「場所は?」
「七面社じゃ。明夕刻六ツ半には、かならず推参いたすと申しおった——」
小平太が説明するところによると、白竿長兵衛は、典膳に呼び出しをかけることに非常な難色を示したが、
「当方の意を伝えてくれればよいのじゃ。強《し》いてとは申さぬが、ともかく、出向くだけは出向いてくれよ」
「御返事はどうあろうと構わねえと仰有《おつしや》るんですね」
「構わぬ」
それでようやく腰をあげた。そろそろ日も暮れ出して一きわはげしく降りしきる雪の道を吉良邸まで行く。
「身共はこのあたりに待っておる」
適当なところで小平太は民家の軒下《のきした》に雪を避けて待った。この時、皮肉なことに米屋五兵衛に化けた前原伊助が通りかかって、
「お。……」
目をとめたが小平太はわざと素知らぬふりで顔をそむけたそうだ。後年、毛利小平太が脱落者のひとりに数えられるのはこの時の素振りの他所他所《よそよそ》しさが前原に誤解された為だろう。
しばらく待っていると、見るからに打凋《うちしお》れて長兵衛が吉良邸の辻《つじ》を曲って来た。あまり元気がないのでてっきり断られたかと、
「いかがいたした? 典、典膳は承諾いたさぬか?」
じろりと、それを白眼で睨《にら》み、
「あすの六ツ半、谷中《やなか》の七面社でお待ちなさるそうでござんすよ」
言ってから急に悲憤を顔に溢《あふ》らせ、
「わ、わっちにとっちゃ、丹下様はかけがえのねえ御恩人だ。どんなお話合いをなさるかは存じませんがね。明日の七面社にゃ、必ず、この長兵衛もお供について参《めえ》りやすと、そう、堀部様に仰有っといて頂きやしょう」
「何その方も同道いたす?」
「当り前だ。お前さま方にゃ、先生のお気持はこ、これっぽっちも分っちゃいなさらねえ……だ、だれがお一人で行かせますかい」
言い捨てて目頭を拭《ぬぐ》いながら逃げるように雪の中を走り去ったという。
「ふむ、長兵衛まで付いて参ると申すか」
播州|訛《なま》りの中村清右衛門が重厚げに腕組したが、
「丹下さえ仆《たお》さば我らの目的は達する。長兵衛などはその場の模様次第じゃ。斬《き》るもよし逃すもよし。……そうか、いよいよ承知いたしおったか」
鈴田は押入の奥にしまってあったおのが大小を久しぶりに取出して鍔元《つばもと》から切先へ、|にえ《ヽヽ》の深い備前物の刀身にじっと瞳《ひとみ》を凝らし、呻《うめ》くが如《ごと》くにつぶやいた。
「明日が典膳、それが済めば十四日にはいよいよ本望|成就《じようじゆ》か……久しい苦難の一年ではあったぞ……」
翌晩——
雪はいっこう降り歇《や》まない。江戸の町中が銀一色の大雪に静まり返っている。待ちかねた六ツ時がくると、一人一人、前後して五人は雪の外へ堀部の道場を出た。
暮六ツ(午後六時)ともなると常でも途絶えがちな寺町辺に人影は全く無い。雪は容赦なく降りつづけ五人の合羽は綿をかぶせたようになった。足跡が雪の道に数列、点々と穴を残してゆく。
七面社に着いたのは予定どおりほぼ六ツ半。
先頭を進んでいた僧衣の鈴田重八が門前でぴたりと停《とま》った。
「来ておる。……これを見い」
指さしたのは雪の上に仄《ほの》かにくぼんだ足跡。それも四つ。
「長兵衛も参っておるぞ」
毛利小平太が堀部安兵衛を返り見、
「斬ってもよかろうな?」目で訊《き》いた。
安兵衛は最後尾から辿《たど》り着いたが、これには黙って、
「わたしが最初に入ろう——」
石の階《きざはし》をゆっくりのぼる。
門は閉めてない。
境内の石畳がこんもり土から嵩高《かさだか》に雪を盛り上げていた。足のすべらぬよう、石畳に添った土の側を安兵衛は歩いた。左右に毛利と横川勘平がつづいた。重八は石畳、中村は少し離れて石畳の一方の側を行く。
雪は霏々《ひひ》と降りつづける。
