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薄桜記17

时间: 2020-08-01    进入日语论坛
核心提示:雨|蕭条《しようじよう》典膳が黙っていると、「そうであった、其許、以前に御老中阿部豊後守どのと昵懇《じつこん》であったか
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雨|蕭条《しようじよう》

典膳が黙っていると、
「そうであった、其許、以前に御老中阿部豊後守どのと昵懇《じつこん》であったかな?」
「御老中?……」
「過日使いの者が見えられて某許の身柄いかように相成るものかとお尋ねがあったが」
紀伊国屋文左衛門の差金《さしがね》に違いない。
「何かの間違いではござるまいか。それがし別に——」
典膳は澄んだ目を戻した。
「左様か。……」
能勢出雲守はあまり深くは追及せず、
「——左内」
座敷の片隅《かたすみ》に控えていた祐筆《ゆうひつ》の役人を呼んで、
「例の品をこれへ」
「はっ」
一礼すると一度座敷を出てから、白木の三方《さんぼう》に金一封を載せて典膳の前へ差出した。
「些少《さしよう》ではあるが」
出雲守は言った。
「其許へ町奉行よりの寸志じゃ。本来なればお上より特別に御沙汰《ごさた》のあるべき筈《はず》であるが、事が事ゆえ、公けには致しかねる。その辺のところ、其許も旗本の育ちなれば察してはもらえようが」
言って、
「いずれ、与太郎なる者に不埒《ふらち》の所業あらば以後は容赦なく処置いたす。されば、其許へ後難の及ぶこともあるまいが、出来うるなら、当分、江戸を外に湯治でもゆるゆる致して参ってはどうかな? これは奉行個人として申すのじゃが、御老中は兎《と》も角《かく》、上杉家といい赤穂藩江戸留守居役といい、どうも其許の身柄引取りの願い出が多くてな、一方を立てれば一方に義理を欠き、内心、実はほとほと困却いたしておる。……出来るなら、ここ当分の間——」
「よく分りました」
典膳は素直に一封を受け取り、
「しからば拙者これにて」
差料《さしりよう》を引寄せた。
「何処《いずこ》へ行かれる?」
「よもやとは存じ申すが、何さま気の荒い者共、いかようなことで又騒ぎ立てるやも知れませぬゆえ、当分は様子を見がてら長兵衛方へとどまろうかと存じ申す」
言って座を立ちながら、ふっと典膳は破顔《わら》った。
「武士と違い、町家の暮しに馴《な》れてみるとなかなか野趣のあるものでしてな。——御免」
それきり町奉行所の奥書院を出た。
典膳が戻《もど》って来たと聞いて奥から転ぶように迎え出たのは嘉次平とお三である。
「お、お、お殿様」
顔中くしゃくしゃにしてひざまずき老僕《ろうぼく》は典膳の足許に伏せんばかりにして泣いた。
お三はその後方に立って眸《ひとみ》を一杯見開き、
「よ、よく。……よく」
満足に物も言えない。
長兵衛や伝右衛門の喜びも非常なものだった。
「よく帰っておくんなさいやした……先生、わっちらあ、ごらんの通りでござんす」
乾分《こぶん》一同をずらりと両側に控えさせ、玄関にひれ伏して迎え入れた。
「何もそう仰々しくいたさずともよかろう。それではわしが入りにくい。——さ、頭を上げい」
「そ、それが実は先生——」

伝右衛門が言った。
「先程きおい組から使いの物が参りやしてね、先生のお身柄は御公儀で厳罰におあいなさるだろう、何といっても御神君の御尊号に刃物をお当てなすった、無事で済むわけゃねえと——」
「済むも済まぬも、こうして当人が無事に戻ったことだ」
「そ、そりゃそうでござんすが……実は、きおい組が因縁をつけに参ったにゃ、それだけのわけがござんす」
言いかけるのを横から長兵衛が、
「お父っあん。まあ奥へ入《へえ》ってもらって、じっくりお話し申上げようじゃねえか。……先生、ともかくお上りなすっておくんなせえ」
言ってうしろの若い者共を振返り、
