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薄桜記05

时间: 2020-08-01    进入日语论坛
核心提示:高田馬場馬術調練に高田馬場へ向って早馬を駆けさせていたのは長尾竜之進である。穴八幡《あなはちまん》の祠《ほこら》のあたり
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高田馬場

馬術調練に高田馬場へ向って早馬を駆けさせていたのは長尾竜之進である。
穴八幡《あなはちまん》の祠《ほこら》のあたりへさし掛って背後に唯《ただ》ならぬ気配を感じ、振向くと驀地《まつしぐら》に追っ取り刀で武士が疾《はし》って来る。
「おっ」
馬上に突立ち、素早く手綱を緊《し》めて道の片脇《かたわき》に馬を停《と》めた。
武士の礼儀だ。
「か、忝《かたじけな》し!……」
安兵衛は会釈《えしやく》した儘傍《ままかたわ》らを駆け抜けた。
竜之進は注意深くその疾走を見送って何を思ったか馬を下りる。暫《しば》らくすると供の中間が漸《ようや》く後方から追い付いて来た。
「市助」
「は、はい……」
「その方あれへ走る武士にどの辺りで追抜かれたか覚えないか?」
「お、お、覚えておりまする。……牛込天竜寺角よりにござりました」
はあはあ白い息を吐いてこめかみにすうと汗を流した。
「左様か。見届けたきふしあり、これより馬を攻めるが其方はあとよりゆるりと参れ。追うに及ばぬぞ」
言って鞭《むち》の尖端《せんたん》を空へ竪《た》てヒラリと馬上に跨《また》がる。もう安兵衛の姿は木立の向うへ曲っていた。竜之進は一鞭当てた。
安兵衛が馬場へ駆けつけると決闘は正《まさ》にたけなわであった。穴八幡から高田馬場へは左に放生寺の土塀《どべい》を見る以外は一望の田畑で、所々に百姓家は在るが町家など一軒もない。わずかに馬術に鍛練する武士たちの休息用に馬場の脇《わき》に茶店があり牀几《しようぎ》を据《す》えてある。その前に人だかりがして息を詰めて決闘の模様を見ている。安兵衛は雄叫《おたけ》びで彼|等《ら》を掻《か》き除《の》け馬場へとび出した。
敵は村上庄左衛門、三郎右衛門の兄弟に中津川祐見なる助太刀の武士、外に家来が五人、都合八名である。菅野の方は若党の佐治兵衛と草履取りが必死に主人を衛《まも》って奮闘しているが、菅野六郎左衛門自身は死力を尽くそうにも老齢のことで、既に身に数カ所の疵《きず》を蒙《こうむ》り、気息|奄々《えんえん》として今にも昏倒《こんとう》しそうである。辛うじてその傍らに安兵衛は転《まろ》び着いた。
「おじ貴。中山安兵衛|只今《ただいま》見参いたしてござる」
「お、安兵衛か。……かたじけない」
「しっかり致されよ。安兵衛参ったからは冥府《めいふ》までも御供つかまつる」
言って六郎左衛門を抱え寝かせて起つと、
「何者じゃ其の方」
村上庄左衛門がらんらんたる眼光で見据《みす》えた。
「拙者越後の浪人中山安兵衛。お手前に些《いささ》かの怨《うら》みとてもござらぬが、義によって菅野へ助太刀を仕る」
走って来た呼吸の乱れはあるが六郎左衛門を激励した折とは、別人のように落着いて、低い声だった。
軽く一礼ののち太刀を抜き静かに下段につけた。

若党の佐治兵衛は浪人上りだけにかなり腕が立った。安兵衛の救援を得て勇気百倍、敵一人を仆《たお》した。
その血煙りが村上庄左衛門の後方でぱっと揚《あが》る。これを見て村上の家来は遮二無二《しやにむに》佐治兵衛へ打懸る。後に判明したところでは助勢の中津川祐見も矢張り村上兄弟の一人で、村上の外戚《がいせき》たる中津川の姓を冒《おか》していたのである。即ちこの三人だけが終始、菅野六郎左衛門に斬《き》りかかっていた。草履取りは士分でないから同じ村上の家来と争った。果し状をつきつけての試合であれば、武士の面目《めんもく》にかけても三兄弟しか老人へは斬懸らない。
