのであろう《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。その報告を綜合すると、敵の兵力特に火力は圧倒的であり、我は全く糧道を絶たれ、草根木皮を齧り、辛うじて余命を保っているらしい。
困ったものだ。この悲観的観察は、これから進攻する第二師団に悪い影響を与えるのではなかろうか。」(辻前掲書──傍点引用者)
傍点部分には明らかに悪意がのぞき出ている。辻参謀はラバウルに到着してから(九月二十五日)、舟艇機動に関する川口少将の自説固執を聞いたであろうし、マタニカウ右岸占領に関する反対的意見具申は実際に見もしたであろう。この二人の間の隠微な|縺《もつ》れは、川口少将の罷免までつづくのである。
川口少将は、百武軍司令官の詰問的叱責のあと、次期作戦に関して口頭で意見を述べた。
その一は、九月の川口支隊の攻撃のときは、敵の新手の兵力を搭載した輸送船団が背後基地に来たという理由で、飛行場攻撃を急がせられたから失敗した。この次には第一線部隊に十分時間の余裕を与え、弾薬糧秣を十分蓄積し、敵情地形を偵察した上で攻撃開始せしめられたい。このため、十一月三日の明治節を目途に実施せしめられたい、ということ。
その二は、前回作戦では地図がなくて困った。あっても不正確なもので、自分の位置を標定出来なかった。次のときには、敵飛行場付近から我が攻撃準備位置に至る間の航空写真をとり、これを少くとも各中隊に一枚ずつ配布せられたい、ということであった。
百武軍司令官以下司令部の参謀たちが川口少将の意見にどのような反応を示したか、明らかでない。
 百武中将は、十月中旬を予定している第二師団を主力とする総攻撃を直接指揮するため、軍戦闘司令所をガダルカナルに推進する決定を下し、小沼、辻、杉田、越次、平岡、林の六参謀を従えて、十月八日正午、駆逐艦でラバウルを出発した。
出発のとき、ラバウルに残留する新任の宮崎参謀長以下が見送ったが、その際、宮崎参謀長は小沼高級参謀に「攻撃期日の十月二十日には決して拘泥するな。攻撃準備の周到を期せ」と、至極妥当な注意を与えた。宮崎少将はラバウルヘの赴任の途中、十月五日、トラックで山本連合艦隊司令長官に対する表敬訪問のため戦艦大和を訪れた際、宇垣参謀長から、海軍側の第一義の希望として、総攻撃開始を十月二十日より遅延させないことを強く求められたはずだが、八日には既に、二十日の攻撃開始に間に合わないと予感していたかのようである。
軍司令官の一行と同じ駆逐艦で川口少将もガダルカナルヘ戻った。
一行は十月九日午後八時四十分、タサファロングに上陸した。上陸点には第二師団の平間参謀が来ていて、暗闇の中にひときわ椰子林が黒々と見える波打際で、衝撃的な報告をした。
「第二師団の第一線は敵の攻撃を受け、マタニカウ川西方に後退し、歩兵第四連隊は全滅しました」というのである。
軍司令官以下声もなかったが、辻参謀ひとり、
「全滅とは何事か」
と怒声を発した。
辻参謀は、こういうときは、千両役者なのである。ノモンハンのときもそうであった。敗走して来る兵隊たちを一喝して任務に戻らせている。
この全滅云々に関しては、後述する。
軍司令部の一行は、上陸早々に悲報に接したばかりでなく、|椿事《ちんじ》に遭遇するのである。
これがまた、辻参謀と川口少将の絡みがある。まず、辻はこう書いている。
「その林の中に暫く腰を下してボートに積まれた糧秣や日用品を荷揚げしているとき、予期しない人足がどこからともなく現われて来た。
髪はボウボウと伸び放題で、顔には雲助のような無精髯が生え、ボロボロの軍服だけで、腰に剣もなければ、足に靴もない。|跣足《はだし》の青ざめた兵隊である。所属を聞くと、一木支隊の生き残りの凡そ四五十人であった。
『お手伝いします』
