千春が隻腕《せきわん》の武士と一緒に戻《もど》って来た。
女中は我に返り、慌《あわ》てて頭を下げる。
「…………」
千春は言葉をかけてくれない。其処《そこ》に女中を待たせていたことも忘れているのではないかと思えるほど、うなだれて、武士のうしろに従っている。
武士の方はチラとこちらを一瞥《いちべつ》したが無言で通り過ぎた。おぼろの月明りに、秀麗な横顔が悲壮の愁気を湛《たた》えている。よほど重大な会話を交したのだろう……
千春がそのまま行き過ぎるので、女中もうしろから跟《つ》いていった。間を隔てて。
山門を出ると右へ曲る。瑞林寺へ戻るのとは反対の道だ。——更に左へ折れる。
千春は憂《うれ》い深くうなだれきって足運びに元気がない。是非の判断のつきかねる問題に当面し、どう仕様かと迷っているらしい。というより、歩き進むにつれてますます気が重くなってゆくようだった。
しばらくして武士が言った。
「今夜は何処《どこ》に泊る?……上杉家か?」
「いいえ。……女中の知り合いへ厄介《やつかい》になるつもりです」
「では、もう帰るがよい。おそくなっては先方に迷惑があろう」
「——あなた」
意を決した面持《おももち》で千春は顔をあげ、
「もう一度だけ、お考え直しになって頂けませんか?……千春一生のお願いでございます」と言った。
「会うだけでよいのか?」
「はい。……もう無理にとは申しません。でも、わたくしには嘘《うそ》はつけません。兵部さまにお目にかかり、あなたがやっぱり承諾しては下さいませんでしたと、はっきり申上げてお詫《わ》びしとうございます。ですけど、わたくしの口から申すよりも、あなたが直接お会いになったうえで、おことわりなさるのが本当ではないのでしょうか?……生意気を申すようでございますけど、お考えのあることなら、じかにお話しなさるのが、武士のまごころと申すものではございませんか?……堀部さまにだけ、まごころをお通しされて、兵部さまに——」
人が不意に辻《つじ》を曲って来たので千春は口を噤《つぐ》んだ。何処ぞのお坊さまのようである。
「よいお晩でござりますな」
見知らぬ千春へも会釈《えしやく》をして、
「なむあみだぶつ南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》……」
つぶやきながら通りすぎる。典膳が言った。
「そなたの申しておることは、わたしに死ねというにひとしい……。が、分った。いかにも兵部どのを見舞いに行こう!——」
丹下典膳が前妻千春を伴って桜田御門外の米沢藩邸内に千坂兵部の病床を訪ねたのはその夜のうちである。
曾《か》つて典膳の腕を斬落《きりおと》した長尾竜之進は国許《くにもと》詰となって今は江戸にいない。それでも「竹に雀《すずめ》」の家紋をあしらった上杉邸に足を運び入れることは典膳にとって気の重いものだったろう。——が、玄関の応対に出た家人が捧《ささ》げ出す手燭《てしよく》に照らされた典膳の風貌《ふうぼう》は、冷やかなほど平静であった。
「武州浪人丹下典膳、兵部どのが見舞いのために罷《まか》り越したと、お取次ねがい度《た》い」
千坂兵部の家来のうちでも典膳のことを知っている者は今では何人もない。ただ背後《うしろ》に控える千春は、家老長尾氏の息女であり午《ひる》過ぎにも一度訪ねて来たばかりなので、
「丹下どのでござるな? 暫時《ざんじ》お待ち下され」
隻腕なのを不審そうに見直して奥へ入った。
取次をうけた兵部の近侍や側用人浜田利右衛門の喜びは非常なものだった。
「何、丹下どのが参られた? な、何をぼやぼや致しておる。これへ、これへ通さぬか」
手の舞い足の踏むところも知らぬ有様で、若侍を一喝《いつかつ》し、ソワソワ自分も立上った。