安兵衛は、その三兄弟を相手に叔父を衛って立つ。
末弟《ばつてい》の三郎右衛門が先ず「退《ど》け」と叫んで白刃《しらは》を閃《ひら》めかせて躍り込んだ。下段から両手首を安兵衛は刎《は》ねた。反す刃で払い胴。三郎右衛門は即死した。
これを見て祐見が「おのれ」と一声して、鍔《つば》で安兵衛の頭蓋《ずがい》を殴らんばかりに斬込んだ。ひらりと二尺余り後方に跳躍したが祐見の切先は意外に延び、安兵衛の帯を断った。同時に鼻|唇《くちびる》を真二つにされて祐見は仰反《のけぞ》っていた。
あまりの手際《てぎわ》に庄左衛門は呆然《ぼうぜん》と立ちつくし、次に嚇《かつ》と逆上する。
安兵衛の顔色が此時《このとき》はじめて変った。

「佐治兵衛、戻せ」
と言った。
庄左衛門は背後《うしろ》を振向く余裕ない。腹背に敵をうけたと咄嗟《とつさ》に感じた。庄左衛門はかなり遣《つか》える武士だったので先ず面前の安兵衛を仆《たお》そうと挑《いど》む。術策に陥ったわけだ。わずかなその焦慮を安兵衛は衝《つ》いた。一刀浴びて庄左衛門は付根から右腕を斬落された。それでも声はあげなかったそうである。背のびするように両の踵《きびす》を上げ、前のめりに安兵衛を睨《にら》みつけて咽喉《のど》で唸《うな》ったという。
ヒラリと刀が閃めくと今度は左腕が落ちた。
「む、……無念。無念」
村上は二声叫んで血を吹く肩口から突当るように土へめり込んだ。兄弟の果てたのを見た村上の家来は逃走した。
安兵衛は佐治兵衛を呼んで左右から六郎左衛門を抱き起して村上に止めを刺させた。それから自身あとの二兄弟の胸に馬乗りになって、夫々《それぞれ》作法通りに止めを刺した。
六郎左衛門はうしろから佐治兵衛に抱え上げられ、
「本望じゃ。忝いぞ安兵衛……本望遂げた」
と言った。その咽喉が無数の血管を筋《すじ》張らせていた。
酸鼻を極めた目を覆《おお》うこの武士の私闘のむごたらしさに見物人たちは声をのんでいる。
そんな中に混って、安兵衛を熟視していたのは竜之進である。

安兵衛は草履取りを呼んだ。
「無事か吾助《ごすけ》」
「は、はいっ。……これぐらいはカスリ傷にござりまするっ」
中間同士で闘っていたので、成程たいして手傷は受けていない。もともとが至って気丈者なればこそ菅野六郎左衛門も供につれて来たのである。
安兵衛は老人を静かに抱えおこすと、
「吾助の肩におつかまり下され。気をたしかにおもちなされいよ。叔父上、武士なれば、人目がござりまするぞ」
叱咤《しつた》した。
三人を斬ったとは思えぬ冷静な声である。元和《げんな》・寛永頃の武辺者が横行した時代と違って、元禄ともなれば人は泰平の世に狎《な》れ、武辺を貫くより身の安全に憂身《うきみ》をやつす。いずれ後章で述べるが、武士道の鑑《かがみ》と謳《うた》われた赤穂《あこう》四十六士でさえ、本望を遂げた後の切腹の場面になると、満足に腹を切れる浪士は殆《ほと》んどいなかった。扇子を短刀代りにして切腹の稽古《けいこ》をしている——そういう時代だ。差料も細身作りで、惣体《そうたい》、華美を競う道具にすぎなかった。
尋常に決闘を申込んだ村上三兄弟などは、当時としては寧《むし》ろ異数の硬骨漢である。
その三人を、忽《たちま》ちに斬捨てた。見物たちが歓声をあげるのも忘れ、息をのんで徒《いたず》らに立ちつくすばかりだったのも、武士同士のそういう決闘をついぞ見ることもなかったからである。
さて草履取りの背に六郎左衛門が負われると、
「佐治兵衛、往こう」
安兵衛は刀を鞘《さや》におさめ、返り血の処々に沁《し》みた袴の股立《ももだち》をおろすと先に立って馬場を出かかった。
