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薄桜記16

时间: 2020-08-01    进入日语论坛
核心提示:柿のへたお三が食事の支度をして、自身にお膳《ぜん》を運んで這入《はい》って来た。「先生、お食事でござんすよ」衝立《ついた
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柿のへた

お三が食事の支度をして、自身にお膳《ぜん》を運んで這入《はい》って来た。
「先生、お食事でござんすよ」
衝立《ついたて》越しに声をかけると、
「おっと……こりゃあとんだ長話をいたしやした、御勘べんなすってお呉《く》んなせえ」
話し込んでいた伝右衛門が吸いかけの煙管《きせる》と、煙草《たばこ》盆を慌《あわ》てて手に携《さ》げて立って、
「おう、御苦労だなお三。お前にそれほど甲斐甲斐《かいがい》しいお世話が出来るとは思いも寄らなんだぜ」
「いやだよお父っあん」
「ははは……そのお父っあんにも偶《たま》には親身《しんみ》の世話をやいて貰《もら》いてえものよ」
笑いながら、次の間との境に立てかけてある衝立の片側をお三と入れ違いに出ようとするのを、
「伝右衛門どの」
典膳が呼びとめた。
「今の話、当分は伏せておいた方がよいでしょうな」
「そうして頂けりゃあわっち共も安心でござんすがね、先生の胸おひとつにお委《まか》せを致しやす。どうぞ、ごゆっくり召上っておくんなせえ」
伝右衛門は一礼して出ていった。
「何のお話でござんすか?」
お三は掛けていた朱の襷《たすき》を素早く外して、典膳の前に坐ってお膳を並べる。この白竿屋に居候《いそうろう》になってから一番奥座敷の綺麗《きれい》な部屋が典膳に当てがわれた。今では白竿屋を背負って立つ長兵衛の吩《い》いつけである。その長兵衛は、今日も朝から典膳に挨拶して小田原町の魚市場へ出かけていった。小普請人足の請負仕事が減って、そういう方面にも手を出さねば若い者の気をすさませるばかりだからである。
典膳が黙っているのでお三は勝手に御飯を盛って、
「はい」
お盆を差出した。
「ありがとう」
うなずいて受取ると、お膳へのせる。それから箸《はし》を取り片腕で食べる。——静かな動作だ。お吸物を吸うときには必ず一々箸を措《お》き、けっして乾分共のように箸を取った手で汁椀《しるわん》を持って吸うような下品なことはしない。お三は心をつけ、なるべく焼き肴《ざかな》など小骨の多いのはお膳へ添えぬようにしてきたが、それでも食事をする時の典膳を見ているとふっと胸の奥底が痛む……
御飯をこぼすようなことはしないが、その代り、箸で少しずつ口へ運んだ。
空っ風がどんより曇った冬の午後の庭を吹き抜けている。そろそろ典膳の疵《きず》あとの痛み出す季節だろう。
「——せんせ」
暫《しば》らく食べるのを瞶《みつ》めていたお三が、故意ににっこり笑った。
「さっき、嘉次平さんに面白《おもしろ》いこと伺ったわ」
「——何を?」
「子供の時分、先生は柿の|へた《ヽヽ》ばかしお食べになったんですってね。……あんなもの、どうすれば食べられるんでござんすか?」

「柿のヘタか、嘉次平も余計なお喋《しやべ》りをいたす——」
典膳は苦笑して、
「あれは味噌漬《みそづけ》にいたす」
と教えた。みその中へ棒で穴を造り、その穴へヘタを一杯つぎ込んで重しを置くと|しぶ《ヽヽ》が出る。それを二カ月余り漬け置いたのを小さく刻んで食べるのだが、何とも風味があってよいものだと、典膳は言った。