殊勝なことだ。疲れ切った姿であるのに。頼みもしない作業に、進んで荷揚げを助けようとは|遉《さすが》に痩せても枯れても日本の軍隊だ。と、無暗にこの兵達の心が嬉しかった。(中略)
沿道はどこにも、かしこにも餓え衰えた兵が、三々五々腰を下して、今上陸したばかりの新しい将兵に、訴えるが如く、嫉むが如く見送っている。可愛そうで堪らない。(中略)」
軍司令部の一行はその夜のうちにコカンボナ西方約三キロの無名川の谷地に至って、戦闘司令所を開設した。十月十日午前二時ごろであった。
辻の記述をつづける。
「朝飯の準備に取りかかった。不思議な噂が、当番兵たちの口から漏れる。
『米が盗まれた。軍司令部官閣下の弁当もない。どうしようか……』と。
『おや怪しいぞ。まだ上陸したばかりだのに誰に、何時、何処で盗まれたのだろう。』
その内、上陸地で、荷物宰領に残して来た下士官が、悄然として参謀部に現われた。
『誠に申訳ありません。司令部の糧食は上陸点で殆ど全部盗まれました。一木、川口支隊の兵隊に。閣下の弁当も盗まれました。』
唖然として一同暫し口が塞がらなかった。
あの痩せ衰えた兵隊が殊勝にも手伝いに出てくれたのを心から感謝していたのに、それは全く泥棒の集団であった。
銃を捨て、剣を捨て、唯一心に餓えを凌ごうと、この上陸点で稼いでいたのである。
第二師団は自力で荷揚げしたため、盗む隙がなかったところ、手不足の軍司令部を迎えて、心ゆくばかり盗んだのである。(以下略)」(辻前掲書)
これに対して、川口少将の手記は次のように反論している。
「之は小説的に面白く読ませる為のフィクションではあろうが、現に私が軍司令官、辻参謀と一緒に上陸したが、私の部下は一人も居なかったと断言する。私の部下は上陸点から二キロも隔ったジャングルの中に居り、無論糧食は十分でなかったが、泥棒しなければ餓死する程でもなく、米の配給もあったのである。海岸に出ることは当時厳禁してあった。それは敵の艦船、飛行機に姿を見せぬ為である。夜おそく糧食盗みに行くなぞ、考えられぬ。(以下略)」(川口前掲書)
川口少将はムキになって弁解する必要はなかったのである。ムキになるから、説得力がない。髯ぼうぼうの男たちが一木支隊であろうと、川口支隊であろうと、それ以前から飢餓の苦痛をなめ尽していた設営隊員たちであろうと、かまわないではないか。戦わせて、飢えさせて、半定量の給養さえ保障してやらなかったのは、誰の責任なのか。その日まで将校食を食っていた司令部参謀に、彼らの不用意のために飢餓地獄に突き落された兵隊たちを、泥棒呼ばわりする資格などない。
兵隊は、戦争の善悪を問わないとすれば、戦士であるから、戦って死ぬのは仕方がない。だが、何十日も飢える義務など、国家に対しても、天皇に対しても、ましてや将軍や参謀などに対して、負ってはいないのである。
川口支隊の破綻から十七軍司令部上陸までは二十五日間、一木支隊の全滅からは四十九日間、米軍が上陸して設営隊が支離滅裂となってからは六十三日間が経過している。その間、生き残りは満足に食ってはいなかったのである。これまでに述べてきた通り、ガダルカナルでは、餓死と衰弱死が既にはじまっていたのである。後方司令部の参謀たちは、先遣部隊の生き残りたちと同じ日数だけ飢えてみるとよかったのだ。そうすれば、自分たちの無能なくせに思い上った作戦指導の罪が、自分自身の骨身にしみたはずであった。
先の第四連隊全滅云々の件は、軍司令部が調べてみると、次のような状況であった。
十月七日、第二師団が、マタニカウ川右岸の部隊を増強交代させようとしたとき、猛烈な砲爆撃を伴った敵の攻撃を受け、日本軍はマタニカウ川左岸(西方)二、三キロの線まで後退を余儀なくされた。このことは、攻勢に転移する際の拠点と、飛行場砲撃のための砲兵陣地を失ったことを意味していた。