「おお……これは」
百姓土民に立混った長尾竜之進がじっと自分の方を見ている。
安兵衛は寄って行って、
「先程の御厚志かたじけのう存ずる。ごらんの通り、漸くに叔父の仇を仕止め申してござる」
と言った。
「あっぱれなるお手のうち、先刻より拝見仕り、ほとほと感銘いたした。此の場に来あわせたも何かの御縁、差出た申し様ながら公儀吟味方への証人には喜んで立ち申そう。——中山とか申されたが?」
「重ね重ねの御厚志いたみ入ります。いかにも某《それがし》、越後|新発田《しばた》の浪人にて牛込竹町に住居いたす中山安兵衛。——失礼ながら御家中は?」
「申しおくれた。拙者米沢藩江戸留守居役にて長尾竜之進。以後はお見知りおきを願い度い」
「—————」
「どう致された?」

安兵衛はしげしげ相手を見直して何か言おうとした時、
「うう……」
中間の背で、六郎左衛門が呻《うめ》きを発した。
「中、中山さま。大丈夫でござりましょうか?」
佐治兵衛がさんばら髪で悲痛に呼びかける。赤坂|喰違《くいちが》いの菅野邸まで無事に生きていてくれようかと、オロオロしているのだ。丹下典膳の一件などには構っていられなかった。
「いずれ不日《ふじつ》御礼に参上つかまつる。ごらんの通りの深手にござれば、此《こ》の場は失礼を致す」
一礼すると安兵衛は竜之進の前を離れ、
「しっかりめされい。かすり傷でござるぞ叔父上」
耳もとへ口を寄せて一喝した。気さえ確かに持てば、邸《やしき》ぐらいまでならいのちはもつ。
「吾助、いそげ」
其の場で死ぬのと屋敷に戻って落命するのとでは、菅野家の跡目相続が藩で議せられる場合、いくらかでも違うだろうとの判断からだった。
この場で応急の手当をしてみたところで、所詮《しよせん》助からぬとは安兵衛も覚悟している。
草履取り吾助は励まされる儘《まま》に必死になって、主人に動揺を与えぬようにと駆けた。それでも背へまわした両手は菅野老人の流血で真赤になっている。佐治兵衛は着物の袖《そで》が裂け、肩口や処々にも綻《ほころ》びが見えて凄惨《せいさん》な形相である。安兵衛は全身返り血。
そういう三人が、深手の老人を護《まも》って白昼の道を往くのだからいかに片田舎でも人目にたつ。
馬場から穴八幡あたりへかけては前にも書いたように一面の田畑で、町家なぞは一軒も無い。併し牛込馬場下町を右に折れ、西方寺、来迎寺と寺の立並ぶ閑散な通りから抱屋鋪《かかえやしき》、御用屋鋪をすぎ市ケ谷若松町あたりにさしかかると武家屋敷が塀をつらねている。
菅野老人は、この辺まではどうにか吾助の背にすがって深手に堪えたが、呼吸の次第に困難になるのが傍目《はため》にも漸《ようや》く見えて来た。
佐治兵衛は付添って小走りに歩きながら幾度か安兵衛の顔をうかがい見る。
(とてものことに助かりはなされますまい……)
そんな目の色だ。
往来の人々が時々、立停って目を瞠《みは》って一行の通るのを見戍《みまも》った。あわてて道をよけてくれる者もある。安兵衛は石のように黙り込んで歩きつづけて来たが、
「佐治兵衛」
とうとう或る大名屋敷の塀の破れた前へ来た時、立停った。
「やむを得まい。この屋敷内で一先ず休むといたそう」
「どこのお屋敷でござりましょう?」
「分らぬが、事を話せば無下に断りもなさるまい」
言いながらふと土塀の瓦を見ると丸に葵《あおい》の紋所が打ってある。
佐治兵衛は一瞬、逡巡《しゆんじゆん》したようだが、
「構わぬ。はいれ」
安兵衛は言った。

葵の紋所のあるのも道理で、六郎左衛門を舁《か》き入れたのは尾張家の下屋敷である。
尾張藩主徳川綱誠の上屋敷は、麹町《こうじまち》十丁目に在り、前藩主光友|卿《きよう》のは市ケ谷御門外に在った。その他、尾張家の中屋敷、下屋敷は江戸市内各所にあるので、此処《ここ》は殆《ほと》んどもう表向きには使用されていないらしい。
