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ガダルカナル49

时间: 2020-07-30    进入日语论坛
核心提示:49 第三十八師団のガダルカナル輸送については、第十七軍は、比較的少数船団による反復輸送を有利とする考え方であったが、海軍
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 第三十八師団のガダルカナル輸送については、第十七軍は、比較的少数船団による反復輸送を有利とする考え方であったが、海軍側はこの方針に反対であった。護衛能力を分散することになるのが否定的理由の主なもので、海軍側としては大船団輸送を集中的に護衛する方が得策であると考えていたのである。
しかし、大船団輸送を成功させるためには、ガ島の敵飛行場制圧が必須条件であり、それは在ガ島日本陸軍の火砲をもってしては効果を期待出来ないことは証明済みといってよかった。そこで、連合艦隊としては、先に十月中旬の船団輸送の際、第三戦隊の戦艦金剛、榛名をもって飛行場に艦砲射撃を加えたのと同じように、戦艦の艦砲によって飛行場を制圧し、大船団輸送を決行することに決めた。
十一月七日、連合艦隊参謀長名で次の指示が出された。
「船団揚陸ハ左ニ依リ実施セシメラルル予定
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
一、進入ハ一回ニ限リZ日(十一月十三日ト予定)二二〇〇頃トシ成ルヘク多数ノ輸送船ヲ使用(要スレハ上陸点ヲ異ニス)
二、Z-1 日夜十一戦隊ノ制圧射撃ヲ行フ(四水戦ヲ警戒隊トシZ-3日以降前進部隊ニ復帰)外 Z日大巡ノ射撃ヲ行フ
三、前進部隊ハZ-1日迄ニガ島北方ニ進出支援
四、概ネZ-3日以降航空撃滅戦ヲ強化
五、ソノ他前回ニ準ス」
[#ここで字下げ終わり]
右のうち、第四項の航空撃滅戦の強化というのは、ほとんど期待出来ないことであった。ガダルカナル上空付近の制圧権は完全に米軍に握られていたのである。十一月初頭の米軍機は各種合わせて約一〇〇機だが、密林内の微かな炊煙に対しても、また単独兵の行動さえも見逃すことなく銃爆撃を加えるほど徹底していた。
これに対して、日本海軍航空部隊は主力がラバウルに、一部がブインに展開していて、十月末現在で総機数こそ米軍のそれとほぼ互角であったが、既に述べたように優秀な搭乗員多数を失って操縦士の平均練度が著しく低下していた上に、依然として遠距離を飛ばなければ戦場に達しなかったから、戦場上空にとどまる時間が大幅に制約される問題を解決し得ていなかった。
大本営の服部作戦課長の現地での感想は「わが海軍航空部隊が大挙飛行場を襲い将兵を喜ばせましたが、その制空効果たるや、全く瞬間的なものの様に感ぜられました」というのである。(戦史室前掲書)
とにかく、第三十八師団のガダルカナルへの増援輸送に関しては、連合艦隊前進部隊の第十一戦隊(戦艦比叡と霧島)が十一月十二日夜にガダルカナル飛行場に対して実施する艦砲射撃に一切の期待が寄せられることになった。
 連合艦隊命令に基づいて、今回はただ一隻の空母隼鷹(後述)は、十一月九日午前十一時、トラック島を出撃、前進部隊は午後三時四十五分出撃した。第十一戦隊司令官(阿部中将)指揮する挺身攻撃隊(比叡、霧島の二戦艦、軽巡一隻、駆逐艦一四隻)は、十二日午前三時三十分、前進部隊から分離して南下した。ガ島砲撃に向うのである。
今回の大船団輸送を掩護する連合艦隊の作戦の弱点は、基地航空部隊の兵力技倆ともに低下していることと、空母群が先の南太平洋海戦で損傷を受けて内地に回航、整備中であって、作戦に参加出来るのは空母隼鷹ただ一隻だけ、僚艦の飛鷹はトラックに在って待機していることである。ガダルカナルの航空撃滅戦と船団の上空直掩にどれだけの期待が出来るか、心もとなかった。
