返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

薄桜記07

时间: 2020-08-01    进入日语论坛
核心提示:にわうめの花うらうらと陽春の陽差《ひざし》の射《さ》す縁側に坐《すわ》って竜之進が刀剣に打粉《うちこ》を打って拭《ふ》い
(单词翻译:双击或拖选)
にわうめの花

うらうらと陽春の陽差《ひざし》の射《さ》す縁側に坐《すわ》って竜之進が刀剣に打粉《うちこ》を打って拭《ふ》いている。
庭には山吹の鮮黄と、父権兵衛が丹精の郁李《にわうめ》の花が咲き盛っている。刀は三条|吉則《よしのり》在銘の二尺二寸五分。うららかな春の庭には些《いささ》かぶっそうな景物だ。
鍔《つば》もとから切尖《きつさき》へ|にえ《ヽヽ》を追うてゆく竜之進の目つきも険しい。
「御精が出ますのじゃなあ……」
千春がお三時の菓子と花を捧《ささ》げて廊下づたいにやって来た。
典膳に離縁されて以来、あの刃傷の時には失神せんばかりに愕《おどろ》き嘆いたが、どうやら典膳の一命にさし障りはないと知って、今ではもう何事もおもい諦《あき》らめ、不思議な平静さを取戻《とりもど》している。面窶《おもやつ》れのあるのは仕方がない。それでもこの頃《ごろ》は、薄く化粧をして父や兄の前に出るまでになった。
「父上はまだ戻られぬか?」
ぐい、と脛金《はばき》下に最後の拭きを懸け、鍔音を静かに残して竜之進は刀をしまった。
千春に対する時、竜之進の眼は実にやさしい。
幼少からの妹思いで、どんな不機嫌《ふきげん》な折でも千春を見ると態度は別人の如《ごと》く穏やかになった。
「又囲碁でもあそばしているのでしょう。夕餐《ゆうさん》時までには戻ると、さき程|報《し》らせがございました」
「千坂兵部どの宅か?」
「そうらしいですわ」
「——千春」
「?」
「瀬川三之丞が米沢へお役替りになったこと存じておるか」
「…………」
「兵部どのの計らいらしくての。直《じか》には申されぬが、どうやら、そもじとの噂《うわさ》を顧慮されての上らしい」
「…………」
「ま、それはよい」
千春が杳《とお》い眸差《まなざし》で庭の山吹を眺《なが》めるのへ竜之進は嗤《わら》いかけて、高杯《たかつき》の湯呑《ゆのみ》を把《と》った。
「わしはそもじに謝らねばならぬようだが」
「……何でございます?」
「再縁のはなしじゃ」
「?」
「今どき末頼もしい人物と存じたで、いろいろと手を尽くしてみたが、……どうも、浅野家の老人に先を越されたらしい」
「…………」
「はっははは……ま、よいわ。彼のみが武士でもあるまい。そのうち、必ずそもじに総和《ふさわ》しい婿《むこ》をわしが見つけてくれる」
「もう一服、お代りを持って参りましょうか」
千春は盆を引寄せて、つと起上った。
「どう致した?」
目をあげたが、直ぐ、
「左様だナ。頂こう」
呑《の》みほしたのを差出《さしだ》す。
千春が足袋の踵《きびす》を摺《す》って足早やに縁側を去る。
そこへ庭|前《さき》の花の影から用人が帰って来た。

いつぞや中山安兵衛の浪宅に使者に立ったあの家来である。
庭前からはいって来たのは、少しでも早く竜之進の耳に入れたいからだろう。
「戻って参ったか」
「は。委細しらべあげましてござる」
「どうじゃあの話」
「されば」
用人はうっすら額《ひたい》に汗を浮かせていたが、縁側まで近づいて来ると千春に何処《どこ》かで聞かれるのを要慎《ようじん》したのだろう、
「お耳を拝借いたしまする」
竜之進の耳許《みみもと》へ寄って何事か囁《ささや》いた。
「…………」
平然と聞きおわった竜之進の緊《しま》った口許に冷笑がうかぶ。
「……そうか。……断絶をいたしたか」
「は。既に家財|什具《じゆうぐ》のあらかたを取片付け、丹下家の家紋のある漆器調度など無用の品はすべて焼却いたさせた由《よし》にござりまする」
「それで、岡崎へ家族ともども引|籠《こも》ると?」