兵部は奥の病室で昏睡《こんすい》をつづけている時である。報《し》らせに行ったものか、もう暫《しば》らくして目の覚められるのを待つかと、控えの間の主治医へ相談に一人が慌てて馳《は》せつける。浜田利右衛門は座敷内をわけもなくぐるぐる回っている。
ここで重大なことだが、彼|等《ら》兵部の家臣たちはあくまで、危篤《きとく》の主人が懇望していたから典膳の来訪を喜んだので、けっして吉良上野介の身が、これで安泰だと歓喜したわけではなかった。どちらかと言えば、典膳の武芸の練達ぶりを兵部以外の誰《だれ》ひとり、見知ってはいないし、さほど切実にその武辺を必要とも考えていなかった。
末期《いまわ》のきわに、ただ主人を安らかにみまからせたい、その一念だけで典膳を待ち典膳の来訪をよろこんだのである。上杉の陪臣としてなら、これは当然の人情だったろうが、そのため、ようやく眠り入った病人をわざわざ起すのもいかがなものであろうかと、形式的に主治医の意見を叩《たた》いたにすぎぬ。
医者というものがこういう場合、こたえる詞《ことば》はきまっている。
「せっかく眠りに入られたものにござれば……」
どうせあと一日もつか持たぬかの寿命である。病人が待ちのぞんだ相手を引合わせたところで危篤人が快癒《かいゆ》するわけもない。兵部の主君上杉弾正大弼綱憲でも見舞いに来たというなら別だが、聞けば、重臣長尾家の息女の前夫とは言え、一介の浪人者ではないか。主治医はそう判断したのである。
「さようでござるな。……しからばお目覚めに相成るまで……」
とうとう典膳と千春は、別の間で待たされた。兵部はだが、それきり昏睡から醒《さ》めなかった……
典膳と千春は控えの間でいつ迄《まで》も待たされた。
典膳が此処へ来るまでの心理的推移を本当に知る者なら、この待ちぼうけは典膳に対し甚《はなは》だ無礼な扱いだったことが分る。且《か》つ兵部にとっても不忠至極の措置というべきだろう——
千春にはそれが分るが、と言って、ようやく安眠についたばかりの病人ゆえ今少し待ってもらい度い、と家臣に告げられれば、無理に起してでもとは女の身で言い出せなかった。まして、典膳は承諾に来たのではない、と千春は知っている。付け人になることを、直接、辞退のため遣って来たのである。わざわざ起して落胆させるのは、しのびない懐《おも》いがあった。それで典膳には悪いと思いながら、千春は夫の背後でうなだれがちにじっと坐《すわ》って待っていた。
典膳は項《うなじ》を反らし、瞑目《めいもく》しているのか化石のように端坐して動かない。出された茶菓には手もつけない。病人のある家で、ひっそり静まっているのは当然だが、客座敷とは言え侘《わ》びしい一室へ通されたきり、応対に来る家人の姿もないとなると、何か、招かれざる客の感じさえふっと千春の心には兆《きざ》す。
——もっとも、側用人浜田利右衛門がそこまで意地の悪い男とも思えず、むしろ、典膳が以前の千春の夫だったと知っているので、久々の夫婦の語らいを邪魔せぬようにと、気をきかして、わざと姿を見せないのかも知れなかった。それならそれで、典膳の瞑目が千春には猶更《なおさら》くるしい……
一時《いつとき》たつ。二時たつ。
静まり返っていた屋敷内に、急に廊下を行交う遽《あわただ》しい人々の跫音《あしおと》がし出した。それにつれて、狼狽《ろうばい》し、上ずった家来たちの騒ぐ声。廊下を右往左往する足音。
ハッと千春が面《おもて》をあげる。
「医者《くすし》どの、医者《くすし》どのを早く。……早く」
呼び交う声につれて、
「各々《おのおの》すぐに御寝所へ来ませい。——殿が、殿が御臨終にござるぞお」
彼方此方《あちこち》の唐紙がサッと開く。
「なに、殿が?……」
夢中で廊下を走って行く——
「あなた」
思わず千春が声をかけた。
「…………」
巌《いわお》の如《ごと》く典膳は動かぬ。