十一月三日から九日までの間、ラバウルの艦戦とブインの艦戦及び艦爆はガ島とルンガ沖の艦船攻撃を企図したが、五日以外は悪天候に阻まれて実現しなかった。
十日、十一日、十二日と連日艦戦、艦爆、陸攻が出撃し多大の戦果を報じたが、我方の損害も大きく、特に陸攻のそれは多大であった。戦果報告の過大はいつものことだが、米側資料(戦略爆撃調査団)によれば、この攻撃で巡洋艦一、駆逐艦一、輸送船三が損傷を受けたに過ぎないことになっている。
前進部隊本隊から分離してガ島へ向けて南下した挺身攻撃隊(第十一戦隊、第十戦隊)は、十二日午前八時三十分、B17一機に接触された。直掩戦闘機がこれを撃退したが、艦隊の行動企図は偵知されたのである。
午後三時ごろからスコールが降り、視界不良となった。ときどき晴れ間があり、艦隊はマライタ島などを確認してインディスペンサブル海峡に進入した。
午後八時ごろから激しい雷雨となった。視界は閉されて、比叡から直衛駆逐艦の航跡がときどきしか見えなかったという。
挺身攻撃隊主隊(比叡、霧島)はサボ島の変針点に近づいたが、サボ島を視認出来ないほどスコールが激しかった。
十一航艦水上機部隊から「天候回復ノ見込ナク今夜ノ飛行観測至難ト認ム」と通知があった。
挺身攻撃隊指揮官は射撃も射撃位置への進入も不可能と判断して、午後九時五十分、反転を下令した。当時、通信状態が不良で、特に主隊と護衛の四水戦との間が不調であった。
四水戦は反転発動時刻(午後十時五分)を確認していなくて、サボ島に近づき過ぎる懸念から、指揮官の反転下令と同時に列向変換を行ない、午後九時五十五分反転した。このため、主隊と四水戦との関係位置が大きく変ってしまうことになった。
主隊の反転直後、午後十時十三分、視界が恢復し、比叡はサボ島を視認した。ガ島の陸上観測所からも天候良好の報告があった。
攻撃隊指揮官は飛行場砲撃を決意し、再び反転発動を下令した。
攻撃隊指揮官は、午後十時四十六分、ルンガ沖への進入と、四水戦に先行を下令した。予定より四十分遅れての進撃であった。
長時間の視界不良と二度の反転で艦隊の隊形は乱れ、前路掃討の位置にあるはずの四水戦が後落していたことに十一戦隊司令部は気づいていなかったという。
主隊はエスペランス岬の灯火を確認してから、午後十時三十分、射撃準備を下令、比叡、霧島は飛行場砲撃用の三式弾の装填準備を完了して、射撃開始を待った。
攻撃隊指揮官は、それまでに接した敵情報告に、ルンガ泊地に敵艦船多数が在泊しているとあったので、会敵の算大であると考えていたが、午後十一時三十分になっても、前方約一〇キロに位置しているはずの前路掃討隊(四水戦)から敵情報告がなく(後落していた四水戦は、主隊との関係位置の恢復に努力中で、まだ十分な前程に達していなかった)、また陸上観測所からも敵影を見ない、という報告が入っていたので、いよいよ飛行場射撃実施に移ろうとして、「砲戦目標飛行場」を下令した。ほぼ午後十一時三十分であった。
第三十八師団の輸送のためには不可欠の、そしてこの際は唯一の手段と考えられた戦艦主砲による敵飛行場制圧射撃が、まさにはじまろうとしたとき、攻撃隊は会敵したのである。
まず、主隊の前路を走航中の夕立がルンガ岬方向に敵を発見、次いで比叡も敵艦影を認めた。このころ視認し得た敵艦隊は、ルンガ沖に巡洋艦六隻、駆逐艦七隻、ツラギ寄りに巡洋艦三隻があるらしかった。
米艦隊は、夕立が敵を発見するより十八分早く、レーダーで日本艦隊を探知していたという。
