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薄桜記23

时间: 2020-08-01    进入日语论坛
核心提示:残月同じ頃、白竿長兵衛の住居を出た大工甚兵衛の方は、その足で上杉邸内に家老千坂兵部宅をおとずれた。かねて打合わせの上で甚
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残月

同じ頃、白竿長兵衛の住居を出た大工甚兵衛の方は、その足で上杉邸内に家老千坂兵部宅をおとずれた。
かねて打合わせの上で甚兵衛は白竿組を訪ねたことである。
兵部の家来田中源左衛門というのが、早速別室に甚兵衛を通させて、
「どうであった、見掛けなんだか」
待ち兼ねた態に膝《ひざ》を進めた。
「残念でございますが、おいでではございません。そのかわり耳よりの話を聞いて参りました」
「何じゃ?」
「前川の頭《かしら》の方でも、同じように丹下様の様子をさぐって参ったそうでございます」
「何?」
「なんでもこのたびのお仕事はお引受けいたしかねると御当家へ」
「む。それは申出て参った。さすがは堀部安兵衛ら一派、御家老が策の裏を見事|掻《か》いての」
源左衛門は四角張った甚兵衛とは好一対の痩《や》せぎすな侍である。右|頬《ほお》に大きな愛嬌《あいきよう》のあるほくろがある。
兵部の裏を掻いたというのは、浅野家に心を寄せる前川忠太夫と承知で隠し部屋の仕事を請負わせるのに関連していた。すなわち、忠太夫に隠し部屋、落し穴の仕事をさせれば、必ず赤穂浪士へ後で密告するに相違ない。斯《か》く斯くの場所に罠《わな》ありと教えるであろう。
さすれば万一の討入りの折、浪士も其処は迂回《うかい》する。——実は、迂回するその先々にまことの陥穽《おとしあな》を設けて浪士を欺こうというのが上杉家の策だったのである。
むろん、隠し部屋の在り場所も違う。
赤穂浪人らはこの策謀を読みとった。あっさり、請負いを辞退して来たが、そこまでは上杉の方でも読み込んである。
が、典膳の消息にまで、警戒の手をのばしているとは田中源左衛門には思いもよらぬことだったのである。
「詳しく、そ、その前川がさぐりとやら申すを、話せ」
「別にくわしく話すこともございません。同じように元締——長兵衛の方へ丹下様のことを何かと尋ねましたそうで」
「それで丹下どのが菩提寺へ、墓参に詣《もう》でられる儀も話したか?」
「申しました。そういたしましたらひどく驚きまして」
「む」
「却《かえ》ってこちらがくどい程に様子を訊《き》かれたようなわけでございます」
甚兵衛は一本、話に町人らしい信義をつらぬくことは忘れぬ男だった。白竿長兵衛が死ぬ覚悟でこの仕事を請負うとまで言った点には一語も触れなかったのである。
「田中様、御用人がお呼びにござりまするが」
茶坊主《ちやぼうず》が廊下に手をついたのはこの時だった。

「御家老が?」
源左衛門はチラと茶坊主の表情を読んだが、
「さようか、すぐに参る」
言って、甚兵衛に向い、
「その方はこれにて待っておれ、或いはこのたびが普請についてのお話やも知れんでの」
廊下から庭づたいに別棟《べつむね》の兵部の病室へ出向くと、
「田中源左衛門にござりまする」
からかみの外に坐って声をかけた。
「待ちかねておられる。さ、これへ——」
内から声が言う。
「——御免」
両手で金泥《きんでい》の襖《ふすま》をひらくと、袴《はかま》をさばいて膝から進み入った。一たん、うしろ向きになり、再び両手を添えて襖を閉める。
兵部は床の間を枕《まくら》に、源左衛門のはいって来たのへ足の方を向けて深々と布団《ふとん》に埋まっていた。パンヤのはいった二枚重ねの敷布団である。枕許にお付きの小姓が一人。布団の左右——裾《すそ》の方にもそれぞれ側小姓が一人ずつひかえている。煎《せん》じ薬の匂《にお》いが部屋へ一歩入った時から鼻孔《びこう》をつくが、お匙医《さじい》も脈をとる典医の姿も見当らなかった。
兵部の側用人が、これははるかに枕許を離れた位置で静座している。
兵部が仰臥《ぎようが》の儘で、
「居所は分ったか?」
低く、つぶやいた。げっそり頬が落ち、昔日の凛乎《りんこ》たる面影《おもかげ》は偲《しの》ぶべくもない。しかし口辺にのびた無精|髯《ひげ》が一種鬼気をたたえているのは、この儘では死にきれないのだろう。大石以下、赤穂浪士が必ず吉良上野介の首級を狙《ねら》うことは、この病んだ智恵者《ちえしや》にだけはハッキリ見えていたかも分らない。
「源左衛門、あのようにお尋ねに相成っておるぞ。近う参れ」
「はっ」
「丹下どのが住居は、つきとめたか」
「そ、それが……」
源左衛門は直接兵部へは言葉を返せない。側用人に向って、
「無念ながら長兵衛なる者が住居にも姿をあらわさぬ由《よし》にござりまする」
「消息は?」
「われら以上には何ひとつ——」
「…………」
ごくん、と病人の突起した咽喉仏《のどぼとけ》が何かのみ下した。目は瞑《と》じたままで、
「大石の様子は、知れたか?……」
「は。その儀なれば左兵衛さま用人、須藤与一右衛門どのが報《し》らせによりますれば、何でもいよいよ東下《あずまくだ》りをいたし鎌倉雪ノ下あたりまで参っておりまするとか」
「鎌倉……」
「は、一両日中には多分、江戸入りをいたそうかとか」
言った時だ、病室の外に声あって、
「長尾竜之進どのが妹千春どの、ようやくこれへお越しなされましてござりまする……」

