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薄桜記10

时间: 2020-08-01    进入日语论坛
核心提示:孤影嘉次平が竈《かまど》の前にうずくまって火吹竹を吹いていると、どやどや人の跫音《あしおと》が表へ来て停った。「これだこ
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孤影

嘉次平が竈《かまど》の前にうずくまって火吹竹を吹いていると、どやどや人の跫音《あしおと》が表へ来て停った。
「——これだこれだ」
「おーい……みつかったぞ」
大声で通りへ呼びかけている。
やがて表戸がガラリと開き、
「丹下典膳どのの住居はこれか。御在宅なれば御意得たい」
聞き覚えのある声が言った。燻《くすぶ》る煙りに目をぬぐってとび出てみると堀内道場の面々が四人。
「おお、これはようお出《い》でなされて下さいました」
師範代の高木敬之進を除いては小身ながらも御直参の身で、二人ほどお供の者が跟《つ》いている。
「そちは以前より仕えておる爺《じい》であったな?」
「はい。……お久しゅう存じまする」
「丹下さんは御在宅か。我ら打揃って見舞いに参ったと伝えてくれい」
「……少々、お待ちを願いまする……」
誰にも会いたくない主人とは知っているが、こう正面きって訪ねられては断りもならない。
おそるおそる嘉次平は典膳に取次ぐと、狭い住居のことで玄関の様子は筒抜けだった。
「何人で参った?」
「高木さまはじめ四人様にござりまする」
典膳は本を閉じ、座敷に坐したまま障子を開け放った庭から河面の夕焼けを眺め出した。肩の疵《きず》の上を、例によって右手でさすっている。
しばらく思案をしたが、
「会おう。——これへ通って頂け」
典膳が道場の面々に会うのはあの一件以来である。高木敬之進を先頭に、小十人組の池沢武兵衛、眉《まゆ》の細い野母清十郎、小普請《こぶしん》の吉岡|玄蕃《げんば》と、相前後して座敷に来て、いずれも典膳のその余りに窶《やつ》れ果てた姿にハッと息をのむ。
それでも、一同座に着くと、
「御加減はいかがじゃ? もっと早うに訪ねて参る筈《はず》であったが、何さま恒例の紅白試合に紛《まぎ》れておって——」
高木が一同に代って挨拶《あいさつ》する。
「忝《かたじけな》い。……もう、ごらんのとおりすっかり傷は平癒《へいゆ》いたした。ただ時々、痛みが残り申す——」
淋《さび》しく典膳は笑う。嘉次平が急いで茶の支度をして次の間に来ると、一同に改めて礼を述べた。それから酒肴《しゆこう》の支度をしましょうかと典膳に言う。
「いや、我ら参ったは見舞|旁々《かたがた》実は丹下さんに相談があってじゃ。用が済めばすぐに辞去いたすぞ」
せわしく武兵衛が手を振る。その脇《わき》から敬之進が、
「実は丹下さん、相談というのは他《ほか》でもない、紅白試合の件について——」
言った時、玄関に又々人の訪《おとな》う気配があって、
「こちらは丹下典膳さまの御宅でございましょうか。手前は、紀伊国屋文左衛門よりの使いにござりますが——」
応対に出た嘉次平と紀伊国屋の使いとの話し声が奥座敷まで聞こえてくる。
意外そうに、
「丹下さんは紀文を存じておられるのか?」
清十郎は細い眉をあげて目を光らせた。料理茶屋の女遊びを知っている者なら、武士町人のへだてなく紀伊国屋文左衛門へ一種の羨望《せんぼう》を感じるのは人情だろう。
「知り申さぬ」
典膳はあっさり首を振って、
「それより今の紅白試合の話、何を相談に参られたか知らぬが、見られるとおりの片輪者です、一切聞かぬことにしてこの儘《まま》お引取りを願い度いが」
「いやそれは困る」
師範代の高木が慌《あわ》てて膝を乗出す。
「詳しい事情を申上げねば相成らんが、来る十日の恒例試合には、このたび特に知心流道場より両三名が見学に立会われることに相成った。見学とは申し条、他流を交えての稽古《けいこ》とあれば一応我が方としても覚悟の要ること。ついては、丹下さんに是非当日列席をねがって」