土塀《どべい》の壊れたのがその儘《まま》なように、邸内に踏入ると庭の手入れの跡も見られず、雑草の生えるにまかせた蓬々《ぼうぼう》たる感じの荒屋敷だった。
それでも他家へ無断で踏入ったことなので、
「お頼み申す、怪我人《けがにん》がござれば暫時《ざんじ》休息の程御容赦をねがい度い。もうし」
あたりはばからぬ大音で呼ばわった。
誰《だれ》も住んで居ないと思ったのが、
「おーい。誰人《どなた》様じゃ……」
庭の向うに応《いら》えがあって、バタバタ中間風の番卒がかけつけて来た。小脇《こわき》に棒を抱えている。
「われらは伊予西条藩士菅野六郎左衛門家来にて佐治兵衛と申す者。ごらんの通り、主人手負いにござれば暫時の程お邸内を拝借仕りたい」
と言った。
中間は、息断え断えな六郎左衛門の重傷に驚いたらしいが、
「お、お留守居役どのにお伺いを立てて参りますで、し、しばらく……」
再び邸内へ駆け戻《もど》ろうとすると、
「——それには及ばぬぞ」
木立の蔭《かげ》に声あり、ゆっくり姿をあらわしたのは御隠居ふうの老人だった。
丸腰に|たっつけ《ヽヽヽヽ》袴《ばかま》をはき、袖無し羽織を着て手をうしろへ組んでいる。
番卒はその姿を見るとパッととび退《しさ》って平伏せんばかりにかしこまった。
余程尊敬されている人物だろう。
「かなりの深手のようじゃの」
六郎左衛門の気息|奄々《えんえん》たる態を打眺《うちなが》めて、ちょっと眼《め》を光らせたが、
「果し合いかな?」
落着いて訊《き》く。所詮、手当てをしてみたところで助からぬ命と一目で見抜いたらしい。
「西条の家中とやら申されておったが、お幾つじゃ?」
「六十歳に相成りまするが……卒爾《そつじ》ながらお手前」
安兵衛は威儀を正すと真直ぐ目をあげ、
「兵法をお遣《つか》いめさるか?」
「…………」
「当屋敷が尾張殿の別邸なれば、年格好より拝察いたすにお手前……、もし間違いなれば御容赦をねがいます——尾州の、小林|和尚《おしよう》どの?……」
老人の目が、急につまらなそうに笑った。
「いかにも、柳生連也《やぎゆうれんや》じゃが……。この身の詮議などより怪我人をどう致す?」

柳生連也斎は尾張藩の兵法師範役を永らくつとめて来た柳生新陰流中興の祖で、有名な柳生|兵庫《ひようご》の三男に当る。
貞享《じようきよう》二年、六十一歳で隠居してからは家督を甥の柳生厳延にゆずり、法体《ほつたい》して父兵庫が晩年の棲居《すまい》とした尾州小林の拝領の第《やかた》に住んで風月を友に自適していたので、世人は敬称して小林和尚と呼んだ。元禄七年のこの比《ころ》は既に七十歳。
連也斎が江戸へ出て来たのは、この春に、甥の厳延が連也斎立会いの上で前藩主光友卿から新陰流正統八世の印可を受けることになった。代々尾張の新陰流は、兵法師範役が先ず藩主に流儀を伝え、それを、次代の師範役が受け継ぐしきたりになっていたので、その印可相伝の立会いのため久々の江戸入りをしていたのである。
六郎左衛門の肩が急に、佐治兵衛の腕の中でがくりと崩れた。
「ど、どう致されました。……旦那《だんな》様、気を、たしかにおもち下さりませい」
草履取りと佐治兵衛が左右から絶叫すると、瞼《まぶた》をヒクヒクふるわせて眼を開き、
「どなたかは存じ申さぬが、かかる見苦しき態をお目にかけ何とも汗顔の至り。こ、この上は、武士の誼《よし》みに老骨が末期《まつご》お見届け下されよ……」
言って、「安、安兵衛……」
「は」
「その方が助太刀なくば、かく安堵《あんど》しては死ねなんだであろう、かたじけない。……この上ともに、五百《いほ》がこと我が身の始末くれぐれも頼み申すぞ」