それを聞くと病床の兵部が、
「これへ通ってもらうがよい」
瞑目《めいもく》していて低くつぶやいた。
「は」
用人は一たん病人へ向き直り一礼してから、
「しからばお通し申せ」
茶坊主へ声をかける。
病床のすそに立てかけた六曲一双の金屏風《きんびようぶ》のわきに、やがて恭々《うやうや》しく手をついたのは典膳の元の妻千春である。しばらく顔をあげない。
「利右衛門」
兵部が用人へ言った。
「しばらく話がある。その方らは次の間へ退《さが》っておれ。用があれば、呼ぶ」
「しからば」
叩頭《こうとう》すると、側小姓や田中源左衛門に目くばせして、千春の傍《かたわ》らを通るのに一度|会釈《えしやく》をしてから、次々に退座していった。枕許に坐《すわ》った小姓だけが残った。
「かような姿のままで、ゆるされいよ」
「…………」
「近う。声を出すのが、くるしい……」
ごくん、と又咽喉仏が動いた。枕許の小姓が静かに座布団を裏返して、兵部のわき数尺のところに、置く。
千春は誰にともなく頭を下げ、微《かす》かな衣摺《きぬず》れを曳《ひ》いて其処《そこ》へ来て、坐った。
相変らず顔をあげない。
「お加減いかがでございますか」
消え入りそうな膝《ひざ》の両手に目を落して言った。
「ごらんの通りの、不甲斐《ふがい》ない有様じゃ。……竜之進は、息災かな?」
「お国許《くにもと》にてつつがなく御奉公いたしております」
「馬術は、相変らずか」
「はい……」
しばらくどちらも黙り込んだ。風が出て来たらしく書院窓の外で樹《き》の梢《こずえ》が騒ぎ出している。
「わざわざ、そもじを米沢から呼び寄せたはこの兵部が一存と思うてもらいたい。あらかたは、察してくれておろうが、丹下典膳の消息——そもじの手で、聞き出してもらえぬか。出来れば、わしが枕許へ伴うてくれるとうれしい……」
「—————」
「飛脚にて報《し》らせた如《ごと》く、江戸の奈辺《なへん》かへは戻《もど》っておる。今となっては、そもじ以外に典膳を味方につけるてだてはないのじゃ。……あたら武士を不具者にしたのはそもじの兄竜之進、それを承知で、かようなつらい役目をそもじに頼まねばならぬ」
「…………」
「それほど、事は逼迫《ひつぱく》しておる」
「…………」
「どうじゃ? 兵部が末期《いまわ》の頼みききとどけて貰《もら》えぬか」
「どのあたりに居る見込みなのでございますか?……」
「よくは分らぬが、丹下家の菩提寺《ぼだいじ》青山三分坂の法安寺が寺僧の申すには、両国矢の倉に住居いたすと典膳が洩《も》らしたとか……手を分けて、早速にさがさせたが見当らぬ……そもじに、心当りはないか」
千春のうなだれた儘《まま》の首が、かすかに左右に振られた。兵部が薄目をあけ、虚《うつ》ろに天井を見上げている。そうすると一そう、死期の迫った危篤《きとく》人に紛れもなかった。
しばらくして又兵部は言った。
「何としても、典膳には上野《こうずけ》どのを護《まも》ってもらわねばならぬ。……そもじは、国許にいて知るまいが、赤穂浪士の不穏の動き、江戸にあるわれらには手に取るように見える……いずれは、彼|等《ら》は徒党をくんで事をおこそう、もし、不幸にして吉良殿が首級をあげられるようなことあっては謙信公以来、武門に名ある上杉が家名にかけても徒手してはおれまい。われら上杉が勢を駆り出し義徒を追撃したならば、芸州広島の浅野本家がどう動くか……さすれば、事は一藩の毀誉《きよ》にはかかわらぬ大事ともなろう……大石ほどの器量者が、それを考えてくれぬのが——わ、わしには口惜しい……」
「—————」
「わしは、一吉良家の、上杉の家に執着してこれを思うのではないのじゃ……あくまで泰平の今に騒擾《そうじよう》のおきるを怖《おそ》れる……騒ぎを未然にふせぐために典膳の武技が必要じゃ。——わかるか」
「……ハ、はい……」
「あたらあれだけの武士を片輪者にしたはそもじの兄。更に理由をただせば元はそもじのあやまちからじゃ……何ひとつ、典膳は申さなんだ、そなたへの恨《うら》みをな」
「!……」
「余人に出来ることでない。それだけに、あの、男の、頼もしさが……たのも」
「御、御家老!……」
枕元に控えていた小姓が悲痛な声をあげた。
ハッと千春の顔があがる。まっさおな頬《ほお》に涙が滂沱《ぼうだ》と濡《ぬ》れている。
「だいじない。……薬を、薬をくれい……」
「はっ」
それでもまだ不安そうに小姓が顔をのぞき込むと、兵部はゲッソリ削《そ》げた頬に苦しそうなにが笑いをうかべ、
「まだまだ……このままでは死ねぬ。典膳にひと目、あうまではのう」
歯をひらいた。
小姓が慌《あわ》てて枕許のわきから土瓶《どびん》の濃い煎《せん》じ薬を湯呑《ゆのみ》へ注ぐと、一たんお盆に載せて、
「申しわけござりませぬ、少々お手を拝借いたしとう存じまする」
と、低く千春へ頼んだ。