第二師団上陸以後のガダルカナルにある日本軍の現在兵力は、川口支隊、一木支隊を合せて戦力としては歩兵約一大隊くらい、第二師団の歩兵五個大隊のうち、歩兵第四連隊は既に三分の二の損傷を受けている、砲兵力としては、野山砲六門、十榴二門、十五榴四門、迫撃砲一大隊三六門のうち、現在射撃し得る大砲は、野山砲各二門、十五榴四門、迫撃砲一大隊であるが、弾薬は少量しかない。
ガダルカナルに対する海上輸送は成績芳しくない。予定の二分の一に過ぎない。各隊の上陸人員は二分の一乃至三分の二に過ぎず、軍需品の揚陸は憂うべき状態にあって、食糧は二分の一定量を摂取し得ているに過ぎない。
敵が攻撃にあたって使用した砲爆撃による火力は激甚をきわめ、小銃をもってこれに立ち向った日本軍は、瞬間的に大損害を蒙っている。
要するに、火力があるのとないのとの相違、補給が十分なのと不十分なのとの相違が、歴然としていたのである。
百武十七軍司令官は戦力補強のための処置を行なった。その大要は次の通りである。
一応マタニカウ右岸進出は控えて、第二師団に左岸に軍主力の集中掩護陣地を占領させ、飛行場射撃は一時これを延期する。
戦力補充のため、ショートランドに残留待機している各隊の残留兵力と資材を急ぎガダルカナルに追及させる。
第三十八師団司令部、歩兵第二百二十八連隊と独立工兵第十九連隊を速かにガダルカナルに進出させる。
ガダルカナル進出が既に決っている歩兵八第二百三十連隊長(第三十八師団)の指揮する部隊は、ガダルカナル上陸と同時に第二師団長の指揮下に入らせる。
記述が進むにしたがってますます明らかとなることだが、大兵使用の場合でも、一挙投入、一挙集結が出来なくて、逐次投入の影は拭えない。輸送手段の貧困もさることながら、攻撃開始の予定を過早の時機に置き、準備時間がまたもや足りないのである。
 ラバウルに残った十七軍宮崎参謀長のもとへ、ガダルカナルヘ軍司令官といっしょに渡った小沼、林両参謀から、十日、逼迫した戦況を訴える電報が相次いで入った。米軍は、上陸早々の第二師団の前線へ強襲を加えたのである。
まず、軍司令部の上陸直後第二師団へ派遣された林参謀の電報に戦況を見る。
「十日午後三時五十五分発信
敵ハ『マ』川右岸地帯ニ対シ強力ナル飛行機、砲兵協力ノ下ニ全面的ニ出撃、河口附近両岸ノ高地一帯敵手ニ帰シ、歩兵第四連隊ハ苦戦中ナリ、師団ハ歩二九ノ一大(隊)ヲ該方面戦闘ニ急行セシメタリ 歩四ノ戦力ハ損害続出、糧秣弾薬ノ状況ヨリ半減ニ近キ状態ナリ 本状況ニ於テハ|遺憾乍ラ予定計画ノ飛行場射撃ハ再検討ヲ要スルモ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、|輸送ノ現況ヲ以テシテハ既定計画ノ攻撃亦覚束ナシ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》
右状況ナルヲ以テ若干危険ヲ冒スモ飛行場射撃ニ依存スルコトナク船団輸送ヲ断行スル(第二師団総攻撃の計画では、地上からする陸軍の砲撃によって敵飛行場を破壊し、飛行機の活動不能に陥らしめ、その間に船団輸送を行なう予定であったが、マタニカウ川付近の砲兵陣地を奪われたから、飛行場砲撃が出来なくなった。──引用者)ト共ニ、歩兵部隊(三八師ノ歩一連隊ヲ含ム)及、歩兵団司令部(三八ノ一連隊ヲ含ム)迫撃砲大隊、山砲、工兵隊ノ緊急輸送ニ関シ、飛躍的処置ヲ講セラルルヲ緊要トス 航空攻撃、艦砲射撃等敵艦艇飛行機ノ跳梁ハ我攻撃準備ヲ妨害スルコト甚シ」(前掲滝沢氏よりの書簡によれば、林参謀の電報中にある、師団は歩二九の一大隊を『マ』川方面に急行せしめた、という事実はないそうである。)
次は、宮崎参謀長宛ての小沼高級参謀電である。
「十日午後五時三十五分発信
