第十七軍のガダルカナル総攻撃の準備に必要な緊急輸送のために、速力の早い輸送船六隻が選ばれて、高速船団が編成された。陸軍輸送船から笹子丸、崎戸丸、佐渡丸、九州丸、海軍輸送船から吾妻山丸、南海丸、以上の六隻である。最大九二五八トンの笹子丸から最小七六二二トンの吾妻山丸まで、選りすぐりであった。各船とも高射砲、機関砲、阻塞弾、機関銃等を装備していた。
輸送される部隊は、歩兵第十六連隊主力、歩兵第二百三十連隊(一大隊欠)、十加一中隊、十五榴一中隊、高射砲一大隊、独立戦車第一中隊、兵站部隊の一部、舞鶴鎮守府特別陸戦隊八二四名で、各船とも弾薬、糧秣八〇〇立方米を積載し、大発六乃至八隻を携行することになっていた。
この船団輸送を成功させるために、連合艦隊は、十月九日、次の通りの計画を立てた。
十月十三日第三戦隊(戦艦二隻)、十四日第八艦隊の巡洋艦二隻、十五日第五戦隊(巡洋艦二隻)をもってガダルカナル飛行場に艦砲射撃を加える。
第二艦隊、第三艦隊(機動部隊)は十一日トラックを出撃して、ソロモン北方海域で船団輸送の支援配備に展開、敵の増援を阻止し、敵艦隊を捕捉撃滅する。
十一航艦は高速船団の輸送間、上空直掩を行ない、かつ、ガダルカナルの敵航空兵力の撃滅作戦を実施する。
他に、既に記述した通り、十一日夜の海戦の結果、飛行場砲撃は行なわれなかったが、第六戦隊(重巡青葉、古鷹、衣笠)による砲撃が計画されていた。
艦砲射撃に関しては、第三戦隊司令官の栗田健男少将は消極的であったようである。理由は、戦艦を長時間敵前にさらすことは危険のみ多くて、陸上施設に対する艦砲射撃の効果は少い、というのであった。山本連合艦隊司令長官は、しかし、積極的で、戦艦大和を先頭に戦艦戦隊、大巡戦隊、水雷戦隊を総動員する案もあったが、行動海面、行動時間に制約があるので、少数艦による多数弾射撃の方が安全かつ有効という結論になって、第三戦隊に依る実施が決ったのであるという。(戦史室前掲『海軍作戦』(2))
戦局の指導権が航空機に握られて、大艦巨砲は遊兵化する時代が既にはじまりつつあったときに、米軍は日本軍が占領する島嶼に対して、圧倒的な艦砲射撃を加えて上陸作戦を開始する戦法をとった。これはきわめて有効であった。戦艦大和以下の大艦隊をルンガ沖に並べて、一斉に艦砲射撃の火蓋を切る作戦は、この時点で、兵術的価値が高かったと考えられる。米軍は八月七日には八十余隻の大艦船団をルンガ沖とツラギ沖に並べて、ガダルカナルを占領したのである。この十月、米軍は既にかなりの航空力をガダルカナルに持ち、近海に機動部隊を行動させていたらしいが、それらと対決するためにこそ連合艦隊には第三艦隊があるのであり、徒らに温存するために持っていたのではなかったはずなのである。
十月十二日、高速船団輸送に関してトラックに出張した宮崎十七軍参謀長は、連合艦隊との協議の結果を十七軍司令部へ打電した。
「ガ島攻撃ニ関シGF(連合艦隊──引用者)ト協議ノ結果左ノ通決定セルニ付実現方取計ハレ度
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
一、主力艦ノ砲撃(一三日二三〇〇ヨリ約三〇分間発射弾数一〇〇〇発)及輸送船団ノガ島進入ハ予定通実施セラルルニ付、|其ノ砲撃戦果ヲ利用シ万難ヲ排シテマタニカウ河右岸ニ砲兵陣地ヲ推進《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、|速カニ制圧砲撃ヲ強化シ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、|爾後間断ナク之ヲ持続《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、特ニ十五日黎明時ニハ火力ヲ盛ンニシ敵飛行機ノガ島飛行場使用ヲ不能ナラシム