——が、動悸《どき》っと千春は呼吸《いき》のとまるおもいがした。動かぬと見えた典膳の肩が、微《かす》かに、哭《な》く如くに顫《ふる》えているのである。
「……遅れた千春」
と言った。
「おそすぎた!……対面の上なれば兎《と》も角《かく》、今となって、断るために推参したとは、死人に、言えぬ……」
血を吐くような声であった。
千坂兵部は、ついに典膳を見ることなく其の夜のうちに永眠した。
狼狽周章する家人の廊下を行交う中に、黙然、坐して慟哭《どうこく》する典膳の真意を千春さえ本当は窺《うかが》い得なかったろう。
病人がみまかってしまえば、家臣どもにとって典膳は無用の存在に斉《ひと》しい。しかし兵部は用意周到な人だった。
ほとけとなった死人の亡骸《なきがら》に遺族や重臣たちが取縋《とりすが》って涕泣《ていきゆう》して、晒《さらし》の死装束に着せ替え、さてほとけを別室に移そうとすると、枕《まくら》の下から遺書が出て来たのである。
『丹下典膳殿 親書』
とある。
側用人浜田利右衛門は、実にこの時はじめて、待たせた儘《まま》の典膳を想《おも》い起した。とりあえず遺書を携え、みずから典膳の前へあらわれた。
典膳は、すでに予期していた如く、冷静な容子《ようす》でこれを受取り、一礼ののちしずかに啓《ひら》き見たそうだ。
読みおわると、
「御遺志のおもむき、たしかに承知つかまつった」
と言った。その語気に漾《ただよ》う悲痛さを汲《く》み取るほど利右衛門は平静でいられない。
「何と、御遺言あそばされてござる?」
膝《ひざ》を進める。
典膳は無言の儘で、元通りに巻きおさめると、
「——いずれ、御家中へも同一の趣きは申し遺されてある筈《はず》なれば、それにて御判断下さるように」
遺書を懐中に差料《さしりよう》を掴《つか》んで、立った。
焼香も典膳は遠慮したのである。千春は、この儘居残るべきか、典膳について藩邸を出るべきか、一瞬迷ったが、いつもならこういう場合、「残れ」と指示を与える典膳が何も言わないので、自分のひとり判断で、一たん藩邸を出ることにした。
典膳はとめようとしない。
とっぷり夜のふけた夜道を、黙《もだ》しがちに二人は瑞林寺への道を帰る。そのあとを女中が付いて来る。
「そなた、今夜はもう旅籠《はたご》篭へ一泊してはどうじゃ」
「あなたは?……」
「—————」
「瑞林寺へお帰りでございますか」
かすかにうなずく。
しばらくして、
「兵部どのが葬儀を見送ったら、そなた、国許へ帰るがよいぞ」
「江戸にいてはわるうございますか?……」
「——わるい」
千春はもう不安に耐えかねた。
「兵部さまの御遺書には何が書かれたのでございます?……」
「…………」
典膳は黙っている。
どうせ、前後の事情から推して、吉良の付け人に懇請された遺書ときまっているが、そんなふうに黙り込まれると矢っ張り、千春には気になる。付け人になるのに、どうして慟哭することがあるのだろう。
千春は女の身で、松の廊下のあの刃傷《にんじよう》についても詳しい経緯は分らない。しかし国許米沢で上杉家臣らが話していたことや、その後の世間の噂《うわさ》を聞いても、悪いのは短慮を起した浅野内匠頭の方で、吉良上野介には事件後にもお咎《とが》めはなく、却《かえ》って慰撫《いぶ》の上使が立ったということだった。
典膳は上杉家臣ではない。妻の縁で上杉の家老千坂兵部に昔は昵懇《じつこん》していたというにすぎない。身贔屓《みびいき》というものがあって、千春の耳に入るのは上杉方の一方的な解釈ばかりだったかも分らないが、それにしても、内匠頭は切腹を仰せつけられ、吉良にお咎《とが》めのなかったのは公平な目が、上野介に落度のないのを認めたからではないかと思う。赤穂浪士が吉良殿をつけ狙《ねら》うのは、いわば逆恨《さかうら》みではないのだろうか。典膳が正義の人なら、そんな迷惑な恨みをうける人を守ってこそ武士だろう……そう思う。
