返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

ガダルカナル58

时间: 2020-07-30    进入日语论坛
核心提示:58 真田作戦課長はラバウル到着早々に公式に各種事情聴取を行なったが、それとは別に、二十三日にラバウルを発つまでに、今村軍
(单词翻译:双击或拖选)
58
 真田作戦課長はラバウル到着早々に公式に各種事情聴取を行なったが、それとは別に、二十三日にラバウルを発つまでに、今村軍司令官以下の各参謀から、個別に、ガ島戦に関する腹蔵ない意見を聴取した。それらが、真田日記に|夥《おびただ》しい諸々の事項と入り混って走り書きされている。意見聴取をした相手の数も多いし、記録も長いので、完全引用ではなく、引用もしくは要約して以下に述べる。それぞれの見解が真田課長に深刻な影響を及ぼしたと考えられるからである。順序は日記に誌された順であって、位階には関係ない。
加藤道雄参謀
誰レモ自分ノ面目トカ悪者ニナラヌ様ニシテ国家ヲ危クセヌ事。一切ノ私ヲ去リ、大局ヲ見テ善処アリ度。ガ島ニ於テハ悲痛ナルモノアリ。今ノ海軍ノ状態、実力カラスレバ、今奪回ハ至難ナリ。(中略)此際ガ島ノ急速ナル奪回ハ断念スベキナリ。
草鹿十一航艦司令長官
海軍トシテハ何ントカガ島ニ喰ハサネバナラヌ。然ルニ飛行機ハ殆ドツブレ、駆逐艦ハ一八隻ノミトナツタ。コレ以上潰レタナラバ国防ハ担任出来ナイカモ知レヌ。ソコニ実ニ苦シイ点アリ。(中略)補給路ノ設定コレガナカナカ大変ナリ。
井本参謀
個人ノ気持トシテハ(ガ島奪回は)相当|六《ママ》ツカシイ。中央トシテハ大決心ノ必要アルヘシ。(中略)確算ナキコトヲ実行シテソノ結果ヲ思ヘバ、更ニガ島ノ頭数ヲ増加シテ失敗トイフコトトナリハセヌカ。
今村第八方面軍司令官
海軍ハ陸軍ノ航空ニ頼リタイトイフ気持ニアリ。実ニ意外。ガ島ハ何レニシテモ至難。ヨリテ死中ニ活ヲ求ムルノ策ナキヤヲ研究中。転換ハコチラ丈ケデ言ヘルモノニ非ズ。中央ハ海軍トノ関係ヲモ考ヘ大局的ニ策ヲ定メルヘキモノ。唯如何ナル場合ニ於テモ、ガ島ノモノハ捨テテシマウノダトイフ考ヲ持タレズニ、或ル時機ニ於テ出来ル丈ケノ人々ヲ救出出来ル様ニ考ヘテ貰ヒ度。之レガ漏レタナラハガ島ノ人々ハ一度ニ腹ヲ切ルテアラウ
加藤方面軍参謀長
空元気丈ケデモ行カヌ。一歩誤レハ国ノ大事ナレハヨク考ヘテヤツテクレ。海軍ノ空軍ト潜水艦ト駆逐艦ノ実勢力ガコンナ実力ニ低下シテヰルトイフ事ハ初メテ知リ、実ニ意外デアツタ。
神第八艦隊参謀
海軍ノ航空ハ士官以下素質ノ低下実ニ著シ。飛行機ハ出来テ逐次補給セラレルガ、人員ノ方ハ下手クソバカリデ夜間飛ベルモノ極メテ僅少、戦技モ著シク下手、随ツテミスミス潰シテシマフ。敵ニハ少シモ痛イ目ニ遭ハスコトハ出来ナイ。
駆逐艦ノ方モ士気沮喪シアリ艦長以下士官、要点ノ下士官マデ配置ヲ換ヘナケレバ使ヒモノニナラヌモノ相当アリ。(中略)
ガ島モ一時引クトイフコトモ考案ノ一ツ。(中略)ガ島ノ引方ハ駆逐艦(一八隻)ヲ以テシ、最初一六隻デ引キ、第二回一四隻デ引キ、第三回ハ補助舟艇デルツセル島東西ノ線ニ退キテ、之カラ艦艇ニ拾ツテ来ル。此方法ナラバ算アリ。(以上『真田日記』)
右の六人の見解の他に、真田課長がラバウルに飛来する直前ごろと思われる時期の杉田一次参謀の見解は注目に値する。
「……第一線将兵が毎日消えて行きつつある現況に、|荏苒《じんぜん》日を|空《むなしゆ》うし、徒らに大命の蔭にかくれて、真相に対する処置を為さないのは、不真面目、責任回避である。大楠公の精神を其儘受売りして、第一線を犠牲にし、事態の急迫を顧みざる態度は最も不可なり。」(戦史室前掲書)
これは全くの正論だが、当時はまだ孤立意見であったらしい。杉田参謀は今村軍司令官の部屋まで行って、「新しく二コ師団も出して、ガ島奪回作戦をやっても、決していい結果を生みません」(同右書)と言ったそうだが、奪回の大命を受けて赴任して来ている今村軍司令官は、杉田参謀の意見具申を却下した。
 真田課長一行は十二月二十三日ラバウルを発ち、途中連合艦隊司令部を訪れたが、往路同様に儀礼的であったという。
二十四日夜、一行はサイパンの航空宿舎に泊った。明日は東京である。瀬島参謀は最終案の纒めに取り組んだ。攻撃再興か断念か。
攻撃再興に関しては、陸海軍の実戦部隊がほとんど確信を持っていない。ガ島で消耗をつづけている間にニューギニアまで崩れてくる。海軍の海空戦力の消耗はもはや限度に来ている。
よって、攻撃再興は断念するほかない。
ならば、ガダルカナルはどうするか。