「——それは堀内先生からの希望で?」
「いいや、先生にはまだ申上げておらん。我ら相談の上にて」
言ってるところへ嘉次平が戻って来て、
「お話し中でございまするが、只今《ただいま》紀伊国屋文左衛門の使いと申す者が参りまして」
「要件は?」
「それが……」
嘉次平は弱々しい笑いを浮べた。
「何でも、さきほどの中山さまが御一緒だそうにござりまして、富岡八幡うらの料理茶屋へ是非お殿様にお越し願い度いと」
「中山?……高田馬場一件の中山安兵衛がことか?」
意外な面持《おももち》で池沢武兵衛が身をねじ向けた。
「はい」
「そ、それでは丹下さん、貴殿中山を存じておられたのか?」
池沢だけではない、一同にこれは思いがけない事だったろう。互いに顔を見合って、なかば呆気《あつけ》にとられている。
典膳は少時考えたが、何を思ったか、
「ともかくこれへ通せ」
と言った。
嘉次平が驚いた。あの事件以来典膳が人に会うのは今日が初めてだからである。
「よろしいのでございますか?」
念をおしたが、
「よい。——通せ」
低く、典膳はうなずいた。
嘉次平に案内されて次の間にかしこまったのは例の番頭喜兵衛である。ずらりと来客が居並んでいるのにも物怖《ものお》じせず、
「はじめてお目にかかります、手前、紀伊国屋の番頭にござります——」
落着き払って挨拶する。その物腰をじっと典膳は見戍《みまも》った。

しばらくして典膳が尋ねた。
「中山どのは以前から紀伊国屋を存じておられたのか」
「いえ、お目にかかったのは、今日はじめてでございますが、丁度、このお近くに棲居《すまい》なされる志津磨静庵と申されます御隠居を、手前主人が以前より存じ上げておりましたもので、偶然御一緒に……」
「志津磨?——書道に高名なあの御老人のことか」
小十人組の中でも手跡を自慢の池沢武兵衛が膝を進めた。
「はい。存じていらっしゃいましたか」
「いや。面識は得ておらんが。——成程、あの中山であればのう」
武兵衛は以前まだ安兵衛が道場の大方に無視された頃から、安兵衛には好意的だったので、それが今では何よりの誇りである。自分には先見の明があったというわけである。
「いかがでござろう丹下さん、あの書道の大家は兼々なかなかの粋人とうけたまわっておるが、それが同席なら面白《おもしろ》い。拙者かねて、実は貴公に是非中山を引合わせ度《た》いと存じておったところ。いい機会かと存ずるが」
それから又ふりかえって、
「番頭、その料理茶屋とやらへ我|等《ら》同道いたしても差支えはないのか」
「それはもう、何人お出で下さいましても至って紀伊国屋は賑《にぎ》やかが好きでございまして」
「お、おんなは同席いたしておるのか?」
これは眉の細い清十郎が訊《き》いた。
「はい。新吉原の傾城どもがほんのわずかばかり……さよう、十二三人は参っておりましょうか」
「何、ほんのわずか十二三人? ——うーむ」
「いかがでございましょう」
番頭はあくまで典膳ひとりを見上げて、福相にニコニコ笑った。
「では、御案内ねがおうか——」
襖越《ふすまご》しに嘉次平は我が耳を疑ったという。それこそ住居の外へは一歩も出ようとしなかった主人なのである。
典膳は、
「この儘着流しで失礼いたすぞ」
言って、すっと座を立ち、床の間の刀架へ寄ると片手で腰をまさぐって大小を落し差にした。隻腕《せきわん》の不自由をこの時一同まざまざと見るおもいがした。
出掛けるときまれば各々はその方面はけっして嫌いではない。
「かように多勢でおしかけて迷惑はいたさんかな?」
一応、尤《もつと》もらしく高木敬之進が躊躇《ちゆうちよ》したが、相手は名に負う遊蕩《ゆうとう》大尽、どのような美人を侍《はべ》らしておるか見たいものよ。そんな好奇心がもう表情一杯にあふれ出ている。
一同、丹下典膳を中に囲んで八幡宮境内を抜け料理茶屋に乗込んだ。