個人的に、どれほど堀部安兵衛と親しいにしろ、そうした公私のけじめは典膳はつける人だと千春は思っているから、その悲痛な面差のわけが一そう分らないのだ。これが兵部の遺志をあくまで断るというのだったら、生前の兵部にうけた情誼《じようぎ》を裏切ることになって、それが心苦しいのだろうと納得がゆく。しかし典膳は付け人を承諾したのである。何をそんなに長嘆息するのだろうか?……
南大工町の通りにはいった。民家は殆《ほと》んど大戸を卸《おろ》して寝静まった屋根の上に朧《おぼ》ろな残月が懸っている。灯《ひ》の洩《も》れる窓もなく、明りがともっているといえば辻《つじ》番所の提灯ぐらいのものだった。
何処かに旅籠を取れといいながら一向に典膳は別れようとは言わない。自分のと千春の黝《くろ》い影を踏んで相変らず無言に歩く……
天啓というのだろうか、閃《ひら》めくようにこのとき千春の脳裏を疾《はし》ったことばがあった。あの瑞林寺の住持が洩《も》らした、武士は仇《かたき》と狙われるなら、どのようにしてでも之《これ》をしりぞけ身をまもるのを誉《ほまれ》とする、と典膳が語ったという詞《ことば》である。事の正邪はもはや問うところではない、一たん付け人を承知したからには、全力をつくし死力をつくして上野介の身を赤穂浪士の手からまもらねばならぬ——その武士道のきびしさに、典膳は内心、哭《な》いているのではあるまいか——そう思ったのである。
黙りがちな典膳が、この時ふと尋ねた。
「堀部どのが近く他家へ仕官する——とか言ったな?」
「……はい。そのように申して居《お》られましたわ」
「そうか——」
意味深くうなずいて、
「気の毒だが、その仕官の儀は成就《じようじゆ》すまい」
「え?……」
瑞林寺へ帰り着くまで、それきり典膳は一言も語らなかった。
住持は、千春が七面社へ出掛けたきり、どちらも戻らなかったので秘《ひそか》に案じていたようである。
千坂兵部がたった今、亡《な》くなったと聞いて余計に驚ろいた。
「そ、それで御身、臨終に間にあわれたのか?」
黒衣の袖《そで》をさばき、ひらき直る。
「…………」
微かに典膳は頭をふった。
「残念ながら病床へは案内《あない》してもらえませんでした」
「なに会わぬ?」
信じられぬといった、眉《まゆ》のあげようだ。
典膳は説明する代りに黙って懐中の遺書を出し、住持に渡した。
丹下典膳|宛《あて》に、兵部の直筆と見ただけで中は読まずとも和尚《おしよう》には一切がのみ込めたようである。
それでも念のため、遺書へ瞑目して、啓《ひら》く。千春は典膳のわきで項垂《うなだ》れている。自分には話さぬ内容を住持になら、黙って見せる人だ。
読み了《おわ》ると住持は長大息した。
「愚僧のひきとめて来たことが、あだになったわ……」
おのれ自身に吩《い》いきかせるようにつぶやき、ぼっちゃりした指で元へ巻きおさめると、合掌する。
良《やや》あって、
「これは、燃やした方がよさそうじゃの」
謎《なぞ》をかける言い方をした。
「——御随意に」
と典膳は言った。
「どうするおつもりじゃ?」
「やむを得ますまい。……一日とてゆるがせには出来ぬ事態。そうときまれば明日にでも吉良方へ参ろうかと存じ申す」
「やっぱり、のう……」
住持はつらそうに瞼《まぶた》をとじた。姑《しばら》くして言った。
「吉良殿が家老にて小林平八郎どのというを、愚僧ちと存じており申すでの、御身さえ差し構いないなら添書をしたためて進ぜるが」
「そう願えるなら好都合です」
上杉家の重鎮と目された千坂兵部の親書があるのに、わざわざ上野介の家老にまで何故、住持の添書を必要とするのか千春には納得がゆかなかった。——典膳の悲劇は、おもうにこの時すでに瑞林寺の住持には見透《みとお》せていたのである。