「面《つら》あ伏せているだけじゃ話も何にもならねえ。みんな、先生はこうして無事にお戻り下すった。普請場はもうこっちのもんだ。さ、元気を出して、一緒にお迎えしようじゃねえか」
促すと、異口同音に声を揃《そろ》え、頭を下げて、
「お帰んなさえやし……」
いつも通りに典膳は奥の座敷へ落着いた。お三がイソイソと付いて来て、仄暗《ほのぐら》くなった室内に灯《ひ》を入れる。典膳の知らぬことだが、全く灯が消えたよう打沈んでいた一瞬前までの家中が、忽《たちま》ち春にめぐりあった陽気さと、活気に溢《あふ》れて来た。
「お召替えなさるんでござんしょう?」
お三がシツケ糸のついた真新しいのを、いつの間に仕立てておいたのか素早く|みだれ籠《ヽヽヽかご》から取出して来て、糸を抜きながら末に控えた嘉次平とチラと見合うと、|本当に嬉《ヽヽヽうれ》しそうに含み笑った。八丈の下着に黒ずんだ縞縮緬《しまちりめん》の上着である。総角《あげまき》の丹下家の定紋が稍《やや》大き目に白く抜かれてある。嘉次平に相談して作ったものに違いなかった。
典膳は火消|鳶《とび》との諍《あらそ》いから奉行所へ出向いたまま戻って来たので、言われてみれば確かに着物の処々が汚れている。あっさり背後から肩へ掛けさせた。それでも肌着《はだぎ》を脱がなかったのは疵《きず》の癒着《ゆちやく》の迹《あと》を見られぬ為《ため》だったろう。
お三はもう馴れている。左の肩へは手を触れぬように、着せかけて直ぐ前へ回って、帯を渡した。
「辰吉らはどう致したな? 痛む様子か?」
お三は否々《いないな》をして、
「変に声を出したんじゃ兄《あに》さんに叱《しか》られるんでござんしょう、中二階でね、ふとんを引かついでみんな痩《やせ》我慢を張っております」
笑っているところへ長兵衛がこれもさっぱりした新《さら》の着物に羽織姿で、
「お支度が出来ましたら先ずはあちらへめえって一同にお盃《さかずき》のお流れを頂戴《ちようだい》させてやってお呉《く》んなせえやし。……さ、嘉次平さん、お前さんもご一緒にどうぞ」
「何があるのだな?」
「何と申すほどのもんじゃござんせんが、ほんの、祝い心のしるしで。ま、わけはあちらへ参ってゆっくりと申上げやす」

神棚《かみだな》のある茶の間から続きの奥座敷へはいると、なるほど既にずらりとお膳《ぜん》が並べられ、若い者のおもだったのが左右に十五六人、いずれも真新しい藍《あい》の匂《にお》う印半纏《しるしばんてん》でかしこまっている。
上座に伝右衛門の右から三つ、空席のあるのは典膳主従と長兵衛の席だろう。
「お待ち申しておりやした」
伝右衛門が喜色を溢らせて迎えた。余程|今宵《こよい》がうれしいらしかった。燭台がコの字型に居並んだ一同の五人置きぐらいに立っている。その燭明りに典膳の黒い着物の地が光沢を放つ。
伝右衛門の女房《にようぼう》たね、娘お三、それに下女が二人ばかり、上座の典膳から次々と土器《かわらけ》へ酒を注いで回った。
「急拵《きゆうごしら》えで何もござんせんが、どうぞ……」
長兵衛が目七分にさかずきを捧《ささ》げ音頭《おんど》をとると、
「おありがとうさんにござんす」
一礼して一同、一気に盃をほした。それから座がくだけた。
「一体、何をこう祝う?……」
典膳がけげんそうに問うと、
「さあ、わっちから申上げましょう」
伝右衛門が膝《ひざ》を向け直してこう言った——
実は播州竜野《ばんしゆうたつの》の城主・五万三千石の脇坂淡路守《わきさかあわじのかみ》の江戸屋敷が新橋一丁目にこんど再建築されることになった。その普請場《ふしんば》の人足を白竿組の手で請負ってほしいが、只《ただ》ひとつ条件があるというのは、是非とも「杖突き」は丹下典膳につとめてもらいたい。この儀たって御当主淡路守さまよりの懇望である。もし丹下典膳に異存があるならこの請負いは取消す。「杖突き」といっても、腕の不自由な身のことであるから常時つめよと迄《まで》は望まぬが、兎も角、典膳の「杖突き」を条件に請負って貰えるかどうか一両日中に返答をのぞむ——そんな使いが脇坂家用人から差向けられて来た。
