本所林町の堀部安兵衛の道場へ長兵衛がやって来たのはその日ももう暮れ方になってからである。
毛利小平太から白竿屋での経過を聞かされた鈴田重八などは長兵衛の返事がおそすぎるので、
「堀部、貴公裏切られたのではないか」
目の色を変えた。毛利、鈴田とも典膳の恐るべきことは一応信じている。とくに鈴田などは、いつぞや七面社の付近で千春と連立った典膳に行き会ったが、五六歩行きすぎてからハッとした。さとられたな?……瞬間そう感じたからである。
それぐらい鋭い典膳のことだ、安兵衛が今明日中に逢《あ》いたい、と言ってやった意味の裏を早くも読んで、上野介を吉良邸から連れ出しているのではないかと勘ぐったのだ。
「あれは、そんな男ではない」
安兵衛は一語そう言ったきりで、あとは黙り込んだが矢張り沈痛の顔色ははれなかった。鈴田や毛利小平太は典膳に会えば、即座に斬《き》ると意気込んでいる。
斬れるぐらいなら、安兵衛とて鬱気《うつき》はしない。……
道場には米沢町の弥兵衛老人から差回された下僕《げぼく》が一人、安兵衛以下、寄食する同志らの世話をやいていた。それが白竿長兵衛の来たことを告げた。
道場とはいっても、剣道指南の看板を出しているだけで、本格的ではない。それでも同志の武具を預るので、一応は結構はととのえた。家主の紀伊国屋文左が、何も言わず無賃でそれらの普請をしてくれたのである。
安兵衛は自身で玄関へ出た。来るなと言っても今度は、鈴田や小平太が左右について来る。
長兵衛は神妙に待っていたが、
「場所は何処で会う?」
のっけに安兵衛が訊《き》くと、
「丹下様の方へ、たしかにおことばはお伝えいたしやしたところ……今夜や明日でいいのかと、申されるんでござんすが」
「な、何?……」
「わっちゃ只《ただ》、走り使いをしておりやすんで、皆さんにそうコワいお顔をされたんじゃあ、何も申上げようはござんせん」
「明日では早すぎると丹下さんは言ったか?」
安兵衛が訊いた。こんなに炯々《けいけい》たる凄《すご》い眼《め》になった人を長兵衛は見たことがない。
「へい。……たしかにそう仰有いやした。それでもいいのなら、お目にかかると……」
どういう意味か。
いかな安兵衛も判じ兼ねていた時だ。
表口から顔色を変えて横川勘平が駆け込んで来た。
「各々、予定が、予定が変ったぞ!……」
勘平は見馴《みな》れぬ町人がいるので一度、口を緘《かん》したが黙《もだ》しきれなかったらしい。
「ト市どのに目見《まみ》える日取が変った」
と言った。
三人は声をのんだ。
「それは又、何故《なにゆえ》じゃい」
破《わ》れ鐘のように大きな鈴田の声が訊く。
「ここでは、此処では言えん……奥へ来てくれい」
草履を脱ぐのももどかしそうに勘平は式台をあがると、ふと安兵衛の様子に気づき、
「堀部どの、貴公は?——」
「よい、あとから行く。皆で先にいってくれぬか……」
冷静すぎるほど落着いた口調だった。理由はまだ分らぬが、討入りの日取が変ったという、おそらくは延びたのだろう。
今にして、明日でよいかと典膳の言った意味が解けたのだ。
「白竿屋——」
半信半疑で小平太や鈴田重八が勘平につづいて奥に入ると、安兵衛は声をかけた。もうあの炯々たる眼光は消えている。
「足労をかけるが、その方、も一度丹下さんのもとへ出向いてくれぬか」
「?……」
「会う日取は、あらためて当方から申出るより、いっそ丹下さんの方から出向いてもらえると有難い、とな。もし、それでは困ると申されたら、わたしの方から、日を定めずに訪ねて参るが、その時には必ず立会って頂き度《た》い。そうつたえてほしいのじゃ」
「堀部様が、じゃ、わっちどもの手を経ずに、直接にお出掛けなさるってわけでござんすか?」
「そうなるかもしれぬ、或《ある》いは、丹下さんの方で当方へ出向いて来るかも知れぬ——」
長兵衛には、口惜《くや》しくても武士と武士が暗黙に伝え合う意志と友誼《ゆうぎ》の篤《あつ》さまでは判じきれなかった。
「わ、分りやした。ともかくそのようにお伝えはして参りやすが……」
何か心が残り、それきりでは帰り兼ねている。丹下典膳の吉良邸における様子を、ひとこと、このお武家には話してみてえ……そう思ったのかも知れなかった。