「何でも典膳どのが母者は岡崎より輿《こし》入れをいたされましたる由にて、その実家《さとかた》が方へ暫時《ざんじ》落着く手筈《てはず》とやら」
「実家は水野|豊前《ぶぜん》どのが家中か」
「さ、そこまでは相調べ兼ねましてござるが、何なら今一度……」
「よい。まさか典膳、この儘《まま》江戸表より姿を消すとも思えぬが、ふふふ……この竜之進に報復の手段《てだて》も考えおらぬとすると、或《ある》いはのう。……」
靄《もや》にかすむ空の遠くを見上げたが、
「足労をかけた。さがってよいぞ」
千春が女中に何やら吩《い》いつける声が廊下のはずれでしたので竜之進は早口で言った。
「はあ」
一礼した家来は、復讐《ふくしゆう》を気にしているらしい主人の意中を察したつもりで、
「今ひとつ。典膳どのはあれ以来つくづく武士がいやになったと洩《も》らされておるそうにござれば、まさか、報復の手段なぞは」
「分らぬぞ」
「は?」
「——まあよい。千春が来る、早うさがれ」
来た庭前から、一礼して去ってゆくのと入れ違いに静かな衣摺れが廊下をやって来た。
一度、お盆を捧げた儘|立停《たちどま》ると、白い足袋先で裾《すそ》をさばいてゆっくりと坐る。
庭に風が出て山吹が点頭した。
「福田が帰って参ったのでございますか」
「そうよ。使いに出しておいたのだが……そもじ、知っておるか?」
「何がですか」
「福田の出向いた先」
瞼《まぶた》をあげたが、すぐ落した。
「存じません」
両方の手を持ち添えて茶をいれる。

竜之進が言った。
「そなたにあの男の話は聞かせたくないがナ。黙っておっても気にいたすであろうから申すぞ。丹下家は矢張りお取潰《とりつぶ》しになったそうじゃ」
「!……」
「それから、あの男は近々《ちかぢか》に岡崎へ引籠る由。——武士がいやになったそうな」
「何故《なにゆえ》そんな話をなさるのでございます? いやだな」
竜之進が目を瞠《みは》ったほど、蓮《はす》っ葉《ぱ》で、なげやりな言い方をした。それでいて不思議に下卑《げび》た感じがない。
「いつから左様な物言いを覚えた? いやだナ、か。これはよいわ。はっはっは……」
よっぽど愉《たの》しいのだろう。竜之進は腹をゆさって哄笑《こうしよう》して、
「千春、いやだなぞと思うようではまだ仕末がついてはおらぬぞ。片腕が無《の》うなればあの男でなくとも武士は嫌《いや》になる。さればせめて、この兄に腹癒《はらいせ》の果し合いでも申込むことか、江戸よりにげ出すような腑甲斐《ふがい》ない奴《やつ》——」
千春は聞いていない。自分のと兄のと茶碗は二つ用意してあったが、急須から兄へ淹《い》れただけでもう一つは空《から》のままだ。
呆然《ぼんやり》、庭のあらぬ方を見下している。
千春が夫典膳に離縁される数日前、典膳が一度だけ、
「つくづく旗本がいやになった」
と呟《つぶや》いたことがある。意味を千春は即座に察した。
大名には『奥泊り』という言葉があって、その晩だけ妻と寝所を同じくするが、将軍の場合なら当番の御中臈《おちゆうろう》と、御添寝の御中臈、それに御伽坊主《おとぎぼうず》——相当な年配の頭を剃《そ》った女——が御寝《ぎよしん》の間に宿直《とのい》をする。一体に殿様と呼ばれる諸大名ともなれば、如何《いか》なる場合にも一人で居ることは無いので、夫人にしても同様である。
夫婦が閨《ねや》の交りをする場合にも必ず当番の中臈が添寝をしている。甚《はなはだ》しい例にいたっては殿のお手つきの中臈が夫人のわきに添寝することなども|ざら《ヽヽ》である。そのため奥勤めの中臈は皆眠り薬を常時携えていたそうだ。
当否はともかく、そういう有様だから夫人が独りで時を移すことは絶対に無い。余程の例外でもない限り、だから一般に考えられるように、大名夫人が密通などする験《ため》しは殆《ほと》んど無いのである。淫奔《いんぽん》な夫人の場合とて、こうした大名生活の掟《おきて》までは破壊出来ない。