「先生にゃ無論、御承諾を頂かなきゃ御返答の出来るこっちゃござんせんし、お身柄さえ果して御無事に奉行所からお戻りなされるかどうかも分らねえことゆえ、一応、ありの儘《まま》を申上げて帰って頂きやしたが……御承知のとおり、若え者の仕事も今じゃ十分にござんせん。体をもて余しておりますような有様のところへ、久々の大仕事。先生が御無事でお戻り下すったら、どんなにでもお縋《すが》りしてお聞き届けを願おう、そうすりゃあわっち共も、ほんとうに生き返った心地がしようと、さい前もこいつらと話しておりやした。丁度そこへの御無事なお姿——。ま、勝手なことばかりほざいて申訳がござんせんが、どうか、一同を助けると思召《おぼしめ》して此《こ》の話を請負わせて頂きてえのでござんす。この通り、お願いを致しやす」
伝右衛門が手をつくと、一座は急にしーんと静まって一様に頭を垂れた。職場を失ってゆく人間がどんなに淋《さび》しいものか、一人一人のうなだれた頭が物語っている。
典膳は併《しか》し、ふっとつよい目になった。
「その話の使いは、名を何と申した?……」
「何でも江戸家老脇坂玄蕃さまの御家来で松村とか申されやしたが」
「松村?……」
知らぬ名だ。どうやら典膳の杞憂《きゆう》だったらしい。
お三が新たに差してくれる盃をうけながら、
「杖突きとは、どういう事をいたせばよいのかな」
典膳の顔は不断のおだやかさに戻っていた。
「どうと言って、むつかしいこっちゃございません。ただわっちらの仕事を見回って下さりゃよろしいんで」
「検視役か」
「お武家の方のおことばじゃ、そういうことになりやすか」
「よかろう」
のみかけた盃をお膳に戻して、
「わたしで役に立つことなら、喜んで承諾いたす」
と言った。
「あ、あ、ありがとうござんす」
一斉《いつせい》に声に出し、十八人余りが膝頭に手をつかえて、感動した。
あとはどんちゃん騒ぎになる。踊るものがあり、得意の�木やり節�の美声をきかせる者があり、手品《てずま》を披露《ひろう》に及ぶ者もあり。……酒肴《さかな》に贅《ぜい》をつくした酒宴ではないので、本当に、うれしければこその騒ぎだろう。典膳は適当に見てやってから、目顔で長兵衛父子に会釈《えしやく》をして、目立たぬようにおのれの部屋へ引揚げた。嘉次平もついて来たそうにしたが、これは目で叱《しか》って引留めておいた。
脇坂淡路守の江戸屋敷に高割人夫が請負われたと聞いて典膳の心配したのは、淡路守安照の妹が、火消大名有馬の連枝《れんし》で越後|頸城《くびき》の城主・有馬左衛門|佐《すけ》永純の内室になっているのを知っていたからだった。謂《い》わば脇坂家と有馬は姻戚《いんせき》にあたる。火消鳶の後ろ楯《だて》でもある有馬一族なら、鳶の一味権現与太郎の負傷したことで典膳にいい感じはもっていないに違いないし、わざわざ典膳の「杖突き」を条件に人足を請負わせるというのでは、何か、これには裏がありそうな気がしたのである。
併し、考えれば与太郎の背を斬《き》ったのは今日昼過ぎだった。屋敷を普請するのに人足を請負わせるには、大名ともなれば却々《なかなか》わずらわしい爾前《じぜん》の手続きがいる。そういう手続きや重臣一同の協議のすえ、白竿組へ請負わせる事が決定したのであれば、既にかなり以前から、此の案は練られて来たと見なければならぬ。即ち何日か前に、江戸屋敷の普請を白竿組に請負わせる案は藩重役の間で、討議されたに相違なく、与太郎が負傷したこととは関《かかわ》りはないのである。むしろ、典膳を快よからず思う有馬家から横槍《よこやり》が入るとすれば、それは今後のことだ。ともかく今は、脇坂家の一存で白竿組に普請を請負わせたわけで、火消大名有馬とは切り離した問題だと典膳は考えた。それで諾《うべな》った。
