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薄桜記06

时间: 2020-08-01    进入日语论坛
核心提示:結納《ゆいのう》源太左衛門が相談といったのは縁談の話である。「先方の姓は今は申せぬが、さる藩の江戸留守居役。其許《そこも
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結納《ゆいのう》

源太左衛門が相談といったのは縁談の話である。
「先方の姓は今は申せぬが、さる藩の江戸留守居役。其許《そこもと》にとってけっして不愉快な話ではないと思うが……どうじゃ、相談にのってはくれまいか?」
他の道場の面々のように高田馬場の一件については一言も質《ただ》さない。安兵衛は庭の障子に射《さ》す早春の陽差《ひざし》を背にうけ、なかば呆気にとられて師匠の顔を見戍《みまも》った。
「あまり唐突すぎて、即答もいたしかねますが」
と言った。
「無理もない。先方が誰《だれ》か分らぬとあっては気も乗るまいし、当方とて話のいたしようもないが……是非とも引受けてもらい度いといたく先方は乗気での」
「…………」
「困ったことに、それも二組」
「ふた組?」
「——其許、馬場での果し合いに誰ぞ出会った人物で心当りはないかな?」
含羞《はにか》み笑いをうかべていた安兵衛の顔が、真顔になった。あの日出会った人物と言えば典膳の義兄竜之進と、小林和尚である。
竜之進が縁談の話を持ち掛けてくるといっても、まさか離縁となったあの典膳の妻千春とやらの為ではあるまい。又小林和尚なら前尾州公御師範。いかに何でも町道場の弟子たる安兵衛を婿《むこ》になぞと、話のあるわけがない。
「いっこうに、思い当りませんな」
けげんのおもいで言うと、
「まさかとお主とて愕《おどろ》く相手じゃ」
「?」
「併《しか》し、そればかりはわしも相談はうけかねると一応断っておいたが、もう一つのはなし。これは其許にとっても悪くはなかろうと存じ、引受けてみた。但《ただ》し、この方は養子縁組になるが……」
「…………」
「ま、即座にと申しても何であろう、兎《と》に角《かく》一度、媒酌《ばいしやく》を申出ておられる仁に会って篤《とく》と話を聞いてみるぐらいのところは、この堀内の顔を立てて承知してもらえまいか?」
堀内源太左衛門は各藩の江戸屋敷へ出張|稽古《げいこ》をしている。中にはそんな面識から安兵衛への話の橋渡しを依頼する人物があるかも知れない。
安兵衛自身は口に出して言わなかったが、高田馬場の一件で、物の用に立つ浪人者と見込まれたか、ずい分仕官やら縁談の相談をうけ、些《いささ》かこのところノイローゼ気味である。出来るなら先方の名も聞かず、今のうちに断っておいた方が、双方のためであり、源太左衛門の顔をつぶすことにもなるまいとは考えるが、ただ、あの日出会った人物というのが何となく気になる。

「ともかく近日中に媒酌人が其許の住居へ出向かれる筈《はず》じゃ。会うだけは、逢《お》うて話を聞いてみて貰《もら》いたい。——それから」
源太左衛門ははじめて苦笑いをうかべた。
「師範代の高木が、おぬしの手の内ためすと申して肯《き》かんそうな。当分、当道場へ姿を出すのは遠慮してもらえまいか? 時を藉《か》せば分ることも、とっさとなればつい思慮を欠く行動に人は出る。そのうち折を見て、わしからも高木に注意は与えるつもりでおるが、何と申してもあれは当道場をあずかる師範代、あれはあれなりの立場もあり、ともかく、ここ暫《しば》らくは姿を見せずにおいて貰った方が、双方の為かとも思う」
「何かと御心痛をかけ、申訳がござらん」