視界は狭く、距離は近く、彼我入り乱れての混戦乱戦となった。彼我合せて多数の艦艇が、それぞれに個艦対個艦の戦闘を展開した。両軍とも、味方艦から砲撃されるような混乱を生じていた。
艦別の戦闘経過を記述することは、煩雑に過ぎて、主目的の第三十八師団の輸送問題と、そのための飛行場射撃から遠ざかることになるであろう。十二日夜から十三日朝にかけて、最もめざましく奮戦して遂に海底に姿を没したのは、第二駆逐隊の夕立と、第六駆連隊の暁であった。
結果的に、戦果として、米艦隊の大巡五隻、防空巡洋艦二隻、駆逐艦八隻、魚雷艇一隻を撃沈、大巡二隻大破、駆逐艦一隻中破と報じたが、米側資料(前掲戦略爆撃調査団)によれば、防巡二隻、駆逐艦四隻沈没、重巡二、駆逐艦三損傷となっている。
日本側は、十二日深夜から十三日未明へかけての海戦で、飛行場砲撃を主目的としていた戦艦比叡を失い、駆逐艦二隻(暁、夕立)も沈没し、駆逐艦四隻が中小破した。
海戦は、後述するように、十五日まで断続するが、戦艦二隻の主砲による飛行場砲撃は、遂に目的を達しなかったのである。
比叡、霧島(霧島については後述)の挺身攻撃隊とは別に、ガダルカナル増援部隊支援とガ島飛行場砲撃の目的を持った外南洋部隊は、十一月十三日午前四時三十分ショートランドを出撃、ソロモン諸島の北方航路をガダルカナルに向った。主隊は鳥海以下四艦、支援隊は鈴谷以下七艦である。
午後十時三十分ごろから視界がよくなったので、サボ島北西方で支援隊は主隊と分離、射撃針路に入った。飛行場射撃要領は十月中旬の金剛、榛名の場合に準じていた。午後十一時三十分、水偵が照明弾を投下、鈴谷、摩耶は新飛行場に対して砲撃開始、午後十一時四十六分、反転して旧飛行場を砲撃した。発射弾数は、鈴谷五〇四発、摩耶四八五発であった。
新旧飛行場とも火災を起こし、約一時間にわたって誘爆が認められた。
米側資料によれば、この砲撃で、急降下爆撃機一、戦闘機一七が破壊され、戦闘機三二機以上が損傷を受けたが、飛行場は作戦可能であったという。(モリソン)
十月の金剛、榛名の戦艦主砲の猛撃を受けても、米機は翌日活動したくらいだから、鈴谷、摩耶級の二十糎主砲の砲撃では、日本海軍が期待した効果はあげられないのが当然かもしれなかった。右の二艦の砲撃は、比叡、霧島の三十六糎主砲による砲撃の補助として計画されていたのである。
砲撃を終った支援隊は、十四日午前五時五十分、ニュージョージア島南方で主隊に合流し、ショートランドに向った。
途中、午前六時三十分から四十五分までと、八時四十五分から九時までの二回にわたって敵艦上機十数機ずつに襲われ、大小被害続出した。上空直衛機は配置されていなかったから、敵機は存分に活動出来たわけである。
前月中旬、サボ島沖の夜戦で、僚艦の青葉、古鷹が待ちかまえていた敵に猛襲され戦闘不能に陥ったとき、孤艦奮戦した衣笠は、一カ月後のこの朝、敵機の第一回目の空襲で火災を起こし、ようやく鎮火したところへ第二回目の空襲を受け、機関及び舵が使用不能となり、浸水甚だしく、総員退去の後午前九時二十二分沈没した。
旗艦鳥海も罐室に火災を起こしたが、間もなく鎮火、五十鈴も罐室が満水し、舵も故障し、朝潮に護衛されてショートランドに引揚げた。砲撃をした摩耶も小破した。艦隊がショートランドに帰投したのは午後一時であった。
外南洋部隊支援隊は、結果として、ルンガ岬飛行場の砲撃は予定通り実施出来たが、ガダルカナル増援部隊(船団輸送)の支援目的は果せなかった。
外南洋部隊の主隊と支援隊が敵機の空襲に苦戦していたのとほぼ同じころから、陸海軍の期待を担って南下していた輸送船団も敵機の攻撃を受けはじめていたのである。
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