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ガダルカナル48

时间: 2020-07-30    进入日语论坛
核心提示:48 十月下旬の第二師団の総攻撃失敗後、在ガ島日本軍が直面しなければならなかった問題は、既述の通り、海岸道方面からする米軍
(单词翻译:双击或拖选)
48
 十月下旬の第二師団の総攻撃失敗後、在ガ島日本軍が直面しなければならなかった問題は、既述の通り、海岸道方面からする米軍の激しい攻撃を凌ぐことと、補給を如何にして確保するかということであった。
問題の前者は、既に記したように、十一月五日に伊東少将の指揮する二二八連隊主力(二個大隊)が到着したことによって、危機を一応脱することが出来たが、補給の方は常に危機的状況にあった。
少数船団による反復輸送という計画があったが、火砲による飛行場制圧が思うに任せないので、船団輸送は延期され、海軍は、夜闇を利用しての鼠輸送を行なった。延べ軍艦二隻、駆逐艦六五隻が使用されたが、前にも触れておいた通り、駆逐艦による輸送量は少量である。一隻の積載量を四〇トンとすれば、一〇隻の輸送が成功しても四〇〇トンに過ぎない。それは、在ガ島日本軍に対する補給量としては二日分に過ぎなかったのである。
その鼠輸送に対してさえも、米軍は昼夜を問わず遮断を強化してきた。昼間は優勢な航空兵力で、夜間は軽快艦艇や魚雷艇で、日本軍の増援補給を妨害するのである。制空権を掌握しない限り、ガ島奪回の攻撃再興のために必要にして十分な戦力を、ガ島に送り、集積することはおぼつかなかった。
海軍の異常な努力による、しかし、細々とした駆逐艦輸送で、糧秣はどうにか十一月十四日ごろまでの分を揚陸したが、蝋燭、マッチ、乾電池、電報用紙、通信紙等が切れて、緊急事務にも|支障《さしつか》えるようになった。殊に乾電池の補給がないことは、通信兵の疲労や罹病と重なって、通信の渋滞、遅延をもたらした。
何等かの方法によって補給の道が確保されない限り、いまや、すべての面で手づまりとなり、窮迫しつつあった。
第二師団の戦力が衰弱して、決戦兵力として期待出来なくなってから、攻撃再興のために陸軍がガ島に投入を必要と考えたのは、第三十八師団主力、混成第二十一旅団、さらに第五十一師団である。
右の兵力とその装備及び軍需品は、輸送作戦の担当責任者としての第八艦隊司令部(外南洋部隊)の計算によれば、総兵力三万、火砲三〇〇、軍需品三〇〇〇トンにのぼり、その輸送の所要船腹は、輸送船五〇隻であった。これを海軍艦艇で輸送するとすれば、駆逐艦実に延べ八〇〇隻と日進級軍艦二〇隻を要するというのである。
しかも、敵の制空権下であるから、揚陸時間は夜間に限られることを考えれば、所要船腹は右の三倍となり、損害の見積りはその三分の一、護衛駆逐艦の損害も相当多数にのぼることを考えると、ほとんど不可能に近い輸送量であるといっても過言ではなかった。
それでも、あくまで奪回作戦を継続するとなれば、兵力資材をなんとしてでも輸送しなければならない。
 第三十八師団主力は、十一月一日の第十七軍命令によってガダルカナルへの進出を命ぜられ、師団戦闘司令所と第一梯団(歩二二九連隊──第二第三大隊欠──基幹)は六日正午輸送船九隻でラバウル発、八日午前十時エレベンタ泊地に達した。
辻大本営派遣参謀は、ちょうどそのころ東京帰還を命ぜられていて、九日朝ショートランドに到着し、第三十八師団長佐野中将を輸送船に訪れ、戦況の説明、意見の開陳をしたという。辻参謀という人物は、よくよく幸運に恵まれた人である。いつも激戦地の最前線へ出て行って、後方での会議のときなど前線へ出かけない参謀たちを尻目にかける勢いのよさを示すが、戦局いよいよ非というときには、きまって後方へ引き揚げていて、最前線の断末魔にはそこにはいないように出来ている。今度の場合もそうである。大本営からの帰還命令を受けて、それを、彼自身こう書いている。