安兵衛は素直に詫《わ》びたが、態《てい》のいいこれは破門である。安兵衛の評判が頓《とみ》にあがっている折、その人気者を門弟にもてば源太左衛門の名もあがり、道場の繁栄にもなるが、今更、気まずいおもいを弟子一同にさせるのもあわれなので敢《あえ》て遠慮をしてくれというのだろう。
「相分りました、その媒酌人とやらに、会うだけは逢うてみましょう」
安兵衛は差料《さしりよう》を引寄せ、これが最後になるかも分らないので、
「わずかの期間ながら何かと」
ねんごろに礼を述べた。源太左衛門は強《し》いて止めない。
「いずれ、其許の心地流と相見《あいまみ》える日もあろう」
と言う。やっぱり知っていたのである。
「——御免」
一揖《いちゆう》して安兵衛は座敷を出た。再び道場へ戻る。
あんな後、師匠が安兵衛を連れ出しての密談だから、一体何事があったかと道場の面々|一斉《いつせい》に注目する。ひときわ濃い眉《まゆ》を寄せ、白眼でじろりと見たのは高木敬之進である。
安兵衛は悪びれず道場の端を通って壁板にずらりと並んだ門弟札の中から、末端のおのが名札をはずし取った。
これには一同もハッとしたらしい。
「中山」
丁度、名札の並ぶ下に居た池沢武兵衛が愕《おどろ》いて、
「貴公、やめるか?」
安兵衛はいつものおだやかな顔で丁寧に頭を垂れた。
「せっかくお近づきにさせて頂きましたが」
「ど、何処ぞに仕官でも致されるか」
わらって首をふった。
「それよりもう此処へも参れぬとなると気にかかり申す。……あの丹下氏の傷、その後どうなりましたかな?」

安兵衛が長屋へ戻ると大変なさわぎである。
隣りの大工の女房《にようぼう》は|ねんねこ《ヽヽヽヽ》に赤子を負い、長屋の連中と額をあつめて話し合っていたのが、路地をはいって来る安兵衛を逸早《いちはや》く見つけると転ぶように馳《は》せつけて来た。
「お、お帰んなさいまし……」
空唾《からつば》をひとつのんで、先刻、お大名屋敷から祝いの品が届けられた、それも二組同時に、と言う。
なるほど安兵衛宅の前へは染縄《そめなわ》で巻いた薦包《こもづつ》みの酒樽《さかだる》二荷が据《す》えられ、一方は車に載せて、他に大鯛《おおだい》やら|あわび《ヽヽヽ》を容《い》れた塗桶《ぬりおけ》やら其の他祝いの品々が山と積まれてある。そばに揃《そろ》いの法被《はつぴ》を着て中間が控えている。軒下に据えられた酒樽の方は、これは羽織|袴《はかま》の使者が下僕《げぼく》を従えて立っている。どうやら、双方同時にやって来て、互いに牽制《けんせい》し合い、その儘頑張《ままがんば》っているらしい。
高田馬場の翌日、町娘お豊の父羽前屋や家主六次郎から酒桶の贈られたことはあったが車に積んで、それも大名から祝い品の届けられることなぞ長屋はじまって以来のこととて住人が大騒ぎするのも無理はない。
今では安兵衛は長屋中の人気者であり、とりわけ隣りの大工なんぞは、兼々「中山さまは今に偉くおなりなさるぜ」口癖に言っていたのがあの高田馬場の一件で証明されたものだから、以来、安兵衛のこととなると我が事以上に熱をあげる。連日仕官を慫慂する使者がやって来ると、
「今日はお供が二人付いてるか、……すると、二百石は出すおつもりかナ」
変な予想をたててぞくぞくしている。使者が帰れば、おそるおそる安兵衛のところに来て、
「何百石だと申しておられますんで、え? 三百石……占めたっ」
少々安兵衛も辟易《へきえき》するほどだが、その人情味にウソはないから、不在中誰ぞ訪ねて来たら用件のみ聞いておいてくれるようにと、今日も頼んで出かけたばかりだった。
安兵衛が大工の女房以下長屋の連中をぞろぞろ跡に従えて家の方へ戻って行くと、
「おお中山氏にござるか、……拙者」
「あいや中山氏、拙者は上杉家家来長尾竜之進どのより」
車と酒樽のわきから双方同時にとび出してきた。
長尾竜之進の名が安兵衛の耳を聳《そばだ》たせた。
x「——お手前、長尾どののお使いですか?」