二、輸送船団ノ入泊揚陸ヲ容易ナラシムル為十四十五日ニハ積極的行動ヲ行ヒ敵飛行機ノ船団攻撃を牽制
三、海軍艦艇ハ十三日夜間ノ3S(第三戦隊)砲撃ニ引続キ十四日夜間鳥海、衣笠、十五日以降駆逐艦ヲ以テ砲撃セシメラルル予定ナルニ付右弾着観測可能地点ヲ確保急報ニ努ム
四、輸送ハ十六日モ実施ノ予定ナルニ付総攻撃開始時機ハ成ルヘク遷延セサル如クス」(傍点引用者)
[#ここで字下げ終わり]
傍点部分は戦況の深刻な変化の結果である。はじめは、陸軍砲による砲撃を主役として、それに協同する攻撃としての艦砲射撃が考えられていたのである。いまや、戦艦主砲による砲撃効果に便乗して、マタニカウ川右岸に砲兵陣地を確保せよ、ということになった。
輸送される部隊は、歩兵第十六連隊主力、歩兵第二百三十連隊(一大隊欠)、十加一中隊、十五榴一中隊、高射砲一大隊、独立戦車第一中隊、兵站部隊の一部、舞鶴鎮守府特別陸戦隊八二四名で、各船とも弾薬、糧秣八〇〇立方米を積載し、大発六乃至八隻を携行することになっていた。
この船団輸送を成功させるために、連合艦隊は、十月九日、次の通りの計画を立てた。
十月十三日第三戦隊(戦艦二隻)、十四日第八艦隊の巡洋艦二隻、十五日第五戦隊(巡洋艦二隻)をもってガダルカナル飛行場に艦砲射撃を加える。
第二艦隊、第三艦隊(機動部隊)は十一日トラックを出撃して、ソロモン北方海域で船団輸送の支援配備に展開、敵の増援を阻止し、敵艦隊を捕捉撃滅する。
十一航艦は高速船団の輸送間、上空直掩を行ない、かつ、ガダルカナルの敵航空兵力の撃滅作戦を実施する。
他に、既に記述した通り、十一日夜の海戦の結果、飛行場砲撃は行なわれなかったが、第六戦隊(重巡青葉、古鷹、衣笠)による砲撃が計画されていた。
艦砲射撃に関しては、第三戦隊司令官の栗田健男少将は消極的であったようである。理由は、戦艦を長時間敵前にさらすことは危険のみ多くて、陸上施設に対する艦砲射撃の効果は少い、というのであった。山本連合艦隊司令長官は、しかし、積極的で、戦艦大和を先頭に戦艦戦隊、大巡戦隊、水雷戦隊を総動員する案もあったが、行動海面、行動時間に制約があるので、少数艦による多数弾射撃の方が安全かつ有効という結論になって、第三戦隊に依る実施が決ったのであるという。(戦史室前掲『海軍作戦』(2))
戦局の指導権が航空機に握られて、大艦巨砲は遊兵化する時代が既にはじまりつつあったときに、米軍は日本軍が占領する島嶼に対して、圧倒的な艦砲射撃を加えて上陸作戦を開始する戦法をとった。これはきわめて有効であった。戦艦大和以下の大艦隊をルンガ沖に並べて、一斉に艦砲射撃の火蓋を切る作戦は、この時点で、兵術的価値が高かったと考えられる。米軍は八月七日には八十余隻の大艦船団をルンガ沖とツラギ沖に並べて、ガダルカナルを占領したのである。この十月、米軍は既にかなりの航空力をガダルカナルに持ち、近海に機動部隊を行動させていたらしいが、それらと対決するためにこそ連合艦隊には第三艦隊があるのであり、徒らに温存するために持っていたのではなかったはずなのである。
十月十二日、高速船団輸送に関してトラックに出張した宮崎十七軍参謀長は、連合艦隊との協議の結果を十七軍司令部へ打電した。
「ガ島攻撃ニ関シGF(連合艦隊──引用者)ト協議ノ結果左ノ通決定セルニ付実現方取計ハレ度
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
一、主力艦ノ砲撃(一三日二三〇〇ヨリ約三〇分間発射弾数一〇〇〇発)及輸送船団ノガ島進入ハ予定通実施セラルルニ付、|其ノ砲撃戦果ヲ利用シ万難ヲ排シテマタニカウ河右岸ニ砲兵陣地ヲ推進《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、|速カニ制圧砲撃ヲ強化シ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、|爾後間断ナク之ヲ持続《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、特ニ十五日黎明時ニハ火力ヲ盛ンニシ敵飛行機ノガ島飛行場使用ヲ不能ナラシム
