馬が首を上下に振って蹄《ひづめ》で地を掻《か》いた。雪解けのぬかるんだ足許《あしもと》である。兵部は手綱《たづな》をため、馬を左方へやった。それから従者の武士ふたりを振返り、
「その方らは戻《もど》っておれ」
いいつけると、中間にくつわを把《と》らせ馬から降りる。鞭《むち》を渡した。
ゆっくりと典膳に近寄って来る。
「母者がお悪かったそうなが、もう本復いたされたのか」
「……お蔭《かげ》様で」
典膳の涼しい目がチラと警戒の気配をみせた。老母|病臥《びようが》のことを殊更《ことさら》に話し出したのは、あの噂《うわさ》を兵部も耳にしている証拠と見ていいだろう。
「——其許《そこもと》」
まじまじ典膳の眼《め》に見入っていたのが、
「権兵衛には会わずに帰るつもりじゃな」
「!」
「それがよい。おぬしほどの男じゃ。滅多な短慮はおこすまいとは思うが」
「何のお話でござろう。某《それがし》にはとんと」
「ほ、合点がゆかぬ? なれば結構。——うむ、結構……」
満足そうに、ひとりうなずいて、
「兵部も安堵《あんど》いたしたぞ。松の内は当方も暇。喃《のう》、気が向けば碁でも囲みに訪ねて来られい」
その儘《まま》ちょっと会釈《えしやく》を返してスタスタと玄関へ去った。式台で藩士の何人かが手をついて迎え出ている。典膳は門を出た。
しばらくすると久右衛門が追いついて来て、
「帰府の御挨拶《ごあいさつ》、相済ませましてござる。折角これまで出向いてくれたなら、何故《なにゆえ》顔を見せてはくれんであったかいと、大そう残念そうに申されておられましたる由。いずれ正月|匆々《そうそう》には対面のこと愉《たの》しみに致しておるとの挨拶にござりました。それから御母堂さまへ呉々《くれぐれ》も御大——おや、どうか遊ばされましたか?」
江戸城の高見|櫓《やぐら》が冬の空にくっきりと聳《そび》えている。それへ典膳は凝乎《じつ》と目を上げて歩いていたのが、
「何でもない」
ぽつん、と言った。久右衛門の話などは聞いていない。何か余事に思案をめぐらす虚《うつ》ろな声だった。
この日は都合で堀内道場へ回るかも知れないと典膳は言ってあったが、真直ぐ屋敷へ戻った。
実家の父権兵衛、兄竜之進に夫が会ってどの様な按配《あんばい》だったかと千春はひそかに心配していたようである。玄関に出迎えると、一番に縋《すが》るような視線を注いだ。
昨夜はそういう妻にやさしく言葉をかけたが、この日典膳は無視して居間へ入った。あとを追うて直ぐ千春がやって来ると、
「嘉次平を呼んでくれぬか。手伝わせたいことがある。そなたは座をはずしておれ」
元禄のこの比《ころ》は、密通をした男女はその場に於《おい》て討留めてもよいと定められていた。又それを訴え出れば、取調べの上で男女とも同罪にするという規定がある。この同罪というのは姦夫《かんぷ》姦婦を非人の手下にする、良民たる分限を停止するというので、死罪ではない。主人の妻に通じた男は獄門、女は死罪、夫のある女に強《し》いて不義をした者——強姦は、死罪。そんな制度の定められたのは寛保年間(元禄から約五十年後)のことである。
しかし元来、姦通は親告罪なのだから、実際には表立てずに内済《ないさい》するものが多かった。一かどの身分の武士なら猶更《なおさら》のことだろう。それだけに、千春の如《ごと》く世間の大方にその情事を知られてしまった場合は、典膳の立場は非常に苦しくなる。典膳自身が、妻の千春を愛す愛さぬの問題ではもう片付かぬことなのである。