「されば、過日は怱卒《そうそつ》の間に打紛れとくと御戦勝の祝辞を述べるいとまも無き儘にお別れ申したが心に残ると申され、あらためてお祝いを兼ね、是非一度、親しく懇談仕りたいと申しておられますれば、お暇の日を前|以《もつ》て」
「それは重ね重ねの御厚志|忝《かたじけな》く存じまする……が、この品々は受取るわけには参り申さぬ。どうぞ、お納めを願います」
車に積んだ方である。

もう一人の使者の手前もあろう。
「何、何ゆえにお納めならぬと申される?」
目の色を変えた。
「別に仔細《しさい》はござらん、おこころざしで十分と申しておる迄《まで》」
安兵衛は、
「お手前は?」
こんどは樽《たる》の方を向いた。長屋の連中はおそるおそるそばに群って固唾《かたず》をのんでいる。この前の羽前屋の時もそうだったが、受取ったものなら気持よく長屋一同に安兵衛は振舞ってくれるのである。
「初めて御意を得る。拙者、惣御鉄炮頭能勢《そうおてつぽうがしらのせ》半左衛門用人にて山本|甚兵衛《じんべえ》と申す者にござるが、このたびの高田馬場に於《お》けるお手前が挙措じつに天晴れの儀と主人、いたく感銘つかまつり、就いては些少《さしよう》ながら以後|昵懇《じつこん》のお付合い願い度きしるし迄にお届け申上げてござれば何卒《なにとぞ》、お受取りが願い度う存ずる」
使者の口上は概《おおむ》ねもうきまっている。隣りと肘《ひじ》を小突き合って笑いを怺《こら》える女房《にようぼう》もある。
安兵衛は、
「態勢どのと申せばあの町奉行能勢|出雲守《いずものかみ》さまの御一門で?」
「さよう、南町奉行出雲守|頼寛《よりひろ》さま御|嫡男《ちやくなん》にござる」
「それでは、却《かえ》って恐縮——」
やっぱりこれも辞退した。
あの決闘の翌日、町奉行所で一応口答の取調べをうけたが、その時の安兵衛の態度が実によく出来ていたと後で出雲守は感服したそうである。惣鉄炮頭でも半左衛門は与力十騎、同心五十人を隷属せしめられているので、多分に安兵衛へ食指を動かしたのだろう。
双方、同様に断られて却って間が悪いか、もそもそ立去り兼ねていた。安兵衛はもう構わずに、
「重ねて申上げる。どうぞ、お引取り下さい」
言ってあっさり内へ入った。
長屋の連中、急にざわめき出したのは、目の前の品への未練もあろうが、あまり安兵衛の態度が素っ気ないので、こんなことでは仕官の道も無くなりはせぬかと心配したのである。一たん浪人の憂《う》き目に逢えば、生涯《しようがい》もう春を見ずに陋巷《ろうこう》に果てる痩《やせ》浪人が実に多い。世を騒がした由井正雪の変もつまりは貧に喘《あえ》ぐ浪人どもの苦しまぎれの騒擾《そうじよう》である。
といって、辞退したものは絶対受取ると安兵衛は言わないだろうし、使者は使者で、今更運んで来たものを持ち帰りもならず、ほとほと困惑の態であった。貧乏暮しの長屋の面々はそれで一そう気が残るか、口々に囁《ささや》きあって樽や荷車の前を動きかねている。
丁度その時である。
従者をひとり従えて、第三の人物が路地を曲って来た。人品いやしからず、併し見るからに頑固《がんこ》一徹そうな老武士である。

「中山安兵衛どのが住居はこれか?」
老人は長屋の女房の一人に訊《き》くと、家来を外に待たせておき、立去りかねている二人の使者や酒樽には知らん顔で、
「頼み申す」
たてつけの悪い表戸をがらりと開けた。
あけ放した障子の向うに油紙を拡《ひろ》げて何やらごそごそしている安兵衛の背を屈《かが》めた後ろ姿が見える。
「何用ですか」
迷惑そうに振向いた。
「身共は播州|赤穂《あこう》の領主浅野|内匠頭《たくみのかみ》さま家来堀部|弥兵衛《やへえ》と申す。——縁談の儀でな、罷《まか》り越した」
半分白くなりかけた眉《まゆ》の下で、眼《め》がじろりと安兵衛の賃仕事を睨《にら》む。