二、輸送船団ノ入泊揚陸ヲ容易ナラシムル為十四十五日ニハ積極的行動ヲ行ヒ敵飛行機ノ船団攻撃を牽制
三、海軍艦艇ハ十三日夜間ノ3S(第三戦隊)砲撃ニ引続キ十四日夜間鳥海、衣笠、十五日以降駆逐艦ヲ以テ砲撃セシメラルル予定ナルニ付右弾着観測可能地点ヲ確保急報ニ努ム
四、輸送ハ十六日モ実施ノ予定ナルニ付総攻撃開始時機ハ成ルヘク遷延セサル如クス」(傍点引用者)
[#ここで字下げ終わり]
傍点部分は戦況の深刻な変化の結果である。はじめは、陸軍砲による砲撃を主役として、それに協同する攻撃としての艦砲射撃が考えられていたのである。いまや、戦艦主砲による砲撃効果に便乗して、マタニカウ川右岸に砲兵陣地を確保せよ、ということになった。
ガダルカナル飛行場砲撃の任務を持った第三戦隊(戦艦金剛と榛名)は十月十一日(サボ島沖海戦が勃発した日。また、日進、千歳の輸送隊が揚陸した日)トラックを出撃した。護衛部隊は二水戦である。
第三戦隊(攻撃隊)は、十三日午前三時三十分、支援部隊(高速船団輸送支援のために、攻撃隊と同じ日トラックを出撃していた)から分離、速力二四ノットでガダルカナルに向った。分離してから午後三時まで、二航戦が攻撃隊の上空直掩を行なった。
この日、午前八時十分、基地航空部隊の哨戒機が、レンネル高(ガダルカナル南方約二〇〇キロ)の南西七〇浬に空母一、巡洋艦二、駆逐艦二が南東航しているのを発見、同じく十二時五分、スチュワート島(ソロモン諸島北東側列島南端部のマライタ島から東へ約二〇〇キロ)の南方八〇浬に戦艦一、巡洋艦一、駆逐艦二が西航しているのを発見報告した。後者についての報告には空母は含まれていなかったが、もし近海に空母がいるとすれば、金剛榛名の第三戦隊は夕刻ごろ敵機に捕捉されるかもしれなかった。
第三戦隊はその夜の会敵の公算大として警戒しつつ進んだが、敵機に発見されることもなく、マライタ島とラモス島との間を通過してサボ島北方に進出した。
一方、陸軍砲による飛行場砲撃は、マタニカウ川右岸砲兵陣地を敵に奪われて以来、困難視されていたが、十二日、午後二時三十五分、十七軍参謀長は次のような電報を打っている。
「陸軍ハ十三日日没ヨリ十五糎砲二門ヲ以テ飛行場制圧射撃ヲ実行」
そうかと思うと、十二日午後三時三十分、在ガ島島田十一航艦参謀は、次のように報告している。
[#ここから改行天付き、折り返して5字下げ]
一、(イ) 略
(ロ) マタニコ右岸地区ヲ奪回セントセバ現揚陸予定ノ重砲弾薬及第二師団ノ大部ヲ要ス
(ハ) 前項作戦ヲ実施セバ多大ノ消耗ヲ予期セラレ、飛行場奪回ハ別個ノ師団ヲ要スルヲ以テ、迂回作戦ニ変更セリ
(ニ) 迂回作戦ニ依ルガ島飛行場突入ハ二一日ニ繰上可能ノ見込
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二、陸軍ハタサファロング及コカンボナニ高角砲装備完了セリ、十四日早朝ヨリツセル島ニ対シ砲兵全力(六門)ヲ以テ牽制射撃実施ノ予定
[#ここで字下げ終わり]
実際には、しかし、十三日午前十時五十七分の十一航艦参謀長の電報が、事実に最も近いようである。
「在ガ島第十七軍小沼参謀ヨリ在ラバウル同軍参謀長宛左ノ電アリ 船団輸送掩護ノ為十三日夕ヨリ十五榴二門ヲ以テ飛行場ヲ射撃ス高角砲二門ヲ以テコカンボナ 四門ヲ以テタサファロングノ上空ヲ火制ス 今ヤ第一線ヲ偵察ノ結果可能ヲ確信スルニ至リ師団命令下達セラレシヲ以テ取急キ報告ス」
同じく、午後四時五十分、
「陸軍砲ニ依リ飛行場北側一ケ所火災炎上中」(以上各電、『山田日記』)
