氷雨《ひさめ》の箱根を越せばあともう二日で江戸に入る。
早雲寺門前の下馬札を横目に見て、再び輿《こし》に乗ると、威勢のいい懸声で三丁の駕籠《かご》は三枚橋を渡り山崎峠を越えにかかった。
丹下典膳と供の徒士《かちざむらい》、それに草履取りの老僕嘉次平《ろうぼくかじへい》の三人である。
このあたり、踏む所石ならざるはなく、見る所山ならざるはなし。左に山を見、谷川を右にして氷雨の降る雪の坂道を走る。輿人足の吐く息ばかり白く、本当はノロノロした行程だが、動揺の激しいのと人足の懸声の喧《かまびす》しいのとで、乗っている者は結構せわしなく走っているように感じる。
初夏や秋なら、輿の垂れをあげ箱根|嶮所《けんしよ》のたたずまいを眺《なが》めも出来るが、この寒さではその興も湧《わ》かない。
風祭《かざまつり》の立場《たてば》に入った。
人家がある。合図の声を交しあって一たん輿が休む。
「——お客様、茶店がごぜえやすが、降りてお憩《やす》みなさいますかね?」
中央の駕籠のそばへ寄って、人足の頭分《かしらぶん》が垂れの外から腰をかがめた。
「あとどれ程じゃな?」
「へえ、此所《ここ》まで来りゃあもう、あと山口までひとっ走りでござんす」
「山口?……」
「箱根山の入口ってわけでござんすがね、お客様にとっちゃ出口ってことになりやす」
他の人足どもは銘々かごの傍《かたわ》らに突立って、濡《ぬ》れた躰《からだ》や汗をしきりに拭《ふ》いている。
「あとの者はまだ追いついて参らぬか?」
槍《やり》持ち中間《ちゆうげん》と若党のことである。二人は徒《かち》で峠を越して来る筈《はず》になっている。
「まだ少々は遅れなさるんじゃござんすめえか」
別の人足が言うと、
「無理であろうがチト江戸へ心が急ぐ。この儘《まま》でひとふんばりして貰《もら》えぬか。手当は出す」
「へえ」
あっさり頷《うなず》いた。
「おーい、みんな。お急ぎだと仰有《おつしや》る、丁目はおはずみ願えるってよ。あと一っ走りがまんをして呉《く》んねえ」
「合点《がつてん》だ」
喊声《かんせい》をあげて、すぐ棒を把《と》り直し輿を舁《か》き上げた。
「相棒、行くぜ」
「おう」
西南に石橋山の高く聳《そび》えるのを見捨てて、道は下り、韋駄天《いだてん》走りで三丁山を降り出した。
晴天の日なら遥《はる》かに伊豆の海が見渡され、風景絶佳というところだが、次第に雨脚《あまあし》は繁《しげ》くなる。
早川の谷の流れに添って巌石《がんせき》を左に地蔵堂を過ぎ、山口へさしかかった頃《ころ》はもうあたりは薄暗かった。
小田原城下の賑《にぎ》わいが目の前にある——
惣門《そうもん》を入って左に八棟《やつむね》造りの家が見え出すともう城下だ。八棟造りは、有名な外郎《ういろう》の薬売りの家である。
「小田原宿御用」と書かれた高張提灯《たかはりぢようちん》の下で宿屋の出迎えが四五人来て立っていた。駕籠はその前を威勢よく駆け抜けた。宮前屋源四郎なる旅籠《はたご》の表に着いた。下女たちが内から飛び出して来て迎える。皆、半分|桔梗《ききよう》と半分|鼠《ねずみ》の染分けになった粋《いき》な前垂れをしている。大体前垂れというのが、衣服を汚さぬ為に掛けるのでなく、着物の汚れ目をかくすためにするものだから、いい宿屋の女中は着物よりは前垂れに贅《ぜい》を尽くす。
後尾の駕籠から老僕が一番に出て、中央の輿の前にひざまずいて履物を揃《そろ》えた。
「お殿様。お着きでござりまするぞ」
と言った。
垂れをはね、すっと出た長身の武士。パラパラ雨が軒先から頭へふりかかった。白皙《はくせき》の、惚《ほ》れ惚れするような美男子だ。
「あとより参る者へは、これへ投宿いたした旨《むね》伝えるように」言い捨てて、下女たちの頭を下げる前を旅姿で玄関に入った。ついで家来の水田久右衛門が続く。老僕は輿人足に十分の酒代を与え、峠へ引返す途中で槍持ちに出会ったら、予定通り宮前屋へ投宿したと伝えるように頼んだ。
「大丈夫でげす。へい」