紀伊国屋の番頭喜兵衛が、十二三人といったのは誇張ではなかった。あらかじめそういう約束が出来ていたのか、典膳らが広座敷に這入《はい》ると、志津磨静庵、中山安兵衛を上座にすえて左右へずらりと二十人あまり、いずれもキラびやかな衣裳《いしよう》に笄《こうがい》、三つ櫛《ぐし》、或《ある》いは二つ櫛と容色を競って居並んでいる。それぞれ禿《かぶろ》や火車を両脇に随《したが》えているが、中には貌《かお》に紅粉の粧《よそお》いをほどこさず、髪に油もつけぬ洗い髪に一つ櫛といった乙に澄まし込んだのもいる。それに加えて、紀文が此処《ここ》へ大尽遊びに来るとき連れて来た歌舞伎《かぶき》役者、幇間《ほうかん》、混血娘ヘレンのように玄人《くろうと》とも素人《しろうと》とも見分けのつかぬ女達。芸者。仲居。
それらが一斉に典膳や高木敬之進の入って来るのを見て会釈《えしやく》をしたのだから、ちょっと異様な光景だった。
かんじんの紀伊国屋文左衛門がどれかも一目では分らない。
野母清十郎などは、こっそり遊里通いをしているのだろう、座敷に入ると直ぐ、人情で馴染《なじみ》の顔はいないかと見渡した。池沢武兵衛は書道など出精《しゆつせい》するだけに案外小心者で、こういう豪華な宴には臨んだこともないか、茫然《ぼうぜん》と目を瞠《みは》っている。吉岡玄蕃も同様である。
典膳が安兵衛を見るのは無論この日が初めてだ。不思議な縁である。座敷に一歩入るときからひと目でそれと分った。
安兵衛の方は、着流しに隻腕の相手なら見まいとしても目につく。それに池沢武兵衛や高木敬之進までが同伴で来るとは思いがけないので、玉緒につがれた盃を何時までも手に持って視線を注いだ。
「——ささ、どうぞこちらへお出でを願います」
静庵の向うに、典膳のための空席は一つ用意してあったが、他の面々のが無い。遊女たちを促して座を移らせ、其処へ典膳から順に四人を坐らせた。禿たちは急いで遊女のお膳《ぜん》を次々と譲ってゆく。
その間にも、
「中山氏、久しぶりじゃ」
「全く貴公とかようの場所にて会おうとは思わなんだぞ」
「仄聞《そくぶん》いたしたが、浅野侯に仕官めされたそうじゃな。先ずは祝着」
各自|馴々《なれなれ》しく詞《ことば》をかけて、坐る。典膳だけは黙って会釈をし、安兵衛の隣りに、遊女を挟《はさ》んで、坐った。
他の四人はそれまでに早く差料を外していたが、典膳は座布団の上に立ってから、片手をまわして掴《つか》み、帯から抜く。何でもないように見えても安兵衛一人は、私《ひそか》に感嘆した。
武士は大小を先ず小刀から着物と帯の間に挟み、ついで大刀はそれと帯一重をへだてて差すものである。両手があれば、帯と帯の間を指でまさぐって差すことも出来るが典膳は片手である。大刀を把《と》れば鐺《こじり》で帯一重をまさぐらねばならぬ。それが今、大刀を腰から抜いて脇差《わきざし》の方に微動の揺れも見られなかった。帯をきつく緊《し》めただけではこれは出来ない。余程の練達である。
紀文がこの時別座敷から現われた。

「ようこそお揃いでお出でを頂きました。手前が紀伊国屋でございます。きょうは実は亡父の十三回忌に当りまして、寺にて心ばかりの法要をいとなみましての戻り。生前、父は至って逼塞《ひつそく》をいたしておりましたもので、せめて孝行の真似事《まねごと》にもと、かような席をもうけさせて頂いたようなわけで。ま、何かのこれも御縁と思召し、どうぞ本夕ばかりは存分にお遊びを頂きます」
そう言って紀文は高木敬之進の前に出ると、ことさら典膳をあとまわしにして、自身の手で高木ら四人の前に杯盤《はいばん》を据《す》え、一人一人へ酌《しやく》をした。
「はじめて御意を得る。拙者《せつしや》小十人組にて池沢武兵衛と申す」
「拙者は吉岡玄蕃」
「野母清十郎」
いやに四角張った挨拶《あいさつ》をするのも、既に貫禄《かんろく》の上で紀文にのまれている証拠だろう。
最後に紀文は典膳の前へ坐った。
「お初にお目にかかります——」
紀文の方から挨拶したのは典膳にだけである。
軽く典膳は頭をさげた。
「お近くにお住いだそうにございまするな」
「さよう、西念寺裏に侘び住居をいたしており申す」