言って脇差《わきざし》で最期の力を揮《ふる》って咽喉《のど》笛を掻《か》き、遂《つい》に其の場に絶命した。
一瞬、場にあった者声をのむ。
「……爺《じい》」
最初に沈黙をやぶったのは連也である。人ひとり死ぬのを目前にして、些《いささ》かも感情をあらわさぬ落着いた声だ。
「棺を用意して差上げなされ、用人には儂《わし》からじゃと申してな」
番卒に命じると、
「御辺、安兵衛と申されるか?」
ゆっくり顔を戻した。
「どうじゃ、あとのことは当屋敷で手配をして進ぜる。この場は両人にまかせ、おぬし、もう一度試合の場へ戻るが心得ではないかの」
「?……」
「その様子なれば三人は斬《き》ったであろう。おぬしほどの者が手にかかるなら、一かどの相手。縁者が寄って万一、仕返しの手筈《てはず》なぞ致しておっては後々面倒であろう。今一度、様子を見届けて来るがよくはないか」
おどろくべき要慎《ようじん》深さだ。
言われてみればその通りかも分らない。
安兵衛は即座に決意した。
「然《しか》らばお詞《ことば》に甘え、今一度引返し申す——」
その足で高田馬場へ戻ってみると、先刻よりは数倍の人だかりで、口々に果し合いの模様を喋《しやべ》り合っては遠巻きにむらがっている。長尾竜之進の姿は既に見当らない。さあらぬ態で安兵衛は帰りかけると、時に一|挺《ちよう》の駕籠《かご》飛ぶ如くに馳《は》せ来り、垂れを上げて出たのは六十余りの老人だった。茶|縮緬《ちりめん》の羽織に紋は永楽通宝——村上兄弟のと同じ家紋である。
それが転ぶように兄弟の死骸《しがい》の前へ駆け寄って、
「三人の兄弟も、家来も小悴《こせがれ》ひとりの為に斯《か》く無惨《むざん》な最期を遂げたのに、その小悴には手傷さえ負わせなかったのか、残念無念」
言ってハラハラ涙をこぼした。

高田馬場の決闘は日を待たず江戸中の大評判になった。
信じかねたのは堀内道場の面々である。
「あの中山安兵衛が? ぷっ、……な、何かの間違いであろう、貴公夢でも見ておるか」
「いや、断じて嘘《うそ》ではない。拙者《せつしや》とてはじめはまさかと思うたが。——のう林、おぬしは聞いておろう、過日高田馬場にての果し合い」
「それよ。どうも拙者には信じられん。まさかあのとぼけた男が」
「林、貴公も噂《うわさ》を聞いたのか?」
「さよう。相手は何でも四人、ことごとくをあの中山が斬ったと申すが」
「四人ではない、拙者の聞くところでは六人——」
「いや八人じゃと申すぞ」
「貴公ら何にも知らんな、高田馬場の相手は|〆《しめ》て十八人。それを一人残さず、あの中山めが」
話はだんだん大きくなる。何にしても併《しか》し、安兵衛が実戦で獅子《しし》奮迅の働きをしたのは事実らしいというので、漸《ようや》く道場の面々の間に動揺がおこった。
そのうち、かなり真実らしい情報が入るようになった。
それによれば確かに安兵衛が仆《たお》したのは三人|乃至《ないし》四人だが、相手は伊予西条藩の家中でも一二の達者と言われる村上庄左衛門兄弟で、これは安兵衛の叔父菅野六郎左衛門の自害後に、菅野老人の負傷の跡を検分した剣聖柳生連也斎が「よく斬っておるな」と洩《も》らしたことでも明らかだという。
すなわち連也斎が斬口を見て感心するほどの村上兄弟を安兵衛見事に斬伏せているのである。
尚《なお》自害後の菅野老人は、連也斎の好意で尾張家下屋敷から棺を出して貰《もら》い、若党と草履取りの中間に舁かれて赤坂の住居へ送られた。この時人目があろうと、連也は棺を担ぐ両人の血みどろの着物を代えさせてやった。一方安兵衛は、一たん尾張邸から高田馬場へ引返し、駕籠で駆けつけて悲憤する村上兄弟の父親らしい人物をそれとなく見届けて後、再び尾張の下屋敷へ戻って礼を述べようとしたがもう連也斎は会わなかったそうである。
