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ガダルカナル45

时间: 2020-07-30    进入日语论坛
核心提示:45 第二師団の攻撃挫折は手痛い失望材料であったが、それにつづいた南太平洋海戦での「大戦果」に大本営陸軍部は強く勇気づけら
(单词翻译:双击或拖选)
45
 第二師団の攻撃挫折は手痛い失望材料であったが、それにつづいた南太平洋海戦での「大戦果」に大本営陸軍部は強く勇気づけられ、ガ島戦も「今一押し」(後述)すれば戦局は好転する、と、依然として希望的判断を持していた。
十月二十六日(第十七軍司令官が改撃失敗を確認して、攻撃中止を命令した日)、大本営は参謀総長名で第十七軍司令官に次の通り電報した。
諸情報ヲ綜合スルニ「ガ」島ノ敵ハ孤立包囲セラレ極メテ窮境ニ陥リアルモノノ如ク正ニ連続力攻 一挙撃滅ノ好機ナリ 軍ニ於テハ要スレハ更ニ所要ノ戦力ヲ至急投入シ 形而上下ノ全力ヲ発揮シ 飽ク迄目的ノ貫徹ニ邁進セラルルモノト確信シアリ 切ニ御健闘ヲ祈ル
大本営はガ島前線の惨澹たる実情を知らないから、「連続力攻」「一挙撃滅」が出来るとまだ思っている。
その大本営へ、二十六日、十七軍から爾後の企図に関する報告(沖戦参電第九四号)が入った。
軍ハ「ガ」島ニ於ケル兵力ヲ増強シ爾後ノ攻略ヲ準備スル目的ヲ以テ先ツ左ノ如ク部署ス
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
一 第二師団ハ戦線ヲ整理シ先ツ一部(歩二三〇ノ二大隊及コリ支隊)ヲ以テ「コリ」附近 主力ヲ以テ「ルンガ」上流河谷ニ兵力ヲ集結シ爾後ノ攻略ヲ準備ス
二 住吉支隊ハ主力ヲ以テ「アウステン」山巓頂ヨリ一本橋東側高地ヲ経テ一本橋附近ニ亘リ攻勢拠点ヲ構成スルト共ニ 一部ヲ以テ「マ」河(マタニカウ河──引用者)左岸ノ線ヲ占領シテ爾後ノ攻略ヲ準備ス
三 第三十八師団(在ガ島部隊欠)ハ「コリ」附近ニ上陸ヲ準備ス
[#ここで字下げ終わり]
右の十七軍の企図は、大本営にとってはやや消極的に感じられたようである。大本営は、二十七日、作戦部長名で次のような趣旨の指導電を発した。
ガダルカナル爾後の攻撃法に関する大本営の見解は左の通りである。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
一、本二十六日の南太平洋海戦の海軍の戦果は極めて大きい。米国側の放送等からみても、敵は苦悩している状況であるから「今一押し」の感が少くない。
二、今後の攻撃要領は、従来のように白兵奇襲方式によることなく、各種戦力、|就中《なかんずく》、砲兵火力を組織的に敵陣地に集中して、敵陣地を突破しなければならない。
[#ここで字下げ終わり]
[#この行2字下げ](砲兵火力の組織的集中が必要であることは、現地軍もそう考え、第二師団の攻撃は、まさにその方式によって行なわれるはずであったのが、主として輸送力の関係から正攻法を採れなくなった事情は、既述の通りである。大本営の指導電は、輸送問題の隘路打開に関しては、何の「指導」も行なっていない。)
作戦目的達成のためには、敵飛行場の使用を封殺することが緊要であって、その見地からすれば「クマ」高地一帯は正に「二〇三」高地である。
[#この行2字下げ](二〇三高地は、日露戦争当時、旅順攻略のための最も緊要な敵陣地であった。乃木軍は何回も攻撃して、その都度撃退され、最後には大口径砲を日本内地から運び、その威力によって攻略に成功したが、ガダルカナルにおいては、敵火力を制圧し、飛行場を無力化するに足るだけの重砲と弾薬を揚陸することが、そもそも至難な状況にあった。)
したがって、第十七軍爾後の攻撃部署に於ては、第三十八師団主力をコリ付近に使用することなく、歩砲戦力を統合し易いマタニカウ川方面から攻撃させる必要があると考える。
この点に関して、大本営では、とりあえず、次のように処置する。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
1 独立混成第二十一旅団主力(歩二大隊基幹)をなるべく速にラバウルに到着し第十七軍司令官の隷下に入るように命令を仰ぐ予定である。ラバウル着は十一月上旬の予定。
2 第五十一師団の輸送はあらゆる手段を尽して迅速に行なうよう処置する。
3 以上の外さらに所要の兵力資材を十七軍に増加する。
4 海軍中央部も第十七軍爾後の企図達成に極力協力する。