たいがいの使者ならソツない応対で接してくるか、主家の権勢を鼻にかけた高飛車な態度だが、この老人もどうやら後者のようである。
「折角ながら」
安兵衛は膝《ひざ》の埃《ほこり》を払い、その場でゆっくり老人へ向いて坐《すわ》り直った。
「そのようなお話は一切辞退を申上げております。どうぞお引取りを願いましょう」
普通必ずと言ってよい程手土産を下げてくるのだが、老人は無手だ。
「これはしたり。——お手前、身共が事きき及んではおられんかの? 浅野家が堀部弥兵衛じゃ」
「——一向に」
「ふむ」
弥兵衛と名乗る老人は、土間に突立ってひとつ大きく胸を張った。表戸の隙間《すきま》から例の中間どもが様子を覘《のぞ》いている。
「先日来、小石川中天神下——堀内源太左衛門どのへ委細は申入れてあったに。……道場へ、近頃お出ましにはならんか」
「その儀なれば丁度お断り致そうと存じておったところ」安兵衛は膝に手を置き容《かたち》を改めた。
「お引取り願います」
じいっと老人はその安兵衛を見て、
「堀部と名乗って御存じないなら、お手前まだ先方が息女がこと、何も聞いておられんのじゃな? 媒酌人を引受けた以上、この堀部弥兵衛、さような中途半端な仕儀で引退《ひきさが》るわけには参らん。先方が事情も詳しく話し、その上の辞退なら兎も角も、何も聞かいで頭から断る、ハイ左様《さよう》ならばと、帰れると思わっしゃるか」
「お聞き致したところで所詮《しよせん》まとまらぬ話なら、初めから水に流して頂いた方が」
「これは奇怪な申され様じゃ。所詮まとまらぬ?——何を根拠に左様な言を吐かるる? そのわけをうけたまわろう」
土間に立っていたのが、腰の刀を手にずかずかと座敷へ上り込んで安兵衛の前へどんと腰を据《す》えた。
「さ、わけを申さっしゃい。身共も媒酌を引受けたからはオメオメと帰れは致さん。あのようなよい娘の、何処《どこ》が気にいらん?」
膝詰談判である。

当時の婚姻は、両方で内糺《ないただ》しとか陰聞きと称して、どういう人柄《ひとがら》であるかぐらいはお互いに調べるが、直参の旗本にしろ、輿《こし》迎えをして床盃《とこさかずき》をする迄《まで》は相手の顔も知らない。男女が見合いをするようになったのは、武士の方では天保以降のことである。
従って、中に立って双方に話を纏《まと》める仲人の信用が第一になる。破談の場合は、相手の容貌《ようぼう》気性も知らず断るのだから、一応もっともらしい理由はもうけても、媒酌人への不信が原因であることも多い。媒酌人の側で言えば自分が縁を取りもって纏まらぬのは武士の一分にかかわることで、堀部弥兵衛が膝詰談判に及ぶのも無理からぬ道理があるわけだ。
安兵衛はそれが分るだけに、少々老人の一徹を持余《もてあま》した。
「わけと申されても当方の理由は至ってかんたん。堀内どののお言葉では、何でも養子縁組とか。然様《さよう》なれば、当方、中山姓を変えるわけには参らず、お断り致すのです」
「ふム」
弥兵衛はたるんだ頸《くび》すじをぐんとのばし、
「しかれば、養子でないなら承諾ねがえるのじゃな?」
「それは……」
「何がそれはでござる? 当方の話も聞かいで、断る。わけは養子になれん。しかれば養子縁組でなくば承諾ねがえるかと当方申しておるのですぞ」
「—————」
「いかがじゃ、先ずは先方が話のみでも聞かっしゃるか、あくまで聞く耳もたぬと申さるるか? 我らも媒酌を引受けた手前、この儘では済まされん」
同じことを繰返す。安兵衛も遂《つい》に我《が》を折って、
「話のみでよろしいなら、うけたまわり申そう」
苦笑した。
「されば申上ぐる。先方は身共存じよりのさる家中が江戸留守居役にて知行三百石、女《むすめ》は十六歳、身共の口より申すも異なものであるが、容色衆にすぐれて気だての優しいよい娘での、おんな一通りの作法は立派に仕込まれてござる。又、父なる人物は性剛直、気節あり、古武士の風をなして、乗馬には何時も手ずから水を浴《つか》わせ、妻女には其|食《はみ》を炊《かし》がせるような人物、お手前が舅《しゆうと》といたされてもけっして不似合いなる老人ではござらん」