「……惜しいわ、もっと早く仰有《おつしや》って下すったら良《よ》ござんしたのに」
真実お三は口惜《くや》しそうにしたが、
「何か、ほかにございません? 先生って案外げて物趣味ね」
「ほかにか……左様だな、玉子の漬物というのもある」
「玉子? にぬきでござんすか?」
首をふった。
「生玉子——」
普通に殻《から》のまま半日ばかりぬかみそに漬けておくと、なまの玉子と変らず、少々塩気があって一段と興のあるものだという。——その他《ほか》、しじみを煮るには、餅《もち》ごめを四五粒入れて煮る。そうすると、しじみの身が一つ一つ離れて、鍋《なべ》の底にとどまり、貝ばかり取り捨てられせわしない食べ方をいたさずに済むものだとか、『表精飯』といって、唐《から》の道士の中元に製するものだが、南天の葉をすりくだき、その汁で米を炊き上げると、少しばかり赤く色づいて精気をつけるのに功のあるものである。又、飯は少しやわらかに炊いて飯櫃《めしびつ》の内へおしつけて詰め、風にあてぬようにすれば暑中も|すえ《ヽヽ》る事がない——そんな話もした。
お三は、呆《あき》れて聞いている。
以前は殿様と呼ばれた武士におよそ想像もつかぬ、こまかい話である。
「あきれた……先生って、ずい分物知りでござんしたのね。恥ずかしくってこれからは蛤《はまぐり》のお吸物なんぞ、出せやしませんわ」
「何、武士が合戦にのぞむ心得の一つにすぎん」
「いいえ、戦さに漬物|樽《だる》を持って行った話なんて聞いたことがない。——きっと奥様がお教えなすったんでしょ?」
コトン、……と箸を膳へ置いた。
「——茶を頂こう」
「あら、もうお済みでござんすか?」
うなずく。
お三は鈍感なほうではない。しばらく、横顔をじっと見戍《みまも》っていたが、
「せんせ」
「—————」
「奥様のことを申上げてお気を悪くなすったのは、これで二度目でございますね」
「…………」
「そんなに、お忘れになれないんでございますか?」
「そなた、何か誤解をしておるな」
「うそ!……」
かぶりを振ったがこの時、巳之吉が衝立の向うへやって来てひざまずいた。

「先生、お食事中でござんすが」
顔色が緊張に蒼《あお》ざめている。少々のことなら、日頃眉《ひごろまゆ》ひとつ動かぬ男だ。
「何だ」
ゆっくり典膳は顔を戻《もど》した。
「とうとうやって来ましたんで」
チラとお三の方を見て、
「お吩《い》いつけなさいやした通り、あれから直ぐ辰吉と二人、入江町の切見世《きりみせ》をそれとなく見て回っておりやしたところ、仰有るように野郎が出て参りやして——」
「口上を伝えたか?」
「へい。そういたしやしたら、権現《ごんげん》の野郎が一も二もなく引きさがりやしたので、こちらもつい安心したのが悪かったのでござんしょう、帰り道、門前仲町で火消|鳶《とび》二十人あまりに取囲まれ、わっちゃ、ま、お指図どおり何とか帰《けえ》って参りやしたが辰吉の奴《やつ》は——」
すうっと典膳が起上った。
刀架《とうか》へ寄って刀を掴《つか》み取ると、こじりで帯をまさぐって落し差し、
「直ぐ行けば間に合おうな?」
お膳のわきを通り抜けた。
驚いたのはお三である。
「巳之吉、まさかお前、あの『東照権現』に因縁をつけたんじゃないだろうね?」
「そ、それが先生のお吩いつけだもんで」
「な、何だって?……」
典膳はもう構っていない。
「案内を頼む巳之吉」
「ま、待っておくんなさい先生!……」
必死でお三が止めようとするのをふり切って廊下へ出た。
一たん、其処《そこ》で立停《たちどま》ると、