「お呼びでござりまするか?」
千春が夫の上下《かみしも》を取片付けて、一言も言わず、うなだれがちに座敷を出たあと暫《しば》らくして廊下の外に嘉次平が手をつかえた。
「はいって参れ」
典膳は脇息《きようそく》に凭《もた》れ、火箸《ひばし》で灰に字を書いていた。嘉次平は膝《ひざ》で進み入って障子を閉めると、そのまま敷居際《しきいぎわ》にかしこまる。何かおずおずした様子だった。
「爺《じい》に頼みがあるが」
「はい?……」
「そちは舟橋の生れじゃと申したな」
「さ、さようにござりまする……」
「狐《きつね》が出るそうなが、まことか」
「は?」
「舟橋辺には狐が棲《す》んでおるとかよく申したではないか」
「ハイ、今でもそれは多うござりまする。……しかし」
何か奥様のことについて、女中どもの囁《ささや》き合っている真偽でもただされるかと案じていたのが、だしぬけに狐の話を持出されたので呆気《あつけ》にとられた態《てい》だ。
少時《しばらく》典膳は黙り込んだ。
「足労であろうが、至急、村人にでも頼んで狐を捕ってくれるよう手配致して呉れぬか。——出来れば大きいが良い」
「一|疋《ぴき》でござりまするか」
「さよう。白狐でも捕れれば言うことはないが」
「お詞《ことば》を返して失礼にはござりまするが、何をあそばしますので?」
「今は申せぬ。そちはただ捕って参ればよいのじゃ」
「ハ、ハイ。……」
「年内に捕え得れば究竟《くつきよう》——。そうなるように直ぐにも舟橋へ出向いてくれよ。それから、念をおす迄《まで》もあるまいが、この儀は妻《さい》は申すに及ばず、家人の誰《だれ》にも口外はならぬぞ。……母上にもな」
障子に、白く差していた陽差《ひざし》がすっと翳《かげ》った。
「承知いたしました」
嘉次平は座敷をさがるとその日のうちに舟橋へ趨《はし》った。
嘉次平が舟橋の山里から狐を捕って来たのは、いよいよ明日が正月という大晦日《おおみそか》である。こげ茶の普通の狐で、それでも金二両払ったそうである。
典膳は嘉次平の報告を聞くと大そう喜んで両三日、裏庭に飼育しておくようにと命じた。且《か》つ家人の誰にも之《これ》をさとられぬよう改めて厳命した。
元日になった。千春は盛装して美しい笑顔で新年の挨拶を述べ、ついで広座敷に老母の縫をはじめ、下働きの者以外は総《すべ》て典膳の前に居並んでお屠蘇《とそ》のお流れを頂戴《ちようだい》した。
典膳は以前のように下々の者にも優しく詞《ことば》をかけ、千春に対しても新婚当初の如く思いやりのある態度で接した。千春が素直にそんな夫の意を汲《く》んで丹下家の奥様らしく振舞ったのは、もう覚悟をきめていたからだろう。嘉次平が大奥様の前へ出て三拝九拝して賀詞を述べたが、なかなかひき退《さが》らないので皆がクスクス笑ったとき、
「じいや。松納めまで未《ま》だ五日あるのですよ」
やさしくひやかしたのも千春であった。皆は声を立てて笑い、本当に二年ぶりで邸内には新春らしい和気が藹々《あいあい》と立罩《たちこ》めた。
祝いを済ますと典膳は熨斗目《のしめ》麻|上下《かみしも》で拝賀のため登城した。歯固めの御祝いも例年の通りに済ます。歯固めとは年首の祝儀だが、かねて歯と通ずる齢を固める意味があり、往古は歯固めの具に鹿《しか》や猪《いのしし》の肉、かぶら大根などを用いた。鏡餅《かがみもち》も、もとは歯固めの義から出たという。