「いかがでございましょう、これを御縁にお付合いをねがえませぬか」
意味の汲《く》みとりかねる複雑な笑いをうかべている。
「風流なものを結んでおられるが」
典膳は応《こた》えるかわりにそう言って目で紀文の元結《もとゆい》を示した。髻《もとどり》を結ぶのに普通と違って金糸を用いてあったのである。
「これはお目の早い——」
紀伊国屋は照れたように嗤《わら》った。さいぜんお志津を別室へ介抱に運び入れる時には普通の麻の元結を緊めていた。金糸の光るのは、よく見ればお志津の髷《まげ》に結んであったものである。
それが何を意味するか、典膳の隣りに並ぶ安兵衛の関心をそそったろう。——が安兵衛は素知らぬ顔で呑《の》んでいる。お志津はあれからまだこの座敷へ戻って来ない——
紀伊国屋はチラと安兵衛を盗み見て、目敏《めざと》く元結を指摘されたことに気が臆《おく》したか、この場ではもう、典膳と昵懇《じつこん》になりたいわけを打明けるのはあきらめた様子で、急にそわそわと典膳の前を立ち、座敷中央に戻って、
「さあ、どうぞ思う存分に今宵《こよい》はお遊びを願いましょう」
と言った。
この一語を待ちかねた如《ごと》く、それにかしこまっていた幇間や女どもが忽《たちま》ち無礼講のどんちゃん騒ぎに入る。
「わっちゃあどうも、やっぱりロード・ゲシクトになりやしたねえ」
よろよろ立上って高木敬之進らの前へ坐り込み、
「おちかづきに、お武家さまのウエインが頂戴《ちようだい》いたしとうござんす」
盃を差出す者もある。遊女の手を取って花見踊りを踊ろうと促す者もある。大変な賑々しさである。
そんな中で、愁《うれ》いにとざされた典膳の心は酔わない。

そのうち幇間桜川為山の音頭《おんど》で取巻き連の数人、うめ茶|局《つぼね》、三寸局、火車などが立って広座敷中央で踊りを踊りだしたものである。いよいよ賑《にぎ》やかに気分は浮立ってくる。手拍子で踊りをはやす者もいる。
三寸局というのは、遊女の階級でも下の方で、吉原町に初めて廓《くるわ》が出来た頃は太夫、格子、端《はた》の三階級に限られていた。それが元禄前に「うめ茶」という第四級が出来、うめ茶局の中で更に五寸局、三寸局、なみ局と分れたのである。紀文はたいがい馴染の遊女のいる妓楼《ぎろう》では総揚げをする。それで彼女らもこの宴席に侍《はべ》れたわけである。
騒ぎが次第に大きくなると、気むずかしげに構えていた高木敬之進も隣りの遊女に戯《たわ》むれ出す。好き者の清十郎なんぞは「ケケケ……」奇妙な笑い声を立て、すっかり酔い出した。
吉岡玄蕃は、未《いま》だ三十に満たぬのに容貌《ようぼう》すこぶる魁偉《かいい》、堀内道場で「おやじ」なる異名を蒙《こうむ》っている。それが酒呑童子《しゆてんどうじ》のように真赤に酔って、我も踊らんず気構えを見せるのを池沢武兵衛がしきりに袂《たもと》を掴んで制していた。
「どうも、とんだところへお誘い致しましたな」
安兵衛が申訳なさそうに声をかける。
「何の」
典膳は頭を振って、
「先程は家僕があぶないところをおたすけ頂いたそうで」
「いや、却《かえ》って差出たことを致したと申訳なく存じております」
どちらも正面の踊りを眺めた儘で、顔は振向けない。
しばらくして又、安兵衛が言った。
「疵《きず》あとはいたみませぬか?」
「さよう、不思議なもので、時々、指の感覚が肩で動き申す」
「指の?」
思わず顔を向けた。
典膳はうなずいてこう言った。腕がもう無いのだから指を動かす神経がある筈《はず》はないのに、時々、ヒクヒク手を動かす感じで腕の付根に針で刺すような疼《うず》きがのこるというのである。
言いながら手をまわして肩をさすっている。
「丹下さん」
この時高木が身をねじ向け、
「先刻お話し申した紅白試合のこと、お引受けねがえましょうな?」

ぐるぐる座敷中央を回りながら踊っている人数の中に、混血娘ヘレンも混っている。