まして夜のことで前方にそれらしい姿は容易に発見出来ないが、
「来、来ましたぜ先生」
長兵衛の呻く気配がし、同時に舞う雪より迅《はや》く黝《くろ》い影が社殿の脇《わき》へ走った。
五人はもう無言で近づいた。いずれも笠《かさ》をかぶっている。早くも小平太と中村が顎紐《あごひも》を解き、後ろに笠を抛《な》げ上げた。
黒っぽい着流しの人影が廂《ひさし》の横から静かに現われ出た。五人は弧を描いて典膳と長兵衛を囲む。
「——丹下さん、堀部です」
正面に数歩の間隔を距《へだ》てて対すると、安兵衛は組んでいた腕をとき、
「あなたに別れを告げに推参しましたぞ」
「…………」
「この期に及んでは、もう何も申上げることはない。あなたが勝つか、我々の至誠が天にとどくか……丹下さん、わたしは全力をつくして貴方を斬る。あなたの方も、存分に懸って来て頂き度《た》い」
言って、合羽を脱ぎ捨て、業物《わざもの》に手をかけた。
典膳の表情はよく見えなかったが、浪人|髷《まげ》が無言のうちにみるみる白く雪をのせていった。
「先、先生……何故黙っていらっしゃるんです。何故この人たちに吉良邸での本当のことをお話しなさらねえんで?……か、懸っちゃいけねえ先生。……あ、あ、相手は五人だ、い、いけねえ、本当のことを」
「長兵衛、その方出ては危い……退《さが》っておれ」
上体が半身になると、ゆっくり隻腕《せきわん》の手が刀にかかった。
「ま、待っておくんなせえ皆さん、どういうわけでこんな目に先生をおあわせなさるのか、わっち共にゃ分らねえと仰有りゃあ」
「退《ど》け長兵衛」
「いいや、どきません。——堀部さん、お前さんだって確か、浪人なすった時期がおありじゃあござんせんか、え? 元はと言やあケチな浅野のお殿様から起ったことだ、それを」
「おのれ町人」
「長兵衛危いと申すに」
脇《わき》から、嚇怒《かくど》した鈴田重八が突如抜討ちを仕懸けるのへ、長兵衛の肩をどんと押し、間一髪のがれさせる。鞠《まり》のごとく長兵衛は雪に横転した。
そうなると、既に私闘の火ぶたは切られたも同じである。
「——毛利小平太、相手をいたすぞ。——来い」
すらりと太刀を抜くと、同時にキラリ、キラリ……安兵衛以外の三人が左右で抜刀した。
典膳は徐《おもむ》ろに刀を抜いて、片手下段に切先を下げ、
「堀部さん、あなた方を拙者《せつしや》斬りたくはない。……この勝負、あなたとわたしだけにきめては貰《もら》えぬか」
端麗な容姿に、侘《わ》びしい笑みを口許《くちもと》が含んで言う。
安兵衛は息をのんで、少時、らんらんと光る眼で相手を見戍《みまも》った。
「——よかろう、いかにもわたしがお相手いたそう」
言って、
「各々《おのおの》は手出しはならんぞ」
顎の紐を解くと雪の夜空高く笠を抛げ上げ、
「丹下さん、いざ」
相州物を抜き放って心地流極意の星眼につけた。
「い、いけません。先生、ほ、堀部さん、どちらもさがっておくんなせえ」
雪をよろばい乍《なが》ら起ち上った長兵衛が二人の中へ割って入ろうとする。
「下司《げす》、控えい」
身近にいた中村清右衛門が矢庭に上段から斬下げた。
「!……」
無言で典膳の身が横に動く。血煙りを噴上げ、どうと朱に染って倒れたのは中村清右衛門自身である。
「お、おのれ……」
もはや制すべくもなかった。鈴田重八が突きを入れ、毛利は脇から抜討ちを懸けた。典膳の袖《そで》が腕の無い肩口で裂けた。鈴田、毛利の両人は水もたまらず「あっ」と叫んで仰反《のけぞ》った。倒れてから両人はぷうーっと背すじより血を奔《ふ》いた。
見る見る足許《あしもと》の雪が鮮血ににじんでゆく。
この間、一呼吸の間もなかった。
さすがの長兵衛も声をのんで棒立ちになる。
