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ガダルカナル47

时间: 2020-07-30    进入日语论坛
核心提示:47 軍戦闘司令所が九〇三高地西麓に移ってから、海岸方面の戦況急迫のため、夜間業務や連絡が必要であるのに、司令部には蝋燭が
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 軍戦闘司令所が九〇三高地西麓に移ってから、海岸方面の戦況急迫のため、夜間業務や連絡が必要であるのに、司令部には蝋燭が乏しく、灯火遮蔽の設備もなかった。暗夜の着発信や連絡者の往復のため、司令部付近は深夜まで騒がしかったし、食糧不足で気が苛立ち、参謀たちが副官や書記に対して欝憤を爆発させる声も聞えた。宮崎参謀長手記によれば、小沼高級参謀や辻大本営派遣参謀らは、屡々、第一練連隊長や大隊長が意気地がないと評して、憤慨していたという。
食糧もなく、戦況が悪化して、みなの気が立ってくる様子が目に見えるようである。
 先に軍戦闘司令所からコリ岬方面への転進を命ぜられていた東海林支隊は、攻撃中止が発令された十月二十六日、傷病兵の後送と配属部隊(歩一二四の第三大隊、独立速射砲中隊、迫撃第三大隊第三中隊その他)を第二師団展開線方向へ後退させ、歩兵第二百三十連隊主力をもって、二十六日夕、米軍から離脱、密林内をコリ岬方向へ出発した。
弾薬も糧秣もほとんど尽きていたから、この転進には絶望的ともいえる苦難がつきまとった。二十四、五日の総攻撃にひきつづき、絶食と密林突破の困難を冒し、疲労の極にあって敵機の攻撃を受けつつ、十一月三日、コリ南東飛行場適地にようやく達した。
コリ岬付近には一木、川口支隊の一部が残存していて、大半は病人であったが、東海林支隊はその一三一名を収容すると同時に、その残存部隊の手持ちの糧食によって、辛うじて飢えを凌いだ。十日ぶりのことであった。
東海林支隊と十一月二日夜にコリに上陸したコリ支隊とは、五日朝になって、危うく友軍相撃せんばかりの状況下で合流したが、米軍の妨害が激しくて、新上陸部隊が揚陸した糧秣は、全員に一人当米七合二勺の分配量に過ぎなかったという。
東海林支隊のコリ転進は、労多くして功少く、ほとんど無意味であったといってよい。疲労した兵力を分離して、補給を遮断されに行ったようなものである。強いてコリ転進の効果を求めれば、若干時日敵の側背に脅威を与え得たかもしれないことだけであって、数日後、十一月十一日夜には、東海林支隊は九〇三高地方向に呼び戻されることになる。理由は海上補給の困難と、軍の全力をルンガ以西に集結するためである。先のコリへの転進は、敵を東西から挟撃するという配兵上の独善的な形式主義に過ぎなかった。
東海林支隊は俗にいう貧乏籤をひいたのである。コリからの西への転進で、出発時に三〇〇〇名いた兵力は、十一月二十一日ルンガ川渡河点に達したときには一三〇〇名に減耗していた。飢餓と疲労で行き倒れ、餓死したのである。
東海林支隊主力はさらに西進をつづけ、先頭が九〇三高地麓に達したのは十一月二十四日である。その後逐次集結した兵力は七、八〇〇名に過ぎず、それも、毎日十数名ずつ死亡していた。支隊全部で、戦闘行動に耐え得る者は、僅か二、三〇名に過ぎず、もはや戦力としては全く期待できない状態であった。
何のためにコリヘ行き、何のために九〇三高地へ戻ったのか、ただただ、三〇〇〇の壮丁が無力化し、密林に屍となって朽ちるためでしかなかった。
 海岸方面の戦況は、十一月四日朝から米軍機による攻撃が激しく、勇川や歩兵第四連隊(中熊部隊)の第一線には、午前六時ごろから艦砲射撃が加えられた。
アウステン山方面では、岡部隊(歩一二四)が西方高地を保持していた。岡部隊から原隊復帰を命ぜられた歩兵第四連隊第三大隊は、九〇三高地北方で米軍と衝突したが、撃退しつつ、苦戦をつづけている原隊へ急行した。
