典膳が謂《い》わば紀文への引出物にと、嘉次平に托《たく》したのは、当麻友則《たいまとものり》、在銘、長さ一尺三寸八分半の拵付《こしらえつき》脇差で、兼て典膳の最も愛用していた一腰《ひとこし》である。
いかに浪宅暮しでも大小は幾つか予備があるが、この当麻友則だけは嘉次平のように心得のない者が見ても結構な拵えである。縁頭《ふちがしら》は金銅寿老に亀《かめ》、金紋狂い獅子《じし》の目貫《めぬき》、小柄《こづか》は金無垢《きんむく》獅子、鉄鍔《てつつば》。
嘉次平は思わず主人の顔を見直した。
「よろしいのでございまするか」
典膳は目顔で余計な斟酌《しんしやく》は要らぬ、早う届けよ、と言うともうくるりと踵《きびす》を返し家路につく。
やむなく嘉次平は脇差を一たん推し戴《いただ》いて手に持ち料理茶屋へ向いた。
御旗本の栄耀《えよう》の名残りというには今の典膳の暮し向きは余りに哀れである。
紀文への虚栄にしては、町人相手にもう少し適当な品があろう。
けっきょく、招かれた時|偶々《たまたま》帯びていた刀だから与えた迄《まで》で、惜しい気持があれば猶更《なおさら》、そういう惜しい品を与えるのが旗本武士の気風だったというべきかも知れぬ。それにしても、こういう立派な拵えの刀をと思うと、嘉次平の足は重かった。
廉直な殿様の御気性は知っているが、世間をお渡りなされるのに、これからはもう少し世智辛《せちがら》くあそばすよう爺めが気をつけねばならぬわい、と思う。
料理茶屋は、先程紀伊国屋の番頭から聞いていたので直ぐ分った。樹々《きぎ》の茂みの黝々《くろぐろ》と聳《そび》え立っている一角に、そこだけ夜の静寂を破ってさざめきが聞こえている。
玄関を這入《はい》りながら嘉次平はふと、あの正月の謡会の賑《にぎ》わいを想《おも》い、あわてて頭を振った。
応対に出た女中に来意を告げた。
しばらく待たされていると、仄暗《ほのぐら》い 廊《ほそどの》を遊女に雪洞《ぼんぼり》を掲げさせ、ほろよいの御機嫌《ごきげん》で遣って来る宗匠|頭巾《ずきん》の隠居がいる。玄関の方に近づくにつれ、何処かで見たようなお方じゃと見戍《みまも》っていたら、隠居の方でも目にとめて急に歩みをのろくした。二人の目はヒタと合った。
嘉次平は御先代の丹下|主水正《もんどのしよう》に仕えて以来、三十年になるが、まだ一度も主人のお供で遊女などの出入りする場所へは行ったことがない。旗本の中にはお微《しの》びで廓《くるわ》通いをするのもあると、噂《うわさ》に聞くぐらいがせいぜいのところだった。それほど主水正は謹厳廉直、いわゆるカタブツで通した人で、典膳もこの父に薫陶《くんとう》されて成人した。学問、武芸にこそ通じたが、遊里への道順などおそらくは二十年江戸に住んでいて典膳は知らぬのではないかと思える程である。
その典膳の、忠実な嘉次平は下僕《げぼく》である。宗匠頭巾をかぶった隠居を見ても、幇間《ほうかん》なのか、大尽なのか見当のつけようがない。だいたい、いい年をして遊女に寄添われて歩くようなふしだらな男は、これまで嘉次平の周囲には一人もなかったのに、どうも見たことのある顔なので一そう、嘉次平は注目した。
静庵の方は違う。
「そのもと、丹下とやら申す浪人の下僕ではなかったかな?」
玄関の式台の上まで来て、「そうじゃな?」
「はい。いかにも丹下家の召使いにござりまするが、——あなた様は?」
「静庵よ、——と申しても成程、知らぬか」
あっさり静庵は自己紹介は略《はぶ》くと、
「御主人なればさいぜん出て行かれたようじゃぞ」
老僕が迎えに来たと思ったのである。
「いえ、それで参ったのではございません。実は主人より紀伊国屋どのへ」
嘉次平は引出物に脇差を届けに来たことを告げた。
静庵は、ちょっと意外そうな顔をしたが、
「紀文どのへはもう取次いで貰《もら》ったか」
「はい、この家《や》のお女中にそう申してございまする」
「どれ、その引出物とやらを、チト拝見させて頂こう」
何を思ったか静庵は渡しにくそうにする嘉次平から脇差を受取った。
「玉緒。も少し明りを寄せなされ」