さて年始を了《おわ》るとその足で典膳は舅《しゆうと》の権兵衛宅へまわり、年頭の挨拶ののち、実は自分は大坂勤番中に暇を見ていささか謡曲の伝授をうけた。ついては明二日夕、ささやかながら我が家に於《おい》て近親縁者を集め咽喉《のど》を聞かせたい存念である。されば是非とも明日は父子|揃《そろ》って御列席を賜り度《た》い。本来なれば当方から出向いて一曲うたうべきであるが、今も申すとおり、年始を兼ねての催しなれば是非是非御来光下さるようにと申し出た。
例年、正月二日は本城に於て将軍家出座のうえ謡曲始めの宴がある。それを真似《まね》たととれるし、藩主上杉弾正大弼綱憲は国許・米沢に在城のことではあり、「必ず出向いて婿《むこ》殿自慢の声きかせて頂こう」と権兵衛は応《こた》えた。典膳はひきとめられるのを程々にして長尾邸を出た。
その足で、二年ぶりに堀内道場へ寄った。稽古《けいこ》始めは例年五日からはじまるしきたりである。御旗本の典膳が元旦《がんたん》に道場へ来るなぞ常にないことで、折あしく指南の堀内正春は年始に出向いていて居なかった。師範代高木敬之進も師に従って同道したという。予期した如く、典膳はここでも明夜の謡曲の催しの一件を述べ、道場を代表して、当主堀内源太左衛門か敬之進に是非出席を乞《こ》う旨《むね》をことづけ、玄関で引返した。
さて帰宅すると嘉次平をひそかに呼んで何事か耳打ちした。
翌二日夕景。
丹下家での謡《うたい》会は盛大に催された。新春のことではあり、当主典膳が二年ぶりで江戸に戻ったというので、年始かたがた大方の親戚《しんせき》縁者は出席する。中には催しのあることを知らず、典膳の帰府したことだけを聞き伝えてやって来た旗本仲間もある。そんなのは宵《よい》に会があると知ると一たん辞去して、夕刻七ツ半|頃《ごろ》にあらためて出直して来た。
上杉家からは長尾権兵衛父子に、婿自慢の権兵衛の言に誘われて同席した鈴木元右衛門、典膳の叔父丹下久四郎、伯母方の婿で火元御番頭をつとめる後藤七左衛門、隣家からは玉虫十左衛門用人、旗本仲間の御進物番永井|某《なにがし》、御提灯《おちようちん》奉行北角某、それに堀内道場師範代高木敬之進、同じく服部《はつとり》喜兵衛などが主な客である。いずれも典膳の人柄《ひとがら》に好意と畏敬《いけい》の念を寄せる面々なので、さぞ名調子が聞けようなぞと始まらぬうちから広座敷で膳《ぜん》の饗応《きようおう》をうけて愉しんでいる。
いそがしいのは千春である。美しく今宵《こよい》は着飾って、万事に落度なきよう振舞ってくれよと昨夜夫に言いつけられてあったので、立居振舞いも明るく誰彼に万遍ない笑顔をふりまいた。もともと千春は明るい性質で物事にこせこせしない。多勢の人中に出て引立つ人と、ひっそり家にこもって居て立派さの耀《かが》やき増す女性があるとすれば、千春は前者である。それでいて軽佻《けいちよう》の感じを人に与えないのは、どこやらまだ娘々した花やぎが身についているからだろう。上品で、美しいそんな妻の振舞いを典膳も静かに打眺《うちなが》めて盃《さかずき》を献酬したから、ほとんどの客はあの噂を一瞬疑う気になったという。
さて一応、客に酔いもまわったころに謡会がはじめられた。典膳の披露《ひろう》したのは『清経《きよつね》』の一節だったが、「初め深く契《ちぎ》りし女房《にようぼう》あり、都落ちのおりこれを伴わんとしたれども得ず、途より髪を切って形見としたるを、其後、女房今は形見もよしなしとてそれを返し歌を添えたり」という、平家物語に拠《よ》ったその曲の、半ばにさしかかった時である。