話がそうときまると、もう何も打明けて話すことはない。はじめて千春の存在に住持は気がついたように視線を向け、
「いこう夜も更《ふ》けて参ったで。今夜は寺へお泊りなさるかの?」
典膳が付け人として吉良邸に出向いたのは、それから四日後、千坂兵部の葬儀のおわった翌日である。
兵部の親書は、考えるところあって典膳は焼却した。瑞林寺住持の添書のみたずさえて吉良邸に出向いたのである。
玄関で案内を乞《こ》う。中庭あたりに普請場《ふしんば》をもうけたらしく人夫の懸声が潮騒《しおさい》のように内塀の向う側に起っている。ふと典膳の目が、それへながれた。
「お、貴公は丹下典膳どのでござろうな?」
応対に出て来た若侍が隻腕の浪人姿に一目で声をあげた。日頃《ひごろ》の典膳の律義さなら、この日ぐらいは袴《はかま》をはいている筈《はず》なのが、相変らずの着流し。
「いかにも丹下です。御家老小林どのへお取次を頂き度いが」
「し、しばらくお待ちねがい度い」
あたふたと奥へ走り入った。
予想した以上に長く待たされた。典膳の名を知っている程なら、兵部が生前どれほど手をつくして行方を探したか、それが何のためかを承知している筈だが、それにしては長い。
典膳は目をとじる。なつかしい者の声が節まわしのいい懸声をあげている……
「どうぞ、お上りなされい」
さきほどの若侍が戻って来た。上役から何か典膳のことで叱《しか》られたらしい。不機嫌《ふきげん》な顔色である。
典膳は差料を抜くと、鞘《さや》のまま玄関わきの刀架へ掛け、案内される儘《まま》に奥へ通った。
鍵《かぎ》の手に、廊下を曲った時である。
「えい」
裂帛《れつぱく》の気合で、真槍《しんそう》が障子の陰から突出された。典膳の身がくるっと一回転した。
槍《やり》の穂首を掴みもしない。元のとおりの足運びで廊下を進む。
前を案内する若侍の肩が微《かす》かにふるえているその動きから、今度は典膳も目を離さなかった。
誰が突いたのか、いずれは腕試しをしたのであろう。
「これにてお待ちねがい申す——」
一室の前まで来ると襖《ふすま》をあけ、若侍が青ざめた顔で言った。
一礼して典膳は入った。
典膳はここでも、随分待たされた。形式的に茶菓を出されたあと、
「御家老さまは只今《ただいま》用談中にござりますれば、暫時《ざんじ》お待ちを願いますように」
茶坊主《ちやぼうず》が言って、ひきさがったきり。
応対にあらわれる取次役もない。
典膳は、覚悟の上らしく、あっさり目を瞑《つむ》って何時までも座敷に独り坐《すわ》りつづけた。
時々、普請場で聞き覚えのある声が人足どもに音頭をとっている。六年を経ても耳の底についた、あの張りのある白竿長兵衛の声だ。典膳は瞑目《めいもく》のまま聞き入った。
吉良上野介の屋敷は、総坪数二千五百五十坪。はじめ鍛冶橋《かじばし》にあったのが、呉服橋へ移され、更に本所松坂町の松平登之助邸に屋敷|易《がえ》を命ぜられたのは元禄十四年九月で、そもそも両国橋の初めて架かったのが万治二年——武蔵《むさし》と下総《しもうさ》の両国に跨《またが》ったため、此《こ》の名が出たが、従って本所は当時まだ新開地であり、蕭々《しようしよう》たる場末の屋敷町にすぎなかった。夜陰に義士が隊伍《たいご》を組んで打ち入るにはもってこいの土地なのである。
邸内は、昨十四年十二月に吉良上野介が隠居をして、子息の左兵衛が跡目相続をしたから、本邸と隠居所の二つに分れている。建坪は八百四十六坪、うち本家三百八十八坪、お長屋が四百二十六坪、表門は東にあり、左に腰掛、右に門番所、腰掛に接して長屋十六間半(小屋敷二軒、厩《うまや》九間)門番所に接して、長屋十三間。