旗本は将軍家に謁見《えつけん》する資格のある者で、これを目見《めみえ》以上といったが、目見以上の旗本は「殿様」と呼ぶ。夫人は「奥様」である。目見の資格のないのが御家人、これは旦那《だんな》様、御新造さん、と言った。
座敷に落着くと先《ま》ず床の間の刀架《とうか》に大小を架け、野袴《のばかま》を脱いだ。何となくその動作は懶《ものう》げで、表情に憂愁《ゆうしゆう》がある。大小には黒布の鍔袋《つばぶくろ》を覆《おお》ってあり、当然、旅籠に着けば袋をはずす筈であるのに、それすらしない。
「ひどい輿の揺れ様にてお疲れにござりましょう」
家来の久右衛門が、これはまだ旅姿の儘で座敷のはずれに着坐して言った。
「……そうよな」
上座のふとんに坐ると、出されてあった茶を掌にとる。
「我らより爺《じい》こそ、あの年で草臥《くたび》れたであろう、早う休むように言ってやりなさい」
「は」
内に沈痛を蔵しているが家来に対する典膳の思い遣りは何時も優しい。
「その方も早う寛《くつろ》ぐがよいぞ」
言って、久右衛門が控えの間にさがり袴を脱ぎ出すと、
「明日は何里ほどかな?」
雨音の庇《ひさし》をうつ窓へ眼《め》を転じた。
「程ケ谷宿へ十二里あまりかと存じまする」
「…………」
「あとは一日で江戸。さぞ奥様も今頃は指折りかぞえてお戻《もど》りを待っておられましょうなァ……」
「そう思うか」
「は?」
老僕嘉次平がはいって来た。
「明日《みようにち》の手筈、帳場に申して一切ととのえましてござりまする。尚《なお》、番頭どもが後刻御|挨拶《あいさつ》に罷《まか》り越したいと申出ておりまするが」
「それには及ばぬ。そちも草臥れたであろう。早う休息いたせ」
「かたじけのう存じまする」
嘉次平はひたいをすり附《つ》けんばかりに敷居際《しきいぎわ》で礼をした。
「明日は、雨が歇《や》むと宜敷《よろしゆ》うございますなあ。大奥様もさぞお待兼ねでござりましょうで……」
家来の久右衛門のように「奥様」のことは言わない。嘉次平は先代の当主|主水正《もんどのしよう》の時から丹下家に奉公しているので、典膳の老母|縫《ぬい》をどうしても大奥様と呼ぶ。若い頃は本当にお美しい奥様ぶりであった、というのが酔った時の嘉次平の口癖である。そんな時は、誰《だれ》よりも当の嘉次平がウットリと幸せそうに見えた。
典膳は湯呑茶碗《ゆのみぢやわん》へ静かに蓋《ふた》をした。
「身共より余程そちの方が母上に会いたそうじゃな、はっは。……よい、早うさがって休め」
嘉次平が久右衛門を目顔で呼び出して別の間にさがると、独り、典膳は腕組をして目を瞑《と》じた。諦《あき》らめと、寂寥感《せきりようかん》と愁《うれ》いの翳《かげ》がまぶたのあたりを掠《かす》める。ずい分ながいあいだ典膳はそうして静坐して窓の雨音を聴いていた。
翌朝は昨日の雨が嘘《うそ》のような晴天だった。
昨夜遅くに供槍と若党は到着したので、今朝は主従五人、帳場の者以下下女たちに表口で見送られて首途《かどで》する。冬とは思えぬうららかな上天気である。往反《おうばん》する旅商人も多く、小田原城下の各町並に松飾りが青く揃っているのも正月を迎える清々《すがすが》しい感じがあった。
「関東で迎える正月は矢張り格別でございまするな」
「さよう。二年ぶりじゃでな」
主人典膳のあとに跟《つ》いて嘉次平と久右衛門はそんな会話を交した。今朝は嘉次平が供槍を立てて、中間が挟箱《はさみばこ》を担いでくれている。
典膳は今日は編笠《あみがさ》に野羽織、乗馬袴で駅伝(しゅくつぎの馬)に乗っている。挟箱には常に熨斗目《のしめ》、麻|上下《かみしも》、紋付、裏付|肩衣《かたぎぬ》、帯(木綿の上帯|色縞《いろじま》)、帯締め、脚絆《きやはん》、羅紗《らしや》羽織、紋付黒羽織、裏付上下など十五点の品を入れてあるので、いつでも着替えられるようになっていた。新妻の手でこれ等《ら》の品がととのえられるのなら或《あ》る情緒もあろうか。典膳は馬の背に揺られ石のように殆《ほと》んど無言をまもった。
小田原から大磯《おおいそ》へ四里。名におう花水の橋を渡り平塚《ひらつか》の宿に入って小憩をとる。次の藤沢《ふじさわ》まで三里半には馬を代える。