ふと典膳の声がとまった。庭に臨む障子に視線を投げ、何やら気配を窺《うかが》っていたと思うと、謡曲を中止し、刀を取って廊下に飛び出すや気声鋭く、白刃《しらは》を揮《ふる》って何かを斬伏《きりふ》せた。
「ぎゃっ」
と叫ぶ断末魔の悲鳴が庭の夜気に木魂《こだま》した。
何事かと一座は浮足立つ。
「しずまって頂き度い」
典膳は、肩で大きく息をし、とび出して来る面々へ、
「これで謎《なぞ》が解け申した」
と言った。
斬られていたのは例の狐である。
「一体、な、なぞとは?——」
「されば、座へ戻ってお話し致す」
典膳は血のしたたる刀を家来久右衛門に手渡し、一同、呆気にとられている前へ戻ってぴたりと坐《すわ》った。
典膳は言った。
「実は既に存じ寄りの方もあろうと思われるが、それがし大坂勤番中、妻にいかがわしき風評あり、某も木石に非ずひそかに懊悩《おうのう》いたしておったるところ、先程、庭さきに噂の相手が忍び入った様子ゆえ、それと思って斬棄てたところがこの始末である。御覧のとおり、姦夫と見えたは実は狐。——されば以後、再び妻によからぬ気配の見えることもあるまいと存ずるが、それがしの為ひそかにお案じ下された向々《むきむき》も以後はどうぞもう、懸念をお霽《は》らし下さるように」
そう言って列座の一人ひとりをずーっと見渡した。
顔色の変っていたのは末座に控えた千春を除けば、舅の権兵衛ひとりである。
それが膝を乗出した。
「こ、こともあろうに千春に限って左様《さよう》のふしだらな噂が立つとは言語道断。初めて耳にいたす話じゃが、一体、妖怪めの化けおった相手は、誰じゃな?」
「——父上、それはもうよろしゅうございましょう」
かたわらで千春の兄の竜之進が、
「事実なれば兎《と》も角《かく》、妖怪変化の仕業《しわざ》と分明いたしたものを今更」
「む? すりゃ其方も噂は聞いておったのかい」
典膳を見詰めて、ゆっくり竜之進は頷《うなず》いた。
「な、何故今まで黙っておった?」
「余り馬鹿馬鹿《ばかばか》しい噂ゆえお耳に入れる迄もないと存じ」
「しかし、狐めがノコノコ出て参ったからよい様なものの、これが正体を見せん儘であったら、千春が迷惑は申すに及ばず、我らとて姦婦の父兄と譏《そし》りを受くるところじゃぞ。黙っておるも事と次第によるわ」
白髪頭《しらがあたま》をふるわせ本気で怒っている。
「まあまあ——」
上杉家臣の鈴木元右衛門が隣りから手で制して、
「竜之進どのも申される通り、すぎた事であれば今更妖怪が仕業を兎や角申したとて詮《せん》もござあるまい。狐の化けた仕業と分ったは寧《むし》ろ究竟《くつきよう》。それより、今日まであらぬ疑いの目で見られた千春どのこそお気の毒な次第であったに、よう今まで黙って堪えておられた。かく申す鈴木元右衛門も何をかくそう、実は内々噂を耳に致して」
「や。すりゃおぬしまで知っておったのかい」
権兵衛大きな眼をむいた。座敷にさざ波のような笑声が思わず立つ。千春を内心疑っていたことでは誰もが同じだった。それだけに妖狐の仕業と判明してほっと典膳のため胸を撫《な》でおろしたのと、猜疑《さいぎ》した自分への苦笑でわらったのである。
何にしても、噂の正体がここに明かされたのを一同わが事のように欣《よろこ》んだ。まだ疑心を残していた者も更《あらた》めてめいめいに灯《あかり》を持って庭に出、狐の死骸《しがい》を目にすると、なるほどこれならと頷《うなず》く。