雪洞が近づくと縁頭《ふちがしら》から目貫、鍔、鞘《さや》へかけて刀の拵えをじっと見た。次に裏返して、小柄の拵えをしらべる。遉《さす》がに中身を抜くような失礼なことはしないが、拵えを見ただけで十分だったろう。
「……これを、引出物にと言われたか!……」
「はい」
静庵の目が一種厳粛な感動にうるみ出す。
「そうか。丹下どのとは然様《さよう》な……いや、いい目の保養をさせて頂いた」
ちょっと、拝むようにしてから脇差を嘉次平に返し、
「そのもとはいい主人を持たれたのう……」
「異なことをお尋ねいたしますが、あノ、静庵と申されましたのは?……」
静庵が奥へ入るのと入れ代りに、ようよう姿を見せた紀伊国屋の番頭喜兵衛へ嘉次平は真剣な目で尋ねた。
「あれ? あアあれは深川の御隠居——中山さまのお知合いでございますよ」
あっさり言いすてた。先程は酔っていなかったのが今はほろ酔い機嫌。酔えば本性が出るのだろう、わざわざ玄関までこうして出て来るのは丹下典膳へ特別な厚意を示すのだと言わぬばかりに、
「それはまあまあ御念の入りますること。何もそう気をつかって頂かいでも、今宵《こよい》の散財ぐらい紀伊国屋にとりましてはな。ははは……」
碌《ろく》に嘉次平の説明を聞こうともしない。むろん、脇差にどれほど値打のあるものか知るわけはなく、むしろ、町人に刀などは有難迷惑——そう言わんばかりの慇懃《いんぎん》無礼さで、
「折角でございますから、では頂戴《ちようだい》しておきましょう」
嘉次平は侘《わ》びしそうに刀を渡すと、物を言う元気もなくなったか、悄然《しようぜん》、うなだれて茶屋を出た。
こちらは静庵である。
座敷は今や落花|狼藉《ろうぜき》、手のつけられぬどんちゃん騒ぎだが、其所《そこ》だけひっそり静まっている安兵衛の隣りへ、考え込んだ面持《おももち》で、坐った。
「おぬし、丹下典膳どのと散歩で何の話をしたの?」
「別に。……何かあったのですか」
安兵衛は酒豪だから、盃《さかずき》は次々とほしているが、態度に少しの崩れもない。典膳と別れてから直ぐ此処《ここ》へ引返して来て、これも最前から何やら考え込んでいたのである。安兵衛のわきへは何時の間にやら混血娘のヘレンが坐り込んでいる。相当酔っている。
静庵が言った。
「近所の噂では、狐《きつね》をなぶり殺しにした祟《たた》りで、家は断絶、おまけに隻腕《せきわん》の片輪者になったと専《もつぱ》らの評判であったが、——あれは、偉い人物じゃ」
「どうしてお分りになりました」
「——む? それぐらいのこと、わしとて人を見る眼はある」
そこへ千鳥足の池沢武兵衛が吉岡玄蕃とやって来ると、
「中山、おぬしが丹下さんの知合いとは思わなんだぞ。——ま、一杯」
「それがしもう十分頂いております」
「まあよいではないか。以前はあの様に気持よく呑《の》み合うた仲。それとも貴公、高田馬場以来、評判男になったで、我らとは酒をくむはいやと申すかい?」
「どうも、少々酔われておるようですな」
さからわず安兵衛は盃をうけ、
「吉岡さん」
チラチラ混血娘ヘレンに流し目をくれている玄蕃へ、
「先刻申されておった紅白試合とやら、拙者も出向いてよろしいか?」
堀内道場の紅白試合は、毎年夏五月|廿日《はつか》、当主源太左衛門正春が江戸で町道場を構えた記念の日を期して挙行された。
主として道場門弟の技術向上を褒賞《ほうしよう》する目的のためもうけられたものであり、対外的に宣伝を意図したものでなかったのが、道場の高名になるにつれて、世間にも知られ、特に著《ちや》|※[#「金+太」]《くだ》の| 政 《まつりごと》の故事を付会するようになってからは、家士を門弟に差出している大名などから特別参観を申出られることもあり、一そう有名になった。門弟に切紙《きりがみ》、免許、皆伝の授与式の行われるのもこの日である。
が、何といっても当日呼び物の最たるものは、上段者による紅白試合と、著※[#「金+太」]の政から取った行事である。