典膳が旗本の身分を疎《うと》んじる言辞を弄《ろう》したのが、千春の想像通りなら、同じ武士で、大名には凡《およ》そ妻の姦通《かんつう》の事実なく、小身な旗本のみこの苦渋を嚥《の》まされる——そういう不均等を怨《うら》んだ声だったろう。
ということは、取りも直さず如何に典膳が千春を愛してくれていたかを意味するわけで、腑甲斐ないなら、その様に愛する妻を斬《き》り得なかった典膳の上杉家に対する顧慮こそ、最も腑甲斐ない精神というべきだった。

庭の山吹はまだ黄色い花を残しているが、権兵衛丹精の郁李《にわうめ》の方は白い小さな花弁を樹下一面に散らしている。
竜之進が刀剣の手入れをしていた日から十日余り過ぎた。
今日はめずらしく権兵衛、竜之進ともに非番なので、午後の春光が障子に差す座敷へ碁盤を持出し、父子で碁を囲んだ。
白は権兵衛の方が打つといって承知しないので、この日も竜之進は黒石だが、だいぶ読みにひらきがある。
形勢非と見て俄然《がぜん》権兵衛が考え出した。
短気な御老人に似合わず、しびれのきれる程の長考である。
竜之進はなれているので、
「どうやら、勝負はつきましたな父上」
まさぐっていた石から指を離した。
「…………」
権兵衛はうつつで聞いている。時々、何やらぶつぶつ小言をいう。
もう今年になって何度目かの鴬《うぐいす》がお長屋の外で、つたない鳴き方を聞かせ出した。
しばらく耳を傾けていたが、
「千春のことですが、父上」
「う?……待て待て。こういくと、こう打つ」
曲った背を一そうかがめて読み耽《ふけ》る。よい知恵も浮ばぬようだった。
ピシッ、と念打ちをやり、未練たっぷりに布石を見入った儘で、手だけで傍《かたわ》らの湯呑をまさぐる。
直ぐ竜之進は打ち返した。
こんどは響く如くすかさず権兵衛が打つ。
虚をつかれたか、竜之進の上体がうしろに反った。
考え込む。
「どうじゃ、老いたりとて、お主ごときにまだまだ白は渡されまい」
「……驚ろきましたな、これは」
「三目じゃろうな?」
「まさか。それまで食われてはおりませぬわ」
両手を膝《ひざ》に考える。目は盤上を瞶《みつ》めた儘で、
「千春のことでござるが……」
「何、千春?」
「しばらく、国許《くにもと》の伯母上にでもお預けなされてはと存じ申すが」
「な、何故じゃい」
「典膳が江戸におるようです」
「!?……」
「くわしいことはまだ判明しておりませぬが、何でも老僕《ろうぼく》のみ連れて深川あたりの町屋に浪宅を構えました由」
権兵衛の白い眉《まゆ》が張った。
「竜之進。それはまことかの?」
「……詳しくは今も申すとおり判明しておりませぬが、……父上、この石はいかがですな?」
余裕を残して、打った。権兵衛はそれどころか。
「今の典膳が消息、千春は耳にいたしたのか?」
「残念ながらそうらしゅうござる」
「らしゅうとは何事じゃ。千、千春を直ぐこれへ呼べい」

「千春をお呼びなされても無駄《むだ》でござろう。あれは父上、典膳を一向にあきらめておりません」
「何。そ、そのような愚かなことあれ奴《め》が申しおったか?」
「申さずとも素振りを見れば分りましょう。あれが丹下家から送り返されたる長持や調度、奥へ蔵《しま》い込んで手も触れぬは何の為《ため》でござる。あれの着物をごらんになりませぬか、以前は柄《がら》を嫌《きら》って袖《そで》を通そうとも致さなんだものを、二月に戻って参ってより着詰め。某《それがし》や父上の前では化粧なぞいたして、殊更《ことさら》に笑っておりますが、箪笥《たんす》にしまったのを出そうとも致さぬのは、取りも直さず丹下家にて着ておったを思い出すが苦しいからではござるまいか」
権兵衛の老いの顔面が一瞬ぱあっと真赧《まつか》になった。
「竜之進」
「はあ?」
「せば、千春は慕うておるを無理に離縁いたされて戻ったわけか? な、なま木を裂くがように!……」
「そこまで想像はつきかねますが、何さま、あのように温和《おとな》しそうでも気性の烈《はげ》しい女のことで」
「妻《さい》を呼べ」
「?」