[#ここで字下げ終わり]
指導電の概要は右の通りであった。大本営は爾後の作戦連絡のため、服部第二(作戦)課長をガダルカナルに派遣することにした。
 前記した第十七軍の『沖戦参第九四号』にある第二師団の一部をコリ岬方面に向けるのは、第三十八師団主力の上陸を掩護させ、かつ、同方面の飛行場適地を占領させる意図が含まれていた。
コリ支隊は、既述の通り、「バンザイ」信号取り消しの結果、コリには上陸せず、ショートランドに引き返していたのである。
第十七軍高級参謀は、二十六日、ラバウルに在る宮崎軍参謀長とコリ支隊長にあてて、コリ支隊の上陸を督促する電報を打った。
当時ガダルカナルでは、軍司令官も幕僚も、ほとんど第一線同様の苦境にあった。ジャングル内に壕を掘り、降りつづく雨をマントをかぶってしのいでいた。食事も、菜などはほとんどなく、たまに味噌がつく程度で、一日量一合から二合の飯か、少量の|乾麺包《かんパン》を食い、体力が衰えて、歩行には杖をつくという状態であったという。
しかし、軍司令部では、第二師団の攻撃失敗を、負けるべくして負けたとは考えていなかったようである。
軍司令部内の感想は次のようであった。(戦史室前掲書)
第二師団の失敗は、米軍兵が強かったからではなくて、我が軍が次のような制約された条件下に攻撃を行なった結果である。航空戦力を強化し、輸送を予定計画通りに行なって攻撃すれば、必ず奏功するという信念は微動もしていない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
1 航空戦力不十分で海上輸送が至難であった。
2 そのため、|攻撃戦力が集結出来ないままに予定の攻撃日の拘束を受け《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》(|上奏日次と遊軍出動の関係《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》)奏功を奇道の僥倖に求めざるを得なかった。
3 以上の関係から、直接攻撃に任じた第一線諸隊は戦力特に体力損耗の極限において|攻撃準備不十分のまま精神力だけで突撃した《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。(傍点引用者)
[#ここで字下げ終わり]
軍司令部が、「攻撃準備不十分のまま精神力だけで突撃した」などと、批評家のようなことを言っては困るのである。上奏日次と海軍出動の日程から攻撃日の拘束を受けたというのは、問題が逆立ちしている。東京で上奏日が決って、それに合せて現地軍が無理をしてでも攻撃を開始するというのは、本末転倒である。戦は、勝つために、勝てるように現地軍がするものであって、東京中央がするのではない。中央の上奏日が早過ぎたとすれば、中央が甘い状況認識をするような、現地軍からの報告に接していたからである。最後に、冒頭の第二師団の失敗は、米軍が強かったからではない、というくだりは、まるで未熟な青年の負け惜しみのようである。戦闘における強弱の差は、あらゆる戦力諸元の相乗作用と綜合力によって決るのである。仮りに、制約された条件下で攻撃をしなければならなかったとすれば、制約条件を排除する力量がなかったことを意味するに過ぎない。
前に記した大本営からの作戦部長名の指導電(二十七日発)を受けた第十七軍戦闘司令所では、折り返し、高級参謀名で実情報告を打電(沖戦参第一一三号)した。
長文だが、その要点を記せば次の通りである。(戦史室前掲書)
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
一、マタニカウ河陣地の正面攻撃は強力な砲兵力を必要とするが、地形は砲兵の展開を著しく制限し(最初十五榴一門しか展開出来なかった)、砲兵特に弾薬の揚陸は海軍艦艇の輸送能力、敵機の跳梁のため、十分でなかった。(大小発は約一五〇隻あったのが僅か二隻になってしまった。)また揚陸点付近で敵機の銃爆撃によって焼却されたものが多く、砲兵力に期待する攻撃は、攻撃時機の関係から、断念しなければならなかった。たとえば、月明の関係は、敵は輸送を継続し得るのに、我は中止しなければならず、連合艦隊の行動時間の制約もあった。要するに、当時の状況では、アウステン山方面からの迂回作戦にしか成功を期待出来なかった。
二、敵飛行場の制圧は、当初から最も重要視し、実施に関する努力をしたが、前項の理由(砲兵力不足──引用者)に依り十分な効果をあげ得なかった。