それほど大きな狐が、闇《やみ》に眼《まなこ》を見ひらき、突出した口の歯を白く見せて死んでいた。一刀浴びただけである。天を向いて、その口から俗に狐火と呼ばれる燐火《りんか》がもうチロチロと立昇っている。
あらためて座敷では酒宴がはじまる。
千春はそれとなく姿を消し、ふたたび客の前へは現われて来なかった。潔白が証明されたようなものの、いかがわしい噂のあった躰《からだ》と公表されては矢っ張り気羞《きは》ずかしいのだろう、無理もない、われらとて千春どのを内々疑い申した方じゃ。口々に旗本らはそう囁いて、
「とにかく芽出度《めでた》い。正月ではあり、丹下氏にとっても今年はよき年回りでござろう」
多少の照臭さはまじえても心から各々誤解のとけたのを喜んだ。
今一度と謡曲を請われたが、さすがに謡《うた》う気にはなり申さぬと典膳はことわった。程々に酒の入ったところで、一人、二人、
「あまり長座をいたしては」
そう言って、饗応の礼を述べ、帰っていく。
狐の亡骸《なきがら》は嘉次平がひそかに丹下家の菩提寺《ぼだいじ》青山三分坂の法安寺へ運んで丁寧に葬《ほうむ》った。
客の大方がまことの妖怪の所業と信じた如く、ひそかに千春を疑ったのを心に恥じたのは丹下家の下人共である。つらつら思えば現場をそれと見た者は一人もない。主人の不在中、いかに何でも足|繁《しげ》く通うて来すぎる瀬川三之丞への不快感が潜在して、生じた妄想《もうそう》なので、言ってみればあんなお侍を何で奥座敷まで入れたりなさるのであろう、奥様も余りといえばお慎しみが無さすぎる……そんな義憤も手伝ってつい、朋輩同士、三之丞の帰る後ろ姿を指さすようになった迄であった。
丹下家の庭で出没していた古狐が主人典膳の手で斬られた噂は松飾りの取れぬうちにパッと近辺の評判になった。人の口に戸は立てられぬと譬《たとえ》にあるが、この時になって如何《いか》に多くの町民までが千春の不義を耳にしていたかが分った。併《しか》し彼|等《ら》はそれが妖怪の仕業と分って安心したのか、忽《たちま》ち話に尾鰭《おひれ》をつけ、二人はああだった、こうだったと大声に話し出した。責《せめ》は狐にあることで、丹下夫人に迷惑はかからぬように、ちゃんと考えての饒舌《じようぜつ》である。大方は嘘《うそ》にきまっており、それも互いに心得た上で、口から出まかせに妖怪変化ぶりを誇張して愉しんでいるのだから他愛《たわい》のない咄《はなし》だ。
人の噂も七十五日という。春がそろそろやって来ようという二月すえには誰一人もう狐の話をする者はなくなった。むろん、今では千春の潔白を疑う者は誰もなかった。
典膳はそれを待っていたのである。
世間の噂も消え、千春に疵《きず》がつかぬよう顧慮して後、姦通の取沙汰《とりざた》の止《や》むのを待って、
「そちを離縁する」
と言った。
夜も更けて亡父|主水正《もんどのしよう》の七回忌を無事済ませて、晩のことである。
丹下家の下人共も含めて、嘉次平を除いては夫婦の睦《むつ》まじさを疑う者は今では一人もない。
新年のあの晩、狐の斬られたのを最も胸を痛めて瞶《みつ》めたのは千春であったが、典膳は宴が果てて後、おのが居間に引籠《ひきこも》って呆《ほう》けたように虚空の一点を凝視している妻へ、
「何も言うな。分っておろうがそなたは以後も渝《かわ》りなく身共の妻じゃ」
と言った。