千春は掌《て》で頬をぬぐうと、いそいで手をかした。
うしろへ回って小姓が、腋《わき》の下へ手をさしのべ、しずかに上体をおこす。千春は前から体を抱くようにして抱えあげる。
兵部は元来が骨格の逞《たくま》しい人であった。それがこうも変るものかと思えるほど老衰し骨と皮になっている。
千春は典膳のことではもう泣ききったあとで、ある決意の色を青く冴《さ》えた頬に湛《たた》えていたが、兵部の痛ましいやつれように思わず眉《まゆ》を曇らした。
小姓が背後から湯呑の煎じ薬を兵部の口へもってゆくと、咽喉仏の隆《たか》い咽喉を反らし二口、三口のむ。だらりとそれでも薬は胸へこぼれた。黒褐色《こくかつしよく》の臭気のつよい漢方薬だった。
「かたじけない……」
大きく息をついて、暫《しば》らくやすむと、
「今の話じゃ。そなたなら、かならず典膳も頼みをきいてくれよう……あれは、まだそなたを愛しておる……」
「…………」
「身共や、上杉家のためではない、大きな騒ぎにならぬよう——な、典膳が江戸へ戻って来たのは、そなたのことを気にかけている証拠とわしは見た。あれだけの人物、隻腕《せきわん》でこの六年、武芸を鍛えて参ったのなれば何をめあてに今更江戸の地を踏もうか……彼の意図は、ひとつ」
「!」
「また典膳が付け人にして吉良殿をまもってくれるなら、よもや赤穂浪士に名はなさしめまい……。そなたには、くるしい役目であろうが兵部末期のたのみ、きき届けてもらいたい——」
「……分りました」
うなだれると、綺麗《きれい》に撫《な》でつけた髪が兵部ののびた髯《ひげ》に触れた。
「肯《き》いてくれるか?……」
「はい。……そのつもりで国を出て参りました」
「そうか……」
兵部は小姓の胸へぐったり身をあずけると、
「——そうか」
と、も一度言ってうなずいた。往年の知恵者と謳《うた》われた面影《おもかげ》は何処《どこ》にもない。痛ましいほどやつれ、老い込んだ病人が其処にはいるばかりだ。
かろうじて、風貌《ふうぼう》に一種謹厳の気の漂っているのは、この儘《まま》には死ねぬ気魄《きはく》だけで生命を支えているからだろう。
「……そなたに、心当る居所は?」
再び小姓に手を添えられて薬を飲みおわると、身を横たえて目を向けた。
「ございません」
千春は弱々しく頭をふってから、
「でも、一カ所だけ……」
何故か赧《あか》くなった。

千春には思い出の場所がひとつある。
当時の武士は、結婚前に相手の女性を見るようなことは絶対なかった。旗本にしたところが、輿《こし》迎えをして、自分で輿を受取っても、まだどんな容貌の妻かは分らない。初夜の床盃《とこさかずき》をする時になって、はじめて妻の顔を見、妻も夫の顔をはじめて見たのである。
今の人なら奇異に思うかも知れないが、当時、武家階級の婚姻の目的は、あくまで子孫を絶やさぬこと、嫡子《ちやくし》をもうける点にあった。
子孫の繁昌《はんじよう》は君に対しては忠、親には孝行ということで、一分の私事ではない。養い扶持《ぶち》は主君から受ける。一朝ことある場合は主君の馬前に討死するのが武士である。従って、おのれの体は実は我がものでない。あくまで主人に差出した生命である。ということは、一応、勝手な好悪《こうお》感の選択などはゆるされないので、相応する身分の娘を嫁にせよと上意があれば、つつしんで之《これ》を享《う》けた。
滅私奉公ということばが、そういう男女間の感情の上にも徹底していたのが武士階級だ。結婚倫理が根本的に今と違っている。その代り妾《めかけ》を何人持とうと今日的非難を蒙《こうむ》るわけではない。産れる子を養う資力があるのなら、何人の妾に子供を生ませようと、いざという場合それは兵力の絶対数を主君の支配下に備えるわけで、戦争を絶えず念頭におくべき武士一般が、あの戦時中の「生めよ殖《ふ》やせよ」式な、「子は国の宝」といった概念に支配されていたのは当然だった。
元禄時代になって漸《ようや》く世は泰平に馴《な》れ、男女の好悪感がふたりの結びつきに或《あ》る程度の影響を及ぼすようにはなったが、それでもなお彼が武士である限りは、主君にあずけたいのちであり、ほしいままに選《え》り好みの婚姻をするのは慎しまねばならぬ点に渝《かわ》りはなかった。
みだりに他藩の子女との婚姻のゆるされなかったことや、
「縁辺ノ儀、タトエ小身ナリト雖《いえど》モ上ニ申サズ私ニ相定ム不[#(レ)]可ノ事」
と法度《はつと》に定められてあり、結婚にはそれぞれ役向の目付、家老に届け出をした上で「くるしからず思召《おぼしめ》し下さらば御許し願い度《たく》」と願書を提出するしきたりも、まだ残っていたのである。
だからこそ美人の女房《にようぼう》を持った夫は、そのめぐりあわせの幸運を同輩に羨《うらや》ましがられもしたが、結婚前に、懸想《けそう》して女房にした等という話は、町民根性の文芸が興《おこ》った江戸中期以降のことで、実際には殆《ほと》んど見られない。
千春と典膳の場合も、これは例外ではなかった。ただそのめぐりあわせが少々劇的なドラマを、用意していてくれたのである……