藤沢の宿では照手姫尼《てるてひめに》の像のある小栗《おぐり》堂で暫《しば》らく休んだ。この頃から空は再び薄曇り出した。
右に「鎌倉道」の碑のある天王の宮、八幡の宮の前を通って戸塚に入れば後は程ケ谷へ二里九丁。程ケ谷に着いた時はそれでももう真暗になっていた。此処で一泊。
翌日主従は粉雪の舞う江戸へ着いた。
丹下典膳の屋敷は半蔵御門外——麹町《こうじまち》大通り南側、三丁目横丁入ルにあった。平川天神境内とは地続きの町屋の一画を囲んで、このあたりは総《すべ》て武家屋敷。もと松平|越後守《えちごのかみ》の邸地であったのが、天和《てんな》二年に召上げられて割屋敷になったもので、丹下家の右隣りは同じ旗本の書院番花房三郎右衛門、左は玉虫十左衛門屋敷である。
「……お殿様がお帰りなされましたぞ」
嘉次平が雪に髪を濡らして門から玄関へ駆け入って呼ばわると、既に今宵《こよい》あたりお着きの筈と待ちかねていたか、屋敷では僕婢《ぼくひ》までが一斉《いつせい》に玄関わきに並んで出迎えた。典膳は二張の提灯をさきに立てて門を這入《はい》って来る。
「お勤め御苦労に存じまする」
玄関の畳に手をついて、妻女の千春は深々と叩頭《こうとう》する。綺麗《きれい》に撫《な》でつけた丸髷《まるまげ》に瑪瑙《めのう》の笄《こうがい》が重い光沢《つや》で手燭《てしよく》に映えた。好い分の不断着に着換えているが、別段夫の久々の帰宅を迎える盛粧の容子《ようす》のないのは、さすがは武士の妻の嗜《たしな》みで、上杉家重臣たる長尾権兵衛に育てられた家柄《いえがら》の良さも偲《しの》ばれた。ああいうことがあっただけに、妙な虚飾をせず不断着で夫の前へ出るというのは、実際にはなかなか出来ないことだろう。何か、裁きをまつ諦らめの心情さえ感じられて、それが不思議にみずみずしい色香を千春の身に匂《にお》わせているように皆には見えた。
あの忌《いま》わしい噂《うわさ》を、今では丹下家の者で知らぬものはない。それだけに、この対面がどうなるかと、ひそかに固唾《かたず》をのんでいたのである。
「母上は、御息災かな」
典膳は式台で雨具を脱ぐとすぐ尋ねた。ハッとするほど、やさしい声だった。
千春は、はじめて面《おもて》をあげ、
「奥の間でお待ちかねでございます……」
と言った。これも静かな声だった。
典膳は差料を妻へ渡して、その儘奥座敷へ通る。妻女は両の袂《たもと》に夫の刀を胸へ抱えて、あとに従った。廊下を鍵《かぎ》の手に曲るとき、
「御病気はどうじゃ」
典膳が訊《き》いた。
「もう、およろしいように玄庵《げんあん》どの申されております」
「そなたが良く介抱してくれた、たまものであろう」
「あなた」
妻は仄暗《ほのぐら》い廊下で、つと停《とま》った。向うに老母縫の待つ離れ座敷の灯《あか》りがほんのりと見える。サラサラ庭に小雪が舞っている。
「あとで、お話し申上げたいことがございます」
典膳は妻の方を振向かぬので、何か楽しい相談を仕掛けるような花やいだ感じに受取れた。
「あとでな、聞こう——」
典膳は背後へ言うと真直ぐ母の居間へはいった。
老母の縫は媼《おうな》のように真白い髪を茶筅髷《ちやせんまげ》に結って、座敷のはずれに、上座を悴《せがれ》の為《ため》にあけてひっそりと待っていた。五日程前に、大坂からの急飛脚で典膳が役替りのため帰府のおゆるしが下ったと聞いて、急に床払いをしたのである。
二年ぶりで悴が戻って来るのだから、床あげのお祝いも一緒にしてもらいたいというのが、飛脚の来たときからの老母の願いだった。それまでは、嫁のいう儘に要慎《ようじん》をして快方後も寝床に就ききりであったから、下人共は、やっぱりお殿様のお帰府が嬉《うれ》しくて一ぺんに元気におなりなされたのじゃと話しあっている。本当は、嫁のあやまちを老母も気づかぬ筈はなかったのだ。嫁を度々たずねて来る瀬川三之丞と顔をあわすのがうとましくて、病室に閉じこもっていたのである。
典膳は母のうしろを通って上座についた。
「只今《ただいま》帰りましてござる」
丁寧に手をついて挨拶する。
「御苦労でありましたの」