千春は絶望的とも、懇願とも瞋恚《いかり》ともとれる一すじな眸《ひとみ》で、
「死ぬのを許して下さいまし……」
曾《か》つて、これほど大きな瞳《ひとみ》で千春が夫を睨《にら》んだことはない。
「死ねばそなたは済むと思うておるのか?」
「…………」
「千春。丹下典膳|生涯《しようがい》に妻はそち一人ときめておったぞ」
「…………」
「泣くことはない。せっかく身代りになった狐じゃ。霊を弔うてやるためにも、さ、いつものように皆へ笑顔を見せてやれ」
それでも千春は黙って夫を睨んだが、突如《とつじよ》、畳に突伏して身も世もあらず声をあげて号泣した。典膳は見捨てておいておのが寝所へ入った。
千春の聡明《そうめい》さは、それでも泣き崩れたのはこの一晩きりで、翌朝からはもう何もなかったように家人に接したし、典膳と二人きりの場合は兎も角、来客や家来のいるところでは以前とかわらぬ仕合わせそうな妻に見えた。
噂も消え、だから本当に仲睦まじい夫婦と見えていたのが、突然の離縁である。
千春は驚く様子はなかった。淋《さび》しさはかくせなかったが、何日ぶりかの微笑を夫に注いで、
「ながらくお世話様になりました」
手を仕えて挨拶した。
「肯《き》き入れてくれて忝《かたじけな》い。——明日、実家《さと》へ帰るな?」
「……はい」
「母上へは身共から話しておく。そなたは明日の朝でも挨拶すればよかろう。荷物は後で当方より届けさせる」
「あなた」
「—————」
「明日はわたくし一人で里へ帰らせて下さいまし」
「それはなるまい、七左衛門どのを通じて致すが順序であるが、思うこともあり、明日は身共がそなたを伴って行く」
「上杉へでございますか?」
典膳がうなずくと千春は周章《あわ》てた。
「それでは危うございます。父はあの様な気性ゆえ、わたくしを叱《しか》りますよりは貴男《あなた》を」
「分っておる。だから七左衛門どのを通さぬのじゃ」
火元御番頭をつとめる伯母婿、後藤七左衛門は両家縁組の媒酌人《ばいしやくにん》だったのである。
千春は、尚《なお》も一人で帰ると言い張ったが典膳は肯《き》かなかった。
千春の不幸な予感はあたった。むすめが離縁されたと聞いて烈火の如く怒ったのが権兵衛である。
典膳が翌朝、妻を伴って長尾家を訪ねたのが離縁のためと知る筈《はず》もないから、舅《しゆうと》の権兵衛は大喜びで夫婦をおのが居室へ招じ入れた。
二人|揃《そろ》って訪ねて来てくれることなど、千春が典膳のもとに嫁入りして三日目に、里帰りで戻《もど》った時以来である。肝腎《かんじん》なことだが千春に不義の疑いがあったことを今では綺麗《きれい》さっぱり権兵衛は忘れていた。
娘の粧《よそお》いが殊更《ことさら》花やかなので、さては孫でも孕《はら》みおったか、それにしては婿《むこ》殿の帰府が旧臘《きゆうろう》ゆえ未《いま》だふた月に足らず、出来るは早すぎるようである……そんなせっかちな想像までしていた。
挨拶《あいさつ》を交しあい、千春が実母の部屋へさがるのを俟《ま》って典膳が話をきり出したから権兵衛が錯愕《さくがく》したのも無理はない。
「何、離縁いたすと?」
「さよう」
「わ、わけを聞こう。いかなるわけあって離縁をいたすか、そ、そのわけを聞かさっしゃれ」
「別にわけと申すほどのこともござらぬが」