在ガ島部隊の補給を従来のように継続し、敵に対する抵抗妨害を行なわしめ、その間にソロモン防禦の主戦を後方に構築する(A案)か、在ガ島部隊を思いきって撤収し、後方に防禦主線を設ける(B案)か。瀬島参謀の判断は、A案は所詮一時的なものであり、補給継続困難となれば、結局B案に帰する運命にあるから、この際B案を判決として採る、という結論に達した。この時点では、まだ、東北部ニューギニアもガダルカナルと同じ運命に陥ることは予想されていなかったようである。したがって、ガ島は放棄しても、ラバウルを中心とするソロモン及び東北部ニューギニアを占拠する方針は変っていないのである。
その日、深夜、真田作戦課長は瀬島、首藤の両参謀を部屋に呼んで、二人の意見を質した。二人は、前記のB案が最終意見であった。
真田課長も全く同意見であった。
瀬島参謀は「南東方面爾後の作戦指導要領案」を起案した。内容の要点は、在ガ島部隊は撤収すること、ソロモン方面の確保すべき第一線はニューブリテン─ニューアイルランドの線とすること、東北部ニューギニアの要域を強化して将来のモレスビー攻略作戦を準備すること、である。この時点で、なおまだモレスビー作戦が謳われていることは、単に作文上の建前に過ぎないのか、陸軍部としてはまだその幻想が幻想に過ぎないとは思わなかったのか。
十二月二十五日夜、帰京した真田作戦課長は、参謀総長官邸で、総長、次長、第一部長に出張報告をし、戦略転換の決意の必要を述べた。統帥部首脳は全員が同意した。田中部長の転出は、やはり、巨きな出来事だったのである。
瀬島、首藤両参謀は辻作戦班長に報告し、つづいて作戦課全員に報告した。誰も異議は唱えなかった。
海軍統帥部には、二十六日、真田大佐が方針転換に関する申し入れをした。海軍側は、むしろ、陸軍側のその申し入れを待っていたというべきであろう。
撤収をめぐる陸海軍作戦課幕僚の合同研究は、その年も押しつまった十二月二十七日から二十九日まで、連日連夜行なわれた。陸軍側の主任者は瀬島少佐と首藤少佐、海軍側は山本裕二中佐と源田実中佐であった。
 ソロモン方面の戦略転換は全戦局の重大問題なので、大本営会議を開いて審議の上、天皇の裁可を仰ぐ必要があった。
真田作戦課長は、十二月二十八日、杉山総長から次のように聞かされた。
「陛下は侍従武官長に対して次のやうに言はれたさうである。
本日(二十八日──引用者)両総長から本年度の状況について一括して上奏があつたが、両総長とも、ソロモン方面の情勢について自信を持つてゐないやうである。参謀総長は明後三十日ころ退くか否かについて上奏すると申してゐたが、|そんな上奏だけでは《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、|満足できない《ヽヽヽヽヽヽ》。
|如何にして敵を屈伏させるかの方途如何が知りたい点である《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。事態はまことに重大である。ついては、この問題は大本営会議を開くべきであると考へる。
このためには年末も年始もない。自分は何時でも出席するつもりである」(『真田日記』──傍点引用者)
天皇がどれだけ真相を知らされていたか、知ろうとしていたかは、窺う由もないが、本格的な攻撃再興の見込がもはやなくなった時点でも、まだ、如何にして敵を屈伏させるかの方途を知りたいというのである。天皇は、ガダルカナルやニューギニアの前線で、「陛下の|赤子《せきし》」が日に日に何十人となく餓死してゆくことなど、想像出来ないかのようである。
 昭和十七年最後の日、十二月三十一日午後二時から、宮中大広間で御前会議が開かれた。
永野軍令部総長と杉山参謀総長の上奏内容を抄録すれば次のようなものである。
「(前段略)……南太平洋方面今後ノ作戦ハ遺憾ナカラ左ノ如ク変換スルヲ至当ト認メマス
ソロモン方面ニ於キマシテハガ島奪回作戦ヲ中止シ、|概ネ一月下旬乃至二月上旬ニ亘ル期間ニ於キマシテ在ガ島部隊ヲ撤収致シマス《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。爾後ニュージョージヤ島及イサベル島以北ノソロモン群島ヲ確保致シマシテ、速ニ各要地ノ防備ヲ強化シ攻勢防守ノ態勢ヲ保持シ(中略)
(ニューギニアに関する部分省略。ポートモレスビーに対する作戦は、観念的にはまだ消滅していない。)
|南太平洋方面作戦カ当初ノ見透ヲ誤リマシテ事茲ニ到リマシタルコトハ洵ニ恐懼ノ至リニ堪ヘサル所《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》テ御座居マスカ、今後共陸海軍緊密ニ協同致シマシテ万難ヲ排シテ戦局ヲ打開シ誓ツテ聖慮ヲ安シ奉ランコトヲ期シテ居リマス
右ヲ以テ奏上ヲ終リマス」(戦史室前掲書より──傍点引用者)
作戦の見透を誤ったと、軍最高首脳が公式に、しかも天皇の前で言ったことは、はじめてである。
審議約二時間ののち、天皇の決裁は下りた。
ガダルカナルからの撤退は、正式に決定したのである。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%