ただ、最後に気懸りなのは、一体脇坂家の誰が、白竿組に居候《いそうろう》する自分のことを知っていたのか?……
典膳には心当りがない。それで余計に気になった。

翌日。
白竿長兵衛が自身で脇坂淡路守の屋敷へ出向いて、丹下典膳こと確かに「杖突き」の儀を承諾いたしましたので、この度の仕事を請負わせて頂き度く存じます——と脇坂家用人ならびに家老玄蕃の家来松村由左衛門に申し出、近日|匆々《そうそう》に普請にかかると約束して帰った。尚《なお》その時、
「権現とやらのいざこざは無事に片付いたかな?」
と念をおされたので、
「丹下さまが奉行所からお戻りなされましたのが、片付いた何よりの証拠でござりましょう」
長兵衛が答えると、
「そうかそうか。……イヤ、それはまことに祝着《しゆうちやく》」
心から喜んでくれたという。
この報告を聞いても典膳には何故《なにゆえ》、それほど自分の身を案じてくれるのか納得《なつとく》がゆかなかった。併しいよいよ有馬家とは関りがないと分って、安堵《あんど》もし、長兵衛父子へ心からよろこびの詞《ことば》を述べた。
「もったいのうごぜえやす。先生にそう仰有《おつしや》られちゃあ、わっち共あ身を粉にして働いても、屹度《きつと》、お顔をよごさねえ立派なお邸《やしき》を建ててごらんにいれやすよ」
翌日から早速普請場の地ならしが始まった。
脇坂邸は新橋一丁目から二丁目角へかけて在ったが、修築を兼ねた新普請である。むろん人足如きに藩主淡路守安照の姿などは垣間《かいま》見ることさえのぞめない。「杖突き」の典膳とてこれは同様だったが、御納戸頭、藩の普請奉行をはじめ係り役人の白竿組に対する応接は大変に思い遣りの厚いものだった。人足共は喜々として仕事に出精した。
典膳も馴れぬ仕事ながら久し振りに羽織|袴《はかま》で、杖を片手に現場を見回る。旗本当時は武芸でこそ体も鍛え、肉体労働などしたことのない身分だが、汗を流して働く人足どもの中に立混っていると、今迄《いままで》は知らなかった不思議な、地道な労働のよろこびが他人事《ひとごと》ならず犇々《ひしひし》と身に迫ってくるのが感じられた。無為徒食というものが、どれ程人間を駄目《だめ》にするか、ふとそんな反省も湧《わ》く。これからは、わたしも本当に武士を捨て、おぬし達と|もっこ《ヽヽヽ》を担いで暮してもよいと思う……そう言って、一日の疲れを晩酌《ばんしやく》一本で癒《い》やす席で、長兵衛にしみじみ洩《も》らすこともあった。
よろこんだのはお三だったろうが、
「勿体《もつたい》ねえ、先生のように御立派なお武家に|もっこ《ヽヽヽ》を担がせちゃ、わっち共はお天道さまに申訳がございやせんよ。先生はただ、わっち共のそばで、仕事を見ていて下さるだけで、どんなにわっち等《ら》は精が出るか……こりゃあ皆が心から申していることでござんす」
長兵衛は妹のよろこびを無視しきって、言ったりした。
年の瀬を越さぬ裡《うち》に何としても仕事を了《おわ》らせたい。出来れば雪の降る前にと、一同の気の入れ方は日を追って熱烈になる。
そうなると、典膳も殆《ほと》んど連日のように現場へ行く。

或《あ》る日。
典膳が大工の助五郎なる頭梁《とうりよう》から見取図をひろげて、この辺にもう少し大きな足場を拵《こしら》えて頂きてえんですが、と図面を示されているところへ、うしろから声をかけ松村由左衛門が遣って来た。
「お役目大儀じゃな」
言いながら、頭梁の腰をかがめて挨拶《あいさつ》するのへ鷹揚《おうよう》にうなずき、
「丹下どの、お手前に会わせ度い人物があるのでな、足労じゃが内庭の方へ回って頂けぬか」
冬にしては暖い陽差《ひざし》を背に浴びて、目を細めた。鶴《つる》のように痩《や》せているので上下《かみしも》がいかにも寸の余った大きさに見える。
「それがし存じ寄りのお人ですか」
「ま、存じよりの仁と申せば申せぬこともない」
「?……」