「何。何。何。貴公わけもなく妻を離縁いたすがような人物か? これは見損なった——典膳、三国一の婿と今に信じておるこの権兵衛が目を、まさか節穴とは思うまいの? おぬしほどの武士が離縁を申出るからにはそれだけの仔細《しさい》がある筈《はず》。それを聞こう。武士たる者の娘が、一たん他家に嫁いで破談になりましたとノコノコ帰るがような躾《しつ》けを、この権兵衛千春に致した覚えもなし。仔細があるなら、何故《なにゆえ》それを打明け肚《はら》を割ってくれぬのじゃい。水、水臭いではないか!……」
「—————」
「いかなるわけじゃ? 他言ならぬ儀であれば我らも上杉が家来。滅多なことで口は割らぬぞ」
「——何と申されましても」
典膳は冷やかな微笑さえうかべてチラと相手を見た。
「今更、翻意するわけもなく、別に仔細があるのでもござらぬ。強《し》いて申せば大坂表に罷《まか》り在る内いささか気が変ったと——」
「ぬ?……すりゃお主、ま、まこと理《ことわり》もなしにあれを離縁すると言うか?」
「—————」
「典膳。かりにも我が長尾家は上杉にて筆頭家老をつとめる家柄《いえがら》じゃ。娘を嫁がせ、わけもなく不縁に相成り申したと殿に言上いたして事が済むか済まぬか、おぬしも御直参なれば察しはつこう筈。それを、事をわけて話しも致さず、唐突に離縁では武士の一分《いちぶん》チトはずれは致さぬか。家風が合わぬなら合わぬで、何故すじを通してあれを破談にしてやってくれぬ?……」
何と言われても典膳はもう黙して語らない。怒声は他の座敷へも響くから、屋敷中が声を殺してひっそり静まり返っている。
怺《こら》えかねてか権兵衛が湯呑茶碗《ゆのみぢやわん》を鷲掴《わしづか》みにパッと典膳へ抛《な》げつけた。湯が面体《めんてい》にかかった。
典膳は顔色ひとつ変えない。
懐紙を取出して、ひたいを拭《ぬぐ》い、袖《そで》の紋のあたりが濡《ぬ》れているのを落着いて拭《ふ》いた。
権兵衛は老躯《ろうく》を微かにふるわせて激怒する。典膳が落着き払えば一そう怒りがこみ上げてくるのだろう。
茶碗は典膳の頭上を飛んで青蓮院《しようれんいん》流の書を表具した襖《ふすま》に当り、敷居際《しきいぎわ》に転がっていた。
「!……」
暫《しば》らく双方無言に対坐していると、その襖が向うからすーと開いた。
典膳は襖へ背を向けている。背後を大きく迂回《うかい》して権兵衛の傍《そば》へ坐《すわ》り、
「声が高うござりまするぞ」
たしなめてから、
「委細は次の間にて聞いておったが」
典膳の方へ坐り直った。兄竜之進である。
次の間にてと言ったが実は別座敷で千春と話し込んでいたらしい。勤めから下ったばかりの上下《かみしも》姿で、口許《くちもと》の緊《し》まったあたりが矢張り妹と似ている。色は浅黒く、すっかり日に焼けているのは一日たりとも好きな馬術の調練を欠かさぬ所為《せい》だろう。年は三十二歳。がっしりとした体躯で挙措に万事落着きがあり、年よりふけて見えた。
「千春を離縁なされたそうなが、拙者《せつしや》一存にてひとつ、お主に確かめおき度いことがある」
「何ですな?」
「いつぞやの狐《きつね》の一件」
「?」
「あれは、たしかに狐の仕業《しわざ》であったろうな?」
「いかにも」
「千春に不義の事実は断じて無いと申すのじゃな?」
「——ござらぬ」
ちらと竜之進の眼《め》に憐愍《れんびん》の色が動いたが、
「ならば結構——父上、かかる男とこれ以上いさかいを致されても無駄《むだ》。却《かえ》って千春を苦しめるばかりにござろう。何事も否運《ひうん》と当人は諦《あき》らめておる様なれば、もう早う、この男をおかえしなされませい」