喧嘩《けんか》両成敗で、西条藩では一応村上の父親に謹慎を命じ、菅野家には跡目相続人もないところから食禄《しよくろく》お取上げの上、残った妻子には江戸払いを命じたが、ただ、若党佐治兵衛は終始主人の傍《かたわ》らを離れず、遂にはその最期をも見届けたる所業、近頃あっぱれなる忠節とお褒《ほ》めの詞《ことば》を賜わり、改めて西条藩士にお取立てになった。つまりは、菅野老人の娘を佐治兵衛に娶《めあ》わせることによって、一たん取潰《とりつぶ》した菅野家の跡目を立てさせる含みなのであろうという。又中山安兵衛には、しきりに新規お召抱えの慫慂《しようよう》があるらしいが、安兵衛は一切辞退しているともいう。
さてこんな詳細が分明して、いよいよ堀内道場の連中が喧《かしま》しく騒ぎ立てている一日、ひょっこり安兵衛が道場にやって来た。

安兵衛が数人を相手に実戦で勝つとは絶対信じられぬと言い張って肯《き》かなかったのは師範代の高木敬之進である。
もし評判が事実なら、堀内道場へ入門したのは故意に一刀流を揶揄《やゆ》する意図と察しられる。只《ただ》ではおかぬと言っていた。一ぱい、食ったようなものだからである。
「余事ならともかく、道場にある者が武芸の上でからかわれては武士たる面目が相立たん。中山安兵衛参ったならば目にもの見せてくれるわ」
安兵衛の背後から不意討ちを仕懸け、見事体をかわせば噂は事実。そのかわり道場を侮辱したわけになるのでこの点を断じて追求する。もし不意討ちで呆気《あつけ》なく驚愕《きようがく》すれば、高田馬場の一件は別に真相があろうというのである。
安兵衛の道場へ来たしらせを聞いて、敬之進が追っ取り刀でおのが居間をとび出したのも無理ではない。
安兵衛の態度は以前と少しも変るところがなかった。大方に以前は馬鹿《ばか》にされていても、顔が合うと丁寧に挨拶《あいさつ》していたが、今日も玄関をはいって、すぐ左手の杉戸口《すぎとぐち》から道場に踏み入ると、さっと道場内が異常に静まったのを、ふと迷惑そうに苦笑してから直ぐ、真顔になり、視線のあった手近な一人へ、
「どうも怠《なま》けておりまして……」
申訳なさそうに挨拶した。
相手は狐《きつね》につままれたようにぽかんと口を開いたが、急に気味悪くなったのだろう、
「中、中山氏、貴公……」
言いかけた時だ。ヒョイと安兵衛は背後《うしろ》を振返った。
凄《すさま》じい形相で高木敬之進が木刀を正《まさ》に振りかざした時である。
「どうも怠けまして、おゆるしを願います」
木刀の下へこちらから頭を下げていった。
つんのめるように、爪先《つまさき》を踏張って漸く体勢を持ち直したが、さて振りかざした木刀の始末に窮した。
と言って、まさか頭をさげた相手を打ちもならない。
「うう……」
誰一人笑う者のなかったのは、内々に師範代の意のあるところを聞かされていた緊張からで、併し笑う声のなかったのは安兵衛にとって倖《しあ》わせだった。敬之進にも立場がある。一人でも笑えば只では済ませられない——
安兵衛は顔をあげた。人|懐《なつ》っこく笑っている。
「どうかもうごかんべん下さい……以後は、怠けぬよう励みますで」
「貴、貴公……」
どこまで相手を信じていいのか分らない。ごくんと咽喉仏《のどぼとけ》を鳴らす。折よく其処へ道場主堀内源太左衛門があらわれた。一目で全《すべ》てを察した。
「中山、おぬしにチト話し度い儀がある」
手招いて、この場から安兵衛を書院へ連れ出したのだ。
二人だけで対坐《たいざ》すると、
「大したことを致したそうじゃの。就いてはそのことで、事実おぬしに相談があるのじゃが——」
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