この十三日午後四時から、重砲兵一個中隊(十五榴二門)で飛行場を、別の一個中隊(同じく二門)でトラ高地を制圧し、桟橋付近で揚陸中の敵輸送船に対して妨害射撃を行ない、大発三隻を撃沈したが、僅か二門の射撃では、密度稀薄で実効はあがらなかったと思われる。
金剛榛名の攻撃隊は、十三日午後十時三十八分、サボ島南方水道に進入、午後十一時三十一分、飛行場に対して平行に第一射撃コースをとった。
十一時三十五分、計画通り照明機が吊光弾を投下した。十一時三十六分、金剛が、十一時三十八分、榛名が射撃を開始した。
敵も手を拱いていたわけではなかった。午後十一時四十六分ごろから、ルンガ岬方向から照明砲撃を行なったが、弾丸が届かず、戦艦群は副砲(十四糎砲)で応戦した。
午後十一時四十八分ごろから敵飛行場に火災が起こった。第三戦隊は午前零時十三分反転して第二射撃コースをとった。そのころ、飛行場一面は火の海と化しているらしく認められた。金剛は零時二十二分に、榛名は零時二十四分に射撃を再開した。
砲撃終了は零時五十六分であった。五十八分、第三戦隊は最大戦速二九ノットで北上避退に移り、午前四時四十八分から二航戦の上空直掩下に入り、十四日正午前進部隊本隊に合同した。
この砲撃で、戦艦金剛の主砲(三十六糎砲)は三式弾一〇四発、一式弾三三一発、副砲(十四糎砲)二七発を、榛名は零式弾一八九発、一式弾弾二九四発、副砲二一発を発射した。(戦史室前掲『海軍作戦』)
三式弾というのは主砲による対空射撃用に考案された焼夷弾、一式弾は堅固な施設を破壊するための徹甲弾である。
この砲撃の効果は大きかったらしい。第十七軍司令部は野砲一〇〇〇門に匹敵すると欣喜雀躍したという。
金剛榛名による砲撃を、米公刊戦史は次のように述べている。
「これは本会戦中最大の砲撃であって両戦艦から射ち出した三六糎砲弾は、徹甲弾六二五、榴散弾二九三計九一八発に及び、これらが飛行場全域を蔽い、炸裂光と炎焼するガソリンで夜空を焦がし、敵の報告文の言葉を借りて言えば、到るところに炸裂して飛行場は炎の海となり、死者四一名多数飛行機の損傷があった。(中略)味方は十四日には僅に降下爆撃機七機、F4F二九機、P400四機、P39二機計四二機しか飛んでいない。(中略)
飛行場は敵の艦砲射撃のため重爆撃機の基地としては役立たなくなったのみならず、敵の航空機及艦隊がシーラーク水道内及上空にいるため燃料輸送を阻まれて、ガダルカナルに於ける航空用ガソリンの欠乏は深刻となり、その結果B17機はもはやヘンダーソン飛行場を中継基地として活躍することは出来なくなった。
飛行場は十月十四日午後には全く使用出来なくなったが、幸にしてその南東方に建設大隊が粗末な草生滑走路を造っておいたので、戦闘機用滑走路として軽飛行機なら使用出来、これが一週間主飛行場となった。」(ジョン・ミラー『ガダルカナル作戦』)
モリソン戦史にも同じようなことが書かれている。
「九〇機のうち僅かに四二機(戦闘機三五機、急降下爆撃機七機)だけが作戦可能の状態で残った。航空ガソリンの手持ちは、以前から、危機をもたらすほど低調であったが、ほとんど全く消え失せてしまった。(中略)ヘンダーソン飛行場は当分の間お手あげである。飛行しようとするものは、新造の草の生えた戦闘機の滑走路を使用しなくてはならない。
師団司令部から海兵大佐が飛行場にやって来て、陸軍航空隊員に次のような短い令達を交付した。�われわれは飛行場を保持し得るや否やを期しがたい。駆逐艦、巡洋艦及び輸送船より成る日本軍部隊がわれわれの方に向って来ている。われわれはまだ一回の戦闘には充分のガソリンを持っている。飛行場に爆弾を装備し、急降下爆撃機とともに行って敵を撃て。ガソリンがなくなった後は、われわれは地上部隊に後を引受けさせなくてはならない。その時には貴隊将兵は歩兵先遣隊に所属することとなるであろう。幸運を祈る。さらば。�(中略)