縫は病気あがりとは思えぬほど頬《ほお》もつやつやとして血色がよい。嫁とちがってこれは上品な他所行《よそゆ》きの着物に羽織をきちんと着て、典膳のうしろの小さな床の間の平卓《ひらたく》には、高麗《こま》出来の香盒《こうごう》に香を焚《く》べてあった。
「思ったよりはお健《すこ》やかな御様子で安心つかまつりましたぞ」
「はい。嫁どのがよう面倒見てくれましたでの。そなたからも礼を言うておくれ」
ニコニコ嬉しそうな笑顔をつくると、
「長十郎や」
典膳の幼名を呼んだ。
「久々にて一服進ぜましょうかいの?」
「大丈夫でござりますか?」
「何の。もうすっかり良うなって、元気なのを見てもらいたく思いまする」
老母にとって典膳は末っ子である。上に兄二人があったが、いずれも元服前に夭逝《ようせい》した。四十の声を聞いてから思いがけず産れたのが典膳である。嫁に吻《い》いつけて茶の道具を運ばせると、本当に悴の長途の疲れをねぎらうように濃茶を点《た》てる母の点前《てまえ》を、存外きびしい目で典膳は見戍《みまも》った。
サッと失意の色がその表情をかすめた。老母にだけは、妻の過失を知らせずに済ます肚《はら》だったのだろう——
「お点前、頂戴仕《ちようだいつかまつ》る」
母から受取って、妻の千春が膝《ひざ》前へ差出すのを典膳は掌に受け、一揖《いちゆう》して、小服した。片隅《かたすみ》の炉でシンシンと釜《かま》が鳴っている。もう一服と母がすすめるのを辞退して、
「いずれ後刻」
典膳はおのが居間へさがった。その夜寝所ではじめて妻と二人きりで対《むか》い合った。
「そなたの話というを聞こう」
典膳の方から声をかけた。
夕餐《ゆうさん》時に酒をすごしたが、典膳は顔に出ない方なので酔っているかどうか他所目《はため》には分らない。着物はまだ着替えてなかった。
妻の千春は夫の前に坐って、黙って項垂《うなだ》れていた。脇息《きようそく》に凭《もた》れた典膳のわきには金網を張った書院|火鉢《ひばち》が置かれている。丹下家の定紋「総角《あげまき》の紋」を金紋散らしにしたもので、銀|火箸《ひばし》が差されている。その後方には枕屏風《まくらびようぶ》を立てて夜具がのべてある。
「お召替えをなさいませんのですか?……」
いつまでも重苦しい夫の沈黙に耐えかねたのかふと千春が顔をあげ、故意に何気なく笑った。剃迹《そりあと》の青い眉《まゆ》のあたりが張りをもって得も言えぬ風情《ふぜい》があった。ほそく鼻すじの通った口許《くちもと》の美しい笑顔である。
「話を致さぬのか?」
「怕《こわ》いお顔をなすっていらっしゃいますもの。どうせ、お心を損じるお話に相違ございませんけど、もっと不断の貴男《あなた》様らしい御様子の折にお話しとう存じます」
「不断の気持で聞ける話か?」
千春はハッと顔をあげた。それから小さな声で、
「……嫌《いや》」
否々《いないな》とかぶりをふった。頬に涙がハラハラつたい落ちた。
それでも彼女は夫の前で殊更《ことさら》笑顔を作ろうとして、
「お召替えになって下さいまし」
と言う。
典膳の隆《たか》い咽喉仏《のどぼとけ》が何かを嚥《の》み込んだ。
「よい、着替えをいたす——」
脇息を離れて、立つ。千春は髷を夫へ見せるようにしてそっと頬を拭《ぬぐ》った。
いそいで座敷の隅から黒塗りの乱れ籠《かご》を取って来る。寝巻に男物の括《くく》り枕を載せたそれを夫の足許へ据《す》えると、典膳はもう床の間の方を向いて衣服を脱ぎ出した。
白羽二重《しろはぶたえ》の襦袢《じゆばん》にうす鼠色の同じ羽二重の寝衣を重ねて千春は夫の背後へまわり、背に着せかける。
「千春」
「……はい」
「死ぬではないぞ」
「…………」
「わしに思うこともある。以後この話は無しじゃ。よいか、如何《いか》ようの処置をわしが取ろうと、そなたは黙ってする儘に従っていてくれよ。よいか、死ぬことだけはならん」
寝具の傍《そば》には梨地《なしじ》金紋の刀架に大小をかけ、そのわきに黒塗|蒔絵《まきえ》の鼻紙台を備えてあった。千春は無言で夫の背を離れると、そばへ寄って鼻紙を二つ折りにして夫の枕許においた。旗本のたしなみで、火事装束が床の間の端に飾ってある。典膳は妻の繰りひろげた敷蒲団《しきぶとん》に落着いて坐った。それから脱ぎ捨てたのを畳んでいる妻へ、