著※[#「金+太」]の政というのは、中古、毎年五月と十二月に行われた公事《くじ》で、囚人に擬した者の首に白布を置き、検非違使《けびいし》をして之《これ》を笞《むち》で打つ真似《まね》をさせたという。その故事から採って、死罪人を獄舎から下げて道場へ拉《らつ》し来て、庭前で試し斬《ぎ》りにする。
当時は真剣で立合うことなど皆無にひとしく、藩士同士の喧嘩沙汰《けんかざた》は両成敗とさだめられていたから、普通なら、刀に手をかけただけで勝敗に関《かかわ》りなく家の断絶、若《も》しくは死を賜わるのを覚悟せねばならなかった。人を仆《たお》して咎《とが》めのないのは仇討《あだうち》か、上意討ちか、武士の面目《めんぼく》を余程傷つけられた場合に限られる。典膳の時には、あまり典膳が不甲斐《ふがい》なかったのと、不縁の理由によることにせよ、兎も角、竜之進は義兄に当るわけで、兄が弟を折檻《せつかん》したと看做《みな》されたから竜之進への咎めはなかったのである。それですら千坂兵部の意見で、竜之進は十日余の謹慎をさせられている。
要するに真剣で人を斬る機会は武士には殆《ほと》んどもう無くなっていた。一生、手ずから人を斬るどころか、他人がそういう場面にあるのを見ることもなく一生を終った武士もずい分多い。従って、新刀の斬れ味を試すにも、自ら腕は揮《ふる》わずに、獄舎の吏人などへ刀を托して斬ってもらったものである。著※[#「金+太」]の行事が、堀内道場の評判を高める一因となったのもこういう時世の結果である。
一刀流の稽古《けいこ》は、前にも触れたように古風を重んじて竹刀《しない》道具を須《もち》いない。従って紅白試合と言っても、他流のように烈《はげ》しく撃合うことはなく、心得のない者には至極つまらぬものに見えたそうだ。木刀をふりかざしたり、間合をはかったり、間一髪で詰めたり。要するに甚《はなは》だ儀礼的なそれは所作としか一般にはうつらない。斯道《しどう》をきわめた者だけが、間合の取り方ひとつにも滋味を見出《みいだ》し得るのである。
紅白試合は、鉢巻《はちまき》に紅と白の手拭《てぬぐい》を用い、白襷《しろだすき》に素面|素籠手《すごて》、木刀を携えて互いに道場内に相対《あいたい》して勝負する。どちらが勝ったのか負けたかも素人目《しろうとめ》には判定し難いこと屡々《しばしば》だという。実際に打合うよりはだが本当はその方が面白《おもしろ》いだろう。
五月廿日の来るのを、堀内道場の門弟に限らず、江戸に居る武辺好きの面々が指折りかぞえて待ったのも当然であった。
当日の著《ちや》|※[#「金+太」]《くだ》の行事には、「吊《つる》し胴」と「歩き袈裟《げさ》」の試し斬りがある。
吊し胴というのは、囚人の足を先《ま》ず結び止め、目隠しをして、両手を挙げさせて撓《しな》わせた竹の先に吊し付ける。竹は根元を結《いわ》えて弓状に反らしてある。胴が真二つになれば、バネに弾《はじ》かれた如《ごと》く上半身は空中へ吊上げられるわけで、かなり酸鼻な処刑のようだが、曝《さら》し首などの極刑に較《くら》べればこれでも当時としては寧《むし》ろ囚人にとって本望な死に様だった。獄舎で首を打たれるのと違って、一応、名のある人物の手にかかって死ぬわけで、後々、菩提《ぼだい》の弔《とむら》いもねんごろにして貰《もら》える。人間、死ぬのに、名もない獄吏の手にかかって果てるよりは、名誉の士に討たれる方が死に花の咲くことと一般に考えられた時代だからである。
歩き袈裟は、これも竹に腕と首を結びつけられ、肩へ斬込みやすく両手をのばした格好で囚人の歩いてゆくのを、斬る。背後から斬るのが裏袈裟、前へ回って斬るのを表袈裟という。
戦国時代、織田信長の時に谷|大膳亮《だいぜんのすけ》が鷹狩《たかが》りに出て、死人が田に横たわっているのを見て、之を畦《あぜ》に置いて帯刀の斬れ味を試みたのが「土壇|据物《すえもの》斬り」の始めらしいが、刀剣の刃味をこころみるのに死罪の者の首を斬ったのは源平時代からの風習で、源氏の宝刀「膝丸《ひざまる》」は、首を斬った余勢で両膝をも斬落したのが名の起りであったそうな。