栗田提督(第三戦隊司令官──引用者)の報復的な来襲は、海兵隊員の士気に重圧を加えた。マタニカウ河畔とエスペランス岬沖における戦闘に引続く熾烈なものであったので、敵軍の資源は無限であることがわかったように思えて、なおさらのことであった。兵隊たちは、もうこんな打撃にはこれ以上堪えられないことを知っていた。戦争の残りの期間、ガダルカナル戦の古強者たちは栗田の砲撃を単に�砲撃�と、まるで他には砲撃がなかったように語るのであった。」(モリソン『第二次世界大戦──合衆国海軍作戦史』巻5(ガダルカナル争奪戦))
第三戦隊(攻撃隊)は、十三日午前三時三十分、支援部隊(高速船団輸送支援のために、攻撃隊と同じ日トラックを出撃していた)から分離、速力二四ノットでガダルカナルに向った。分離してから午後三時まで、二航戦が攻撃隊の上空直掩を行なった。
この日、午前八時十分、基地航空部隊の哨戒機が、レンネル高(ガダルカナル南方約二〇〇キロ)の南西七〇浬に空母一、巡洋艦二、駆逐艦二が南東航しているのを発見、同じく十二時五分、スチュワート島(ソロモン諸島北東側列島南端部のマライタ島から東へ約二〇〇キロ)の南方八〇浬に戦艦一、巡洋艦一、駆逐艦二が西航しているのを発見報告した。後者についての報告には空母は含まれていなかったが、もし近海に空母がいるとすれば、金剛榛名の第三戦隊は夕刻ごろ敵機に捕捉されるかもしれなかった。
第三戦隊はその夜の会敵の公算大として警戒しつつ進んだが、敵機に発見されることもなく、マライタ島とラモス島との間を通過してサボ島北方に進出した。
一方、陸軍砲による飛行場砲撃は、マタニカウ川右岸砲兵陣地を敵に奪われて以来、困難視されていたが、十二日、午後二時三十五分、十七軍参謀長は次のような電報を打っている。
「陸軍ハ十三日日没ヨリ十五糎砲二門ヲ以テ飛行場制圧射撃ヲ実行」
そうかと思うと、十二日午後三時三十分、在ガ島島田十一航艦参謀は、次のように報告している。
[#ここから改行天付き、折り返して5字下げ]
一、(イ) 略
(ロ) マタニコ右岸地区ヲ奪回セントセバ現揚陸予定ノ重砲弾薬及第二師団ノ大部ヲ要ス
(ハ) 前項作戦ヲ実施セバ多大ノ消耗ヲ予期セラレ、飛行場奪回ハ別個ノ師団ヲ要スルヲ以テ、迂回作戦ニ変更セリ
(ニ) 迂回作戦ニ依ルガ島飛行場突入ハ二一日ニ繰上可能ノ見込
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二、陸軍ハタサファロング及コカンボナニ高角砲装備完了セリ、十四日早朝ヨリツセル島ニ対シ砲兵全力(六門)ヲ以テ牽制射撃実施ノ予定
[#ここで字下げ終わり]
実際には、しかし、十三日午前十時五十七分の十一航艦参謀長の電報が、事実に最も近いようである。
「在ガ島第十七軍小沼参謀ヨリ在ラバウル同軍参謀長宛左ノ電アリ 船団輸送掩護ノ為十三日夕ヨリ十五榴二門ヲ以テ飛行場ヲ射撃ス高角砲二門ヲ以テコカンボナ 四門ヲ以テタサファロングノ上空ヲ火制ス 今ヤ第一線ヲ偵察ノ結果可能ヲ確信スルニ至リ師団命令下達セラレシヲ以テ取急キ報告ス」
同じく、午後四時五十分、
「陸軍砲ニ依リ飛行場北側一ケ所火災炎上中」(以上各電、『山田日記』)
この十三日午後四時から、重砲兵一個中隊(十五榴二門)で飛行場を、別の一個中隊(同じく二門)でトラ高地を制圧し、桟橋付近で揚陸中の敵輸送船に対して妨害射撃を行ない、大発三隻を撃沈したが、僅か二門の射撃では、密度稀薄で実効はあがらなかったと思われる。
金剛榛名の攻撃隊は、十三日午後十時三十八分、サボ島南方水道に進入、午後十一時三十一分、飛行場に対して平行に第一射撃コースをとった。
十一時三十五分、計画通り照明機が吊光弾を投下した。十一時三十六分、金剛が、十一時三十八分、榛名が射撃を開始した。