「老人……?」
「さ、さ、さればじゃ。身共がかように空《から》宣伝いたしたとて詮もない。兎も角一度、その父親に会うて篤《とく》と談じ合って貰《もら》い度《た》いが当方の願い。万事はそれからでもおそくはあるまいと存ずる。——いかがじゃナ、近々に一度|拙宅《せつたく》へ罷《まか》り越して貰えまいか? さすれば先方にもその由を申し伝える。さすれば会うた上で、兎角の埒《らち》明き申さば身共も好し、堀内どのが顔も立つ……」
「—————」
「何を思案いたさるることがある? かように事を打ちわけて申しておるに、まだ納得が参らんかい?」
老いの一徹といえばそれまでだが、妙に真剣な態度だ。
じいっと、安兵衛は老人の眼を見入った。

弥兵衛は終《つい》に安兵衛から近日、堀部宅へ訪ねるとの言質《げんち》を得てこの日は帰った。
表にはまだ諦《あき》らめかねて能勢、長尾両家の使者が立っていたが、荷車のわきを通るとき弥兵衛老人の差料の鐺《こじり》が車の角にかすかに当った。長尾家の中間が車の柄《え》を故意に持上げたからであると言って弥兵衛は、
「不埒者、気をつけさっしゃれ」
大喝《だいかつ》したので、
「不埒者とは聞き捨てにならぬ。中間が失敗《しくじ》りなれば我ら代って詫《わ》びも致そうが、お手前こそ、武士の大事の品、扱いようぐらいは心得ておかれい。耄碌《もうろく》は他人の所為《せい》にはなり申さぬぞ」
負けずに放言した。それであわや騒動になろうとしたのを、弥兵衛が安兵衛宅の前なので勘弁して黙って引き退ったそうである。後年、この長尾家の使者が赤穂義士の吉良邸討入りで、安兵衛に斬《き》られるのも惟《おも》えば奇《く》しきめぐりあわせである。
さて数日後、安兵衛は約束通り鉄砲洲の浅野家本邸に堀部弥兵衛の長屋を訪ねた。
弥兵衛は前日とうって変ったニコニコ顔で座敷に招じ入れると、
「先方がことにて、過日お伝え洩《も》らしたる二三を申添え申すがの、先方父親は二三年の内には隠居いたす筈《はず》なれども、隠居後も知行は相違なく婿《むこ》殿に下しおかれる筈、殿も至って当人へは念頃《ねんごろ》に致されておる。何とか、この儀同心しては下さらんか」
更《あらた》めて頼んだ。先方も来ている筈だが一向に姿がない。
安兵衛は、中山の姓を変えるに忍びぬ由《よし》をこの時も言って断った。すると、
「その儀は子供出来候えば二男に名を継がせれば埒明き申すべく」
そう言って膝を乗出し、
「お手前が実名を捨てるに忍びずなんぞと嬉《うれ》しいこと申さるると、いよいよ頼もしい気がいたしてのう。老人がか様迄《ようまで》にくどく申すは何をかくそう、実は養子にのぞむは身共じゃ。娘器量もよく、利発にてお手前にも苦しからぬ儀と愚考いたす。何卒《なにとぞ》まげて承引下さらんかい。——むろん、浪人のことなれば何の支度も要らず、明日にも迎えを差向け申すで、その身ひとつ、婿入りして頂ければよいのじゃ」
赤心を面《おもて》に溢《あふ》らせて頼む。すでに藩公内匠頭に願い出て「安兵衛こと高田馬場の働き世上にかくれなく、婿養子いたさんと存じ候えども、他苗《たみよう》を継ぐ意なしと断られ候《そうろう》、それがし養子縁組いたすは君の御役に立つ者をこそ三国一の花婿とも申すべき儀に候えば、願わくば彼が苗字を以て婿養子となさしめ給《たま》え」と頼んで許しを得てある次第もつつまずに打明けたのである。
「それ程までにこの安兵衛をお見込みなされましたか?」
「おお見込まいでかい。お主なれば天下一の婿殿よ」
言って、手を拍《たた》いて家人を呼び、