千春がまだ十五歳の比《ころ》である。
谷中《やなか》七面宮へお詣《まい》りにいって、広い境内にはいると最初に目についた一本の桜が、満開の花を咲かせていた。
彼女はお付きの女中を振返って、
「美しいわ……」
目をみはって笑い、そのまま彳《たたず》んで眺《なが》めた。そばへ近づくより離れている方が美しさの立ち勝るのを少女らしく信じたのである。
風の少しもない、長閑《のどか》な春の日であった。
「江戸はやはり暖こうございます。お国許《くにもと》ではとても今時に満開の花は眺められませぬ」
奥州米沢の近在から奉公に来た女中は、千春のうしろでうっとり目を細めた。千春は上《うわ》の空で聞いていたが、この時向うから父と連立った青年が歩いて来た。本院に所用でもあって立寄ったのらしく、年配の武士の方は足早に事もなく桜の下を通りすぎる。
すぐ後《おく》れて青年は来かかったが、本院からこの時|下僕《げぼく》が走り出して来て、青年に何やら指示を仰ぐと又向うへ引返した。
青年は父を追うて足早に同じ桜の下を通ったが、チラと花を見上げ、あっさりこれも通り去った時に、風のない筈《はず》が、沢山の花びらがハラハラ降る如《ごと》く地面へ散ったのである。
ほんの偶然かも知れないが、見ていた千春には印象の強い場面だった。
ふつうなら、通りがかりの武士に視線を注ぐような不躾《ぶしつ》けはしない。目を俯《ふ》せて行交う。この時は近づいて来る顔を見戍《みまも》った。
青年の方では彼女に一顧も与えず通り過ぎた。これも又武士の躾けを受けていたのである。やがて下僕が遣ってくると彼女の前をよけ、石畳の縁を走り抜けた。
それだけのことである。典膳に千春が嫁ぐ三年前だった。
むろん、中にたって世話をする人があり、父の告げる儘に御旗本と知った位で、何もかも周囲にお膳立《ぜんだて》をされて入輿《にゆうよ》した。
それがあの桜の下を通った青年であった。
寝物語に彼女が夫へ打明けたのは、閨房《けいぼう》の羞恥《しゆうち》もいくらか薄らいで来た頃《ころ》だ。
典膳は知らなかった。
「ほう……そちに見染められていたとは嬉《うれ》しい」
心から愉《たの》しそうに笑って、
「ではいつか折を見て今度は夫婦で詣ろう」
「ほんとうでございますか?」
「父上は、そなたと覚えておられようかな?」
「あなた様と同じ、わたくしを見ては下さいませんでした」
仕合わせだった時期——。わずかそれから十日余りの裡《うち》に、急の役替えで典膳は大坂へ城番を仰せつけられた。約束は守る人だった。
「帰府したら必ず行こう。待っていてくれるな?」
「はい。……」

「一カ所だけ?……何処じゃ」
兵部が訊《き》いた。心なしか眼《め》に光りが増している。
答えられるわけはない。
「いずれたしかめた上にて、お報《し》らせしとうございます……」
千春はこたえて、うなだれた。
都合よく医師《くすし》の来たことを茶坊主が告げたのはこの時で、
「よい。——通せ」
兵部は枕許の小姓へ命ずると、
「では、呉々《くれぐれ》も頼むぞ」
千春に言った。
彼女は黙ってうなずくと、身をくれぐれもおいたわり下さいまするように、と言って病室を退いた。
待ちかねた如く、
「いかがでござった、御家老の御懇望?……」
用人の利右衛門が顔を寄せてくると、
「今も典医どのに伺い申したら、よくもってあと三日のいのちと申された!……御家老が御遺言同様の儀なれば、この上は、そもじのみが頼りにござるぞ。何卒《なにとぞ》、われらよりもお願いをいたす、最後の御のぞみ、かなえさせて下されい……」
目が真赤に泣きはれていた。
千春は、及ばずながら努力してみるとしか答えようがない。
たしかに約束を守る人だったし、あの否運が夫婦に音ずれていなければ江戸へ戻って、連れ立って下さったろうと千春は思う。そんな少女めいた愉《たの》しみを大事にする彼女を、典膳は一番いつくしんでもくれたのである。この二十八日が、丁度、典膳との結納を交した日だった。おぼえていてくれる人かどうかも分らない。しかし、兵部が言ったように、もし、典膳の胸中に自分のことが残っているのなら、七面宮へ姿を見せるだろうか、と思う。
それだけの期待で彼女は顔を赧らめたのである。
千春は国許の米沢から、千坂兵部の書状で江戸へ呼びよせられ四年ぶりに昨夜、桜田御門外の上杉邸へ入ったばかりなので、この儘とどまっていてはと利右衛門にとめられたが、辞退して屋敷を出た。
供につれてきた老女の身内が新麹町五丁目に住んでいるという。そこへ一先ず厄介《やつかい》になることにきめてあった。重い足を運んでいると、呼びとめた人がある。——堀部安兵衛だ。