裏門は西にあり、その右に番所があった。北は本多源太郎および土屋主税邸。西側にちかいところに長屋があり、その東に池があって、橋が架かっていた。北側には弁天の祠《ほこら》と稲荷《いなり》の社が祀《まつ》られている。普請の人夫が入っているのは隠居所の間取りを変更するためと称し、不寝番の番所、それに万一の場合に備えて、落し穴を穿《うが》つためだった。典膳にとっては、これをしらされても憂《うれ》いは同じだったろう。
背後《うしろ》で襖があいた。三四人の跫音《あしおと》が這入《はい》って来る。静かに典膳は目をあいた。
「待たせたな」
声をかけ、対面の位置にゆっくり坐ったのは小林平八郎。すかさず一人が脇息《きようそく》を床の間わきから取寄せ、平八郎の傍《かたわ》らへ差出した。
そのまま、これも平八郎の稍《やや》下座に典膳へ対して坐る。あとの二人が更に右へ居並ぶ。いずれも吉良家ではかなりの身分と見え、衣服に贅《ぜい》をこらしている。
しばらく彼|等《ら》は無言で典膳を見|据《す》えた。
「小林平八郎じゃ」
錆《さび》の利《き》いた好い声である。四十前後、細面《ほそおもて》だが眼《め》は鋭い。
黙って典膳は目だけで会釈《えしやく》を返した。わきから一人が言った。
「それがし杉山甚五右衛門と申す。これにあるは石原、古沢。いずれも御隠居さまお側役じゃ。ところで貴公——」
意味ありげな皮肉笑いを泛《うか》べた。
「御本家上杉様家老長尾権兵衛殿が息女と婚縁の間柄《あいだがら》にあった由《よし》承わるが」
此処《ここ》で暫《しば》らく故意に言葉を止めて、
「その片腕、同じ長尾殿が嫡男《ちやくなん》竜之進に斬《き》られたという噂《うわさ》、誠で御座るか?」
「——その通りです」
「ほほう……」
大袈裟《おおげさ》に目を見張った。
人夫の木遣り節がまた、中庭で聞こえている。
「しからばいま一つ、生前千坂兵部様、貴公がことを事更賞《ことさらほ》めて居られたように承わるが、何か、特別な間柄にでもあられたのかな?」
「…………」
「なるほど、先頃《さきごろ》廊下にて手のうち試みた限りでは一応の心得はあると見える。併《しか》しじゃ、我|等《ら》吉良家にも人はおり申す。片輪浪人にまで主君を護《まも》ってもらわねばならぬ程」
「——まあまて」
小林平八郎がゆっくり制した。眼は鋭く典膳を見据《みす》えて、脇息に肘《ひじ》を持たせ、パチンと手で扇子を鳴らす。
「その方、もとは御旗本であったそうじゃの?」
「—————」
「永年の浪人暮しでやはり何かと昔の栄耀《えよう》が偲《しの》ばれようの?」
「—————」
「——その苦労、わからぬではないが、当家にも気の立つ若侍が多い。まさか亡《な》き兵部殿の遺言であってみれば、むげにそのほうが希望も絶ちかねるが、今も申す通り、家中に一徹者がおる。それらに忿懣《ふんまん》をいだかせては家の統一も乱れること、ま、当分は、食客の扱い分にて屋敷に居《お》られるよう、わしからも御隠居様に言葉はそえておくが、それでよいなら、当分ぶらぶら致しておるがよい」
典膳は無言で頭を下げ、
「そのように願えますなら」
と言った。
一斉《いつせい》に皆の目に侮蔑《ぶべつ》の色がうかぶ。ふン、と小鼻を鳴らした者さえあった。跫音荒々しく彼等は打揃《うちそろ》って座敷を出ていった。ぽつんと典膳は残された。
小林平八郎以下が、どういう肚《はら》でいるか典膳には分っている。妻の兄に腕を落される不甲斐《ふがい》ない武士、そんな者まで数を頼んで上野介の付け人にしたなどと世間に聞かれては、まるで吉良家に人なきが如《ごと》き有様となる。ましてや片輪者である。