「——三、伝右衛門どのには此《こ》のこと黙っておくがよいぞ。——よいな? 多分すぐに戻る。——巳之吉、参ろう」
廊下の暖簾《のれん》をくぐり出た。
『東照権現』というのは、当時江戸で札つきの悪党で本名を纏《まとい》の与太郎といって元は火消人足である。併《しか》し誰《だれ》も纏の与太郎とは呼ばず「権現与太郎」という。強請《ゆすり》、窃盗、騙《かた》り、博奕《ばくち》と手のつけられぬ悪事の数々を働いた男だが、彼の背には全身に倶利迦羅《くりから》不動明王の刺青《いれずみ》と、それへ大きく『東照大権現』の五字が彫ってあるので役吏も召捕るわけにゆかなかった。神君家康公の神号に縄目《なわめ》をかけては不敬に当る。まして刃物を加えるのは大問題ともなろうから、少々の乱暴を働かれても幕府の武士は知らぬ顔で見逃した。
ますます与太郎は増長し、今では全く手のつけられぬ乱暴を働いている。最近、更に『きおい組』がこれとぐるになったというので善良な町民たちは『きおい組』と聞いただけで権現与太郎を想像して、顫《ふる》え上った。

永代寺門前仲町へ駆けつける途々《みちみち》、切見世《きりみせ》での事をかんたんに典膳は巳之吉に聞いた。
江戸の岡場所の中でも極く下等な私娼《ししよう》のいる所を切見世という。本所入江町もその一つで、元禄のはじめ頃からそろそろ一般に知られるようになって来て、路地の数も裏表新道とも二十あまり、其処に居る娼婦の数も二三百人をかぞえるようになった。
それだけひろがってくると、甲州屋路地といって其処の両側に長屋が建っている——その長屋に居る女達も揚代が高くなり、衣装道具も遊女とくらべて恥ずかしくないくらい立派になり、土地も賑《にぎ》わしく、客も大勢来るようになって、町はだんだん私娼のために繁昌《はんじよう》した。そうなると人が混雑するにつれて喧嘩《けんか》があるとか、怪我人《けがにん》が出るとか色々と出来事がおこる。
権現与太郎は、もと此の町内に住んでいたので、そんな時には何時でも飛び出していって始末をつけ、口を利《き》いた。それが又上手だというので何時とはなしに土地の者から立てられ、顔役になったという。一種の用心棒である。
常に其家の人身御供《ひとみごくう》となり、私娼地域の犠牲になるのだから、町内の首代《くびだい》というわけで、私娼一人に燈《あかし》ひとつ、その燈《あかり》を数えて一燈に就いて毎夜二文ずつを上げ銭とした。私娼の数が多いと、この所得も馬鹿《ばか》にならなくなったのが、そもそも与太郎のぐれだした発端ともいわれる。『東照大権現』の刺青をやったのもその頃である。
酒癖も悪く、はじめの頃と違って次第に私娼を強請《ゆす》るようになって、土地の者に毛嫌《けぎら》いされ、そのため夜鷹《よたか》や猪《い》の堀の船饅頭《ふなまんじゆう》の方まで手をのばし出すと、ますます横暴さを加えたので人が逃げる。するといよいよ暴れ出して遂《つい》に、手のつけられぬ破落戸《ごろつき》になったわけだが、最近になって時折、昔のことで因縁をつけ、入江町へ強請にまわるというので、典膳は旨《むね》を含めて辰吉と巳之吉にあらかじめ入江町を見張らせておいたのだった。
「それで旨《うま》く諭《さと》してはおいたのだな?」
「へい。その時は権現の野郎もおとなしく聞いて帰りやしたもんですから、まさかと思っておりましたが……門前仲町で急に」
「よし分った」
典膳は足を早めた。