「お国許へ参られたように仄聞《そくぶん》しておりましたが、いつ、江戸へお戻りなされた?」
作り笑いとも見えず、なつかしい、不思議な人柄《ひとがら》のあたたかさが通って来る風貌、そう言えば瞭《あき》らかな記憶が甦《よみがえ》って来たが、何処やら一すじ、笑わぬ鋭い眼がじっと千春の表情を見戍っていた。
彼女は微かに頬《ほお》を染め、
「お久しゅうございます……つまらぬ考えごとをしていたものでございますから」
丁寧に会釈《えしやく》を返した。
「いつ江戸へ?」
「昨夜おそく着いたばかりでございます」
「兄上と?」
かぶりを振った。「ひとりで参りました」
安兵衛の目がすうっと細くなった。
「千坂兵部どのを見舞うて参られたか」
と言う。
千春がかすかに頷《うなず》くと、
「丹下どのには、では未《いま》だ逢《あ》っておられんな?」
「御存じなのでございますか」
「居所?」
「ええ」
「…………」
「ごぞんじなら、お教え下さいまし」
眸《ひとみ》に縋《すが》るような色が出たのはやむを得なかったろう。
「お教えいたしてもよいが、貴女には、逢われまい」
「何故《なにゆえ》でございます?」
「わたしにそれを言えと申されるのか?」
「…………」
「千春どの、そもじが江戸へ入られたあらかたの事情——この堀部安兵衛には察しがついており申すが」
言って、再びじっと千春の表情を読むと、
「兵部どのの御様子はいかがでした?」
ほかのことを尋ねた。
答える気に千春がなれなかったのは当然だろう。
「何故、お教え下さらないのでございます?」
「…………」
「そんなに、わたくしはにくまれておりますか?……」

無言の中で、互いに目をのぞき込むような数秒が過ぎた。
通行人が怪訝《けげん》そうに二人の顔色を見分け、道をよけて通って行く……
弱者に弱いのは、矢張り安兵衛の方だった。
「わたしの立場で、そもじに丹下どのの居場所を明かすわけには参らぬ。このことは、赤穂家に禄《ろく》をはんだ身として、そなたにも察して頂けようかと思う。……但《ただ》し、尋ねて逢いに行かれるのはそもじの自由。引留めはいたさぬ」
「どの辺りでございますか」
「…………」
くるしそうに、安兵衛はそれでも黙って眸《め》を凝視《みつ》め返したが、
「谷中の瑞林寺《ずいりんじ》を知っておられるか」
と言った。
「そこの住持が、何でも隻腕《せきわん》の浪人者と至極懇意に付合っておられるそうな。——一度、訪ねて行かれたら消息が知れるかも知れぬ」
「瑞林寺でございますね?……」
千春に思い当る寺の名ではなかった。
安兵衛は、意味深くうなずいてから、
「但《ただ》し」
と言った。
「もし、そなたの尋ねておられる人に相違なくば、堀部安兵衛、今|以《もつ》て旧交をあたためつづけて参ったつもりと、お伝え下さらぬか」
「?……」
「近々にわたしは他家へ仕官いたす筈《はず》、そのみぎりには、心から一度会って礼を申し述べたい、さよう申しておった、とも」
「礼でございますか?……」
「丹下どののあずかり知らぬ仕儀と申されようが、武士の誼《よし》み、口には出されずとも千坂どのへ会おうとなされぬ友情のほど、身にしみて我ら忝《かたじけな》く存じており申す——そう伝えて下されば、分って頂ける筈」
千春の深い眸差《まなざし》が微かな愕《おどろ》きと狼狽《ろうばい》で動いた。
「本当でございますか、それは」
と言った。
「……本当に、千坂さまのお心を知っていて、逢わぬのでございましょうか?」
安兵衛に答えられる性質の問いではない。しかし良《やや》あって、安兵衛はこう言った。
「あれだけの遣《つか》い手、その気になれば今の上杉家なら千金を投じても抱え度《た》いとのぞまれよう、それを、百も承知で、敢《あえ》て病床を問われぬのはひとえに我らへの芳志——とまあそう解釈いたすより方法はござるまい」
「!……」

安兵衛と別れると千春はその足で谷中の瑞林寺とやらに回ってみることにきめた。
典膳の真意がどうあるにしろ、千坂兵部のいのちはあと一両日のうちだという。頼むだけは、千春は頼んでみようと思う。
別れる時安兵衛は、
「それがし今は本所林町に浪宅を構えております。いささか剣道指南の看板を掲げましてな。これでも、案外に多忙の身……不在いたす折もござるが、誰《だれ》かが道場におりましょう、若《も》し、急用があるようなれば、いつでも訪ねてお越しなさい」
そう言って、世間向きには長江長左衛門と名を変えてあるから、とも告げてくれた。千春はただ頭を下げて、安兵衛の振返り振返り去ってゆくのを見送った。
谷中瑞林寺というのは、尋ねたら直ぐ分るだろうと考えて、一たん根津権現社の門前町へ出て通りを右へ折れ、辻《つじ》々に土塀《どべい》をつらねた寺町通りを、一つ一つ見てまわった。
案外わからない。道|往《ゆ》く人に尋ねても、
「さあてね。このあたり寺ばかりでごんすからねえ……」
中には眼に一丁字もないのが、したり顔に山門の掲額をのぞき込んだりしてくれたが、小首をかしげ引返して来るのが関の山だった。
そのうち晩秋の日差はつるべ落しに昏《く》れてくる。身を刺す冷たい風が、次第に心細さの増す千春の胸の底を吹きとおってゆく……
あらかた、谷中には七十余の寺院があった。辿《たど》り辿って再びもとの辻へ戻《もど》ることも何度か繰返した。お供についている女中が、
「もう少し、前《さき》の方へ参ってはどうでございますか」
同じところをぐるぐる回るようなので、いぶかしんで千春の顔を見上げた。
分っていることなのである。たしかに七十余の寺の半分しか探そうとしていない。蒼守《かさもり》稲荷《いなり》や天王寺門前町あたりの一画に瑞林寺はあるのかも知れなかった。
——が、其処には谷中七面社が在《あ》る。もし七面社の近くに瑞林寺があったら、とりもなおさず典膳の想《おも》い出の中にも、はっきり、あの約束が活きているような気がして、期待とおそれとで、容易に近づけなかったのである。一番おいしいお菓子を子供が最後まで残しておくのに似た気持もあった。
「もう少し、このあたりを探してみましょう……」
あたりは薄暗くなって来たが、七面社の方へは向かわずに再《また》、三崎町から道を巽《たつみ》へとった。
「……あ、奥様。あれではございませんか?」