敵も手を拱いていたわけではなかった。午後十一時四十六分ごろから、ルンガ岬方向から照明砲撃を行なったが、弾丸が届かず、戦艦群は副砲(十四糎砲)で応戦した。
午後十一時四十八分ごろから敵飛行場に火災が起こった。第三戦隊は午前零時十三分反転して第二射撃コースをとった。そのころ、飛行場一面は火の海と化しているらしく認められた。金剛は零時二十二分に、榛名は零時二十四分に射撃を再開した。
砲撃終了は零時五十六分であった。五十八分、第三戦隊は最大戦速二九ノットで北上避退に移り、午前四時四十八分から二航戦の上空直掩下に入り、十四日正午前進部隊本隊に合同した。
この砲撃で、戦艦金剛の主砲(三十六糎砲)は三式弾一〇四発、一式弾三三一発、副砲(十四糎砲)二七発を、榛名は零式弾一八九発、一式弾弾二九四発、副砲二一発を発射した。(戦史室前掲『海軍作戦』)
三式弾というのは主砲による対空射撃用に考案された焼夷弾、一式弾は堅固な施設を破壊するための徹甲弾である。
この砲撃の効果は大きかったらしい。第十七軍司令部は野砲一〇〇〇門に匹敵すると欣喜雀躍したという。
金剛榛名による砲撃を、米公刊戦史は次のように述べている。
「これは本会戦中最大の砲撃であって両戦艦から射ち出した三六糎砲弾は、徹甲弾六二五、榴散弾二九三計九一八発に及び、これらが飛行場全域を蔽い、炸裂光と炎焼するガソリンで夜空を焦がし、敵の報告文の言葉を借りて言えば、到るところに炸裂して飛行場は炎の海となり、死者四一名多数飛行機の損傷があった。(中略)味方は十四日には僅に降下爆撃機七機、F4F二九機、P400四機、P39二機計四二機しか飛んでいない。(中略)
飛行場は敵の艦砲射撃のため重爆撃機の基地としては役立たなくなったのみならず、敵の航空機及艦隊がシーラーク水道内及上空にいるため燃料輸送を阻まれて、ガダルカナルに於ける航空用ガソリンの欠乏は深刻となり、その結果B17機はもはやヘンダーソン飛行場を中継基地として活躍することは出来なくなった。
飛行場は十月十四日午後には全く使用出来なくなったが、幸にしてその南東方に建設大隊が粗末な草生滑走路を造っておいたので、戦闘機用滑走路として軽飛行機なら使用出来、これが一週間主飛行場となった。」(ジョン・ミラー『ガダルカナル作戦』)
モリソン戦史にも同じようなことが書かれている。
「九〇機のうち僅かに四二機(戦闘機三五機、急降下爆撃機七機)だけが作戦可能の状態で残った。航空ガソリンの手持ちは、以前から、危機をもたらすほど低調であったが、ほとんど全く消え失せてしまった。(中略)ヘンダーソン飛行場は当分の間お手あげである。飛行しようとするものは、新造の草の生えた戦闘機の滑走路を使用しなくてはならない。
師団司令部から海兵大佐が飛行場にやって来て、陸軍航空隊員に次のような短い令達を交付した。�われわれは飛行場を保持し得るや否やを期しがたい。駆逐艦、巡洋艦及び輸送船より成る日本軍部隊がわれわれの方に向って来ている。われわれはまだ一回の戦闘には充分のガソリンを持っている。飛行場に爆弾を装備し、急降下爆撃機とともに行って敵を撃て。ガソリンがなくなった後は、われわれは地上部隊に後を引受けさせなくてはならない。その時には貴隊将兵は歩兵先遣隊に所属することとなるであろう。幸運を祈る。さらば。�(中略)
栗田提督(第三戦隊司令官──引用者)の報復的な来襲は、海兵隊員の士気に重圧を加えた。マタニカウ河畔とエスペランス岬沖における戦闘に引続く熾烈なものであったので、敵軍の資源は無限であることがわかったように思えて、なおさらのことであった。兵隊たちは、もうこんな打撃にはこれ以上堪えられないことを知っていた。戦争の残りの期間、ガダルカナル戦の古強者たちは栗田の砲撃を単に�砲撃�と、まるで他には砲撃がなかったように語るのであった。」(モリソン『第二次世界大戦──合衆国海軍作戦史』巻5(ガダルカナル争奪戦))