徳川初期になっても、死体を試すには土壇を築いた上に載せていた。水戸光圀《みとみつくに》なども少年の頃《ころ》から、何人か死罪人を試し斬りにさせられたと記録にある。併《しか》し、罪人を斬るには沢山な礼をせねばならぬので、代りに藁《わら》を巻いた中へ竹を入れる据物試しが行われ出したのである。この場合、うまく斬れるように長大な刀を用い、重い鉛の鍔などを付けた者もあったといわれる。真剣勝負の妙味からは遠いので、堀内道場では筋肉を緊張させるため竹で吊り、歩かせて斬るわけだ。
さて当日、安兵衛は舅《しゆうと》堀部弥兵衛を伴って道場へ参観に赴いた。
丁度、据物斬りが済んで、いよいよこれから紅白試合の始まろうとする頃である。用意されてあった見物の席に着き、それとなく安兵衛は典膳の姿を探したが、見当らない。
弥兵衛老人は、安兵衛との縁談の纏《まとま》る時に当主堀内源太左衛門に会って以来なので、
「わしは一言、挨拶いたして来るでの。お主も後でいずれは堀内どのに会うであろうが……」
耳許に囁《ささや》きのこすと、人垣《ひとがき》を分けて道場正面の神棚《かみだな》の下に端坐して試合の進行を見まもる源太左衛門の方へ寄っていった。
安兵衛は試合を見た。今しも眉《まゆ》の細いあの野母清十郎が木刀をじりじり上段にふりかぶってゆく。
清十郎は御進物番頭野母嘉左衛門の二男で、部屋住ながら長男以上の才子と旗本間で評判が高いが、
「——負けるな」
見ていて安兵衛は呟《つぶや》いた。
相手ではない。安兵衛自身が、この稽古試合になら、清十郎の木刀|捌《さば》きの華麗さに負けるだろうと見たのである。稍《やや》細身の木太刀を上段に翳《かざ》した清十郎の構えには、軽薄と見えて実は案外多彩な変化がかくされている。真剣勝負であれば分らないが、型の上で変化の精妙を競うだけなら、安兵衛などの到底及ぶところではない。
曾《か》つて、この道場に入門しようとした時に、切紙以下の技倆《ぎりよう》だと高木敬之進がさげすんだのも無理ではなかったと、あらためて安兵衛は苦笑した。
清十郎の上段が、相手の木刀を巻き込むように一閃《いつせん》して勝負はついた。
「野母清十郎の勝ち。それ迄《まで》」
師範代高木敬之進が、低いがよく透《とお》る声をあげる。
拍手などのおこらないのが武道試合である。咳払《せきばら》いひとつ発する音もなく、緊迫した静けさの中に次の紅白二組に分れた遣い手が左右の控えの座から立って道場中央へ進み寄った。
係りの者が、上段の堀内源太左衛門の端坐する脇《わき》に控えていて、次に試合する両名の姓名を読上げる。この声は道場一杯に響く。
道場内は三方に幔幕《まんまく》を繞《めぐ》らしてあり、正面に対《むか》って左が白、右が紅組。幕の真下には夫々《それぞれ》参観者の席が薄縁《うすべり》を敷いて設けられている。試合に臨む者は直《じか》に床板に坐る。別に、身分のある大名や藩臣の席は、神棚《かみだな》を背にして牀几《しようぎ》が用意されてある。処々に空席のあるのは著《ちや》|※[#「金+太」]《くだ》の行事が済んで既に帰って行ったか、まだ出席せぬ人々のものだろう。牀几に居る面々だけは、あらかた麻|上下《かみしも》に礼儀を正している。上下の定紋で大目付四千四百石高木伊勢守、寄合衆千石柳生又右衛門の陪席しているのが分った。ちょっと、柳生家の嫡男《ちやくなん》が一刀流道場へ来るとは意外だったが、まだ若々しい二十前後の青年で、多分は修業の為だろう、と安兵衛は思う。
他《ほか》には、陪席した面々に心当りの人物は無い。目をやると舅弥兵衛が堀内師範のわきまでいって、くどくどと祝辞を述べている。離れて見れば、一徹で気丈なようでも腰が曲り、やはり年はあらそえなかった。
紅白の両名は、互いに間合を牽制《けんせい》しあって容易に勝敗は決しない。
ふと、うしろから肩を敲《たた》かれた。
「来ておられたかい」
池沢武兵衛である。
「過日はどうも——」
紀文に散財させたあの宵《よい》のことを言うと、
「や、もうあの話は無しじゃ」
手をふって、
「それより、心配なことがある」
「?」
「貴公は知っておろうかな、丹下さんの義兄であった長尾竜之進、あれが、今、玄関へたずねて参った。長尾権兵衛どの同伴で、……それはよいが、千春どのまでついて来ておられる——」