門前仲町へ来てみると、なるほど、思ったよりは多勢の人だかりである。鳶人足が十七八人ぐるりと辰吉を取囲んで、悪いことに白竿屋の若い者が三人余り此処へ来合わせ、辰吉を庇《かば》おうと喧嘩を吹っ懸けたらしかった。そのため踏む、蹴《け》る、撲《なぐ》るの散々な目に四人は遭《あ》ったらしくて、今では啖呵《たんか》を切る気力のある者も無くなっている。
鳶職たちはそれをいい事に、さんざ日頃の白竿組への遺恨をはらし、溜飲《りゆういん》を下げているところだ。
中でも一きわ高声に罵言《ばげん》を浴びせているのが権現与太郎——
酒|肥《ぶと》りのした、肉づきのいい体で褌《ふんどし》ひとつの丸裸か。全身の刺青を衆目に誇示して言いたい放題の悪口雑言を吐いていた。
人を掻《か》き分け、典膳はその前へ静かに出ていった。
「な、何だお前は?」
路上に突伏して気息|奄々《えんえん》たる辰吉の前へ立ちはだかった隻腕《せきわん》の浪人に権現与太郎は大きく目をむいた。
赤濁りがして、酔った眼《め》である。ぷーんと息も酒臭い。
「どういうことを此の者ら致したかは知らぬが、失礼があったのなら許してやってくれぬか?」
「失礼?……ぷっ」
痰《たん》を路傍へ吐いて、
「お前は一体、何処の誰だ」
と喚いた。
黙って笑っていると、
「や、この野郎笑いやがったな。さてはお前、白竿組の頼まれ者か?」
「そうなら何といたす」
「何」
権現与太郎ばかりではなく、鳶の者が一斉《いつせい》に気負い立ち、
「おっ、並んでいやあがるのは巳之吉じゃねえか?——違えねえ、このさむれえは確かに白竿組の回し者だ」
「そうだそうだ」
「権現、やっちめえ」
口々に喚き立てる。
「やっぱし白竿組だとっ……こいつは面白《おもしれ》え」
せせら笑って、肩を怒らせ二三歩前へ出て、
「おう、おさむれえ。いかにもこ奴らは勘弁してやろう。その代り、お前とわっちと二人っきりで話をつけようじゃああるめえか」
「どのような話だな?」
「三べん回って大地に手をつき、ワンと言やあかんべんしてやる。それともこの股《また》あくぐるか。どうだ」
両股をふん張り、褌ひとつの胸を張った。
「いやだと申したら?」
典膳は手を前から脇《わき》へまわして、刀の下緒を帯に巻き締める。
「おお?……こいつは面妖《めんよう》な。やい、手前このおれを斬《き》るというのか。いってえ誰だと思っていやがる?」
「誰であろうと武士に向って聞き捨てならぬ雑言、次第によっては、宥《ゆる》さぬぞ」
「こいつは驚いた……どこの頓馬《とんま》か知らねえが本気で斬るつもりだな、——よーし面白い。斬れるものなら、バッサリ斬ってもらおう」
言ってグルリと背を見せて、
「さ、斬れ。だてに刺青しているんじゃねえ。はばかりながら東照大権現さまだ。斬れるものなら、さ、斬ってみろい」
遠巻きに見ていた群衆は無論、鳶の者たちもあっと目を疑った。
「斬れと申すのなら、いかにも斬ってつかわす……」
小指に力を溜《た》めてすーっと刀を抜くと、
「どこを斬られたいな? 首か。それともその背を真二つにか」

本当に典膳が斬る気だと知るとさすがの権現与太郎も顔から血が引いた。
「本、本気で斬る気か?……おもしれえ。斬れるものなら、さ、斬れ」
肩をそびやかせ、刺青を誇示するが足許《あしもと》が言葉についてゆかない。じり、じり、典膳の前を尻込《しりご》みで後退している。
見物たちは急に、しーんと静まり返った。典膳は宥さなかった。
「逃げるようでは其方、口ほどにない臆病者《おくびようもの》だな」
「何だと?……」
「斬れと申すゆえ斬ろうと致すに、何故《なにゆえ》逃げる」
「—————」
