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薄桜記26

时间: 2020-08-01    进入日语论坛
核心提示:花を折って「何事ですか」「されば|ト市《といち》在邸の日時を確かめることが出来申したぞ」座敷の末席にいる小野寺十内が言っ
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花を折って

「何事ですか」
「されば|ト市《といち》在邸の日時を確かめることが出来申したぞ」
座敷の末席にいる小野寺十内が言った。ト市はすなわちト一、上の字で、上野介の符牒《ふちよう》である。
「いつですか」
さすがに安兵衛の顔も引緊《ひきし》まる。
「まあ坐りなされ」
上座の大石内蔵助と並んでいた片岡源五右衛門が嬉《うれ》しそうにおのが隣りの席を示した。
大石はただ黙って安兵衛の視線をうけとめている。会議に列しているのは大石以下、当家|主《あるじ》の兵学者たる吉田忠左衛門、原惣右衛門、小野寺十内、近松勘六に片岡、不破の両人である。このうち原、小野寺のふたりは医者の態に偽装している。
片岡源五右衛門が言った。
「おぬしも斎《いつき》どのには接近してくれておったが、大高源吾がいよいよト市の確かな動静をさぐり出したのじゃ」
「いつです?」
「今の予定では、六日」
「六日?……」
あと僅《わず》か三日後である。とっさに、安兵衛は典膳のことを想《おも》ったろう。
「されば、いよいよ腕が鳴り申すぞ」
不破数右衛門が大きなしゃがれ声で言った。不破は松の廊下当時から、浪人暮しだから、大石の前でも案外遠慮しない。
「斎どのへ、何ならお主もたしかめてみられるとよい」
近松勘六が小づくりな顔を向ける。
当時江戸の富豪で、紀伊国屋に比肩された一人に中島五郎作という者があった。本宅は霊巌《れいがん》島にあり、店は京橋三十間堀にあって、有名な町人だが、内蔵助は京都堀川塾の伊藤仁斎の門人だった頃《ころ》、この五郎作と学友だった。
東下《あずまくだ》りの後の一日、内蔵助は五郎作をおとずれたところ、五郎作はおどろき、且《か》つなつかしんで、
「御出府のことはかねて噂《うわさ》に聞いておりましたが、なかなか御苦労なことで」
と言った。内蔵助の江戸入りの目的を見抜いていたのである。
「何のことを申されておるか……」
内蔵助があいまいに笑うと、
「大石さまは伏見の羽倉先生を御存じだそうでございますな」
と言う。
「伏見の?……神主をしておられた斎どののことか?」
「さようでございます。あのお方が、何でもひと頃、吉良様をお弟子にしておられましたそうで」

五郎作は語り継いだ。
「今でも吉良家御家老の松原多仲と申されるお人が、折々、弟子分として斎先生の許へ出入りしておられるそうでございます。いちど、斎先生をお訪ねなされてはいかがでございますか、先生の方でも、よく大石様のお噂が出ておりますが」
「—————」
内蔵助がふと、警戒の眼《め》になると、五郎作は逸早《いちはや》くそれを察して説明した。
羽倉斎というのは国学者|荷田春満《かだのあずままろ》のことである。代々、伏見稲荷神社の神職の家柄《いえがら》だったが、彼は早くから家職を退いて古学(日本学)の宣揚に力《つと》め、学を興《おこ》すには政治の中心たる将軍お膝許《ひざもと》に限ると江戸にとどまった。五郎作はその斎に自分の持家の一つを無家賃で提供していろいろ後援していると言うのである。
五郎作の面上には誠心が溢れている。内蔵助は思案したが、やがてこの申出をうけ、五郎作と同伴で斎の許《もと》を訪ねた。
羽倉斎は喜んで迎え入れ、
「何かと御心労のほどお察し致すぞ」
と言い、五郎作のことばの通り、上野介の子息左兵衛佐の家老たる松原多仲が今|以《もつ》て折々たずねてくると何気なく洩《も》らした。
上野介の様子を知るにはくっきょうの手づるである。その場はさり気なく雑談にまぎらせたが、羽倉宅を辞退した足で両国米沢町に堀部弥兵衛老を訪ね、この事を謀《はか》った。
弥兵衛は言った。
「大夫が自重なされたは甚《はなは》だ結構であるが、さようの手づるを利用せんという手はござらん。安兵衛をつかわし、よくさぐらせてみましょうわい」
安兵衛は剣も立ったが、当時海内一の儒者と称された細井|広沢《こうたく》と親交のあるほど、学問にも意を通わせている。その安兵衛なら羽倉斎に接近して、話題に困ることはあるまいと舅《しゆうと》は見たのである。当の安兵衛に異論のある筈《はず》はないので、委細を含んで羽倉に近づいたわけだ。
ところが、一方、五郎作は大石に或《あ》る日こういうことを言った。
「手前の茶の師匠は御老中小笠原佐渡守さまお抱えの四方庵|宗※[#「彳+扁」]《そうへん》でござりますが、よく吉良様のお茶席に招かれ、手前も両三度お供をいたしたことがございます」
「茶会に?」
「はい」
浪士中第一の風流人で、茶の道にも造詣深いのは大高源吾である。内蔵助は早速源吾に命じて四方庵宗※[#「彳+扁」]に弟子入りさせた。源吾は町人姿に変装し、大坂の呉服商と名乗って弟子入りして、茶の湯の指南をうけながらそれとなく吉良家の様子をうかがっていたところ、先頃、その源吾が顔色変えてとんで帰って来た。
「四方庵宗匠より、来る六日朝に吉良屋敷にて茶会の催しある由《よし》をうけたまわってござる。されば、五日の夜は在邸うたがいなし」
そう報告したというのだ。