第二師団ノ第一線ハ敵ノ逆襲ヲ受ケ『マ』川西方二、三キロノ線ニ於テ戦闘中ナリ 目下ノ状況ニ於テハ十三日頃ノ飛行場射撃(註 海軍トノ協定ニ基ク計画)及二十日頃ノ本攻撃ハ其ノ実行困難ナルモ、|戦況ハ予期以上ニ逼迫シアルヲ以テ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、|船団輸送《ヽヽヽヽ》(註 十四日ノ予定、其前提ハ陸上ヨリスル飛行場制圧ノ成果ニ期待ス、海軍トノ協定)|ハ是非決行セラレ度努力相成度《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》
艦砲射撃ニ依ル飛行場制圧ハ有効ナルヲ以テ実施相成度、歩兵第四連隊ノ戦力ハ目下三分ノ一ニ減耗、糧食弾薬モ不足シアリ 鼠輸送(駆逐艦による輸送)ハ是非強化セラレ度師団ノ現況上歩二三〇連隊、独立自動車中隊、工兵第三八連隊ヲ『ガ』島ニ輸送スル如ク手配相成度」(以上電報二通は宮崎周一『残骸録』による。傍点引用者)
宮崎十七軍参謀長は、十一航艦の大前参謀と第八艦隊の神参謀を軍司令部に招いて、飛行場砲撃は望み薄となったことを告げ、それにもかかわらず船団輸送は決行したい旨を要望した。
十月十二日午前、十一航艦司令部で、関係海軍側と宮崎参謀長が会合し、船団輸送の可能性について検討した結果、陸海軍共飛行場砲撃の成否を問わず船団輸送を決行することに意見の一致をみた。
この結果を連合艦隊に連絡するため、宮崎参謀長は海軍側の大前、源田両参謀と、急遽、トラックヘ飛んだ。大和艦上の連合艦隊司令部では、既に宇垣参謀長以下が集っていて、まず大前参謀が説明し、次いで宮崎参謀長が要請すると、連合艦隊でも船団輸送決行に決していて、この日午後二時、それに関して発令したということであった。
この船団輸送をめぐって、ガダルカナルの戦局はいっそう深刻化することになるが、宮崎十七軍参謀長が連合艦隊司令部を訪れた十月十二日、宇垣連合艦隊参謀長は日記にこう誌している。
「ガ島敵機の制圧に対し航空戦の効果僅少、要望せる陸軍砲を以てする砲撃又未に実施を見ざるも、輸送船団は今夜ラボールより四隻、ショートランドより二隻進発の筈、其進入も陸軍の要望は遅延を許さざるを以てX日(船団突入日──引用者)を十五日と決定し、明十三日の全力航空攻撃引続く第三戦隊の夜間砲撃決行を下令し、断乎たる決意を表示す。」
 前記二通の電報と同じ十月十日、大本営派遣参謀辻中佐は、大本営第一部長宛てに次の電報を送っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
一 敵ノ七日朝ヨリノ攻撃ニ依リ第二師団ノ歩兵第四連隊ノ如キハ戦力既ニ三分ノ一ニ減耗シタリ
(前夜、海辺で「全滅とは何事か」と第二師団参謀を叱咤した辻参謀も、歩四の惨状は認めざるを得なかったのである。──引用者)
二 飛行場制圧射撃及総攻撃ノ開始ハ著シク遅延スルモノト判断セラル
三 駆逐艦ニ依ル兵力及弾薬、糧秣ノ輸送ハ敵機ノ揚陸妨害ニ依リ計画ノ概ネ二分ノ一程度ナルト、揚陸点ヨリ第一線迄ノ補給ハ夜間人力ノミニ依リ辛ウシテ三分ノ一前後ヲ前送シ得ル状態ニ在リ
四 |右戦況ヲ打開スルノ方策ハ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、|万難ヲ排シ輸送船団及艦艇ニ依ル強行上陸ヲ断行スルニ在ル《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》ヲ以テ目下海軍ニ要求中ナリ
五 海軍航空撃滅戦ノ成果ハ現状ヲ以テハ到底期待スル能ハス(『ブイン』飛行場ハ今尚使用不能ナル状態ナリ)従ツテ全力ヲ船団ノ護衛ニ使用スルヲ可トスル実情ニ在リ(傍点引用者)
[#ここで字下げ終わり]