「実はな、今迄黙っておったが、お手前にこの仕事を依頼いたしてくれるようにと、相談のあったのは越後|溝口《みぞぐち》藩の江戸家老|堀図書《ほりずしよ》どのじゃ」
「堀?……」
「さよう、順序を立てて話さいではならんが、お手前も承知の通り、われら御主君脇坂淡路守さま妹君は、同じ越後頸城の有馬|周防守《すおうのかみ》さま内室にあたらせられる。日頃《ひごろ》、有馬どのと溝口家とは御昵懇《ごじつこん》のお間柄《あいだがら》であったそうな。又われら主人脇坂玄蕃と堀図書どのとは旧来の碁|敵《がた》き。さようの縁もあって、溝口藩より、当屋敷普請の折は、是非ともお手前方人足どもを雇入れられ度《た》いと、ま、そのような話合いがあったとか身共も聞いた覚えがござる」
どうやら謎《なぞ》は解けた。白竿組に請負いを命ずるように持ちかけたのは堀部安兵衛の運動に相違ない。安兵衛は今でこそ赤穂浅野家の家来となったが、生れは越後|新発田《しばた》、亡父もたしか溝口家の重臣だったとは典膳も聞いている。あの知心流の一件以後、安兵衛と対面の機会はない儘《まま》にすごして来たが、それとなく蔭《かげ》で案じてくれたらしい……
典膳が考え込んでいるのを由左衛門は別の意味にとったらしい。
「御心配は無用じゃ。われらとて火消|鳶《とび》の騒ぎの儀は存じておるが……丹下どの。同じ有馬の姻戚と申せ、当家は別。お手前にいささかも他意はござらんぞ。それどころか、お手前なればこそあの入墨に刀をかけられたと、むしろ我|等《ら》も敬服いたしておる」
「さように申されては却《かえ》って痛み入りますが……会いたいと申されるのは、誰《だれ》ですか?」
「ま、それは参られたら分る。ともかく身共と一緒に……」
由左衛門は人夫の誰彼の会釈《えしやく》にうなずきながら、早や先に立って歩き出した。
「どうぞ、御遠慮なくお出《い》でなすって下さいやし。あとは長兵衛どんと相談いたしやすで」
大工の助五郎が風にあおられる図面を胸に抑えて一生懸命に言う。
「では頼むぞ」
典膳はともかく普請場を離れた。

庭の築山の半分が普請のため削られ、盛り返された赤土の上に足場わりの板が引渡してある。
「こちらじゃこちらじゃ」
由左衛門が板の上から扇子で手招いた。典膳はゆっくり追いついた。
内庭へはいると、南に面した広縁の障子が少しばかり明けられて、隙間《すきま》からチラと見えたのは花やかな女の衣裳《いしよう》である。
典膳が停《とま》った。
「松村どの」
かわいた声で呼びとめた。
「それがし急用を思いつきました。——後刻、あらためて参上いたしましょう」
「な、なに急用?……」
「御家中御一同の御厚志はかたじけのうござるが、それがし不縁いたした妻《さい》と、今更会うつもりはござらぬ」
「な、何もそう急にあらたまって申されることはあるまい。事情はともかく、折角ああして参っておられること、お手前がた二人きりであれば兎《と》も角《かく》、われらとて同座いたす席に——」
「千春と同道いたして参られたのは堀部安兵衛どのですな?」
「さ、左様。……チトわけがござってな。此処《ここ》では話もならん、われら主人玄蕃どのも同席いたされ待っておられるのじゃ。普請場の労もねぎらおうおつもりであろう。……兎も角、ま、ともかくこれ迄参ったゆえ……コ、コレ、何処へ行かれる……」
狼狽《ろうばい》して追いかけるのには構わずに踵《きびす》を返した。背後でさっと障子のあくのと、花やかな色彩の衣裳の動く気配がした。
普請場へ戻ると、
「おや、もうお済みでござんすか?……」
絵図面を拡げ、両側から覗《のぞ》き込んでいた大工の助五郎と長兵衛が驚いて顔をあげた。典膳が言った。
「わたしは急の用を思いついたのでな。今日はこの儘帰る。あとを頼むぞ」
「へ、へい……そりゃ後のことは大丈夫でございやすが、一体……?」
「何でもない。——頼むぞ」
無理に笑おうとしたが、さすがに頬《ほお》がこわばった。典膳はそれでも働いている人足共にやさしく声をかけて普請場から裏塀《うらべい》づたいに道路へ出、浅草へ帰った。