もともと吉良家では、よもや赤穂浪士が討入って来ようなどとは考えていなかった。来るなら来てみろ、そんな奢《おご》りもあったにしろ、世間に兎角《とかく》の噂《うわさ》のあるのは赤穂浪士達の虚勢だと解釈している。従って典膳が付け人の名で吉良家に来るのは、亡き兵部の縁故を頼りに、食扶持にありつきたい為《ため》だと見たのである。彼等の中には、上杉の強《た》っての要望で、万一に備える落し穴など作るのも笑止の沙汰《さた》と迷惑がる者もあった。大石以下の浪士の苦衷とは雲泥《うんでい》の差だ。
いえば、勝負は既についている。
そんな中へ、侮蔑の目で見られながら典膳は坐らねばならぬ……
「あ、こりゃあ……」
床の間の隅の書院窓が少しあいていた。
庭を通りかかった法被《はつぴ》姿の|いなせ《ヽヽヽ》な男がヒョイとその窓から室内を見て、
「せ、先生じゃございませんか」
「お、おなつかしい……一体、どうなすっていらしったんでござんすかい?」
転ぶように縁側へ回ると、がらりと障子を明け、
「先生。巳、巳之吉でござんすよお」
思わず声が涙ぐんだ。「ずい分、おさがし申しやした……」
典膳の愁《うれ》いに沈んだ面がほっと柔らぐ。目を瞑《と》じた儘《まま》で、
「皆に変りはないか」
「へ、へい。おかげさまで、親分以下今じゃ立派に江戸の請負い稼業《かぎよう》で名の通る白竿組をもり立てておりやすよお」
「…………」
「——先生」
声を沈めると、
「嘉次平じいさんが、とうとうこの夏亡くなりやした……」
「それは聞いた……立派なとむらいを出してやってくれた由——嘉次平もあの世で喜んでおろう……」
「そんな水臭え話をしてるんじゃござんせん」
ごくんと生唾《なまつば》をのんで、
「お三|姐《ねえ》さんが、今でも嫁がずに居ること、ごぞんじでござんすか?……」
眼が燃えてきた。お三を幼少から想《おも》いつづけている男の眼だ。きっぱり、その思慕をこの男は断ってお三の仕合わせだけを願っている。つい、その気持が、こんな咄嗟《とつさ》の場合にも出てしまったのである。
典膳の横顔が睫毛《まつげ》をひらいて、
「長兵衛は、中庭か?」
「へい」
こっくりうなずくと、初めて我に返ったように、
「そうだ。す、すぐ報《し》らせてめえりやす——」
「よい」
呼びとめた。
「わたしは今日から此処の居候《いそうろう》になった。いずれはいやでも顔をあわす」
「そ、そんな水臭えことを仰有《おつしや》っちゃあ、親分がお恨《うら》み申しやす」
「よいと申すに」
言って、膝《ひざ》前の茶碗《ちやわん》の蓋《ふた》を取ると、片手で湯呑《ゆのみ》を持った。
一口含んで、
「今は、休みか?」
「へい。一段落、土台工事が済みやしたので一服しているところでござんす」
「そうか。——皆の元気な顔も見たい。……わたしの方から普請場を見せてもらいに行こう」
「そ、そうして頂けりゃあどんなに皆も喜びますか」
巳之吉の面に歓喜が溢《あふ》れた。
吉良邸内の模様を、典膳よりは巳之吉の方が知っている。庭|下駄《げた》が別座敷の縁前《えんさき》にあったのをいそいで巳之吉は取って来て、典膳の足許《あしもと》へ揃《そろ》え並べた。
吉良家の家来たちに、食扶持ほしさの押しかけ付け人と見られる侘《わ》びしい人だと知ったら、巳之吉をはじめ、白竿組の若い者らは泣いて憤慨するだろう。
「何もそんな居づれえところにおいでなさらずとも……」
長兵衛はそう言って無理にでも浅草へ連れ戻《もど》るかも知れない。
なるべくなら、だから白竿組の者たちの前で、冷遇される自分の姿を見せたくなかった。誰《だれ》のためでもない、亡き千坂兵部の信頼にこたえ、上野介を衛《まも》るには典膳はぜったい付け人に必要な剣客なのである。本当の、典膳の値打を知っているのは幽明、境《さかい》を異にする千坂兵部だけだろう。
巳之吉に案内されてゆっくり典膳は庭から邸内の模様を見てまわった。
「先生、そちらじゃござんせん、普請場はこ、こっちでござんすよう——」