「コレ、何をぼんやりいたしておる。早う娘をこれへ来いと言いなされ」

安兵衛は慌《あわ》ててとめた。
「左程《さほど》にそれがしをお見込み下されたのは忝《かたじけの》うござるが、矢張り一応、縁者どもに相談いたさぬことには」
「縁者?……江戸に御|親戚《しんせき》がござったかい?」
縁組するのに類縁のある無しは重大な関心事である。それにどうやら、旨《うま》く運びそうだった話に邪魔でも入ると思ったか、弥兵衛のゆるんでいた口許《くちもと》が急に緊《しま》った。
安兵衛は、縁者と言っても過日馬場の一件で菅野の遺族の後事を托《たく》されているのと、亡父と親交のあった者が一二、越後にいるのでそれへ相談をしたいとだけ答えた。
けっして頭から拒絶するのではなく、馴染《なじみ》の者とも相談の上で何分の御返事を申上げる。そう言われては押して即答もせまれない。せめて、話は抜きに、ひとめ娘にも逢うてみてもらいたい、もう十六であるからと重ねて弥兵衛は懇望したが、この日はついに息女に見《まみ》えずに安兵衛は堀部家を辞去した。
この時には併《しか》し、もうあらかた安兵衛の肚《はら》はきまっていた。
それで、今ひとつの厄介《やつかい》な方を片付けるつもりで帰途、竜閑橋ぎわの羽前屋へ立寄った。
例の娘お豊の件である。
安兵衛が高田馬場の果し合いに後れたのも言ってみればあの朝、羽前屋に招待されたからで、今更申訳なくて娘のことなどお願い致せるすじはないが、せめて、お知合いの方にでも媒酌の労をお取り願わぬと、あれ以来娘は気鬱《きうつ》病に罹《かか》ったように臥《ふ》せりがちで親として見るに忍びないという。わたくしが我儘《わがまま》を言ったばかりに中山様は叔父上をお失いなされた、もう、何としてもお詫びのしようがない……そんなことを一すじに思いつめた様子だというのである。
まさか、安兵衛自身にお豊を娶《めと》る意はない。と言って適当な思い当る人物もないので、内心ほとほと困じ果てていた。昨日も羽前屋から米沢名物の溜《たまり》(醤油《しようゆ》)を届けられたのを幸便に、下女に容態を訊《き》けば少しは元気におなりのようでございますが、と曖昧《あいまい》に笑う。
「それでは見舞い旁々《かたがた》罷り越して直《じき》に説諭|仕《つかまつ》ろうか」
「ほんに、そうなすって下さいましたら。ホホ……」そんな笑い話で別れたが、この機会に結着をつけておこうと安兵衛は竜閑橋を渡った。
鎌倉横丁へ折れて直ぐが羽前屋の店前《みせさき》になる。橋のたもとから、どうかすると店の内が見えたりする。うらうら初春にはめずらしい長閑《のどか》な陽差《ひざし》が道一ぱいに射《さ》している午下《ひるさが》りだった。着飾った町娘が三四人打連れて横丁から曲って来た。お豊を見舞ったお裁縫友達かも知れない。
すれ違うとき、何となく安兵衛に視線を集めて来たのは、或いはお豊の意中を洩《も》らされているのか。中に一人、際《きわ》立って上背のある器量の良い娘《こ》が、安兵衛に道をよけて佇《たたず》んだまま大きな眸《ひとみ》を瞠《みは》って、
「あっ……」
と呟《つぶや》いた。

「やっぱりあの中山さんでしたのね。……そうだと思ったわ」
娘は風呂敷《ふろしき》包みをかかえていたが、結び目に、白いおとがいをつけるようにヒョイとお辞儀をした。それから真赧《まつか》になった。
安兵衛には心当りがない。
「どなたでしたか?」
「深川八幡町の静庵《せいあん》さんのお宅で……」
「?——」
「宇須《うす》屋の志津《しづ》でございます」
思い出せない。
隣りの娘《こ》が志津と名乗った娘の肘《ひじ》を抓《つね》っている。
「痛いわ梅ちゃん」
大袈裟《おおげさ》に袂《たもと》を上げて打つ真似《まね》をした。安兵衛が自分を知っていてくれなかったので間が悪いのだ。