十一月一日以降マタニカウ川上流河谷へ後退を開始していた第二師団主力では、傷病兵の後送に難渋していた。師団では、はじめのうちは、衛生隊と第一野戦病院に傷病兵の収容後送に当らせたが、ほとんど全員が衰弱している状況では、とても間に合わず、後送は各隊が行なうこととして、歩兵第二十九連隊を後退支援に充当した。
四日、第二師団先頭は、ようやく軍戦闘司令所の位置に到着しつつあった。
五日、歩兵第四連隊では、午後四時過ぎ、勇川東側高地で戦闘指揮をとっていた中熊連隊長が、米機の銃撃で左大腿部に重傷を負ったが、指揮をとりつづけた。
この方面の戦況の不安は、その夜新鋭部隊が上陸するまで、解消しなかった。
五日夜、伊東少将指揮する歩兵第二百二十八連隊主力が、駆逐艦一五隻でタサファロングに上陸した。同部隊は、直ちに、海岸に沿ってコカンボナに向い前進した。これによって海岸方面の戦況は危機を脱したが、中熊連隊長は七日夜敵砲弾のため戦死、第二大隊長田村少佐が連隊指揮をとった。
十月下旬から十一月上旬までの歩兵第四連隊の損害は、戦死四一〇名、戦傷二九九名であったという。(戦史室前掲書)
この間の米軍の攻撃は、マタニカウ川とコカンボナ間の日本軍を一掃するという目的をもった作戦であったから、その正面に立った中熊部隊の戦況はきびしいものであった。
 十月下旬から十一月へかけて、十七軍としても大本営としても、作戦上の重大問題は、輸送船舶と揚陸のために必要な大小発動艇の問題であった。
第十七軍当初の配当船腹は、三三隻二〇万トンであったが、九州丸、笹子丸、能登丸、靖川丸、相模丸、住吉丸の六隻四万トンを喪失し、二七隻一六万トンとなり、他に特殊船、海上トラック五隻があった。
三万人の在ガ島兵力に対する補給及び弾薬その他の輸送は、最小限に見積っても一日二〇〇トンを必要とする。
三万人分常続補給を行なうには、駆逐艦ならば毎日五隻、一カ月一五〇隻を要するのに、現在使用可能延べ数は六〇隻しかない。
駆逐艦九〇隻分の不足を輸送船によるものとすれば、輸送船一五隻(五隻船団三回)を要する。
攻撃再興を予定している十一月末ごろまでに約二〇日分の糧秣及び軍需品を集積するとすれば、四二隻の輸送船と一〇〇隻の駆逐艦を併用しなければならない。(七隻船団六回と駆逐艦三日ごとに六隻)
輸送船の輸送能率が問題である。一夜の揚陸時間を午後八時から午前三時までとし(敵機の制空権下であるから、夜間作業しか出来ない)、うち実働時間を四時間とすれば、大発六隻の四往復とみて、一輸送船からの揚陸量は二四〇トンに過ぎない。船がいくら大きくて多量に積載していても、揚陸量は右のように制約される。
以上の見積りは、損傷が全くない場合の計算であって、実際には、海軍懸命の護衛の下でも、二分の一乃至三分の一の損傷があるものと考えなければならない。
揚陸に不可欠の大発の損耗は予想以上であって、既に一五〇隻損壊、目下使用し得るもの、逐次前送されたものを合して約一五〇隻あるが、これもガダルカナルで全部消耗することが予想される。したがって、今後の作戦に備えるには、実に大発一〇〇隻の補給が必要であり、駆逐艦輸送の関係からは、さらに折畳舟一〇〇隻も必要である。(数字は戦史室前掲書及宮崎前掲手記)
ガダルカナル作戦だけでも右のような|夥《おびただ》しい消耗戦であるのに、国力がいつまでそれに耐え得るかが問題であったが、輸送の確保には、艦船船腹の数量が仮りに調達され得るとしても、それだけでは不十分であった。航空基地が推進され、航空兵力が強化整備されて、輸送艦船の航行と入泊の安全、揚陸の完了が我が航空兵力の傘下で保障されるのでなければ、兵力をガダルカナルに送ることは、徒らに餓死者を作るに過ぎなかったのである。
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