「人並みにいのちが惜しいか? なれば以後性根を入れ変え、真人間になれ。前非を悔いるに憚《はばか》ることはない。そちがその気で改心いたすのなら、当方とて刀を斂《おさ》める」
「…………」
「どうだな? 人のいやがることを致して、その方とて恐らく内心たのしいとは思うまい」
「な、何をほざきゃあがる。前非を悔いる?……ぺッ。こうなりゃあわっちも権現の与太郎だ。もう、逃げもかくれもしねえ。首なと尻なりと、存分に斬ってもらおう。——さあ斬れ。斬れ」
目をつり上げ其の場へじかにでン、とあぐらを組んで、坐った。
「よい度胸じゃ。ならばもはや遠慮はいたさぬ——」
典膳の下げた刀の刃が、寝た。
これを見て驚いた鳶職共が、
「権現を斬らしちゃあならねえぞ」
「そうだ、頭《かしら》にわっち共の顔が立たねえ。どこの頓馬か知らねえが畏《おそ》れ多くも東照宮さまへ、刃物を当てようって野郎だ。構うことはねえ、やっちめえ」
「合点《がつてん》だ」
口々に叫び合うと、先程から手にしていた棍棒《こんぼう》や天秤《てんびん》をふりかざして、
「権現、まかしといて貰《もら》うぜ」
乱然と典膳に襲いかかった。
そうなると巳之吉も引きさがってはいられない。「野郎。先生にな、なんてことをしやがる」ふりおろされる棒をかいくぐって典膳のそばへ護《まも》り寄ろうとした。
「手出しを致すではない、巳之吉。そちは下っておれ」
隻腕に白刃をだらりと下げた儘《まま》、無茶苦茶に撃ち込んでくる面々をあしらいながら与太郎へ近づいた。
権現は加勢に気をとり直したか、俄然《がぜん》大胆になり、「手出しはならねえ手出しはならねえ。こんな侍の一人や二人、ビクともするわっちじゃねえぞ」手をひろげ、加勢を鎮《しず》めるような大見得をきっていた。そこへ典膳が近寄った。
「与太郎、覚悟を致せ」
下げた太刀がサッと空に一閃《いつせん》したのと、逃げ腰に踵《きびす》を返した与太郎の背に一条の朱線が走ったのが同時だった。
「や、や、やりゃあがった!……」

権現は悲鳴をあげ、必死にあたりを逃げ回った。
「やられた……やられたぞ」
べつに典膳の方は追いかけたわけではない。『東照大権現』とある入墨の字の丁度まん中から真二つ、皮膚一枚を切下げた迄《まで》である。与太郎の身には全身酔いがまわっているので、わずかな創《きず》からも血がほとばしる。真白の褌がそれで、みるみる血に染まってくると、傍目《はため》には相当の深手と見えたから、
「大変《てえへん》だ、権現が斬られた」
「東照宮のお名前に刃物をあてやあがった」
巳之吉へ打って懸っていた連中も忽《たちま》ち引返して来て、典膳へ挑《いど》むでなく、遠巻きに立竦《たちすく》んでいる。権現与太郎は彼|等《ら》の一人に抱えられて喘《あえ》いでいた。相変らず血は止まらない。
後方で見物していた庶民も権現与太郎に武士がこれ迄刀をかけぬ理由は知っていたから、典膳が『東照大権現』の字を二つに斬ったのを見た時には鳶の者以上に驚ろき怖《おそ》れ、或《あ》る者などは急にコソコソ人垣《ひとがき》を分けて逃げ出した。現場に居あわせたことで、どんな咎《とが》めを受けるかと惧《おそ》れたのである。巳之吉までが一瞬、てっきり典膳は乱心したと思い込んだという。
すべては、併《しか》し典膳には予定の行動だったらしい。
「巳之吉」
「へ、へ、へい……」
「わたしはこれより奉行所へ参って委細を説明いたす。その方は、怪我人どもを看取《みと》って白竿屋へ引返してくれぬか」
「へ、へ……併し、せ、先生は?……」