「妻じゃ。……これへ呼んでくれい……」
憑《つ》き物がおちるように権兵衛の嚇怒《かくど》の表情はガックリ緊張を失った。うつろな目が庭へ趨《はし》る。権兵衛も米沢十五万石・上杉家の江戸留守居役をつとめる士《さむらい》である。平静になれば事の是非を弁《わきま》える思慮は人並以上に備わっている。郁李《にわうめ》の散りざまを見て老いの目がシワシワまばたいた。
黙って竜之進が去ると程なく、老妻が小柄《こがら》な躯《からだ》を運んで来た。
「お呼びでございますか」
媼《おうな》はにこにこしている。いかなる場合にも夫の前で彼女はそうなのである。
「これへ来て坐れ……」
権兵衛は庭から目を離さなんだ。老婆は控えの間から声をかけたのだが、ゆっくり起上って、権兵衛のわきへ来て坐った。
盤の布石は竜之進が去った状態を示している。老妻にも碁のたしなみはある。ニコニコ顔を崩さずに、
「お負けなされましたなあ」
ほほほ……手の甲で口許をかくした。
「千春のことじゃが、そもじ、何ぞ思い当るふしはないか」
妻の嬌声《きようせい》に幾分か気を立てなおしたらしい。
「何のことでございまする?」
「典膳がもとを不縁になった理由じゃ。何ぞ、わけがのうてはかなわぬ筈」
「…………」
「知らぬかの」
眉の剃り迹《あと》の皮膚が無数の小皺《こじわ》を吊《つり》上げた。さも愕《おどろ》いた顔つきである。
「今更そのようなこと御|詮議《せんぎ》なされては千春がくるしむだけでございましょう」
「くるしむ? この儘に捨ておいたら苦しまぬと申すのかい」
「あなた」
老妻は落着いた口調で、
「典膳どのが深川にお住いのこと、お聞きあそばしてでございましょう?……」

「このわしに、深川の典膳が浪宅へ行けと申すか」
「無理にとは申しませぬわいな……千春のことをそれほど御心配あそばしますなら、じかに、典膳どのへお尋ねなされたら御納得がまいりましょうと……」
「典膳が話すと思うかい」
「さあ……」
口辺の微笑が不思議な翳《かげ》をやどす。
権兵衛はじっと考えた。
「これを、片付けてくれい」
「お出掛けでございますか?」
「千春は何処におる?」
「居間で繕ろい物をしております……お呼びしますわえ」
「いや、それには及ばぬぞ」
権兵衛は妻が黒白二様に碁石をより分けるのを見詰めていて、
「そうじゃ、千春をつれて参ろう、すぐ支度いたせと伝えてくれんか」
動いていた手が、碁盤の上で止った。
「あれをお連れなさいますか」
「竜之進をと存じたが、そもじの今の言葉で気が変ったわい。うむ、千春をつれて今一度典膳に会うてみる。袴《はかま》じゃ、袴を出せ」
深川八幡町の丹下典膳の浪宅は八幡橋を渡って半丁あまりの西念寺の裏手にあった。
このあたりは隅田《すみだ》川の水を引入れ、網の目に堀が通っている。典膳の住居からも庭越しに猪牙舟《ちよきぶね》の上下するのが見降せる。
此処《ここ》に移り住んでまだ半月になるかならぬかだが、典膳は付近の誰《だれ》にもまだ顔を見せない。
家に籠《こも》りきりで家主との応対から近所づき合い、所用の一切は老僕嘉次平がまめまめしく仕置《しおき》した。
それでも女中のない男二人のやもめ暮し。万事何かと不調法で、その度に申訳なさそうに嘉次平は詫《わ》びを言うが、彼の献身ぶりは涙ぐましい程である。
典膳は殆《ほと》んど居間を出ることがない。ひっそりと、たいがいは坐って書見をしているか、無い方の腕の肩を、着物の上からさすって瞑目《めいもく》しているか。
そんな時は疵跡《きずあと》がまだ痛むのに違いないが、
「お殿様、嘉次平めがおさすり致しまする」
すすみ出て言うと、
「いらぬ。その方はさがっておれ」
目もあかず、わずかに頭を振る。頬《ほお》は痩《や》せおち、月代《さかやき》ものびるにまかせたそんな主人の落魄《らくはく》の姿を見ると、嘉次平はお痛わしくてならないし、それ以上に世間がうらめしくなる。
誰が何と言おうと、あの狐《きつね》を捕えて来たのは嘉次平だ。すなわち嘉次平だけは、本当の事を知っているのである。