「数日前に作戦課長、服部大佐が直接戦場を視察して帰京したばかりであり、軍の実情と、全般戦況の見透しについては十分お話申上げて置いた筈だ。
にも拘らず、その直後に帰還命令が出された真意は�殺してはならぬ�との親心であろう」(辻前掲書)
第三十八師団長が辻参謀からどのような所見を聞いたか、判然しない。辻も書き残してはいない。この時点で大本営派遣参謀が如何なる見透しを持っていたかこそが重要なことなのだが。
佐野中将以下の師団戦闘司令所と陸兵、糧秣、弾薬を搭載した駆逐艦五隻は、十一月十日午前九時ショートランドを出発、途中で敵機と魚雷艇の攻撃を受けたが、十日午後十時ガ島到着、師団長は幕僚を伴って十一日午前五時、九〇三高地西麓の十七軍戦闘司令所に着いた。
第十七軍司令官は、十一日、第三十八師団長に、伊東支隊を指揮してマタニカウ川以西の敵を撃滅すべき任務を与えた。
第三十八師団長は、右の任務に基づく攻撃準備を伊東支隊に命じ、傍ら、アウステン山の歩兵第百二十四連隊(岡部隊)を師団直轄とした。
十一月十二日、歩兵第十六連隊(堺部隊)正面に強圧を加えていた米軍は、あとで述べる理由によって、沖川河口付近に後退し、つづいて翌十三日にはマタニカウ川の線まで後退した。
伊東支隊は敵の後退に対応して、逐次前進し、十六日朝までに支隊主力を沖川右岸まで推進した。
三十八師団長は、十四日、歩兵第二百二十八連隊第二大隊(二中隊欠)を岡連隊長(歩一二四)の指揮下に入れ、アウステン山の守備を強化した。
各部隊は進出地点の死守を命ぜられ、その態勢で、後続が予定されている主力兵団の揚陸を待つことになった。
米軍は、十一月上旬ごろまでに、海兵隊、陸軍部隊合せて歩兵六個連隊、砲兵二個連隊に増強されていて、十一月十日からのコカンボナ方向への攻撃には、歩兵三個連隊砲兵三個大隊が使用されたが、歩四の死闘による頑強な抵抗に加えて、五日伊東支隊がタサファロングに上陸し、山地方面からの米軍の左翼背後を衝きそうな形勢になり、その上、日本軍有力兵団が大船団で増援するという情報に接した第一海兵師団長は、伊東支隊の攻撃開始前に、攻撃作戦を中止して周辺陣地に撤収したのである。(ジョン・ミラー前掲書)
 第三十八師団主力の輸送はガ島戦全局を通じての重大な節をなすものであったから、あとで詳しく観ることとして、三十八師団につづいて後続投入を予定されていた兵団について先に簡単に触れておく。
前に、大本営の服部作戦課長がガ島へ赴いた際に、十七軍参謀長以下と凝議して増加投入を決めた独立混成第二十一旅団(十七軍の戦闘序列編入は十月二十八日)は、輸送船四隻で十月二十一日サイゴンを出発、十一月五日大宮島入泊、十一月八日ラバウルに向った。
十一月十六日、パラオ付近で『ぼすとん』丸が雷撃されて沈没、乗船部隊四九九名は救助されたが、二二八名が行方不明となった。
残りの輸送船は十一月二十二日ラバウルに到着した。後述することだが、このころ既に、第三十八師団の大船団輸送は惨澹たる失敗に終っていたのである。
右の事情もあってのことと思われるが、それに加えて、そのころニューギニアではブナ方面の戦況が急を告げていて、独立混成第二十一旅団(歩兵第百七十連隊の二個大隊基幹)はブナの増援に充当されることになった。
また、必勝戦力として投入を予定されていた第五十一師団は、ジャングル作戦や上陸作戦の訓練を実施して、広東に集結、ガ島方面の制空権奪回後に一挙に輸送揚陸する計画であった。その攻撃開始時期を、十七軍では十二月末ごろと予定して、五十一師団の各船団は香港から航行途中無事に、第一船団が十二月十二日ラバウル到着、第二、第三船団もつづいてラバウルに入港した。ガ島戦の状況は、しかし、そのころはもはや挽回不可能な破断界の様相を呈するに至っていたのである。
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