大高源吾の報《し》らせに浪士が狂喜したのも無理ではない。今迄《いままで》にも、上野介の動静の風説はまちまちで、近く羽前米沢の上杉藩邸に引移ることになったと聞いた者があり、いや、芝三光町の上杉中屋敷へ転居するそうだと聞き込んだ浪士もあり、ともかく、安兵衛を除いては、上野介の上杉入りを惧《おそ》れて同志の面々気が気でなかった。吉良の実子・上杉綱憲は当時病気中で、当然、上野介が見舞いのため上杉邸を訪問すること多く、そんなことから上杉邸に転居されてしまうのではないかと危惧《きぐ》したのである。
安兵衛は、この点では安心していた。丹下典膳が吉良邸にいるのは、上野介が転居するつもりのない証拠だと見たのである。余人はともかく、典膳は一命にかえても上野介を守り、千坂兵部への信義を果そうとするだろう。従って、上野介がいよいよ上杉邸へ移るなら、典膳も行く。たとえ妻千春とのことで、どれほど不愉快な想《おも》いをさせられると分っていようと、典膳はおのれの感情をおしころし上杉家へ行くにちがいない。だから吉良邸に彼がとどまっている限り、上野介に転居の意志はないも同然と見たのである。——もっとも、これは安兵衛ひとりが胸にふくんでいることで、まだ大石にも明かしてはいなかった。
が、いずれにしろ、上野介が五日夜には本所松坂町に在宅は疑いなし、という確報を喜ぶ気持に変りはない。ただ、典膳のことをおもうと、他の同志のように手放しでは安心していられなかったのである。
「どういたした? 貴公、この快報に接したというに、一向うれしそうに見えん」
不破数右衛門がふといぶかしげにまじまじ安兵衛を見遣った。
「いや、別に——」
あいまいに笑う。大石主税や当の大高源吾が、大石の命令で同志の主だった者へ吉報をふれまわり、今はこの座敷へ戻《もど》っていた。報らせを聞いて、ぞくぞくと同志も集まって来ているので、敢《あえ》て典膳のことは伏せておいたのである。
そのうち、舅の弥兵衛老人が来た。赤垣源蔵が来た。奥田孫太夫、岡野金右衛門、潮田又之丞……踵《きびす》を接して続々と浪士は詰めかけて来る。安兵衛の道場にいる毛利小平太や鈴田重八も馳せつけて来た。いずれも歓喜と緊張と昂奮《こうふん》に目を輝かせ、顔を紅潮させているので二十余人が集まると広座敷はむんむんする人いきれだ。
兼てより、既に覚悟と準備は十分出来ている。決行の日を待つばかりの何カ月だったから、来《きた》る六日を以て決挙すべし——忽《たちま》ち意見の一致をみた。
大石内蔵助も、
「では六日を期して」
と言った。