思いがけぬ典膳の帰宅に、呆気《あつけ》にとられたのはお三である。
「オヤ、どうかなすったんでござんすか?」
「少々疲れが出たようでな。勝手をさせてもらった。——伝右衛門どのは?」
「奥におります」
「いや、呼ばなくともよい」
草鞋《わらじ》の紐《ひも》を解いて、いそいで濯《すす》ぎ湯の支度をして典膳の前へまわってうずくまったお三へ、湯桶《ゆおけ》をつかってもらいながら、
「——三、そちに話がある。あとでわたしの部屋へ来てくれぬか」

お三は典膳の左くるぶしを洗いながら、何事かと眸《ひとみ》をあげた。
「?……」
二人の間で濯ぎ湯の湯気が、淡々《あわあわ》と立昇ってゆく。
「そう真面目《まじめ》に瞶《みつ》められては当方も話しにくいが……兎も角、来てくれぬか」
「ええ、そりゃあ直ぐにも参りますけど、——先生」
「?」
「奥様にお会いなすったのでございますね?」
乙女の勘は鋭い。すぐに、目を俯せて又、くるぶしを洗い出した。
黙って典膳はされる儘にまかせている。油障子のわずかに明いた隙間の外を、人影が通って行く……
足を拭《ふ》きおわった。
「もうよろしゅうございますよ」
お三は何となく笑うと、さり気なく湯桶を抱え立って、
「あとで直ぐ参ります」
土間とは地つづきの勝手の方へ姿を消した。
典膳は部屋へはいると袴《はかま》を脱ぎにかかった。脇坂家の普請以来、多勢の者は総出で普請場へ出掛けているので、家の中はひっそりと謐《しず》まっている。嘉次平は今日は朝から丹下家の菩提寺《ぼだいじ》——青山三分坂の法安寺へ墓の掃除に出掛けていった。人足頭なみに仕事をしている主人の昨今が、やっぱり嘉次平には淋しいらしい。この頃は暇さえあると菩提寺へ出掛けては先代の墓の前で、何時間もうなだれているそうである。
お三が熱い茶を淹《い》れてはいって来た。気のせいか殊更《ことさら》、朗らかそうに振舞って、
「今日は暖かいわ。せんせ、障子明けましょうか?」
お盆を置くと視線が合うのを怖《おそ》れるように縁に面した障子へ走り寄る。
スーっと明けた。
「アラ、やっぱし寒い」
ぴしゃりと閉めた。
典膳は更に着物を着替えにかかった。片手で着物をきるのは不可能である。えりもとを合わせ、腰の前で褄《つま》をあわせて、片手だから帯を拾い取ろうとすると、だらりと前が崩れる。肘《ひじ》でその着物の前を抑え、帯を取っても今度はうしろから前へ片手でまわすわけにいかない。どうしても、一方から一方へ手で渡しながら帯は巻くものなのである。刀なら隻腕《せきわん》でも抜けるが、着物ひとつさえ典膳は独りでは着られない。
以前は、それをすべて嘉次平がしてくれた。今はお三の役割になっている。
うしろで着替えをする気配に、お三は障子の前から我に返って振向き、
「あら」
いそいで典膳の膝許《ひざもと》へ来て坐った。帯を拾いあげて、典膳の前からうしろへ回す。
典膳は褄をおさえながら突立っていて、
「三、そなたわたしの妻になってくれるか?」
じっと見下した。

お三はハッと顔をあげた。
「本、本気でおっしゃって下さいますの?……」
「わたしは一人で着物を着ることも|※[#「りっしんべん+匚+夾」]《かな》わぬ。どうしても身の世話をやいてくれる者が要る。……今迄《いままで》にも、これは考えぬではなかったが、わたしにはまだ未練があった——嗤《わら》ってくれ、別れた妻へのな」
「!……」
「しかし、今日ばかりは目がさめたように思う。わたしが独りでいる限りは、復縁をあれの方でも待ち望んでおろう。そなたとて、いつ迄も独り身というわけにはゆかぬ、いずれかは嫁《とつ》がねばならぬ身じゃ、と申して、こうしてわたしが厄介《やつかい》になっておれば、つい、そなたも縁づく機会を失おう……わたし一人のために、あたら若い身空で縁もなくすごさせるのは心苦しい……」
「あたしの事なんぞちっとも構いやしません。でもどうして、奥様と復縁なさらないんですか?」