「舅《しゆうと》どのはお変りないか?」
「はい、……」
「兄上も?」
「相変らずの馬にこっておりまする」
「そうか。……よい、片付けたら退《さが》って寝《やす》みなさい」
翌朝。
典膳は麻|上下《かみしも》で千代田城に登城して老中大久保加賀守、ならびに大番頭米津|周防守《すおうのかみ》へ無事帰府の挨拶を述べた。典膳の組頭たる遠山主殿頭は大坂城番の任にあった儘この十一月に逝去したので、番士の一部に役替りの沙汰《さた》があり、典膳もその一人に加えられて二年ぶりで江戸へ戻ったのである。
「どうじゃ、やはりお膝許《ひざもと》が一番よいかな?」
米津周防守は役目柄で、一応、大坂の警士の模様をたずねたあと、そんな軽口で労をねぎらった。もともと近しい間柄でもないので、あたりさわりのない応答をして典膳は城をさがった。
家を出るとき千春が、
「長尾へお寄りなさいますのですか」
と訊いた。腫《は》れぼったい睡眠不足とひと目で分る眸《め》をしながら。
長尾とは千春の父長尾権兵衛のことである。
「そうじゃな。いずれは寄らずばなるまい」
キラと不安そうに妻の瞳《ひとみ》の奥が光るのを見捨てて出て来たのである。長尾権兵衛は上杉家の留守居役なので桜田口御門外の米沢藩邸にいる。当主上杉|弾《だん》| 正《じよう》| 大《のだい》| 弼《ひつ》| 綱《つな》| 憲《のり》 は高家吉良上野介《こうけきらこうずけのすけ》の実子で、上杉家へ養子に来た人である。
桜田御門外へ出た。ここから虎之門、新橋口へかけて諸大名の藩邸が立ちならんでいる。上杉家はお濠《ほり》ぎわで最も手前の角にある。
「矢張りお寄りなされるのでございますか?」
桜田御門正面まで来た時に、家来の久右衛門がやっぱり不安そうに典膳の横顔をうかがった。
「あの頑固《がんこ》一徹の御気性じゃ。お城へ上って、帰府の挨拶もいたさず素通りしたと分れば又どの様な叱言《こごと》を受けようも知れぬ。ま、寄っておくにしくことはあるまいな」
「し、併《しか》し……」
いかに舅どのとは言え、こちらは旗本御直参の身、相手はたかが上杉十五万石の家臣である。常なら兎《と》も角《かく》、その舅たる人が、娘の婚家先へ家来をしげしげと訪ねさせ、遂《つい》にはよからぬ噂まで世間に立ってしまうように仕向けた。
元来なら、即座に妻女を離縁して男の意地を立てるのが武士であろうに、のこのこ帰府の挨拶にまで出向くとは、いかに何でも人が良すぎる。よっぽど、殿様は奥方にゾッコン参っておられるのであろうかい……久右衛門は私《ひそか》にそう思うと歯掻《はが》ゆくてならぬらしかった。昨夜江戸へ帰って、漸《ようや》く只《ただ》ならぬ下人共の様子から久右衛門も奥様に不始末のあったのを窺《うかが》い知ったのである。
旗本きっての剣客、且《か》つ器量抜群の主人というのが兼々久右衛門の無二の誇りだっただけに、俗な言葉だが夫人に尻《けつ》の毛まで数えられなされたのか……そう思って口惜《くや》しんでいる。
典膳は知らん顔だ。むしろ薄笑いさえ口辺にうかべて昨夜の雪を掻上げた門の間を上杉邸の玄関に入った。
藩邸の玄関で念のため在否をたずねると、権兵衛は今日は非番で邸内お長屋の方にいるという。
すぐそちらへ回った。表通りと違って長屋への径《みち》の両|脇《わき》にはまだ足迹《あしあと》のつかぬ白い雪が午前の陽光にキラキラ光っている。
| 奴頭《やつこあたま》の中間《ちゆうげん》が一人、典膳主従に丁寧に会釈《えしやく》をして駆け抜けて行った。
「久右衛門」
「はあ?」
何を思ったのか、急に典膳が立停った。棟《むね》をつらねて上杉家の藩士たちの住むお長屋が並んでいる。いずれもの表口に門松が雪で一そう緑を深め、飾られてある。奴僕《ぬぼく》が表へ障子を運び出し、いそがしそうに桟《さん》を洗っている家もある。十五万石は十五万石の格式なりに、銘々正月を迎える準備で藩士はいそがしいわけだ。