いよいよ十二月六日に討入りとなれば、既に覚悟はついているものの、妻子縁者に別れの書面を書き送り度《た》いと考えるのも人情で、夫々《それぞれ》に意気|旺《さか》んな言を吐きながら引揚げていった。
「堀部どの、よろしく頼み申すぞ」
言って出てゆく者もある。討入り当夜の武具は槍《やり》、長刀、まさかり、弓、竹梯子《たけばしご》、げんのう、鉄《かな》てこ、大のこぎり、銅鑼《どら》、かすがい、チャルメラの小笛など、全《すべ》て本所林町の安兵衛宅に預けられていたからである。
安兵衛には、併《しか》し、「よろしく頼む」というのが典膳の処置のことに思えたろう。鈴田重八なんぞは、坊主《ぼうず》頭をひたいから天辺《てつぺん》へ撫《な》で上げ、
「ところで貴公、あの話を大夫どのに致したか」
そっと安兵衛の耳許《みみもと》に囁《ささや》いた。
「まだ」
くびを振って、これからしようと思って居る——沈んだ表情で腕組を解かなかった。
舅の弥兵衛が誰よりも上機嫌《じようきげん》だったのは、老先短い身に、もう一日も早く敵讐《てきしゆう》を屠《ほふ》り度いと兼々焦慮していたからだろう。嬉しさ余って、婿《むこ》の安兵衛には殊更《ことさら》注意をはらわなかった。黙っていても婿の安兵衛なら義士中、第一の働きをするにきまっておる。そう信じて大安心した為もある。それに一人娘——安兵衛の妻たる|こう《ヽヽ》を手許においているので、ことさら安兵衛に視線を注いでは、何か、夫婦の別れを惜しみに米沢町へ来てやってはくれんか、そんな催促をするようにも思われそうなので、一そう婿どのを無視しておいたのである。
さてその弥兵衛老人も、心ばかりの酒宴に加わってのち、
「各々、では五日夜に」
挨拶《あいさつ》して帰宅していった。大石父子と、吉田忠左衛門、不破、小野寺十内、それに典膳のことを気にかけて毛利小平太と鈴田が安兵衛のそばに残った。今言い出すか、言い出すか、小平太は何度も安兵衛の顔色を見る。
「大夫どの」
とうとう安兵衛がきり出した。
「実は少々内密の用談があるのですが」
「内密?……我らが同席して居《お》っては話せぬか」
討入りの日取もきまった今になって、内密の相談とは意外なので吉田忠左衛門が訊《き》く。一同もいぶかしげな目を注ぐ。
「拙者《せつしや》代って話し申してもようござるが」
鈴田が一|膝《ひざ》のり出すと、
「いや、わたしが話す」
安兵衛はさえぎった。それから黙って大石を見た。
内蔵助の聡明《そうめい》な瞳《ひとみ》が、これも少時安兵衛の表情を読むと、
「主税、その方は退《さが》っておりなさい」
主税が座をはずすのでは、他の面々も残るわけにはゆかない。

酒宴の食膳《しよくぜん》はその儘《まま》にして一同が中座すると、
「話というのは?」
内蔵助は真直ぐ安兵衛を見た。
「いつぞやお耳にいれておきました丹下典膳のことです」
「—————」
「どうやら、本気で吉良どのを護《まも》るのではないかと……」
「お手前の判断でそう申されるのか、それとも何か、確証でも」
「確証と申すほどのものはございませぬが。ただ」
瑞林寺の住持が洩《も》らしたという典膳のことば——死力をつくして討とうとし、死力をつくして討たれまいとするきびしい争い、それが武士道の仇討《あだうち》だと典膳が言った話を、安兵衛は有体《ありてい》に告げた。吉良邸の長屋の子守女と懇《ねんご》ろになった同志岡野金右衛門の獲《え》た情報では、最近上野介が茶の会に招かれて、出歩くことがますます多くなったのを見て、或る日、典膳はその袖《そで》を掴《つか》み、
「今少し所業をお慎しみ下さりまするように」
誠心を披瀝《ひれき》して諫言《かんげん》したという。
「何をおそれてつつしむのじゃ? 赤穂浪士かの?……ふン、身はこれでも米沢上杉家が当主の実父じゃ。赤穂の田舎|猿《ざる》どもに何が出来る」
言って袖を払い除け、
「丹下、居候の分際でチト出過ぎておろう。控えい無礼者」
側近の家来たちは足蹴《あしげ》にせんばかりだったという。
瑞林寺の住持のことばは、鈴田重八が聞き込んで来たのだが、岡野金右衛門の情報とまさしく符合する。
「——武士の誼《よし》みは察しておる男と存じておりましたが、この様な情報を岡野がもたらすようでは、我らも一応の手段は講じねばなりますまい」
と安兵衛は憂《うれ》いをつつんで言った。
「手段とは?」
内蔵助という人は滅多に自分から意見は吐かない。
「あれだけの遣い手が討入り当夜、吉良邸におりましては同志に、ずい分と怪我人《けがにん》が出ましょう。それは覚悟の上と致しても、もし、彼が才覚にて御敵ト市どのを隠しぬかれるようなことがあっては、痛恨これに過ぎざるはなし」
「—————」
「よって、爾前《じぜん》に斬《き》るべしと鈴田などは意気巻いておりますが」
「お手前にも斬れぬ程の相手なのかの?」
「!……」
「堀部」
大石は脇息《きようそく》から身をおこした。