踊りは六調子の花やかで鄙《ひな》びた手ぶりの舞いである。ヘレンは、碧《あお》い眼で、袂を翻《ひるが》えし正面の安兵衛と典膳の位置の方へ回って来る毎《ごと》に、チラチラ情熱的な眸差《まなざし》で典膳を流し見た。さいぜん安兵衛をみつめた時は、いたずらっぽい、少女めいた好奇心のそれだったが、広座敷に典膳の姿が入って来てからは急に人が変ったように黙り込んだものである。傍《はた》から冗談を言いかけられても応えないし、盃も手にしない。まじろぎもせず大きな碧い眼で一すじに典膳を見戍《みまも》っていた。
それが皆の踊り出すときになると、弾《はじ》かれたように自分も立上って仲間に入ったのである。何か、一歩でも、そうして典膳の顔をよく見える処《ところ》へ行きたい……そんな意図が明らかに感じられた。
踊りながらの、歌にあわせて唄《うた》う口の動きは、日本娘と少しも変らないから、彼女も日本言葉でしか今ではもう喋《しやべ》らなくなっているのだろう。父のオランダ人は何処《どこ》にいるのか、或いは祖先がオランダ人なのか、兎《と》に角《かく》、碧い眼で風流な日本の踊りを手ぶりも確かに踊る容子《ようす》を見ると、異境に育てられる女の或る宿命的な哀れさが漂ってくる。
いつとはなく典膳の視線もこの異国の少女に注がれていたが、するとヘレンは自分を注目してくれる典膳と知ってぱっと瞳《ひとみ》を輝かせた。彼の視線が他へ移ると忽《たちま》ち輝きも消える。再《また》、典膳の目が戻る。ヘレンは歓喜して急に楽しそうに綺麗《きれい》な声をあげて皆と唄う。
アラヨ、桃様よ
夢なと見せれ 夢で浮名が流さりょか。
ハヨイヤサー。
可愛いじゃと言うて
捨言葉にも言うてくだしゃんせ
ハヨイヤサー
いま此処で松が栄えて御城が見えぬ
なぜに御城下は島の影
いやというのに得心させてむりに咲かせた
室の梅
ハヨイヤサ……
「いかがでござる、今の紅白試合の話は……」
典膳が黙って踊りを見つめるので、高木も視線に誘われヘレンの混血児であることに興味をそそられた様子だったのが、やがて我に返って話を戻した。
典膳は片手で飲んだ盃を、ポトリと膳に捨てた。やはり黙っている。しばらくして、
「そういう話は、他日のことにして下さらぬか。今では侘《わ》び住居の身。こういう愉《たの》しみには滅多にめぐり会えは致さぬのでな」
言って、
「そもじの名は?」
くるりと隣りの玉藻の横顔へ目を向ける。
典膳がそんな風にうちとけて来たのは初めてなので、
「わっちゃあ三浦屋の玉藻でおざんす」
膝をずらして、酌をした。典膳はこころよくそれを受けたので、あるいは、と末席でこれを見た番頭は思ったという。
だが典膳はこの一杯をうけただけで、不意に立上り、厠《かわや》へ行くと見せかけその儘茶屋を出た。
と、安兵衛もこれに続いてすっと座敷を出る——

突如と中座したのだから、表の夜風にでも酔いを冷やせば再び座敷へ戻るつもりで座を起ったのだろうと、紀文は簡単に考えたらしく、慌《あわ》てて番頭が追いかけようとするのを手で制しているのが安兵衛の出る時に見えた。
安兵衛自身は、むろん戻るつもりでいる。典膳とて、まさか挨拶も残さず帰って行く人物とは考えられぬからである。
それで玄関で女中が、
「おや、お帰りでございますか」
驚いて寄って来るのへ、
「すぐに戻る」
草履を揃えたあと、お供に出ようとする茂助へも、「そちはこれに残っておってよいぞ」一たんは言った。
併《しか》しふと別なことに思い到《いた》り、茂助に付いて来ることを許したのである。
別事とはお志津のことである。志津の下女も茂助と一緒に待っている筈であったが、玄関に姿はなかった。安兵衛は典膳の五六歩あとから往きながら、
「宇須屋の下女はどう致したな」
低く尋ねた。
「あの娘さんに付いて、さいぜん帰って行きましてござります。大そう青い顔で、着物なんぞは着崩れがしておりました。そうそう、ひどい乱れ髪で……若い娘御だけに、酔うと前後のわきまえもなくなるんでございましょうな。こちらは挨拶いたしましたが、目を吊《つ》り上げて、見向きも致してくれません」
「そうか。……」