「案ずることはない。鳶の者ももうその方らに手出しは致すまい。わしは、一両日のちには立戻《たちもど》れよう。いずれ戻った上にて長兵衛や皆へもわけは話す。けっして心配いたすでないと伝えてくれよ。嘉次平にもな」
切先の血を拭《ぬぐ》って刀を鞘《さや》にすると、一度、鳶の者を見据《みす》えておいて、此の場を去った。見物たちが怖れて左右に道をあける。そうして怕々《こわごわ》典膳の顔を見戍《みまも》り、見送った。中には女も混っている。侍も二三、居る。それ等の目が一斉に注視する中を、至極物静かに、何か寂しそうに典膳は立去った。
典膳の言葉どおり鳶の者たちは挑戦《ちようせん》的な罵言を浴びせはしたが、巳之吉ら白竿組の者へ再び襲いかかることはしなかった。権現を皆で囲み取るようにして、
「どけ退《ど》け退け」
見物どもへ喚き散らして浅草の方向へ去ってゆく。
「……兄哥《あにき》、大丈夫かい」
大地へ倒れている辰吉のそばへ走り寄って、巳之吉は抱え上げ、
「やい」
呻《うめ》いている他の白竿組の若い者を叱《しか》りつけた。
「お前たちは何て馬鹿なことをしやあがる。あとさきの見分けもつかず短気な喧嘩を売りやがるから辰吉兄いがこんな目にあいなさった。兄哥のみか、先生にまでとんだことをおさせしちまったじゃあねえか。帰って、親分に何といって詫《わ》びるつもりだ?」

「男一匹が、これぐらいのことでのびたんじゃあ長兵衛若親分に申訳が立つめえ。ささ、気を取り直して歩け」
巳之吉に叱咤《しつた》されて喘《あえ》ぎながら起上った若い者らが、いずれも向う臑《ずね》や顔面に擦《かす》り傷、打撲《だぼく》傷の血をにじませ、ボロボロに引裂かれた着物で漸《ようや》く白竿組の表口へ辿《たど》りつくと、伝右衛門や長兵衛より先にお三が顔色を変えてとび出して来た。
「先生は?……先生はどうなすったんだえ?」
辰吉を肩に担いだ巳之吉を白い眼で睨《にら》んだ。
「申訳ござんせん——実は先生は……」
話しているところへ奥から長兵衛が出て来ると、
「巳之吉、まさかお前、先生をお独りで行かしたんじゃあるめえな?」
「そ、それが若親分、先生御自身大丈夫だと仰有《おつしや》いやしたもんで」
「ば か」
あたりへ響き渡る大声で一喝《いつかつ》した。
「何てえことをしてくれやがる。滅多なことで先生のお側は離れちゃあならねえと、あれほど言ってあったのを忘れぁがったかい!……」
長兵衛は、当時二十五歳。お三に似て口許《くちもと》のきりりと緊《しま》った、色の浅黒い好い男だった。土間から表への油障子の縁《ふち》を掴《つか》んで、桟《さん》に足をかけ、障子の油紙が震えるほど高声に叱った。その障子には大きな〇に白、竿と屋号の二字が書かれてある。
「何とも申訳がございやせん、わっちゃ只《ただ》——」
「つべこべ今更言ったって始まらねえ。先生はそいで、何処へお行きなすった?」
「お奉行所へめえると仰有っておりやした」
「やっぱし、そうか!……」
うめいて虚空を睨み、「失敗《しま》った」と舌打ちする。
「あにさん、じゃお前、前から知ってたのかえ?」
お三がこんどは兄長兵衛を睨みつけて、
「今迄《いままで》、どうしてあたしにゃ言っておくれでないんです?」
「言うも言わねえも、わっちが独りで、勝手に想像申上げていただけよ。御自身でこうすると仰有ったわけじゃあなし、おめえにも打明けようはねえじゃあねえか」
「でもさ……」
「まあいい。済んだこたあ仕方があるめえ。——やい、後の段取は内へ入《へえ》ってきめる。此処まで歩いて戻れたお前たちだ、人手はかりなくともへえれるだろう、早く中へ這入《はい》れ」