安兵衛が浅草に白竿長兵衛を訪ねたのはその翌朝である。
以前、白竿組が典膳の「杖突き」で脇坂邸の普請《ふしん》に入っていた時、一度顔を合わせたきりだが、白竿組隆盛の因ともなったその普請を蔭《かげ》で斡旋《あつせん》してたのが堀部安兵衛だったのは長兵衛も知っている。
もっとも、安兵衛がそうしたのは典膳の面倒を見てくれる長兵衛の侠気《おとこぎ》へ、感謝のためだったか、千春を典膳にひと目会わそうとした為《ため》だったかは今以て分らぬが、長兵衛にとって、安兵衛が悪《にく》い人でないことだけは確かである。
普通なら、よくお出掛け下さいましたと、手をとって座敷へ案内するところだ。——が、今はちがう。うらめしくも堀部安兵衛は赤穂の浪士なのである。
「なに堀部さま?……お一人でおいでなすったか?」
お三を前に、茶の間の長火鉢《ながひばち》で、朝の御飯を喰《た》べていたのが思わず箸《はし》を止めた。
この頃は、吉良邸の急普請も何とか済ませ、めっきり寒さのきびしくなった空模様をよそに、終日、屋内にいることが多い。冬は普請場の仕事もなく、起きぬけに丹前を引っ掛けた儘《まま》の不断着姿である。
「おふたりでいらっしゃっておりやすが」
「おさむれえか」
「へい」
「まさか先生じゃねえだろうな?」
「そうじゃござんせん。とにかく、お通ししておきやしたが」
「お三」
箸を置いた。
「着物を出してもらおう。好い分をな」
襟《えり》へ手を添えてスッと立つ。
お三は顔を俯《ふ》せ、黙って次の間へ行った。典膳が何のために吉良邸の付け人に入ったか、うすうすはお三も聞かされていた。そこへ安兵衛の訪問である。
「兄《あに》さん、唐桟《とうざん》でいいかえ」
たんすの鐶《かん》を鳴らしていたのが、声をかけて来た。
「それでいい」
長兵衛は次の間へ入る。
「おめえは、座敷へ来ちゃあいけねえぜ、茶や菓子なんぞも若え者に持たしな」
着物に仕立おろしの羽織を重ねると、身づくろいをして長兵衛は居間を出た。
訪ねて来ていたのは、堀部安兵衛と毛利小兵太である。
「よくおいで下さいやした。わっちゃあ長兵衛でござんす」
敷居際《しきいぎわ》で挨拶すると、其処に坐り込んで容易に座敷へは入らない。
「いってえ、どんな御用件でござんすね?」