三、クマ高地の攻撃は考慮したが、堅固なクマ陣地攻撃は砲兵力を基礎としなければならないので、いままで実現出来なかったもので、次期攻撃にはこれを実施するよう考慮しているところである。
四、ガ島に対する兵力集中は、甚大な日数を要することであって、絶大な努力に拘らず机上の計算とは著しく異るものである。特に資材糧秣関係では、十を計画して六を送り、六を送って三を揚陸し、僅かにその二を使用し得るような困難性を御諒承あり度い。
五、指揮の動脈ともいうべき通信器材が、揚陸時間に制限があるため、揚陸半ばで輸送艦船が帰還したり、揚陸した器材が海岸付近で敵機のために焼かれる等のことがあって、甚だ不足を来した。有線器材皆無の連隊もあり、軍、師団間の有線連絡不能の時期もあったほどである。
六、(引用者略)
七、二十六日の攻撃中止に関しては、その実情は「最後の五分間」の問題とは異るものありと信じている。(つまり、二十六日の攻撃中止は、末期的状況とは考えないというのであろう。)
[#ここで字下げ終わり]
右の趣旨の実情報告電が、十月下旬の第十七軍としての見解の大要であったが、それならば次回の攻撃には如何にして必勝を期し得るかということには触れず、失敗の弁明に終始している観がある。
日次は少し後のことになるが、第二師団の攻撃失敗によってガ島奪回はいよいよ困難になると考えた十一航艦司令部は、宮崎第十七軍参謀長のガ島進出(後述)の際、大前参謀を同行させ、同参謀は実情視察の結果を連合艦隊司令部に出頭して報告した(十一月八日)。その報告に基づいた宇垣参謀長の「陸軍総攻撃失敗の原因」という記述が日記に残されている。先に記した十七軍自身の感想と対比してみる価値があるであろう。
一、地形の困難、揚陸兵力物資移動困難、ジャングル内の進攻難渋。
二、兵力資材は可、船団輸送揚陸は八割なりしが敵機及敵駆の攻撃により相当数焼失せるも、兵力に不足なし。
[#この行1字下げ](兵力に不足なしと判断した根拠は不明である。十七軍戦闘司令所が把握した兵力は川口支隊残部、一木支隊残部、第二師団の歩兵五個大隊、野山砲各六門、十榴四門、迫撃砲一大隊であったが、実戦力としては一木、川口両支隊残部を合せてかろうじて歩兵一個大隊、第二師団の歩兵五個大隊のうち歩兵第四連隊は、軍戦闘司令所がガ島に推進されるまでに三分の二の損傷を受けており、射撃し得る火砲は野山砲各二門、十五榴四門、迫撃砲一個大隊〈定数三十六門〉で、弾薬僅少であったから、兵力に不足なしというのは納得がゆかない。)
三、統率指揮の不良。
[#ここから改行天付き、折り返して4字下げ]
(イ) 軍参謀長進出しあらず、幕僚の掌握不良。
(ロ) 軍は全ての部隊を二師団長の指揮下に入れ任せたが、後は握り過ぎる位迄管掌。
(ハ) 参謀本部員、師団参謀各部に分れ、統一なき干渉をなす。
(ニ) 二師団長持病神経痛、師団参謀不良。
(ホ) 敵情偵察の不充分、情況判断の不良。2D上陸時敵機跳梁し、西方より押す事不可能なりとして大迂回奇襲重点作戦に変更、軍司令部同意、飛行写真により飛行場南部敵陣地の情況等を打電せるも、師団参謀之を握り潰せり。
(ヘ) 川口支隊長の指揮放棄、命令による攻撃正面幅を不当とし意見具申より不服従となり、軍司令部附と為し聯隊長をして指揮せしむ(二十三日)。
(川口支隊長の支隊長罷免は既に述べたから、反復しないが、攻撃正面幅が不当であるとして意見具申したのではなかった、為念。)
(ト) 岡部隊長の命令違反、西方海岸よりの進出命令に遵はず、独断南部寄りに進出。避退命令アウステン山北部よりを同南方迂回に独断実施す。
(ト項の実情は理解困難である。岡部隊の行動が住吉支隊に不利を招いたといわれる節は見当らない。海軍側の誤解ではなかろうか。)
四、戦力不充分。
(イ) 敵機に対する過度の恐怖。
(ロ) 十六聯隊進出時に於けるだらしなさ。
(ハ) 二師団は|爪哇《ジヤワ》戦のみにて実戦苦難の経験なし。元気はあるも戦上手にあらず。殊に左翼隊たる那須部隊は突撃以外の手なし。
(ニ) 攻撃開始前兵の疲労大。
(再々述べた通り、ジャングル内通過の所要時間の見積りが甘かったから、所定日時に攻撃開始地点に達するために、兵は疲労困憊した。)
(ホ) 幹部も三分の一位病人なり。
(ヘ) 前線程食料医薬等なし。(盗難多し)
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