別の方へ回るのを慌《あわ》てて引留めるのへも、
「そうか……」
笑いながら、間取りの様子をそれとなく調べて引返した。二千五百余坪の邸内である。何処に隠居の上野介が起居し、子息左兵衛|佐《すけ》義周が居るか、食客扱いの典膳にどうせ家臣らは教えもせぬに違いない。
ようやく彼方此処《あちこち》に坐り込んで鳶職《とびしよく》や人夫の一服している普請場へ来た。
怺《こら》えきれなくなったか巳之吉はそんな若い衆を見回しては、
「先生だ。せ、先生がおいで下すったぞォ……お、親分は何処にいなさるんだ?」
目を血走らせる。
ハッと坐り込んだ中から白竿組の若い衆だけが跳び立った。
「お……こ、こりゃあ先生!……」
慈父を慕う子供のように馳《は》せ集まって来て、
「お、おなつかしゅうござんす」
「お久し振りでござんす」
典膳を取囲むと、声をつまらせ各自が叩頭《こうとう》した。中には初めて典膳を見る者も多いが、その人の噂は口癖のように長兵衛や兄貴分から聞かされているので、やっぱり目を輝かせて見戍《みまも》って頭をさげた。
すーっと典膳の目頭がうるんでくる。
「……その方らも無事で、なにより」
「へ、へい……」
辰吉が少し離れて別棟《べつむね》の蔭《かげ》にいたのが、とぶように走り寄って来て、
「先 生」
声をつまらせ、うなだれると、すぐ、
「だ、誰か早くお長屋へ行って、親分を呼んで来ねえか……」
長兵衛が横っ飛びに駆けて来たのはそれから間もなくである。
「先生」
若い者をかき分け、典膳の前へ棒を呑んだように突立つと見る見る、満面朱を注いだ。
「ど、どうしてこんな所へおいでなさるんでござんす?……」
巳之吉や辰吉のようには単純に喜びきれなかったのだろう、本気になった眼がむしろ悲憤している。
典膳は、うれしかったろうと思う。
「……そちも変りないようだな」
微かに赧《あか》らんで笑ったが、
「わっちのことなんざどうだってよござんす。そ、それより先生——」
緊張に青ざめて、
「これからずっと、まさか此のお屋敷へお住みなさるんじゃござんすめえ?」
それには応《こた》えず、
「普請はいつ頃出来上る予定だな?」
典膳の表情がふっと真顔になっている。
長兵衛は、ごくんと生唾をのんだ。
「それは……十日のうちに、どうしても仕上げろとの仰《おお》せでござんすが」
「十日?——では此の月中に仕上る予定だな?」
「そのつもりで若え者にゃ夜なべ迄《まで》させておりやす」
「改築の場所は?」
「——御隠居様のお住居を、模様替えしておりやすが……」
奥庭からこの時、大工|頭梁《とうりよう》の甚兵衛が何気なく出て来た。典膳の姿に愕《おどろ》いて、慌てて庭づたいに駆け戻る。付近にいた鳶人足がそれを不思議そうに見送ったが、長兵衛以下白竿組の主だった者は、誰も気づかなかった。
枯れ葉が二三、砂利を盛上げた塀際《へいぎわ》から吹き寄せられて来る。
「一度、普請場を見せてもらい度いが」
典膳はさり気なく言って、自分からその方へ歩き出した。ぞろぞろ数人が一緒について来る。
「よろしいんでござんすか?……」
長兵衛はまだ半信半疑の面持《おももち》で、
「そうだ、大事なことを言い忘れやした……先生、爺《じい》さんは安らかに息を引取ってくれました、一度、先生のお供をして是非とも岡崎とやらの隠居さまをお見舞いしてえ、そう申しておりやしたがね」
「…………」
「岡崎にゃ、先生のおふくろさまがいなさるんだそうでござんすねえ?……」
典膳は何とも答えなかったが、あの媼《おうな》のような刀自《とじ》も既にこの比《ころ》はみまかっていたのである。
——不意に内庭の方から二三人侍が肩肘《かたひじ》張って駆け出て来た。
「退《ど》け退け」
人足どもを突き分けると、
「丹下。——貴公何処へ行く?……」