「その方に折入って頼みがある」
「何でございやしょう、まさか、丹下様のことじゃあござんすめえね?」
長兵衛はまっすぐ二人を見較《みくら》べ、
「折角ながら、もし、そのお話でござんしたらお伺いいたすだけ無駄《むだ》になりやしょう。どうぞ、お引取りを願います」
毛利小平太が安兵衛の面《かお》を見た。
どちらも町家へ訪ねているので差料《さしりよう》を脇《わき》へ置いている。安兵衛は暫《しば》らく長兵衛の様子を見戍《みまも》って、
「何か誤解をしておるのではないか」
「?」
「わたしと丹下さんとの間に、恩讐《おんしゆう》は何もない。実は長々の浪人暮しをいたしておったが、こんど越後|新発田《しばた》の故郷へ戻ることに相成っての。ついては丹下さんに別れの挨拶をしたい……。存じてもおろうが、わたしは元浅野家の禄《ろく》をはんだ身、丹下さんは今吉良屋敷におわす身だ。表立てて訪ねたのでは、世間の要らぬ誤解も招く。丹下さんとて、痛くもない肚《はら》をさぐられぬとも限らぬ、それで、その方に何とか会えるような手筈《てはず》をととのえてもらえぬかと、そう思って参った——」
「?……」
「むろん、場所その他は一切、その方の思うままにまかせる、深川あたりの茶屋でもよし、船遊びの船でもよし、何なら、この家《や》の座敷内でもよい……」
長兵衛よりも毛利小平太が微《かす》かな驚ろきの目で、顔を見た。構わずに安兵衛はつづけた。
「もう一人、じつは紀伊国屋文左にこれを頼もうと存じておったが、あいにくと上方《かみがた》へ旅に出て、おらぬ。そうなると、町家の者に面倒を見てもらうには、その方を措《お》いて心当りがない……、何かと心づかいをかけて済まぬが、きき届けてもらえまいか」
「わっちの、この家でもいいと仰有《おつしや》るんでござんすね?」
安兵衛はうなずいた。
「お一人でおいでなさるんでござんすかい、それとも——」
毛利小平太を見る。
「むろん、わたし一人で会う」
きっぱり、言う。
「堀、堀部……」
小平太がいよいよ驚ろいて「貴公まさか——」
目に狼狽《ろうばい》を走らせた。
それが長兵衛の胸にコチンと来た。
「ようがす、丹下さまがどう仰有るか存じませんが、たしかに、お引受けいたしやしょう」
言って、
「——で、いつ、お逢《あ》いなさりてえんでござんすね?」
「出来るなれば、今夜。おそくとも明日夕刻までには……」
「今夜?」
「越後へ戻るとなると、何かと雑用があるのでな」
長兵衛は呼吸《いき》をとめて、じいっと安兵衛を見た。——
「今夜で、ござんすね?」
念をおすと、
「ようがす、丹下様が何と仰有るか、とにかく行って参りやしょう。……で、どこへその御返事に伺えばいいんで?」
「本所林町五丁目——わたしの道場へ来てもらえると有難《ありがた》い」
必ず返事を報《し》らせに行く、長兵衛はそう言った。毛利小平太が何か言いたそうに安兵衛の顔を見ている。安兵衛は構わず差料を掴《つか》んですっと立ち、
「では頼んだぞ」
座敷を出た。不精無精に小平太が跡へつづいた。
「お茶も差上げませんで」
長兵衛は丁寧に玄関まで送り出したが、居間へ戻ると、一時《いつとき》、腕組をして動かなかった。
お三が着替えの用意をして這入《はい》って来たのは、かなり経《た》ってからである。安兵衛の辞去したのは知っている。普通なら、すぐ不断着を持って来るところだ。後《おく》れていた間だけお三はお三で思案していた証拠である。
「着替えないの? 兄《あに》さん……」
わざと何でもなく言ったが目をあわすのは避けていた。襟あしにほつれ毛が見える。近頃《ちかごろ》は、人が変ったようにお三は無口だ。何かを諦《あき》らめきった侘《わ》びしい未婚女の翳《かげ》がある。
「要らねえ。すぐ出掛けなくちゃならねえ……帰《けえ》るのは、三、おそくなるかも知れねえよ」
典膳を此処《ここ》へ招くのは却《かえ》ってお三には罪だ。堀部安兵衛と、どんな覚悟で典膳が会うにしろ、此処へは典膳の方で来ないというかも知れない。
長兵衛は、堀部安兵衛の訪ねて来た真意を或る程度は読んだ。安兵衛と典膳の出会う場所には、だから何処までも離れずについてゆく肚をきめたのである。
供の若い衆は連れなかった。
吉良邸へ着く。安兵衛の林町とは同じ本所だ。町人は表玄関へは訪ねて行けないが、門番と顔馴染《かおなじみ》なので念のため典膳の在否を問うと、
「おお、おられるぞ、あのお方は、一度もお屋敷からお出なさらぬ……お長屋におられる筈《はず》じゃ」
門番の口調は、丹下典膳への好意に満ち溢《あふ》れていた。吉良侍の思わくがどうあろうと、下々の者は正直にその人柄《ひとがら》を見る。長兵衛が典膳を慕う如《ごと》く、ひとつ屋敷に暮していれば、思い遣りのあるその優しさを門番たちも慕わずに居《お》れないのだろう。
長兵衛は勝手知った邸内をまっすぐお長屋へ行った。
 
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