「舅どのにお会い申してと思うたが、せわしない折ゆえ遠慮いたそう。済まぬがその方、昨夜無事江戸へ戻ったとだけ、伝えて来てくれよ」
それから一呼吸こえを嚥《の》んで、
「——妻《さい》も、母の看病疲れの様子もなく元気、じゃとな」
「は?——はっ」
久右衛門は、我が意を得たとばかり張切って駆け出そうとするのへ、
「よいか、鄭重《ていちよう》な態度をとれよ。我がちちじゃ」
と言った。
「ぬ、ぬかりはござりませぬ」
まるで重大使命でもおびた口ぶりである。いくらか、淋《さび》しい苦笑で駆け往く家来を典膳は見送った。それから草履取りをかえり見て、
「わしはひと足さきに参る。久右衛門が戻ったら追うて参れ——」
踵《きびす》を返した。嘉次平でなくまだ若い草履取りである。
藩邸の表門を出ようとした時、外から恰度《ちようど》騎馬ではいって来た老武士があった。番卒のそれを迎える恭々《うやうや》しさを見る迄《まで》もなく、典膳には面識のある相手——江戸家老|千坂兵部《ちざかひようぶ》である。
「…………」
黙礼だけをし、なるべくなら詞《ことば》を交さず去ろうつもりが、
「丹下ではないか?」
馬上から声がかかった。竹に飛び雀《すずめ》の定紋を居《すえ》た陣笠の下で眼がじっと典膳の表情を読んでいる。
声をかけられたのでやむなく典膳も立停り、あらためて一揖《いちゆう》した。
舅権兵衛の本家すじに当る長尾権四郎は千坂兵部と同じ上杉家の江戸家老(権四郎が筆頭家老)なので、そんな縁故から兵部も典膳と千春の華燭の典には列席した一人であった。
兵部が言った。
「大坂城番と聞いておったが、いつ戻られたな?」
「昨夕おそく帰り着きましてござる」
「ほー。昨夜な」
又、じっと見た。
二年ぶりで悴が戻って来るのだから、床あげのお祝いも一緒にしてもらいたいというのが、飛脚の来たときからの老母の願いだった。それまでは、嫁のいう儘に要慎《ようじん》をして快方後も寝床に就ききりであったから、下人共は、やっぱりお殿様のお帰府が嬉《うれ》しくて一ぺんに元気におなりなされたのじゃと話しあっている。本当は、嫁のあやまちを老母も気づかぬ筈はなかったのだ。嫁を度々たずねて来る瀬川三之丞と顔をあわすのがうとましくて、病室に閉じこもっていたのである。
典膳は母のうしろを通って上座についた。
「只今《ただいま》帰りましてござる」
丁寧に手をついて挨拶する。
「御苦労でありましたの」
縫は病気あがりとは思えぬほど頬《ほお》もつやつやとして血色がよい。嫁とちがってこれは上品な他所行《よそゆ》きの着物に羽織をきちんと着て、典膳のうしろの小さな床の間の平卓《ひらたく》には、高麗《こま》出来の香盒《こうごう》に香を焚《く》べてあった。
「思ったよりはお健《すこ》やかな御様子で安心つかまつりましたぞ」
「はい。嫁どのがよう面倒見てくれましたでの。そなたからも礼を言うておくれ」
ニコニコ嬉しそうな笑顔をつくると、
「長十郎や」
典膳の幼名を呼んだ。
「久々にて一服進ぜましょうかいの?」
「大丈夫でござりますか?」
「何の。もうすっかり良うなって、元気なのを見てもらいたく思いまする」
老母にとって典膳は末っ子である。上に兄二人があったが、いずれも元服前に夭逝《ようせい》した。四十の声を聞いてから思いがけず産れたのが典膳である。嫁に吻《い》いつけて茶の道具を運ばせると、本当に悴の長途の疲れをねぎらうように濃茶を点《た》てる母の点前《てまえ》を、存外きびしい目で典膳は見戍《みまも》った。
サッと失意の色がその表情をかすめた。老母にだけは、妻の過失を知らせずに済ます肚《はら》だったのだろう——
「お点前、頂戴仕《ちようだいつかまつ》る」
母から受取って、妻の千春が膝《ひざ》前へ差出すのを典膳は掌に受け、一揖《いちゆう》して、小服した。片隅《かたすみ》の炉でシンシンと釜《かま》が鳴っている。もう一服と母がすすめるのを辞退して、
「いずれ後刻」
典膳はおのが居間へさがった。その夜寝所ではじめて妻と二人きりで対《むか》い合った。
「そなたの話というを聞こう」
典膳の方から声をかけた。