池沢武兵衛が、えらいことになりはせぬかと心配するのは、典膳と竜之進が顔をあわせはすまいかということである。
長尾竜之進に、典膳が片腕を落されて少しの反抗も見せなかったのは不可解だが、そのことで典膳の腕前を疑った者は道場仲間には誰《だれ》一人ない。むしろ、余程深い仔細《しさい》があったのであろうと、いよいよ典膳の底知れぬ器量に畏怖《いふ》の念を深めたばかりだった。さればこそ、今日の稽古に知心流道場からの特別出場を慮《おもんぱか》って、万一の備えに典膳の出席を促したのである。
いかに隻腕《せきわん》とは言え、丹下典膳ある限り一刀流堀内道場の面目の失することはない、というのが師範代高木敬之進以下、重立つ者の共通の念である。
長尾竜之進は、堀内道場とは関係はないが、あの正月の丹下家での謡会に高木敬之進も列席して、竜之進とは面識がある。今日の催しに、是非陪席したいと竜之進から申込まれれば一応は断れない。それで上杉家臣として、道場主堀内源太左衛門の名で招待をした。
が、はからざりき、長尾竜之進は知心流の一人として出席したらしい、と池沢は言うのである。
「確《しか》としたことは分り申さぬのじゃがナ、どうも、玄関先での応対の模様では、父権兵衛ならびに妹千春とは、拙者は別に罷《まか》り越してござる——そう挨拶いたされたそうな。明らかに、当一刀流への挑戦《ちようせん》ともとれる」
「—————」
「ソレ、もうあれへ現われておるわ」
池沢が扇子で示すのを見ると、なるほど、長尾権兵衛の白髪《しらが》頭のうしろから項垂《うなだ》れがちに千春が跟《つ》いて来る。その傍《かたわ》らに不敵な笑《えみ》を湛《たた》えた兄竜之進が胸を反らして突立っている。
彼等は所定の牀几の席に着いたが、幔幕の前に一塊《ひとかたま》りになって控えている知心流の面々へ竜之進は意味あり気な会釈《えしやく》の合図を送った。それから権兵衛と並んで、千春を衛《まも》るように中に挟《はさ》んで坐った。
こういう日に、婦女子の姿を見ることなど異例だから、花やいだ千春の着物姿に一同|微《かす》かなざわめきをおこしている。尋《つい》でそれが丹下典膳の以前の妻千春であるのを知って異様に道場内は緊張した。
何のために女の身でこういう場所へ出掛けて来たのか? 然《しか》も、前夫典膳がもしやすれば出席して来るかも知れないのである。衆人注視の中で、離縁になった夫と再会してどう仕様というのか?……
この不審は、安兵衛とて変りはなかった。わずかに安兵衛は、典膳の人物を知っている。
「恐らく丹下どのは来られまいが……」
池沢武兵衛に囁いてじっと権兵衛|父娘《おやこ》を遠くから見戍《みまも》っていた。
千春は席に着いた時から一度も顔を上げない。父の権兵衛は師範役の座へ一礼し、道場内の誰にともなく軽く頭を下げて坐って、もう真直ぐ紅白二人の試合ぶりを見ている。
その様子で、特に典膳を求めて来たのではなさそうなのを知って、何となく安兵衛はほっとした。
竜之進だけは、試合の両人の構えをチラと蔑《さげす》むように一瞥《いちべつ》して、場内をじっと見渡している。気づかれぬよう、安兵衛は人の影に顔を引いた。
舅弥兵衛が戻って来た。
「安兵衛」
「はあ?」
「あれに婦女子を連れた仁が参っておられるが、当道場の一族かの?」
「さあ、それがしは余り長くは通うて居りませんので、とんと——」
「知らぬか」
頷《うなず》いておいた。
よせばよいのに池沢武兵衛がわざわざ弥兵衛の側まで寄って、
「これは中山どのが父上にござるか。拙者小十人組にて池沢武兵衛|喬正《たかまさ》と申す者、以前より中山どのとは昵懇《じつこん》に致しおったものにござる。以後、お見知りおき下されい」
声は低いが、一同試合を見ているだけに動作が目立つ。
「これは御丁寧な御挨拶、浅野内匠頭が家来堀部弥兵衛にござる」
坐った儘一揖《ままいちゆう》した。
竜之進がこれに目をとめ、
「…………」
安兵衛を見て、少々意外だったらしい。向うから、誰にも示したことのない慇懃《いんぎん》さで頭を下げて来た。