「武士にはいろいろと体面があり、人に話せぬ事情もある。が、つまるところはわたしの気持が変ったのだ。——もう、今こそふっつり大小を捨てようと思う。なまじっか、武士に未練があるばかりに優柔不断な日もすごして来たが、近頃《ちかごろ》、ここの若い者らの立働くのを見てつくづく気が変った。わたしも腕は不自由ながら、皆と共に額に汗して働いてみたい」
「…………」
「そなたへは何ひとつ、今迄事情は話しておらぬが、別れた妻《さい》はさる藩の重役の娘であった、矢張りいろいろ藩内の立場もあり、まさか請負|稼業《かぎよう》の人足の妻にはなれまい。なったところで、親許に肩身のせまい思いをさせて暮さすのがあれの幸わせとも思えぬ——」
「では、奥様をお仕合わせに出来ないから、それであたしと一緒になると仰有るんですか?」
「いやか?」
「…………」
「わたしも丹下典膳、心にもない女人と夫婦《みようと》になろうとは思わぬ」
「!——」
「わたしは皆と偕《とも》に働くことに生甲斐《いきがい》をおぼえるようになった。しかしまだ、わたしの身に沁《し》み込んだ武士の意地や虚栄は、一朝一夕には拭いきれまい。又悩む日が、かならず先々にもあろう……そういう時、本当にわたしと苦楽のともに出来るのはそなたではあるまいか。わたしの知らぬこと、気づかぬこともそなたになれば分る筈《はず》。——申してみれば、わたしの新生に誰よりもそなたの内助が要る。……そう思って、話をいたす気になった」
「!……」
「勝手者と思うか知らぬが、あらためて頼む。どうかわたしの心の杖《つえ》になってくれ……」
「—————」
「いやか?」

お三は典膳の突立った膝前で顔もあげ得ずにうなだれている。襟《えり》あしの長い、ほそいうなじが背中の奥まですうっとのびていそうな嫋々《じようじよう》たる風情《ふぜい》に、典膳の手が思わず三の肩へかかった。
そうした儘で、しばらくどちらも黙っていた。
「……そなた、泣いておるのか?」
低く、典膳が声を落した。
「…………」
三が首を振った。
「ではわたしの片腕になってくれるか?」
「……。え」
「かたじけない。この典膳が何故隻腕の浪人者になり果てたか、おそらく、そなたに話すことはあるまいが、聞こうとも思うまいな?」
「聞きません……」
「そうか、それならよい……さ、もう顔をあげなさい。わしはまだ帯を緊《し》めておらんのだ」
それでも三は暫《しば》らく動かない。あさり貝や蜆《しじみ》を商うあわれな呼び声が遠くの方を通っていった。どんより、薄曇る冬空に次第にあたりが暗くなる。
いつまでもお三が顔を上げないので、典膳は自分で帯を拾いとって何とか巻こうとすると、ようやくお三は帯の端を掴《つか》んだ。膝で起って、顔をそむけて典膳の腰の上から、両手で背へまわす。たぐり寄せて、きちっと緊めた。わずかに典膳の腰が反った。
いつもなら結髪がくずれぬようにと、お三の方で身を引くのだが、この時は避けない。前でまわしたのをすぐ両手でうしろへもっていった。典膳の腰を抱く格好になる。
「少し下へさげてくれぬか」
「…………」
「まだ……もう少し」
「…………」
「三」
「…………」
ぐらりと大きく髷《まげ》がゆれてお三は仰向きになった。目をとじている。白い咽喉《のど》をそらして睫毛《まつげ》をふるわせ、烈《はげ》しく肩で呼吸をした。おのが胸を典膳の脚《あし》へおしつけるように縋《すが》って面《かお》だけ仰向かせているのである。
典膳の片手が、その肩へかかった。しずかに揺すった。
「……どう致した?——聞くのは残酷か?」
「…………」
「ゆるせ。よかれ悪しかれ、これがわたしの気性だ。軽々にそういうことは出来ぬ。いずれ、脇坂家の仕事がおわればその時は祝言《しゆうげん》をいたそう。——な?」
「…………」
「……もう離れなさい。人が来る——」
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