土間の上り框《かまち》でこれを見ていた伝右衛門はもう少し気が折れている。
「ささ、手をかして早く内へ入れてやんな」
まわりの若い衆を促すと、
「長兵衛」
突立った儘、悴《せがれ》の背後へ声をかけた。
「わけが何かありそうだが、一体、どうしたってえんだな?」
「どうもこうもねえ。先生は、最初《はな》からお奉行所に頼まれて|うち《ヽヽ》へ来なすったのよ」

典膳はそのころ町奉行所の奥座敷で奉行能勢出雲守頼相と対坐《たいざ》していた。
「御苦労であったな。浪人の其許《そこもと》にこういう手数をかけさせて甚《はなは》だ我らも遺憾《いかん》には存じておるが、他に手段もないままに其許の技倆《ぎりよう》にすがったが。……あらためて礼を申す」
出雲守は麻|上下《かみしも》に威儀をととのえているが、扇子を膝《ひざ》に立てて典膳に頭を下げた。
「さように御念を入れられましては拙者却《せつしやかえ》って恐縮いたす」
「いや、其許でのうては、こう易々《やすやす》は埒《らち》明き申すまい。——で、白竿組と火消共の拮抗《きつこう》は?」
「多分、与太郎とやらの御仕置さえ厳になさればおのずと火消共の気勢も挫《くじ》け、白竿組とて最早むたいな乱暴はいたさぬかと存じますが。それに、長兵衛と申すあの取締《とりしめ》、若いに似ずなかなか思慮のある男と見受け申した」
「さようか」
満足そうに出雲守はうなずいた。
江戸には火事が多く、その火事が人心に及ぼす影響を幕府の為政者は少し慎重に考えてよい筈《はず》であったろうに、当時は、あまりそういう心遣いを見掛けられなかった。『火事は江戸の名物』で済んでいたのである。従って消火の施設も特別に考慮されていないが、これは、幕府が火事といえば戦時の予習と考え、火事が人の生命財産に災害を加える点よりも、火事のドサクサに紛れて政治的|謀叛《むほん》の起るのを惧《おそ》れたからである。だから消火よりは警備に重点をおいた。
大名火消の設定されたのもこの為で、これは方角火消ともいって、大手、桜田、二の丸、紅葉山、浅草の御蔵、本所の御蔵、増上寺、上野、聖堂、猿江《さるえ》の材木蔵と場所が指定されている。殊《こと》に大手、桜田は組になって、これはその近所に火事が無くとも、火事の場合は馳《は》せつけて警固する役回りである。火事がひどくなった時は、臨時に幕府から諸大名へ火消方を命じ、これは固める意味でなく消火の方で、奉書火消といった。
普通、火事があると消火にあたるのは「定火消《じようびけし》」といって、裕福の旗本から選ばれたものである。勤めれば損がゆくにきまっているが、実は金を遣わせる為に命じたので、これが十人火消といって、駿河台、四谷御門内、八代洲河岸《やよすがし》、御茶の水、赤坂御門外、溜池《ためいけ》などの十カ所にあった。この定火消は古くは大名の役目だったのが五千石ぐらいの内福の旗本の役回りにきまったのだ、当時「火消屋敷のお殿様」と呼ばれたという。役料三百人扶持、与力六騎、同心三十人、それに中間《ちゆうげん》(時の言葉でガエンといって、鳶人足である)この人足が、一屋敷に二百人前後ついている。彼等は素裸かで火がかりをした。町火消は刺子《さしこ》を着ているが、これは褌ひとつで火がかりをするので、役屋敷の方では先陣と呼び、大いに男|伊達《だて》と鉄火な気前を重んじたわけだ。権現与太郎に味方して小普請《こぶしん》人足と張合ったのがこの人足どもだったのである。——ついでに言っておくと、いわゆる町火消、いろはの平仮名付けの組合が出来たのは享保三年になってからで、纏《まとい》や竜吐水《りゆうどすい》を用いたのもこの時からである。それ迄《まで》は、水で火を消すというより家を敲《たた》き壊《こわ》して焼草を無くするのが消火の主な仕事とみられた。褌ひとつの丸裸かで済むわけで、気性の荒かったのも当然である。