仕方なく安兵衛も目顔で会釈を送る。隣りの長尾権兵衛が息子に耳許《みみもと》へ何か囁《ささや》かれ、あらためてこちらを見た。
微かな狼狽《ろうばい》がその面上を走るのが見えた。
まさか、権兵衛には西念寺わきですれ違った武士と此処で会うとは思いがけなかったろう。まして、高田馬場で評判の中山安兵衛と聞いては一しお感慨もあったに違いないが、かたわらの千春の袖《そで》を引き、会釈ともつかぬ一礼を送ってくる。千春が顔をあげる。
安兵衛は、一すじなその眸差《まなざし》が注がれて来た刹那《せつな》、どうしたことか、ぱっと顔面の自分で赧《あか》らむのを覚えた。
これ迄《まで》も、美眸《びぼう》の女性には幾人か会ったことはある。ただ美しいという、男性に共通なその場の充溢感《じゆういつかん》を味って過ぎた。が、千春からは、曾《か》つて受けたことのない、胸に沁《し》みとおるような興奮を覚えたのである。忘れきれぬ強い印象である。言い知れずそれは奇妙な幸福感ですらあった。
「——胴っ!」
「それ迄」
鮮かな払い胴で一瞬に、この時道場の勝負がついた、ほっと安兵衛はおのれに返った……
この勝負は、安兵衛の心理的よろめきを救う上で役立ったが、意外な方へ事態を発展させた。
美事な払い胴で相手を蹲《うずくま》らせたのは白組の侍で、普通の眼には当然白の勝ちと思われたのが、
「小野田政右衛門の勝ち」
冷やかに審判の高木は蹲った紅組の勝ちを宣したのである。
ざわめきが道場内におこった。当の小野田は脇腹《わきばら》を抱えて容易に立上れない。勝ったと見える白の扇谷造酒之助《おうぎやみきのすけ》の方は、それでも審判に諍《あらそ》う迄もないと見限ったのだろう、小太刀を斂《おさ》め、チラと小野田の屈《かが》めた背を見据《みす》えたがすーっと、五六歩後退して作法通り木刀を引く。この態度はよく出来ていた。
「いかが致した。小野田、起たぬか」
あくまで、低く高木が促すと、
「は。はっ。……」
うめいて、ようやく苦しそうに起上り、蒼白《そうはく》の面差《おもざし》に冷汗を浮かして、これも二三歩あとじさった。——その時に、
「あいや暫《しば》らく」
陪席者の内から声がかかって、長尾竜之進が、ゆっくり牀几を立った。
「われらの見るところ、いかにも扇谷どのの勝ちと見え申すが。いかなる打ちを以《もつ》て小野田どの勝ちと判定いたされたか、後学のため御所存を承り度い」
「別に所存とてはござらぬ。小野田が打ちを先《せん》と見申したゆえ、勝ちの判定をいたした迄。稽古《けいこ》試合なら知らず、当流は真剣の境地を以て修業の場と致す。真剣なれば小野田が籠手《こて》が先にきまっており申そう」
「これはしたり」
竜之進の声が忽《たちま》ち高くなる。
「先の打ちと申されるが、カスリ傷|如《ごと》きもので真剣の相手は仆《たお》し得ますまいぞ。いかに先の籠手とて、衆目の見るところ小野田の払われた二つ胴は真剣勝負なれば恐らく致命傷と相成っておろう。それをしも、一刀流では勝ちと申されるか」
一瞬、場内は声をのんで静まり返った。
「カスリ傷と言われるが、真剣なればあれで十分扇谷の手許は狂っておる筈《はず》。されば胴への打込みは|※[#「りっしんべん+匚+夾」]《かな》い申さぬ。又当流にては強《あなが》ち打ちの強さを以ては判定は仕《つかまつ》らぬ。むしろ無駄《むだ》に打込み、相手に傷を負わせるは是《これ》すなわち未熟の証拠。何と申されても小野田の勝ちに相違ござらぬ」
言って、
「次——」
高木は紅白の左右へ平然と支度を命じた。
「待って頂こう」
竜之進の片頬《かたほお》が歪《ゆが》んだ。
「真剣なれば手許狂って胴の打ちは|※[#「りっしんべん+匚+夾」]《かな》わぬと? これは笑止。——いかがでござる。徒《いたず》らに木刀のみで論じておっては埒《らち》が明き申さぬ。果してカスリ傷か、二つ胴まで見事届くか、真剣にて今一度、何なら拙者《せつしや》お相手仕ろうか?」
場内が殺気立った。
あきらかに一刀流へ知心流の挑戦《ちようせん》である。
「竜之進、控えい。詞《ことば》が過ぎる」