深川八幡町の静庵には安兵衛も面識がある。静庵は徳川初期の書家で字《あざな》は専林、通称は七兵衛という。静庵は号である。幼時は文字を修めず、のち発奮して学に志し、代々朝廷の書役たる加茂社の社家藤木|敦直《あつなお》に就いて書道を修め、技大いに進んで遂にその秘伝を授かった。のち、江戸に出て、幕府の命で平の字を書いて大いに褒賞《ほうしよう》せられ加賀の前田侯に仕えたが、先《ま》ず旗印に用いる左右の二字の執筆を命ぜられた。静庵は数カ月間この二字の練習を積んでから執筆した。
ある日、藩侯より即座に筆を執れとの命を受け、再三辞退したが許されなかったので、職を辞して京都に住み、書道を以《もつ》て大いに世に著《あら》われた。静庵の本名佐々木|志津磨《しづま》をとって世に志津磨流という。書を教授するのに静庵は先ず大字を書かせ、字の規矩《きく》を明らかにしてのち、式法に入るように導いたそうである。晩年は剃髪《ていはつ》して専念|居士《こじ》と称して再び江戸に出、深川に寓居《ぐうきよ》を構え風月を友として暮している。
安兵衛は剣術も出来たが、越後新発田の親戚に厄介になっていた頃、糠《ぬか》の目役人など小給者の悴《せがれ》には、ついでに手習師匠めいたこともやっていたので、或る程度、書も立派に書いた。しかし静庵の筆跡を見て大いに恥じるところあり、以来、折々はその寓居を訪ねている。
「思い出した、いつぞやの五色筆の娘御であったか」
志津が隣りの朋輩を袂で打った時に笑くぼをつくった、その特徴のある口許《くちもと》で思い出したのである。
「羽前屋さんとお知合いですか」
「え。……」
思い出してくれたとなると、一そう赧《あか》くなるのも年頃《としごろ》だろう。
「お豊ちゃんを見舞っての帰りです。……アノ……」
「何です?」
「中山さんは、あのウ……」
はたの娘|達《たち》も一斉《いつせい》にモジモジし出した。中山安兵衛、今では江戸中の娘たちの人気者になっている。
知らないのは当人ぐらいのものだ。

安兵衛としては、人目もあることであまりこういう場所での立話は気がすすまない。
「御用がないなら拙者これで失礼を致す」
言うと、
「お豊ちゃんに、お逢いになるんでしょ?」
「左様」
「御縁談でしょ?」
娘たちの眸が一斉に輝いた。
「よく御存じだが……」
苦笑すると、
「あたいもお願い出来ません?」
「あたしも」
志津の左右で同時に娘達が名乗りをあげた。自分は神明町の呉服商|海《かい》屋の娘である。あたしは飯倉《いいくら》町の仏壇屋の娘である——案外皆真剣な目つきだった。
当時、江戸は女の数が尠《すくな》かった。もともと江戸の町は今でいう植民地のようなもので、由来新しくひらけた植民地というところは、売春婦を除けば一般に女の数が尠いときまっている。江戸へ集まる大方は武家である。武家は参覲《さんきん》交替で殿様について江戸に入るが、江戸詰以外の者は又殿様のお供で国許へ帰る。世帯も大概は国許で持っており、従って江戸にいる時は旅客と同様である。
町人の方を見ても、元来、関東——殊《こと》に江戸には昔は町人がいなかったので、名の通った商家の大方は江戸|店《だな》といって、上方や国許に本店が在り、江戸は支店になる。地店《じだな》——江戸に本店をおいてあるのは当時十に一軒も無かった。労働階級にしても、矢張り地方の百姓の二男三男が江戸に出稼《でかせ》ぎに来るのが多い。さもなくば商家への丁稚《でつち》奉公である。
要するに武士であれ町人であれ、大半は旅宿暮しで、家族を江戸に住まわせている者は尠いから、人口の比率で見ると比較にならぬほど年頃の娘の尠い町なのである。時代のすすむにつれて漸次《ぜんじ》そういう不均衡の訂正されてゆくのが自然のなりゆきだろうが、町奉行の支配地で初めて統計を取った享保四年の江戸人口を見ると、男三十九万人に対して女は十四万五千に満たない。しかもこの十四万人の中には吉原などの娼婦《しようふ》の数も含まれている。男の方は町奉行|管轄《かんかつ》だけだから、寺社奉行の支配下にある夥《おびただ》しい坊主《ぼうず》の数は含まれていないのである。むろん諸大名の家来——各藩士はこの数に入っていない。