他言を禁じられているので、誰にもまだ明かしていないが、主人が長尾家で腕を斬《き》られたと聞かされたときには、上杉家へとんでいって大声で一切を暴露してやりたいと思ったほどだった。
しかるに世間は何も知らずに、腕を斬られて反抗もせぬ典膳を腑抜け武士と嘲笑《あざわら》う……

ある日嘉次平が只事《ただごと》ならぬ顔色で表から駆込んで来た。
「お殿様、大変にござりまする」
普通なら許しがあるまで座敷の襖《ふすま》を開けたことのない老僕が、敷居際《しきいぎわ》に手をつくのももどかしげに、
「長尾の、舅《しゆうと》がおみえになってござりまする」
「—————」
「奥様も御一緒にござりまする。お、お通し申せと仰せられますが……いかが計らいますれば?……」
典膳は嘉次平には背を向けて書見をしていた。左側が、きり立つように肩口から落ち、痩せ細った肩が尖《とが》って見えるので、一そう痛ましい。それでも足はきちんと揃《そろ》え、正坐を保っている。
「…………」
しばらく返事を待ったが、典膳は黙って見台の頁《ページ》を繰った。
「お、お殿様」
「——通りがかりに出会うたのか」
「は、はい。先様で近所の者にお殿様が住居をお尋ねなされておりますところへ、通りがかりに戻って参ったのでござります。そ、それを奥様がお目にとめられまして声を」
「かけたか」
「はい。……」
典膳の目が書物から離れた。顔をそむけ、庭の向うに流れ去る川を細い目で見つめていたが、
「——会う必要はない」
「…………」
「一たん夫婦の縁を切ったもの、今更会ってどうなるものでもなし。見る通り、当方今はかような侘《わ》び住居、この上の恥はおかかせにならぬようにと、そう伝えよ」
「……は、はい」
「…………」
それでも立ち去りかねていると、
「嘉次平」
わずかに身をねじって、
「権兵衛どのは一人か?」
「はい。お供もおつれなされず、奥様とお二人のみでござりました」
「さようか」
それきりもう視線を見台に戻した。
嘉次平は兼々奥様をうらんでいたが、先程のオドオドした様子を見ると、やっぱり人情にほだされ、ひと目でもお逢わせ申し度い気になる。舅の権兵衛の態度も意外にやさしかった。
嘉次平の様子を見れば現在の典膳の暮し向きがどういうものか、一目で分ったのだろう。
「そちも苦労をいたしておろうな」
そう言われただけで、今迄《いままで》舅を責めていたのが何か間違いだったようにも思えたのである。
「——何をいたしておる。早う断って来ぬか」
ハッと我に返ったほど厳しい声だった。
嘉次平は慌《あわ》てて表へ引返した。

ひとりになると典膳は瞑目《めいもく》した。
生暖かい河風が座敷へ吹き通ってくる。うしろのふすまを嘉次平は閉めていったが、建てつけの悪い障子が縁側で風に鳴った。
その風の音に聴き入るような瞑目だったのが、やがて、再び見台に向う。——低く、声に出して読んだ。
「此の樹は我が種《う》うる所
別れて来《こ》のかた 三月ならんとす
桃は今 楼と斉《ひと》しく
我が旅 なお未《いま》だ旋《かえ》らず
嬌《きよう》| 女字《じよあざな》は平陽 花を折って桃辺に倚《よ》る
花を折って 我を見ず
涙下って流泉の如《ごと》し……」
外に出た嘉次平は西念寺の土塀《どべい》のかげで待っている権兵衛|父娘《おやこ》のそばへ、申訳なさそうに寄っていった。
「矢張り駄目《だめ》かの」
「恥をかかさずにおいてくれと、その様に申されておりますが」
「……さようか」
千春の表情はもう少し強《こわ》かった。目がひきつって、蝋《ろう》のように青ざめている。ずい分迷った末に、やはり実家へ帰ってからの着物の儘《まま》で父について来たのである。