帰ったのなら、いい。
「少し丹下どのと話がある。その方、あとから跟《つ》いてくるように」
吩《い》いつけて、ゆっくり典膳に追いつき、肩を並べた。
「いい月ですな」
安兵衛は言った。全く晩春にはめずらしい月の冴《さ》えた晩である。町家の殆《ほと》んどは表戸を降ろして深夜のように静まっている。野良犬が一匹遠くの辻《つじ》でしきりに二人の歩くのへ吠《ほ》え立てた。
「お手前、あれへ戻られるおつもりか」
暫《しば》らくして典膳が訊いた。どちらもすらりと背が高い。
「もしそうなら拙者、この儘帰宅いたしたとお伝え頂き度《た》いが」
「戻られんのですか?」
「久々に酒をすごしたせいか、肩が痛んで困ります」
二人の足取りは寸分違わず打揃っている。意識してそうするのではない。この呼吸の一致は、先に乱した方が負けなのである。
「丹下どの、お手前に一つお尋ね致したいことがある。構いませんか?」
「何を?」
「その疵。——何故わざわざ斬《き》られに御内室の実家へ行かれた? お手前ほどの人物、わけはおありであろうが、何としても拙者、それだけが見分け兼ね申した……」
チラと一瞥《いちべつ》をなげると、典膳は急に足を早め安兵衛のわきを離れて行く——

安兵衛は典膳につき纏《まと》うのを恥じて、途中で停《とま》った。
独りの影を曳《ひ》いて典膳は去って行く。傍《かたわ》らの掘割の水に月明りが映っては風で千々に砕けている。
あきらかに安兵衛は典膳へ不快の念を与えたようである。それが安兵衛にはあきらめきれない。こういう味気ない別れ方はしたくなかった。江戸に浪人暮しをして数年。初めて心から畏敬《いけい》する人物として安兵衛は私《ひそか》に典膳を知り、親愛感を懐《いだ》きつづけて来たのである。
せめてその胸中を腹蔵なく彼に打明け、何なら今宵一夜、心ゆくまで彼と語り明かしたかった……
「——旦那様」
うしろで茂助が声をかけた。典膳と話す間、少し後《おく》れて跟いて来るように吩いつけられていたが典膳の方で去って往ったからもうお供についてもよいかと問いかけたのである。
「…………」
安兵衛は彳《たたず》んで、尚《なお》もじっと典膳の後ろ姿を見送った。何という淋しい影だろう。何という寡黙《かもく》な偉い男であろう。——然《しか》も寸分の隙《すき》もない練達の剣境。
「あの腕前なら、まだまだわしは及ばぬ……」
安兵衛は心のうちでつぶやいた。謙虚な気持で、些《いささ》かもそのことは安兵衛を失意させない。却《かえ》って或る爽《さわ》やかなものが心を通り抜けるのをおぼえた。
「——茂助、引返そう」
典膳の姿が見えなくなるまで立っていてから、軽く、その方向へ一礼して安兵衛は踵《きびす》を返した。
「又あの茶屋へお帰りなさいますので?」
「まさか、この儘屋敷へは帰れまい。あの仁にも宜敷《よろし》くと伝言《ことづけ》を頼まれておるでな」
安兵衛は紀文には、典膳の疵迹《きずあと》が痛む様子なので自分がすすめて帰宅させたと言うつもりでいる。高木敬之進以下へも適当に言いつたえておくつもりである。
月を仰いで、来た道を緩《ゆつ》くり安兵衛は引返した。
典膳の方は無表情に歩いて行く。安兵衛が考えたほど、淋しそうでも不快のようでもなかった。時折、つと立停って道の左右を見渡した。移転して来て、初めての他出なので、道を間違えぬよう確かめたのである。
西念寺の土塀《どべい》が月の明りに仄《ほの》白く浮上るのが見える辻まで来た。其処に嘉次平が待ち迎えていて、
「おお、お帰りなされませ」
背をかがめて走り寄って来る。
「爺《じい》」
「は、はい」
「丁度よい具合に来てくれておった。足労じゃが、直ぐこれを八幡裏の茶屋へ届けてくれぬか」
腰の脇差《わきざし》を外すと、
「紀伊国屋へ今宵の礼のしるし。まさか、落魄《らくはく》の境涯《きようがい》とて馳走《ちそう》を享《う》けた儘では済まぬでな。——それから」
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