「堀部どの、な、何をしておられる、早う来ぬか……えらいことになった!」
木村岡右衛門がこの時、奥からせき立てに出て来た。
チラとその様子を偸《ぬす》み見て、
「じゃ、わっちゃこれで」
長兵衛は身をかがめる。
「今のこと、くれぐれも頼んだぞ」
「へい、たしかに承知をいたしやした。ごめんなすって」
長兵衛は急ぎ足に道場を出ていった。
討入りの日取がのびたのは、前晩五日に、将軍家が松平右京大夫の邸にお成りという触れが出て、六日の茶会は延期される情報が入ったからである。
「そ、それはまことかい」
鈴田重八は地団駄《じだんだ》ふんで口惜しがったが、
「残念ながら事実に相違ござらぬ。拙者《せつしや》しかと沙汰《さた》のほどは確かめ申した」
勘平は言って、
「それに、大夫どのもこの触れの出た以上は、ト市どの在宅の如何《いかん》にかかわらず、公儀をはばかり思いとどまる以外にはない、と申され、吉田どのや小野寺老もこれに同意いたされた」
「しかし、公儀をはばかるとは異な理由じゃな、どうせ、われらの致すこと公儀をはばかって出来ることではござらぬぞ」
例により中村清右衛門が播州|訛《なま》りで一家言を吐く。誰《だれ》も相手にしなかった。
安兵衛は、水に心のほとびるような柔らぎを感じていたろう。
上野介の茶会の延期されたのは無論、口惜しい。しかし、そのため上野介の在邸が明らかでないことを間接に典膳はしらせてくれたわけなのである。吉良邸に討入ってかんじんの上野介が不在では、千年の悔いをのこす。徒党を組んでの義挙は二度とは繰返しがきかない。典膳は、赤穂浪士らの忠義無比の苦衷は十分にみとめ、武士の誼《よし》みはとおしながら、一たん敵の立場に立つ以上は、正々堂々と吉良上野介を護《まも》りきろうというのだろう。何という清々《すがすが》しい心映えか。且《か》つ何という剣客としての自信だろうか。
そう思うと、義士の一人として主君の怨《うら》みをはらしたい義務感とは別に、武芸の上の好敵手たる丹下典膳と死力をつくして技《わざ》を競ってみたい意欲が勃然《ぼつぜん》と湧《わ》きおこるのを安兵衛は感じたのだった。これ迄《まで》は何か典膳に挑《いど》んでゆくのをためらうものが安兵衛の内にあった。この時から、無心に、典膳との勝負を求めてゆける自分になれた。その清洌《せいれつ》さに心が晴れて来たのである。
——安兵衛が、吉良邸に於《お》ける典膳の本当の待遇のみじめさを知っていたら、或いはこうまで勃然たる意欲は燃やし得なかったかも知れない。そうすれば、丹下典膳の運命も少しは違っていたかも知れぬ。
運命は典膳に悲劇的だった。安兵衛が心から典膳への闘志をもやした時、再び吉良邸に討入る日は定められた。
即ち十二月十四日——
十四日に年忘れの茶会が吉良邸で催される、という情報を最初に探知して来たのは横川勘平である。
上野介と茶の湯の付合いをしている、僧侶《そうりよ》が本所にいた。勘平は|つて《ヽヽ》を求めてこれと懇意にしていたが、ある時たずねて行くと、
「よいところへ参られた。この書状を読んで下さらんか。おはずかしながら愚僧かいもくの文盲《もんもう》での」
と言う。
茶の湯にたしなみがあるほどの者、まして、お経を読むのが商売の僧侶で、文盲の筈《はず》がない。それが代りに読んでくれというので半ば疑いながら書面をひらくと、なんと吉良家からの手紙で、この十四日に年忘れの茶会をいたすについては、参会を願い度《た》し、という文面である。勘平は、かつがれているのではないかと思ったそうだ。あるいは、赤穂浪士の一味と知って、故意に試しているのではあるまいか——と猶《なお》も半信半疑でいると、
「ほう、十四日にの。では早速|乍《なが》ら、返書の方も代筆していただけると有難いのじゃが」
「身共がですか」
「さよう、間違いなく出席つかまつる、との」
この僧侶が何者かは記録にないので今では分らない。よほど、腹芸の出来た坊さまだったのであろう。
勘平は、言われる儘《まま》に代筆したが、ふと思いついて、
「吉良殿なら、それがし住居の近所でござる。ついでにお届けいたしてもよろしいが」
僧侶の顔をまじまじ見戍《みまも》って言った。