夕餐《ゆうさん》時に酒をすごしたが、典膳は顔に出ない方なので酔っているかどうか他所目《はため》には分らない。着物はまだ着替えてなかった。
妻の千春は夫の前に坐って、黙って項垂《うなだ》れていた。脇息《きようそく》に凭《もた》れた典膳のわきには金網を張った書院|火鉢《ひばち》が置かれている。丹下家の定紋「総角《あげまき》の紋」を金紋散らしにしたもので、銀|火箸《ひばし》が差されている。その後方には枕屏風《まくらびようぶ》を立てて夜具がのべてある。
「お召替えをなさいませんのですか?……」
いつまでも重苦しい夫の沈黙に耐えかねたのかふと千春が顔をあげ、故意に何気なく笑った。剃迹《そりあと》の青い眉《まゆ》のあたりが張りをもって得も言えぬ風情《ふぜい》があった。ほそく鼻すじの通った口許《くちもと》の美しい笑顔である。
「話を致さぬのか?」
「怕《こわ》いお顔をなすっていらっしゃいますもの。どうせ、お心を損じるお話に相違ございませんけど、もっと不断の貴男《あなた》様らしい御様子の折にお話しとう存じます」
「不断の気持で聞ける話か?」
千春はハッと顔をあげた。それから小さな声で、
「……嫌《いや》」
否々《いないな》とかぶりをふった。頬に涙がハラハラつたい落ちた。
それでも彼女は夫の前で殊更《ことさら》笑顔を作ろうとして、
「お召替えになって下さいまし」
と言う。
典膳の隆《たか》い咽喉仏《のどぼとけ》が何かを嚥《の》み込んだ。
「よい、着替えをいたす——」
脇息を離れて、立つ。千春は髷を夫へ見せるようにしてそっと頬を拭《ぬぐ》った。
いそいで座敷の隅から黒塗りの乱れ籠《かご》を取って来る。寝巻に男物の括《くく》り枕を載せたそれを夫の足許へ据《す》えると、典膳はもう床の間の方を向いて衣服を脱ぎ出した。
白羽二重《しろはぶたえ》の襦袢《じゆばん》にうす鼠色の同じ羽二重の寝衣を重ねて千春は夫の背後へまわり、背に着せかける。
「千春」
「……はい」
「死ぬではないぞ」
「…………」
「わしに思うこともある。以後この話は無しじゃ。よいか、如何《いか》ようの処置をわしが取ろうと、そなたは黙ってする儘に従っていてくれよ。よいか、死ぬことだけはならん」
寝具の傍《そば》には梨地《なしじ》金紋の刀架に大小をかけ、そのわきに黒塗|蒔絵《まきえ》の鼻紙台を備えてあった。千春は無言で夫の背を離れると、そばへ寄って鼻紙を二つ折りにして夫の枕許においた。旗本のたしなみで、火事装束が床の間の端に飾ってある。典膳は妻の繰りひろげた敷蒲団《しきぶとん》に落着いて坐った。それから脱ぎ捨てたのを畳んでいる妻へ、
「舅《しゆうと》どのはお変りないか?」
「はい、……」
「兄上も?」
「相変らずの馬にこっておりまする」
「そうか。……よい、片付けたら退《さが》って寝《やす》みなさい」
翌朝。
典膳は麻|上下《かみしも》で千代田城に登城して老中大久保加賀守、ならびに大番頭米津|周防守《すおうのかみ》へ無事帰府の挨拶を述べた。典膳の組頭たる遠山主殿頭は大坂城番の任にあった儘この十一月に逝去したので、番士の一部に役替りの沙汰《さた》があり、典膳もその一人に加えられて二年ぶりで江戸へ戻ったのである。
「どうじゃ、やはりお膝許《ひざもと》が一番よいかな?」
米津周防守は役目柄で、一応、大坂の警士の模様をたずねたあと、そんな軽口で労をねぎらった。もともと近しい間柄でもないので、あたりさわりのない応答をして典膳は城をさがった。
家を出るとき千春が、
「長尾へお寄りなさいますのですか」
と訊いた。腫《は》れぼったい睡眠不足とひと目で分る眸《め》をしながら。
長尾とは千春の父長尾権兵衛のことである。
「そうじゃな。いずれは寄らずばなるまい」
キラと不安そうに妻の瞳《ひとみ》の奥が光るのを見捨てて出て来たのである。長尾権兵衛は上杉家の留守居役なので桜田口御門外の米沢藩邸にいる。当主上杉|弾《だん》| 正《じよう》| 大《のだい》| 弼《ひつ》| 綱《つな》| 憲《のり》 は高家吉良上野介《こうけきらこうずけのすけ》の実子で、上杉家へ養子に来た人である。