一般に、京大坂の上方の女は気がやさしく、江戸の方は荒っぽくて|おきゃん《ヽヽヽヽ》なのが多かったのも、こういう人口比率が生んだ現象だった。一種の稀少《きしよう》価値で、女は勝手|気儘《きまま》が出来たのである。
だからお嫁の口なんぞは、少々のことさえ我慢すれば、縁談なぞそれこそ降るほどあった。然《しか》るに娘たちは今、一斉に安兵衛に仲を取持ってほしげな様子を見せるのである。
げに、人気というものは怖《おそ》ろしい……

安兵衛が娘たちの執心にホトホト手をやいていると都合よく羽前屋の手代が小僧を供に店前から出て来た。
「オヤ、中山様ではございませんか……」
お豊を見舞ってくれたばかりの彼女たちが安兵衛を見知っている様子が意外らしく、
「ど、どうなすったのでございます」
今日あたり安兵衛が訪ねて来てくれるだろうと、羽前屋の奥座敷では心づもりの用意万端ととのえているのをこの手代も知っていたのである。
「番頭さん」
宇須屋の志津は気がつよい。
「言っておきますけどね、お豊ちゃんだけじゃないわ。あたいだって、中山さんは存じあげているのよ。……ねえ?」
左右の娘達を返り見る。深川八幡町の志津磨流の静庵と偶々《たまたま》同名であるところから、何かと志津は静庵に可愛《かわい》がられているらしくて、それを、殊更《ことさら》皆の前で志津は披露《ひろう》し、どうしても安兵衛についてもう一度お豊を見舞いに行くと言い出した。
要するに安兵衛を羽前屋に独占されたくはない、他愛のない娘の競争意識だろうが、まさか志津をつれて縁談の断りに行くこともならない。安兵衛は結局、近日深川の静庵宅へ志津と一緒に訪ねて行くと口約束をして、漸《ようや》くこの場を放免された。
「すっぽかしちゃ嫌《いや》ですよ。げんま」
志津はしなやかな小指を突出すと、苦笑する安兵衛の垂れている手へわざと絡《から》ませ、すっかりもう御機嫌《ごきげん》である。
「今日の幾世餅《いくよもち》、あたいが奢《おご》るわ」
嬉々《きき》として引揚げていった。
「宇須屋さんを御存じだったのでございますか」
安兵衛を案内しながら些《いささ》か手代の目はとがっている。宇須屋は五色筆を江戸で一手に販売している店なので、商売がたきという意識も多分にあったのだろう。
「知って居ると申すほどではない」
安兵衛は笑い捨てた。筆の穂には一般に仲秋のウサギの毛を最良とし、その他キツネ、ネズミのひげ、鹿《しか》の夏毛などを用いるが、種々の色の毛や羽を美しく取り混ぜたのを五色筆という。どうやら安兵衛が、羽前屋以外にその方の内職もしているらしいと手代が思い込んでいる様子に苦笑したのである。
いよいよ以て、これはもう内職もやめねばなるまいと考えた。堀部弥兵衛の懇望を容《い》れ、婿入りする肚を安兵衛は此の時|更《あらた》めてきめたかも分らない。
羽前屋夫婦の前に招じられると、安兵衛はハッキリお豊の縁談については爾後《じご》何事もお約束いたしかねると断った。その態度があまりきっぱりしていたので、夫婦は却《かえ》って非礼なお願いをしたと詫《わ》びを入れたそうである。それでも、今後とも是非お付合いさせて頂き度いと頼んだのは人情だろうが、後日、中山安兵衛と堀部弥兵衛の女《むすめ》との婚姻がととのった時、立派な祝儀の品が羽前屋から贈られてきた。
それと、この婚姻を祝って紅白二領の小袖《こそで》が、思わぬ人から届けられている。届け主は、柳生連也である。
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