女中が指さしたのは長門前町の角を曲って、直ぐ、右手に見えた寺である。大きな古ぼけた提灯《ちようちん》が門脇《もんわき》に吊《つ》り下げられ、今しも寺僧が灯《ひ》を入れようとしていた。『瑞林寺』と、灯のともった提灯に、たしかに筆太の字が読める。
よろこぶ筈《はず》の千春が一瞬いい知れぬ淋《さび》しい翳《かげ》を眉《まゆ》に落したのは、矢っ張り大事なお菓子の消えてしまったわびしさだったろう。
それでも気を取り直すと、無心によろこぶ女中の目へ笑い返して、門へ寄っていった。
「モシ……」
怪訝そうに四十過ぎの寺僧が、女二人の足のつま先まで見下して、立停《たちどま》る。手につまんだ紙がぼう……と燃え尽きたので慌《あわ》ててわきへ捨てた。
「当寺にお住持さまはおいでなされますでしょうか」
会釈をしてから丁寧に千春は尋ねた。
「今かな?……おられるが御女中がたは?」
「お住持にお目もじの上、お願い申したい儀がございます」
「お名前は何と申される?」
「…………」
「お見うけしたところ、武家の御内儀と拝察いたすがの」
もう一度あらためて千春の物腰を見直してから、
「さようか」
あっさりうなずいた。名を明かさぬのは、余程秘めた事情があるからだろうと見たのである。
「ともかく、取次いでみましょうで、ま、中へおはいりなされ」
黒衣を風にあおらせ、先に立って境内の石畳を入る。
中は思ったより広かった。本堂を正面にして右手に庫裡《くり》がある。
「明日、さる御家中の法要がござってな。取込んでおり申すが……」
庫裡の外で一たん待たせると寺僧は仄暗《ほのぐら》い土間へ這入《はい》っていった。竃《かまど》でも奥にあるのだろうか、煙りと一緒に汁《しる》の匂《にお》いが仄かにあたりに漂っている……
しばらくすると、十歳ぐらいの小坊主《こぼうず》が本堂わきの回廊へ出て来て、ちょこんと膝《ひざ》をつくと、
「こちらからお上りをねがいます」
広縁の前の沓脱石《くつぬぎいし》を手で示した。千春は履物を揃《そろ》え脱いで、静かに上った。下女は沓脱石の下の地面へじかに草履を脱いだ。
長い奥廊下を案内された。
「これにお待ちを願います。すぐ、灯を持って参ります」
書院造りの一室に通され、なるほど小僧が直ぐ行燈《あんどん》を点《つ》けて引返して来た。千春は座敷のすその方に虔《つつま》しく坐って待った。
咳《せき》払いが廊下にきこえ、姿をあらわしたのは五十あまりの布袋《ほてい》さまのようにでっぷりふとって、人の好さそうな住持である。にこにこ笑っている。
千春がいざって手をつき、挨拶《あいさつ》しようとする前に、
「とうとうおみえなされたの。待っておりましたわい」

ハッと千春が眸《ひとみ》をあげると住職は手を振った。
「何も申されるではない。そもじの名を聞いては、当方とて却《かえ》って話がいたしにくいでの」
相変らず、にこにこしている。
「わたくしの参ること、御存じだったのでございますか」
「ごぞんじも何も、そもじ方ら二人、暮方からこの辺をうろうろしておられたそうな、見た者があっての」
「誰でございます?……」
「ま、それは誰とも言うまい、はは……ところで。お尋ねの相手じゃがの」
布袋さまのようにぼっちゃりした頤《おとがい》をぐっと二重《ふたえ》にした。手くびへ数珠《じゆず》を巻きつけた片手で、つるりと頭を撫《な》で、
「此処《ここ》には居なさらん」
「え?」
「にげられたわ」
「!」
「もっとも、そのお顔では無理でないが。——いや、悪うとられては困る、あまりお美しいでの。愚僧とて若くば、煩悩《ぼんのう》をもて余そうで、わははは……」
呵々《かか》すると、前歯が一二本抜けていて、一そうそれが好々爺《こうこうや》然と見えた。
「どちらへ参ったのでございましょうか?」
千春は気が気ではない。
住職は知らん顔で、茶菓を運んで来た先程の小僧さんに何やら意味の聞きとれぬ指図をした。小僧は鄭重《ていちよう》に千春へも叩頭《こうとう》すると中腰で退出した。好人物のお住持さまと女の千春には見えるが、案外お弟子には躾《しつ》けの厳しい和尚《おしよう》さまのようである。
「ま、お茶なと召上れ」
住持は台付の湯呑《ゆのみ》をすすめると、
「米沢のお国許へ戻られていたそうだが、江戸へは?」
「昨晩着きました」
「それで直ぐ此処へ?……よく、千坂どのが存じておられたな」
「此処をうかがったのは、上杉の家中からではございません」
「ほう、すると誰じゃな?」
一瞬千春は躇《ためら》ったが、
「赤穂の御浪士で堀部安兵衛さまでございました」
「何、赤穂?」
住持の白い眉がぴんと上った。
「あの浅野家の家来がか?」
「はい……」
軽い愕《おどろ》きが、ありあり老師の瞳孔《どうこう》にひろがった。
「それはえらいことをする男じゃ。ふーん……赤穂浪士がのう……」
唸《うな》る。事情は、あらかた知っているらしい。
良《やや》あって、
「千春どの——と言われたかの? そうと聞いては、そもじを無下《むげ》に追い払うわけもなるまい……そもじの為ではない、その教えたと申す浪士の心ばえにな。——それにしても、えらい男が赤穂にはおるの」