今更《いまさら》、典膳が会ってくれる筈《はず》のないのは覚悟の上だが、せめて、住居の様子でも知りたいとこうして跟《つ》いて来た。お詫《わ》びを言うつもりはもうない。人間の言葉のうちで、最もいやらしいのは詫言《わびごと》だと千春は思っている。そういう躾《しつ》けをされて育ったのである。詫びるなら、黙って死んでいる筈だ。典膳はいのちをいたわれと離れる前夜に言った。その一言には、典膳なりに深い思案あってのことだろうと思い、彼女は彼女なりに耐えて来ている。過ちは償いようがない。犯してしまった過失なのだから、めそめそしないでさらりと忘れさった方がどんなに気持がいいだろう。このことは、過ちを詫びる気持を失ったことにはならないので、ただどれ程わびてみたところで取返しのつかぬ過失なら、いっそ明るく暮す方が周囲の者にも不快な感情を与えず、いわば、裁きを受けるのを待つ身としては正しい態度だと思うから、千春は平気なように暮しているだけなのである。
併《しか》し、目の前に典膳の侘び住居を見、一だんと又老衰の深まった嘉次平の様子を見ると、やっぱり千々に心が乱れた……
権兵衛が言った。
「会わぬと申すなら、あれだけの男じゃ、絶対に会うてはくれまい。やむを得ん。……が、嘉次平、代ってその方に相尋ねるが、これを離縁いたしたわけは、まことは何じゃ?」
「…………」
「今更さようなこと質《ただ》したとて為様《せんよう》もないと申さばそれ迄《まで》。しかし我らも上杉家にて代々重職の家柄《いえがら》にある身じゃ。不縁になった婿《むこ》どのの住居へ、むすめをつれてのこのこ出向いて参れば、世の物笑いになるぐらいは存じておる。それは承知でこうして白昼訪ねて参った。……のう、さすれば其方も我が胸中察しはつこう? 存じておるなら申してくれい、何故《なにゆえ》これは離縁いたされたのじゃ?」
一陣の風が、寺の土塀越しに匂《にお》う木蓮《もくれん》の梢《こずえ》を騒がせて過ぎた。

嘉次平は千春を見遣ったが、さすがに口には出しかねるのだろう。
「わたくしなどは何も存じ上げておりませぬ」
と言った。
「さようか」
権兵衛は一そう沈痛の面持《おももち》になり、
「千春。これでは埒《らち》明かぬ。出直すとしよう」
「?……」
「そもじ一人で出向けばよいと申しておるのじゃ。但《ただ》し、そちも長尾家のむすめ。一たん不縁になった夫を訪ねるからは二度と屋敷へは入れんぞ。——よいな」
娘の千春へというより、嘉次平を通じて典膳に伝えているつもりだろう。
典膳が御旗本の儘なら、離縁された手前、武士の意地もある。併し今は浪人暮しである。
「千春は出奔致し候《そうろう》ゆえ勘当」と世間|態《てい》を繕ろえば、まさか浪人者の旧夫のもとへ趨《はし》る千春が物笑いにこそなれ、上杉の名に疵《きず》のつくことはあるまいと権兵衛は考えたのである。
外様《とざま》大名と旗本の意地の張り合いは、この頃《ころ》もまだ微妙な作用を江戸詰の各藩士たちに及ぼしていたので、竜之進が典膳を斬《き》ったのも、旗本一般への意趣からだったと今だに権兵衛は思い込んでいる。
「些少《さしよう》じゃがこれはそちへの手土産じゃ」
「い、いえ……さようなものを受取るわけには参りませぬ」
「よいから取っておけい。そちへの、よいな、婿《むこ》どのではないぞ、そちへのはなむけじゃ」
「さよう申されましても、金子《きんす》の施しなど享《う》けたとお殿様に聞こえましては」
「よいと申すに——」
無収入の暮しがこれから何年つづくかも知れない。少々のたくわえは用意していようが、隻腕《せきわん》の主人に仕えて恐らく老僕《ろうぼく》の苦労は筆舌につくし難いものがあろうと、老いの身で権兵衛は察したのだが、何としても嘉次平は受取ろうとしない。嘉次平も武家屋敷に奉公した人間で、まして主人の今日の落ちぶれた境涯《きようがい》がそもそも誰《だれ》のためかを思うと一度に悲憤がこみあげても来るのだろう。
「長尾様」
千春が気の毒で伏せておこうとした真相であったが、今はもう、何もかも暴露したい衝動に嘉次平の目が据《すわ》った。こう言った。
「お殿様は、いかに零落あそばそうとも御直参でござりまする。以前の舅どのとて離縁すれば他人、その他人にほどこしをお受けなされるほど、武士道まで落ちぶれさせてはおられませぬ!……」