「それは有難い。是非ともそうして頂き度いの」
「では身共がお預りいたして、よろしいな?」
「結構結構」
返書まで届けさせるというからには、十四日、茶の湯の会のあることは絶対、間違いないと見てよいわけだ。
勘平は飛び立つ思いで僧侶の許《もと》を辞した。
その足で帰路、本所吉良邸に立寄る。勘平は安兵衛の道場に寄寓《きぐう》しているので浪人の儘の姿である。名を三島小一郎と変称していたが、門番へは僧侶の代理の旨《むね》を告げ、玄関に入って、取次の者に念のため、「来る十四日の茶会に出席いたされる旨の返書を、ことづかってござるが」
それとなく実否をただすと、
「それはかたじけない。御出席ねがえるのじゃな」
安堵《あんど》したふうに言う。もはや間違いはない!……心に狂喜して、玄関を出る。
こうなれば、少しでも邸内の模様を見届けておこう、という欲が出た。道を誤ったように見せかけて表門へは出ず、玄関わきから表庭の方へわざときょろきょろ見回しながら歩いた。
ぎくっ、とその勘平が立停った。長屋の横手から、すーっと出て来たのが隻腕《せきわん》の武士。
何気ない様子で近づいて来る。
丹下典膳であることは勘平にも一目で分った。こちらも何気ない態度を見せようとしたが、射すくめられて足が前へ出ない。
——なるほど怖《おそ》るべき剣客である。これが付け人になっていたのでは、五人や十人は斬伏《きりふ》せられる覚悟はせねばならぬと思った。
同志がほぼ五十人。そのうちの十人がこの隻腕の付け人に対《むか》ってゆかねばならぬとすると、残る面々で果して吉良を仕止め得るか?
付け人は丹下典膳ひとりではない。浪人が討入ったとなれば上杉方からも応援は馳《は》せつけると覚悟せねばならず、事と次第で、大変なことになろう……
どんなに犠牲を払っても討入り前に、典膳だけは斃《たお》しておかねばならぬと勘平はとっさに思った。
赤穂浪士約五十人のうち、武人派と自他ともにゆるす遣い手は先ず堀部安兵衛、不破数右衛門の両人に指を屈し、ついで本所三ツ目横丁の、同じく紀伊国屋|店《だな》に剣道指南の看板を掲げる杉野十平次。他《ほか》には武林唯七、奥田孫太夫、鈴田重八、毛利小平太、赤垣源蔵らを数えるが、その他はどちらかといえば忠義の志は篤《あつ》くとも、武辺|事《ごと》で人にぬきんでるほどではない。一般に安兵衛と並んで武人派と言われる奥田孫太夫は、実は五十六歳の老齢で、本望|成就《じようじゆ》ののち細川家で切腹する時に、自分は腹の切りようを知らぬと正直に述懐した人である。堀部を筆頭に、杉野、赤垣、毛利、鈴田——そんな面々を誘いあわせて是非とも丹下典膳を仕止めておかねばならぬと決意した。横川勘平の胸中には、一種、悲壮な覚悟のあったのは当然といえよう。
「——お手前、どちらへ行かれますか?」
勘平の前まで来たとき、典膳の方から声をかけた。物静かで、好意すら感じられる態度だった。
「拙者、十四日の茶会に出席の僧侶より返書を頼まれ、持参いたした者にござるが、道を、間違えたらしゅうて」
「ほう、道を。——それは御迷惑……わたしが御案内いたそうか」
おだやかに嗤《わら》われると背中に冷汗が伝った。「そ、そう願えれば」
「——こちらです」
さきに立って典膳は歩く。ついて行くと、
「お見受けいたしたところ、赤穂の御家中らしいが」
「…………」
「堀部どのに、会われることがありますか」
「?——」
「やはり、御存じらしいな」
「お、お手前……?」
思わず手が鍔《つば》にかかった。
典膳は見向きもしないで、
「堀部さんに会ったらことづけて頂き度い——先日のお申込み、そろそろお受けいたす時機が参ったのではなかろうか、とな」
「!」
「白竿屋をわずらわす迄《まで》もない、とそう伝えて頂けば分る筈《はず》」
「貴公、では、われらの?……」
「それ、門はあれにある——」
典膳は指さして前方を示すと、
「ここまで来ればお分りになろう。……十四日、たしかにお出掛け下さるな?」
言って、早や、くるりと背を向けると小声に李白《りはく》の詩をうたいながら立去った。
君は穎水《えいすい》の緑なるを思い
忽《たちま》ち復《ま》た 嵩岑《すうしん》に帰る
帰る時 耳を洗うなかれ
我が為に其の心を洗え