千春はそれどころではない。
「何処へ参ったのでございますか?」
「御主人かな?」
どきっとした。典膳のことを夫として扱われたのは何年ぶりだろう。
住持はいっこう頓着《とんじやく》なしに、
「そもじがうろうろしておられると言うで、急に出て行かれてな。遠くへは行かれまいと思うが……。そのうちには戻って来られよう、待っていなされ」
ゆっくり自分で茶を啜《すす》ってから、
「そうかのう、えらいものが浪士の中に入っておるな……」
まだ感心している。
千春は心も其処にない懐《おも》いだったが、
「お内儀」
住職がふと真顔をあげて、
「此処を教えたのが赤穂浪士と知ったら、丹下どのはどうすると思われるな?」
「?——」
「千坂兵部どのを見舞いに出向くか、却って江戸より姿を消すか……」
「!……」
「ま、かような話をそもじとしてみてもはじまらぬが、どうも、愚僧は様子が変りはせぬかと思う……」
「どういう意味でございますか?」
「あの仁は、おそらく承知いたそう、吉良どのの付け人をな」
「!」
「いつぞや、こんなことを申しておった——上野介どのが赤穂浪士に不穏の動きあるのを薄々《うすうす》は耳にしながら、平気で警固の供も連れず茶会へ出たり、俳人と往来いたすのを見てな、吉良家には武士道の心得ある者はおらぬのか、と——」
「?……」
「丹下どのに言わせると、狙《ねら》わるる人は常に寝所をかえ、昼夜用心をきびしくして、行路に敵ありと聞かば脇道《わきみち》を通り、道をかえ、出会いたりとも、どのようにしても討たれぬよう退くを誉とすべし。血気の勇者はこれをそしるとも、或いは卑怯《ひきよう》というとも苦しからず、小人の勇は用うべからず——それが武士道と申すものじゃ。死力をつくして討とうとし、死力をつくして討たれまいとするきびしい争い、これが武士道にかなった敵討であろう、可哀《かわい》そうだから討たれてやろうなどというのは、真の武士の態度でない。そう言うておった」
「!……」
「愚僧のこれは判断じゃが、昔は知らず、今の丹下どのが腕前に匹敵する遣い手はおそらく赤穂浪士の中には、一人もおらぬのではあるまいかの。たとえ、その堀部安兵衛どのとやらが討ちかかっても、よくて互角、と愚僧には思える。しかるにじゃ、知ってか知らずにか、その堀部どのが、そもじに敢《あえ》て此処の居場所を教えた——となると……」
すーっとこの時、障子が明いた。

先程の小僧である。
廊下へ手をついて、
「いらっしゃる場所が分りました」
「分った?……何処じゃの」
「七面宮の境内にござりまする」
「七面?……妙なところへ行かれたもんじゃの。まあよいよい、七面の社なら直ぐ其処、程のう戻って参られようでな」
「でも」
小僧は言いにくそうにしたが、
「こちら様がいんでおしまいなさる迄《まで》戻らぬ、帰られた後で、教えに来てくれよと申されました」
「たわけ」
住持は叱《しか》りつけた。
「じゃからそちは口が軽いと常々に申しておる。当人を前にして左様な」
「和尚さま」
千春はメラメラ燃えたつ眸《ひとみ》をあげた。
「わたくしその七面の宮へ参ろうと存じます」
「なに知っておられるかな、場所を?」
「はい」
住持はじっと千春の眸の奥をのぞき込んだ。
「——ふム、そうかい」
と言った。
それから慌《あわ》てて言葉遣いを変え、
「はは……それほど執心いたされるならとめはせん。……ナニ、愚僧はみすみす、あれほどの仁を死なせとうは無いと思うた迄《まで》でな。ま、しかし、そうまでムキになられては、やむを得まい……」
意味深長な感慨を洩《も》らした。
それから、
「行くなら早う往《い》ってみなされ」
と言った。
千春は深く頭を下げ座敷を出た。
どうして其処まで歩いたか覚えていない。
七面宮の境内に這入ると、残月の夕空に懸った大きな本堂の屋根の下の暗がりに、ひっそり立っている人影を見た。
千春は、ずい分ながいあいだ門のきわに停って、動かなかったそうである。
向うの人影も化石のように身動きをしなかった。
やがて、一あし一あし、はじめはうなだれがちに、次第に面《おもて》をあげ彼女は典膳の目の前へ寄って行った。
くるりと典膳が踵《きびす》を返した。ゆっくり向うへ歩き出す。千春は目を落して、跟《つ》いて行く……
「いつ江戸へ来たな?」
意外に静かな声だったので、
「昨夜でしたわ」
まだ別れていない夫婦のような素直な気持が声に出た。