「!」
「もともと詳しいわけも訊《き》かず、あのような狼藉《ろうぜき》を竜之進さまがあそばさねば、かように町家の侘び住居なぞおさせ申さずに済みましたのじゃ。だ、誰が今更長尾様の施しなど」
「何?」
嘉次平の悲憤は察しぬではないが、言葉遣いに角がありすぎた。権兵衛の顔色が変った。
「その方、情けをかければよい事に、下郎の分際で我らへ楯《たて》をつくかっ」
刀の反《そり》を返した。丁度そこへ、西念寺の境内から出て来たのが中山安兵衛——

西念寺は浄土真宗西本願寺の末寺で、慶長のはじめ頃、開山了善(北条氏直の孫)が品川に小庵《しようあん》を結んだのが始まりと伝え、もとは真言宗であった。寛永二年に準如上人より本仏寺の号を賜わって、同十二年浅草寺町へ移り、その後八丁堀に移転したりしたが正保四年この深川富吉町へ移った。
住持の恭順|和尚《おしよう》というのはなかなか面白《おもしろ》い人で、越後の出身であるのと、中山家が代々浄土宗だった関係から、安兵衛は江戸に出た当座しばらく世話になったことがあった。八幡町に隠居する志津磨《しづま》流の書家静庵に紹介されたのも西念寺の和尚からで、そんなことから静庵を訪ねる途次に立寄った。ひとつには堀部家に養子となった報告もある。
昨日までの浪人暮しが、今は草履取りを従え、赤穂五万三千石浅野内匠頭|長矩《ながのり》の家来。筆造りの内職に糊口《ここう》をしのぐ必要もなく、いずれは養父堀部弥兵衛の致仕《ちし》後、家督相続をして二百石取りの家臣である。当時知行二百石といえばどれほどの武士かは、赤穂義士の他の面々と比較すれば一目|瞭然《りようぜん》だろう。
講談などで有名な大高源吾(蔵奉行)がわずか五十石五人|扶持《ぶち》、武林|唯七《ただしち》でたった拾両三人扶持。神崎与五郎に至っては七両三人扶持。金奉行前原伊助で拾両三人扶持。愛妻家で知られた京都用聞き小野寺十内でも百石。赤垣《あかがき》源蔵百五十石、近習頭兼|書翰《しよかん》役|磯貝《いそがい》十郎左衛門が矢張り百五十石。普請《ふしん》奉行|不破《ふわ》数右衛門百石、美男で名のある岡島|八十《やそ》右衛門《えもん》が札座《さつざ》元を勤めてわずか二十石である。赤穂義士四十六人のうち、堀部安兵衛以上の禄《ろく》をうけていたのは家老大石|内蔵助《くらのすけ》の千五百石を筆頭に四人を数えるのみ。いかに安兵衛の身分がよかったかが分る。
これに反して、御旗本丹下典膳はわずか半歳に充《み》たぬ間に禄を没収され隻腕の不具者となり、寺の裏長屋の侘び住居をしている。栄枯盛衰なぞと大袈裟《おおげさ》な表現は避けても、変れば変る人の身である。
両者はまだ目見《まみえ》ていないが、同時に二人を知る者があったら典膳の境涯《きようがい》に一掬《いつきく》の感慨を禁じ得ないだろう。
さてその安兵衛が寺を出て辻《つじ》を曲ると、身分いやしからぬ老人が刀に手をかけ、老い窶《やつ》れた下僕を今にも斬捨《きりす》てん身構えでいる。かたわらで美しい女性が袂《たもと》を胸に「あっ」と声をのんでいる。
安兵衛には行きずりの他人だが、注目して近づくうち微《かす》かに老武士の手がふるえているのを見た。斬りたくないのだ。誰《だれ》ぞが止めてくれるのを待ちのぞんでいる。
と見たので、わきを通り抜ける寸前、小石につまずく態でよろりとよろめき、老武士の肘《ひじ》に縋《すが》った。
「おっ、これは粗忽《そこつ》——」
たたらを踏んで立直ると、すぐ、
「何ともお詫びの申しようもござらぬ。何卒《なにとぞ》、御容赦を願います」
頭を下げ、すっと横を過ぎ去った。
機転とは察しられたが、権兵衛、気を呑《の》まれ、茫然《ぼうぜん》と見送った。
肘を掴《つか》まれた時の痛かったこと。手がしびれたのである。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%