 以上で明らかなように、マタニカウ川付近の戦闘で歩兵第四連隊は大打撃を蒙って後退したが、ルンガ飛行場を制圧するための砲兵陣地を確保出来なければ、以後兵力と軍需品の揚陸が甚だしい困難に陥ることは避けられなかった。
米軍は日本軍の飛行場砲撃の企図を察知していたかのようである。砲兵と飛行機による強力な支援を与えられた歩兵五個大隊をもって、マタニカウ川西岸を攻撃したという。五個大隊といえば、上陸したばかりの第二師団の歩兵の全力に匹敵する兵力であった。
第十七軍司令部は十月九日夜タサファロングに上陸早々に、マタニカウ川の攻撃拠点と砲兵陣地を失ったという衝撃的な事態に直面したが、それよりも重大なことは、軍需品の輸送状況が甚だしく悪く、さらに陸上搬送が困難なために、第一線部隊が餓死の危険に迫られているという深刻な事態を、上陸するまで知らなかったという、とても信じられないような事実である。
連合艦隊参謀長の日記の十月十日の項に次のような記述が見られる。
「ガ島に昨夜進駐せる第十七軍司令部戦闘司令所は|川口支隊の餓死に瀕しつつあるを告げ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、|人員を止めて糧秣及飛行場制圧用弾薬のみを急送すべしとショートランドに命ず《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。左もあらん。本件はラボール辞去の際、連絡参謀に注意し置きたる処なるが、派遣軍隊は行く所迄行かざれば落着かず。輸送する機関も人員の方楽にして、其頭数を気にして実際即時必要なる機材糧食弾薬をなほざりにし易き弊あり。今後に於ても注意を要する所なり。」(傍点引用者)
同じころ、ニューギニアでは、ガダルカナルでの状況逼迫のせいもあって、悲劇が急速に進行していた。能力を超えた二正面作戦の無理がいちどきに救い難い様相を呈したのである。宮崎十七軍参謀長は十月六日の手記にこう書いている。
「ニューギニア方面作戦中ノ南海支隊連絡者ノ状況報告(九月二十日スタンレー山脈出発)アリ、該支隊ノ困窮特ニ補給ノ不如意ハ既ニ極度ニ達シアルモノノ如ク、|行倒レ患者ノ続出ヲ見ルニ至リ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、敵ノ圧迫日ニ加ハリ、其兵力漸時強化シ、状況楽観ヲ許ササルヲ察セシム、万事ハガ島一段落ヲ告ゲタル後、十一月初頭ヨリ一挙解決ノ意向ニシテ、当分忍フノ外ナシ」(傍点引用者)
同じく宮崎手記の十月十三日の項に次の記述がある。
「ガ島ニ於ケル糧秣弾薬欠乏ニ関シ、状況ヲ伝ヘ之カ|神速ナル補給ニ関シ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、|昨日ヨリ本日ニ亘リ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》|軍司令官及第二師団長ヨリ矢ノ催促アリ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、其原因ハショートランドヨリノ前送(駆逐艦ニ依ル)及ガ島揚陸ノ困難性ニ依ル」(傍点引用者)
現地に乗り込むまで第一線部隊の悲惨な状況を知らなかったという洞察力の乏しい軍司令部の、周章狼狽ぶりがうかがわれる。
要するに、航空基地を整備して、軽快かつ重厚な補給能力を備えた敵が|蟠踞《ばんきよ》している|島嶼《とうしよ》に対して、徹底した航空撃滅戦を実施し得ずに上陸作戦を行なえば、どういうことになるか、ガダルカナル島はその答えを出していたのである。
前記手記は正直に十月十三日の項を結んでいる。
「唯々天佑神助ヲ祈念スルノミ」
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