心を洗わば真情を得ん
耳を洗わば いたずらに名を買うのみ
謝公《しやこう》 終《つい》に一たび起ちて
相|与《とも》に蒼生《そうせい》を済《すく》わん
…………
勘平は本所林町の道場に帰ると、
「堀部どの、堀部どの」
大声に呼ばわって奥の間へ駆け込んだ。
「ト市在邸の日を見定め申したぞ」
「何」
安兵衛の周囲には例によって毛利、鈴田、木村らの面々が雑談をしていたが、
「い、いつじゃそれは」
座敷の端にいる坊主頭の鈴田重八が身をねじむけて勘平を見上げた。
勘平は文盲と自ら称する僧侶より手紙を見せられたこと、その返書を直接吉良邸に届け、事実をたしかめたところ正《まさ》しくこの極月《ごくげつ》十四日に、年忘れの茶の湯の会が催される手筈をつきとめたと話した。
「大出来じゃ」
鈴田は膝《ひざ》を叩《たた》く。
「すぐ大夫どのにお報《し》らせ申せ」
木村岡右衛門が、そろそろ白いものの混った鬢《びん》をふるわせ、声をせかせて下僕《げぼく》を呼びつける。
直ちに使者は石町の本部へ趨《はし》った。報告を聞いた内蔵助は、念のため大高源吾を例の四方庵宗匠の許へ遣わし実否をたしかめさせたところ、間違いなく十四日吉良邸では会があり、当の宗匠も招待されているという。
もはや間違いはない。
十四日は、あたかも亡君の命日である。この夜を期して吉良邸討入りの大|方寸《ほうすん》はたてられた。——これが、十二月十一日。
この夜から、雪が降り出した……
丹下典膳を斬るべき案は、横川勘平が典膳に出会った吉良邸での模様を話した時、即座に一同の間できまった。鈴田重八、毛利小平太、横川勘平、中村清右衛門、それに安兵衛の五人で典膳を襲おうという案である。
勘平は、丹下典膳の恐ろしさを目のあたりで見ているので、不破数右衛門や杉野十平次、武林唯七にも応援を頼んだらと率直に意見を出したが、
「何の、丹下とて|よも《ヽヽ》鬼神ではあるまい。そう多勢がおし掛けては却《かえ》って人目に立つ。相手はひとりじゃ、我|等《ら》して力をあわせば十分」
僧衣のそでを捲《まく》り、鈴田が毛深い胸を撫《ぶ》して言った。安兵衛もこれに同意したので、五人で典膳を邀《むか》え撃つことになった。
ところで、その場所である。呼び出しをかけるのが吉良方に知れて変に警戒されてはまずい。典膳自身は従容《しようよう》と対《むか》ってこようが、襲撃するのが赤穂浪士だと吉良家の者にさとらせぬ必要がある。——そこで、やはり白竿長兵衛を使いに立てるのが穏当だということになった。
毛利小平太がこの役を引受けた。
日時は十二月十三日夜、場所は典膳の指定にまかせること。但《ただ》し、出来るなら吉良邸より離れた方がよい——
小平太は右の趣意をもとに白竿長兵衛を訪ねていった。十二日夕景のことである。
雪は小歇《こや》みなく降りつづける。
「大丈夫かのう……堀部、貴公が行かねばその白竿長兵衛とやら、承知いたさぬのではあるまいか」
「しかし、典膳は拙者に、白竿屋などわずらわさずともよいと申してござるぞ、毛利なれば過日堀部どのと同道つかまつっており申すで、まさか断りはいたすまい」
「しかし人入れ稼業《かぎよう》の元締をいたすほどの奴《やつ》、噂《うわさ》ではなかなかの男と申すで、ひとすじ縄《なわ》では行かんかも知れん」
「——大丈夫と思うが」
安兵衛が言った。いよいよ明日典膳に対決するかと思うと、一時は虚心に立ち対《むか》えそうだったのが、やはり、心の重くなるのを感じる。毛利や鈴田では、みすみす典膳に斬らせに行くようなものだ。安兵衛自身さえ、互角に渡り合えるかどうかも内心は心もとない……典膳を討つことについては、今朝もあらためて大石に相談にいった。
「お手前ら五人で討つと言われるなら、この内蔵助、反対はせぬ。何分にも御辺の才覚に俟《ま》つほかはない。——ただ、本望成就のための爾前策《じぜんさく》とは、さとられぬよう——ぬかりはござあるまいが、頼みおき申すぞ」
と言った。
「わたしの一命に代えてもかならず——」
そう答えて戻《もど》って来たのである。
毛利小平太が合羽《かつぱ》に真白く雪をのせ遽《あわただ》しく馳せ帰って来た。
「きまったぞ!……確かに典膳は承知いたした」