以前に、典膳が知心流門弟と白昼に私闘した廉《かど》で咎《とが》めを受けたのは、大目付高木伊勢守の実は謀《はか》らいによったので、「一里を限って江戸追放」云々《うんぬん》の仕置《しおき》も要は典膳の身に知心流の復讐《ふくしゆう》の及ぶのをおもんぱかった慎重な顧慮からだった。
ところで典膳の入牢《じゆろう》中に同じく咎めを受けていた白竿長兵衛の罪というのが一風変っていた。長兵衛は気分の闊達《かつたつ》な男だが、或る時、島原の切支丹一揆《きりしたんいつき》の昔話をして、当時は西海道の諸大名は残らず出陣、将軍家名代として板倉|内膳正《ないぜんのかみ》や松平伊豆守なども鎮定に出向いて随分な骨折りだったと聞いているが、もし今時分ああいう騒動がおこったのなら、われわれ町人の請負いで一揆をぶっ潰《つぶ》してみせる、その方が入費も少くて済むだろう、又そういう事件が入札になるようなら、この長兵衛などは思いきり安札を入れて引受けようものを、と言って笑い話にした。
それが偶々《たまたま》島原の乱当時に出兵して苦戦をしたという有馬侯へ、出入りの鳶頭から久留米藩士の耳に入ったので、かりにも天下の御政道に口をはさみ、且《か》つは藩の御先代を物笑いに致したは不届千万というので、罪を得て獄舎につながれたのである。
悪いことに、筑後久留米《ちくごくるめ》二十一万石の城主有馬侯はこの頃大名火消だった。消火の時水を運ぶのに最も便利なのを玄蕃桶《げんばおけ》というが、これは明和年度の有馬の殿様が火消を勤める時考え出したので、代々有馬侯は玄蕃頭を名乗るところから玄蕃桶の名がつけられたという。それほど消火に熱心な大名で、従って火消人足共も目をかけられている。小普請人足請負業者である白竿長兵衛とは、そうでなくても『きおい組』を介して不和の間柄《あいだがら》にあり、この上、若親分長兵衛が入牢させられたのは火消共の口さがない訴えのせいだと、白竿組の方で騒ぎ出しては、どんな大喧嘩《おおげんか》になるかも知れず、そこで、典膳に居候《いそうろう》の名目で白竿長兵衛方へ身を寄せるよう、機会を見て公儀で持て余し気味の権現与太郎を始末してくれるようにと、町奉行みずから内々に依頼したわけである。権現与太郎を斬《き》るなどということは普通では出来ない。併《しか》し『東照大権現』の入墨を誰《だれ》かが切ってしまえば、創《きず》がなおっても『東照大権現』の名に疵跡《きずあと》がのこる。与太郎は、今度はそういう畏《おそ》れ多い名前を疵物にして歩いているという咎で不敬罪に問われ、遠島の処分にもあうわけだ。
誰かがこれをやらねばならないが、背中の皮一枚を鮮かに切下げる手練者《てだれもの》はそう|ざら《ヽヽ》には見当らない。そこで典膳の入牢中を倖《さい》わいに奉行所から特に頼んだわけである。
さて典膳が予定通り事を済ました今となっては、白竿長兵衛方へ居候に戻る必要もなさそうだった。
「時に其許、今後はどう致される? 聞いてもおろうが、其許の身柄については上杉家千坂兵部どのより話があり、浅野家の堀部弥兵衛と申される留守居役よりも実は兼々話があったが……」
出雲守は話し出した。
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