と言った。
「かえす?……わけもなく娘を不縁にいたされた儘《まま》でおめおめ」
「いや。いずれ、その返礼はそれがし致してみせるつもり」
言いながら典膳をじいっと見据《みす》えて、
「典膳、その方まことは千春に不義の噂《うわさ》あったを根にもっての破談であろうが、おのが手にて狐の成敗いたしながら千春を返すとは呆《あき》れ果てた|うつけ《ヽヽヽ》者よ。今日が日まで汝《なんじ》を弟と呼んだ誼《よし》みじゃ。性根をすえ代えて呉《く》れる。……覚悟」
太刀を引寄せ、上下《かみしも》の肩を脱いだ片膝《かたひざ》立ちにサッと一刀浴びせた。濡れ手拭《てぬぐい》を叩《たた》きつけるに似た音がして襖一面に血が散った。
典膳が上杉家で左腕を斬落《きりおと》された噂はその日のうちにパッと江戸中にひろまった。
斬られたのが直参の御旗本。斬ったのは上杉家老臣の悴《せがれ》。しかもその理由が嫁の離縁からとあっては各藩邸で話題になったのも無理はない。
現場を目撃したと広言する(実際には長尾父子と典膳しかその場にはいなかった)上杉家臣の言うのによれば、典膳の斬られたのは肩口から肘《ひじ》へかけて斜めに一太刀。肘をあげたのなら斬口の角度が変るべきだから、全然無抵抗で斬られたのであろうという。すぐさま家人が駆け寄って応急の処置をしたが、典膳はこの間声ひとつあげず、じっと坐りつづけていたそうだ。
却って権兵衛の方が狼狽《ろうばい》をして、直ぐに藩医を呼ばせた。それで騒ぎがひろまったが、これを耳にした千坂兵部は直ちに長尾宅に赴いて、
「丹下、よくぞ我慢をいたしてくれた」
万感のおもいをこめた一言を発し、当家で手当を受けるは却って心苦しかろうと、みずから家来を督励して兵部の屋敷へ典膳を舁《か》き入れさせたという。だから今|以《もつ》て典膳は千坂家にいる。出血がおびただしいので一両日は絶対安静、医師《くすし》のゆるしが出て、麹町《こうじまち》大通り南のおのが屋敷へ典膳の帰るのは更に二三日後だろう。兵部はなかなかの器量人だから事を穏便に済ますよう非常な努力を払っているが、何にしても武士たる者が腕を斬られて全然無抵抗だったとは、あきれ果てた腑抜《ふぬ》け武士。斬られたことの理由如何を問わず、丹下家はお家断絶であろう——と。
又、丹下家に親しい或《あ》る旗本の言によれば、もう少し典膳に同情的で、おそらく典膳は丹下の家名を重んじた為に妻女を離縁したのではあるまいかと言う。妻千春との間に典膳はまだ子供がない。併《しか》し子供が出来てみても、母親が不義をした場合は、その子が家を相続することは許されない。千春は狐の変怪に迷惑な噂を立てられたので、不義密通の咎《とが》をうけたのではないようなものの、将来もあることを考えて、敢《あえ》て愛妻を離婚したのであろう。もし、典膳一代ですむことなら、わざわざ妻を離縁することもなかった、丹下家の家名の存続を慮《おもんばか》ったればこそ、黙って離縁したのであろう、と。
いずれにしても併し、片腕を失っては勤めもならず、典膳はいわば今後は廃人同様の生涯《しようがい》を送らねばならぬわけで、つまらぬ離縁をしたものだというのが大方の意見だった。
堀内道場でもこれは例外ではない。
ただ、典膳の武術の程は知っているから、あれだけの達人が、どうして又おめおめ斬られたのであろうと、寄るとさわるとその噂である。
ぽつんと独り、皆から離れて彼|等《ら》の話を聞いているのは例によって、中山安兵衛ひとりだった。