桜田御門外へ出た。ここから虎之門、新橋口へかけて諸大名の藩邸が立ちならんでいる。上杉家はお濠《ほり》ぎわで最も手前の角にある。
「矢張りお寄りなされるのでございますか?」
桜田御門正面まで来た時に、家来の久右衛門がやっぱり不安そうに典膳の横顔をうかがった。
「あの頑固《がんこ》一徹の御気性じゃ。お城へ上って、帰府の挨拶もいたさず素通りしたと分れば又どの様な叱言《こごと》を受けようも知れぬ。ま、寄っておくにしくことはあるまいな」
「し、併《しか》し……」
いかに舅どのとは言え、こちらは旗本御直参の身、相手はたかが上杉十五万石の家臣である。常なら兎《と》も角《かく》、その舅たる人が、娘の婚家先へ家来をしげしげと訪ねさせ、遂《つい》にはよからぬ噂まで世間に立ってしまうように仕向けた。
元来なら、即座に妻女を離縁して男の意地を立てるのが武士であろうに、のこのこ帰府の挨拶にまで出向くとは、いかに何でも人が良すぎる。よっぽど、殿様は奥方にゾッコン参っておられるのであろうかい……久右衛門は私《ひそか》にそう思うと歯掻《はが》ゆくてならぬらしかった。昨夜江戸へ帰って、漸《ようや》く只《ただ》ならぬ下人共の様子から久右衛門も奥様に不始末のあったのを窺《うかが》い知ったのである。
旗本きっての剣客、且《か》つ器量抜群の主人というのが兼々久右衛門の無二の誇りだっただけに、俗な言葉だが夫人に尻《けつ》の毛まで数えられなされたのか……そう思って口惜《くや》しんでいる。
典膳は知らん顔だ。むしろ薄笑いさえ口辺にうかべて昨夜の雪を掻上げた門の間を上杉邸の玄関に入った。
藩邸の玄関で念のため在否をたずねると、権兵衛は今日は非番で邸内お長屋の方にいるという。
すぐそちらへ回った。表通りと違って長屋への径《みち》の両|脇《わき》にはまだ足迹《あしあと》のつかぬ白い雪が午前の陽光にキラキラ光っている。
| 奴頭《やつこあたま》の中間《ちゆうげん》が一人、典膳主従に丁寧に会釈《えしやく》をして駆け抜けて行った。
「久右衛門」
「はあ?」
何を思ったのか、急に典膳が立停った。棟《むね》をつらねて上杉家の藩士たちの住むお長屋が並んでいる。いずれもの表口に門松が雪で一そう緑を深め、飾られてある。奴僕《ぬぼく》が表へ障子を運び出し、いそがしそうに桟《さん》を洗っている家もある。十五万石は十五万石の格式なりに、銘々正月を迎える準備で藩士はいそがしいわけだ。
「舅どのにお会い申してと思うたが、せわしない折ゆえ遠慮いたそう。済まぬがその方、昨夜無事江戸へ戻ったとだけ、伝えて来てくれよ」
それから一呼吸こえを嚥《の》んで、
「——妻《さい》も、母の看病疲れの様子もなく元気、じゃとな」
「は?——はっ」
久右衛門は、我が意を得たとばかり張切って駆け出そうとするのへ、
「よいか、鄭重《ていちよう》な態度をとれよ。我がちちじゃ」
と言った。
「ぬ、ぬかりはござりませぬ」
まるで重大使命でもおびた口ぶりである。いくらか、淋《さび》しい苦笑で駆け往く家来を典膳は見送った。それから草履取りをかえり見て、
「わしはひと足さきに参る。久右衛門が戻ったら追うて参れ——」
踵《きびす》を返した。嘉次平でなくまだ若い草履取りである。
藩邸の表門を出ようとした時、外から恰度《ちようど》騎馬ではいって来た老武士があった。番卒のそれを迎える恭々《うやうや》しさを見る迄《まで》もなく、典膳には面識のある相手——江戸家老|千坂兵部《ちざかひようぶ》である。
「…………」
黙礼だけをし、なるべくなら詞《ことば》を交さず去ろうつもりが、
「丹下ではないか?」
馬上から声がかかった。竹に飛び雀《すずめ》の定紋を居《すえ》た陣笠の下で眼がじっと典膳の表情を読んでいる。
声をかけられたのでやむなく典膳も立停り、あらためて一揖《いちゆう》した。
舅権兵衛の本家すじに当る長尾権四郎は千坂兵部と同じ上杉家の江戸家老(権四郎が筆頭家老)なので、そんな縁故から兵部も典膳と千春の華燭の典には列席した一人であった。
兵部が言った。
「大坂城番と聞いておったが、いつ戻られたな?」
「昨夕おそく帰り着きましてござる」
「ほー。昨夜な」
又、じっと見た。