しばらく、何となくどちらも黙って歩いた。
典膳の容子《ようす》は六年前と殆《ほと》んど変りがない。強《し》いて言えば思ったより窶《やつ》れずに、人間的|逞《たくま》しさが加わっていることと、端麗な横顔から以前の憂愁《ゆうしゆう》の翳《かげ》が消えていることだろう。今ではもう、千春に限らず、誰にでもやさしくする人……そんな印象さえうける。妻に裏切られ、食禄《しよくろく》を失い、さまざまな逆境を経てこの円熟味を加えるまでにはどんな苦しい日々があったろう。そう思うと心の底が凍ってくる。それでも、此の七面社にそれとなく彳《たたず》んで呉《く》れていたことは、やっぱり千春には嬉《うれ》しかった。
典膳が言った。
「わたしのいることがよく分ったな」
「堀部様に聞いたのでございます」
「ほりべ?……」
つと停って、
「堀部安兵衛がわたしの此処にいることを教えたのか?」
「いえ、それなら小僧さまに聞きました……」
思わず嗤《わら》った。
「そうか……喋《しやべ》ったか」
「あなた」
「…………」
「兵部さまが御重体なの、ごぞんじでございますのね?」
「…………」
「どうしても会っては頂けませんか?」
思い出の桜の下へ来た。今は枝に枯葉もない。ひいやり静まった境内の中で、ほそぼそ梢《こずえ》が夕闇《ゆうやみ》の空へ延びていた。
「舅《しゆうと》どのはいつ亡《な》くなられた?」
典膳は話をそらした。
「二年前でございます」
「では四十九日をすまさずに米沢へ行ったのか」
淡い眉を愕いてあげ、
「ごぞんじだったのでございますか?……」
「……竜之進どのは、無事か」
「……はい」
左の垂れた袂《たもと》に蜘蛛《くも》の糸が纏《まと》い付いている。人の通らぬ本堂裏を通ったのだろう。一本|独鈷《どつこ》の帯にぶらさげられた印籠《いんろう》には千春も見覚えがあった。
姑《しばら》くして、典膳は言った。
「そちは千坂どのに頼まれて参ったものと思うが、戻って伝えてくれぬか。——今更、この典膳に付け人を仰せられたところで、吉良殿に瑞徴はのぞめぬとな」
「…………」
「わたしも武士の義理はわきまえている。意地もある。付け人になるからには、万難を排しても必ず、吉良殿は守らねばならぬ……それが、くるしい」

お供の女中は千春に門|際《ぎわ》で待つようにと吩《い》われているので、しょんぼりいつまでも奥様の帰って来るのを待った。
夜の暗さのふかまるにつれて、山門前の表通りを往く人影も殆《ほと》んど見当らない。仄《ほの》かに、残月の明りが道路の白さを浮上らせているのが却《かえ》って寂しさを深める。
彼女は国許米沢で、千春が長尾家の本家(米沢に在る)に移されてからお付きに奉公した身だから、奥様の別れた御主人とやらが元旗本の御立派な殿御だったと、僕婢《ぼくひ》の私語で聞かされた以外には何も詳しい事情は知らない。
しかし、千坂兵部の要請で江戸へ出た千春のお供につけられ、先程の瑞林寺住職のことばや、あの堀部安兵衛とやらの態度のはしばしから想像すると、およその事情は知るともなくうかがえたような気がする。
一度きりだが、国許でひっそり暮していた千春の許へ、瀬川三之丞と名乗る家中でも歴々衆のひとりが訪ねて来たことがある。何でも永らく京都へ医術と儒学の勉強に遣わされていたとかで、男ぶりは左程《さほど》でもなかったが、いかにも学問を身につけて重厚な人柄《ひとがら》のお方のように女中には見えた。長尾家にふるくからいる用人なども、
「瀬川どのもよくあれだけに精励なされた……変れば変るものかな」
感慨深げに洩《も》らしていたのを覚えている。
さてその三之丞が千春と対面して、
「若気の過ちとは申せ、貴女《あなた》に犯した罪のおそろしさ、身にしみて近頃《ちかごろ》しみじみ分り申した……!」
畳に手をついて詫《わ》び、ただこれだけは信じて頂き度い、わたしは幼少の頃から貴女の美しさに心酔し、こよなく讃美《さんび》する気持をいだきつづけて来た、その気持が遂《つい》にあの狂気のような過ちを犯させたが、今どうやら、人並みに世間へ出られる人間になれたのも、貴女への申訳に、せめては世間なみに恥ずかしくない者になろうと一心に勉励したおかげであった、貴女を愛するにふさわしい男になろうと心掛けた、いえば今日の私を創《つく》ったのは、貴女へのそんな讃美の気持であったと思う。——今更、詫びの仕様はないが、一人の幼馴染《おさななじみ》が、貴女によってどうにか一かどの学者になることが出来たのを、見てもらいたいと思い厚かましくも対面を願ったわけである。この上は、典膳どののもとへ参って懺悔《ざんげ》した上、どのような裁きにも服そうと思う、そう言った。
千春は聞き了《おわ》ると、
「過ぎたことです。私達が別れたのは、やはりわたくし達夫婦だけの問題だったと思います。今更夫の前へ出て懺悔なされたところで私達がどうなるものでもないでしょう。……あやまちは過ちとして、そのように立派になって下すったのなら私も本望です……」
そう言って、
「すぎたことはお互いに忘れましょう——」
淋《さび》しく笑った。
——女中は、その時茶菓を運び入れてこの会話を聞いたのである。……
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