権兵衛が慌《あわ》ててたしなめたが竜之進はきかなかった。一歩前へ出て、
「拙者も上杉家の長尾竜之進じゃ。みずから言ったことばには責任を取る。真剣で、立合ってみられるか」
まっすぐ高木敬之進をにらんだ。
「それがしと勝負しようと申されるのかな?」
高木の顔色が変る。
「別に、お手前と敢《あえ》て名指しは致さん。誰《だれ》でも相手は結構——」
誰が聞いてもこうなれば併《しか》し高木自身で立合う以外におさまりようはない。
「さようか」
割に、高木の口調は落着き払っていた。上段の師・堀内源太左衛門へ向いて、
「いかが致せばよろしゅうござりましょうや」
と訊《き》く。
許可があればいつでも立合ってみせると言った言外の自信に溢《あふ》れている。
源太左衛門は膝《ひざ》に鉄扇を立てていたが、その儘の姿勢で、
「無用じゃ」
と言った。
「は?」
「長尾どのの申される通り。その方の判定が至らぬ。扇谷の只今《ただいま》は勝ちに致せ」
「これは先生のお言葉とも思えませぬが」
高木が色をなすと、
「あやまちは誰にもあること。改めるに恥ずることはない。長尾どのへ詫《わ》びを申して、さ、次にかかれい」
「し、併し……」
事が紛糾するのを惧《おそ》れてこの場は長尾竜之進の顔を立てて済まそうとする、穏健な師匠の気持は分らぬではないが、道場の内輪だけの事柄《ことがら》ではない。大目付高木伊勢守も臨席している。柳生流の御曹子《おんぞうし》も観《み》ていることである。師範代の審判に見違いがあったとなれば、自分一個の不名誉で事は済まない。
それと、四千四百石大目付高木伊勢守は実は敬之進の伯父すじに当るのである。敬之進には今年十一歳になる悴《せがれ》がいるが、それの元服祝いにも加冠《かかん》の役を伊勢守につとめて貰《もら》った。おのれ一個の恥辱なら我慢もしよう、可愛《かわい》い悴に尊敬される父でありたい——ふとそんな気が敬之進の胸中に湧《わ》いた。
「お詞を返すようながら、真剣なれば事はあやまちで済み申すまい。この場に及んでは、何卒《なにとぞ》、真剣の立合いをおゆるし願い度《と》うござる」
そう言って、籠手《こて》の先を打たれ、胴へ反撃出来るか出来ぬかを証《あかし》すればよいこと、一命にかかわることでもあるまいから、衆目の見るところ、果してどちらの言が正しいか、是非とも試合をゆるして頂き度いと言った。
「おお、貴公の申されるとおりじゃ」
源太左衛門が諾否を与えぬ先に竜之進は乗出して、
「衆目の見るところとは申せ、矢張り検分の審判役が要ろう。それを中山安兵衛どのにお願い致そうか」
安兵衛にすれば思わぬ火の粉が自分に降りかかって来たようなものである。
一斉《いつせい》に皆の視線が安兵衛に向く。その中で、一番深い眸《ひとみ》を注いだのは千春であった。兄を止めてくれ、とも言っているようだし、そういう他事は一切とどめぬ一すじな、ただ安兵衛の目を見ているだけで無辺際の喜びを感じとっている、とも見える深い眸差である。
むろん千春は典膳を忘れきるわけはないから、無辺際の悦《よろこ》びを感じさせるのは安兵衛自身の胸にある愛の仕業《しわざ》だろう。しばしば愛はそういう錯覚を人にもたらす。その錯覚が又、得も言えぬ悦びの根源になる。
「……安兵衛、ど、どう致す」
弥兵衛老人が、突然|婿《むこ》に白羽の矢が立ったので驚いて振向いた。弥兵衛にすれば、上杉家の竜之進が安兵衛へ心易い態度を見せたのも意外で、何が何やらわけが分らない。
安兵衛は直ぐには答えなかった。
竜之進が言った。
「中山どの、貴公なれば高田馬場にて真剣を揮《ふる》って来られた。我らの勝負を審判して頂くに最も当を得た人物じゃ。重ねてお願い申す、是非、立会って頂き度い——」
千春と並んだ権兵衛の老いの眼が、何かを懇願するように注がれて来る。人気男中山安兵衛と知って、柳生又右衛門も好奇の目を輝かしている。陪席者の総《すべ》てがそうだ。
「舅上《ちちうえ》——」
安兵衛は静かに席を立上った。
「こうなっては斂《おさ》まりはつきますまい。僭越《せんえつ》でも拙者、審判を引受けましょう」
「——大丈夫かな?」
「御安心下さい、拙者にも、考えがござります」
舅の耳許《みみもと》へ囁《ささや》いておいてから、差料を父にあずけ、脇差《わきざし》だけで道場正面へ進み出た。
師範席の堀内源太左衛門は安兵衛に全幅の信頼をかけている面持《おももち》で、許可した。
あらためて両者は支度にかかった。
真剣試合である。
異様に一同は緊張する。
安兵衛は双方支度の出来るのを俟《ま》って道場中央に進み出ると、
「いずれも審判の判定には不服を唱えられぬよう。撃つべき個所は籠手と、胴。それ以外に太刀先走るようなれば未然に勝敗を宣し申すぞ。では」
言ってするすると後退した。さすがに両者はもう物も言わない。いずれも襷掛《たすきが》けに鉢巻、袴《はかま》の股立《ももだち》を取り幾分、高木敬之進の顔面が青かった。
「いざ」
両人は十分すぎる距離で太刀を構える。どちらも青眼。
ピタリとそれきり停止して動かなかった。
真剣勝負の怖《おそ》ろしさは、太刀が動けばどちらかが死ぬ、という爾前《じぜん》の予感の中にある。見る者にとってもこれは同様である。
喧嘩沙汰《けんかざた》で刀を抜くなら、激怒した感情が恐怖心を忘れさせ、ある意味では大胆にも無謀にもなれよう。真剣試合はあくまで己《おの》れの武術を披露《ひろう》するだけが目的だから、最も冷静な状態に自身をおかねばならない。恐怖心は、冴《さ》えた理智《りち》の底で見極められる。由来恐怖心というのは、理性の強い人格の場合ほどその怖ろしさの深まるものである。
従って、勝者は、必ずしも恐怖を超越した方とは限らない。理智の粗雑さが勝利を齎《もたら》すこともあり、勝敗はその意味では恐怖と技倆《ぎりよう》の微妙なかねあいの上で決定される。おそらく、余程体験と技術に差のある場合でなければ、爾前に勝敗を見きわめるのは第三者にも不可能ではあるまいか。力倆が接近すればするほど、紙一重の業《わざ》の差が、生と死という歴然たる結果となって現われるその怖ろしさに、人は居ずまいを正さずにはおれないだろう。純粋に、武技を生死に賭《か》けて競うこういう冷酷な手段を人間に取らせるものは一体、何だろう。
名誉心か。
自己への誇りか。
虚栄か?
千春は女の身で、ふとそんなことを考えていたかも知れない。
兄が必ず勝つとは誰にも予言出来ないのである。人にはどう見えようと、千春にとって、竜之進はやはり血を分けた唯《ただ》一人の兄であり、妹の自分をどんなに愛《いと》しんでくれているか千春はよく知っていた。兄は自分と瀬川三之丞の過ちも知っている。ただ一度の間違いだったが、三之丞はそれを兄に告白して詫《わ》びたと彼自身で語っていたからである。本来なら、兄はむしろ三之丞をこそ斬《き》って典膳に詫びを言いたかったろう。それが典膳の機智で巧《たく》みに狐《きつね》の仕業と見做《みな》された。あの晩、竜之進は帰宅して涙を流して典膳の偉さに感動していたそうである。嫂《あによめ》からその話を聞かされたとき千春は穴があったら入りたかったが、それだけに、何故《なにゆえ》夫を斬ったりしたのだろうと怨《うら》んだ。
「何事も長尾家の家名のためには是非もなかったのではございませぬか」
嫂は、長尾の女《むすめ》ともあろうものが婚家から離縁されたとなれば世間はその原因を穿鑿《せんさく》しよう、せっかく、狐の仕業で済んでいるものを、何故今になって角の立つようなことを典膳はするのか、いっそ何もかも自分に相談して貰いたかった——兄はそう言って嘆いていた、とも話してくれた。典膳へ斬りつけたのも本当は竜之進と典膳との不和が原因で千春は離縁されたと、世間に見せたかった為ではなかろうか、とも嫂は言う。
いずれにしろ、竜之進の心底が千春には分らない。
今も同様である。
にくまれ役を殊更《ことさら》演じている兄が、非常に軽佻《けいちよう》な男に見えて仕方がないが、それとて知心流道場のため何ぞ目的があるのに違いないし、けっして、本当の兄は、出しゃばったことをする人ではない、と千春は信じていた。
それだけに、万一斬られるようなことにでもなったら……そう思うと、審判の中山安兵衛に何か縋《すが》りつきたい気持だった。