地底から湧《わ》くように沁《し》み拡《ひろ》がってゆく鮮血に見る見る雪は溶けにじんだ。典膳と安兵衛はその血溜《ちだま》りを距《へだ》て、無言に対峙《たいじ》した。粉雪がそんな両者の間に隙間《すきま》もなく降った。
横川勘平は刀の鍔を無意識に鳴らしている。それほど力一杯、彼はおのが太刀を小刻みに顫《ふる》える手で握り緊《し》めていたのである。
安兵衛が勝てるとはもう勘平にも信じられなかったのだろう。同志三人を仆《たお》し、冷然と立つ典膳の片手に下げた太刀先には些《いささ》かの息切れもなかった。血|のり《ヽヽ》の付いたその白刃に雪は吸われるように降り注ぎ、音もなく解けていった。
ここで安兵衛までが斬られるようでは、宿敵上野介の首級を挙げるべき本望も挫折《ざせつ》するかも分らぬのである。
……ヒクリ、と安兵衛の肩がけいれんしたのはこの時であった。安兵衛は少しずつ、少しずつ……典膳を凝視して右へ迂回《うかい》し出した。足許の雪を血が浸して来る。斬込むとき滑らぬ要慎《ようじん》に位置を移動したのである。すると典膳も安兵衛の迂回につれて動き出した。二人は亡骸《なきがら》の横たわる場所から徐々に離れた。勘平と長兵衛はともに釘《くぎ》づけになりその場を動き得なかった。
安兵衛の剣尖《けんせん》が、気合をひそめて上下にゆるく浮沈しはじめた、心地流星眼の構えの儘《まま》で。
典膳の片手下段が、すると徐々に青眼に上げられ、尋《つい》で同じく剣尖に波をうたせ出した。両者は、それを互い違いに上下させつつ次第に接近しはじめていったのである。
雪は乱舞しつづけた。
境内は森々《しんしん》と静まり返っていた。
声にならぬ気合が双方の口から同時に出た。二条の銀蛇が雪の一片を切り閃《ひら》めいた。
「典膳」
声を発したのは安兵衛の方である。典膳の片手がだらりと太刀を下げた。典膳はよろめいて枝に白く雪の積った傍《かたえ》の桜の木まで、蹌踉《そうろう》と歩み寄り頭蓋《ずがい》から血を奔《ふ》いてくるりと一回転して雪に倒れた。
典膳の死体は、鼻唇まで一刀を浴びていたが、目は大きくあけて死んでいたそうである。
十四日になった。
討入りの集合時刻は夜半、厳格に言えば十五日の暁、寅《とら》の上刻(午前四時)で、集合所は堀部安兵衛の道場である。
内蔵助はこの日、昼のうちに、にわかに帰国することになったといって、諸払いを済ませたが、夕方|頃《ごろ》、小野寺十内とともに駕籠《かご》にのって矢の倉米沢町の堀部弥兵衛宅へむかった。
弥兵衛老はいよいよ今夜討入りというので、同志一同にもれなく招待を発して出陣の祝酒を献じたいから、暇を見て来てくれるようにと触れてあったのである。
よろこんで皆は出掛けて行く。内蔵助同様、いずれも家主には明日上方へのぼる等と挨拶《あいさつ》し、店賃《たなちん》を払い、近隣その他縁者へもそれとなく暇乞《いとまご》いをして来た。そうして冬の日の暮れるのをまって弥兵衛宅の酒宴につめかけた。
料理は勝栗(敵に)、敵の首をとってよろ昆布《こんぶ》、名をとれとて菜鳥《なとり》の吸物という具合に、出陣の吉例にかなえてあった。甲斐甲斐《かいがい》しく老妻と安兵衛の妻|こう《ヽヽ》が同志の接待をした。どちらも良い分の不断着に着替えて髪を綺麗《きれい》になでつけてあった。
内蔵助が到着して間もなく、主税が来、吉田忠左衛門父子が来、原惣右衛門も顔を出した。宴《うたげ》がはじまると各自に快よく数|盃《はい》を酌《く》んで、さいわい一昨夜来の大雪も歇《や》み、今宵は白|皚々《がいがい》たる月夜となろう、見通しも利《き》いて本望成就疑いない、これも天の御加護であろうと喜びあった。
吉良邸討入りにあたっての統率大石内蔵助の行装《いでたち》は瑠璃紺緞子《るりこんどんす》の着込みの上に定紋付きの黒|小袖《こそで》、黒|羅紗《らしや》の羽織を着して、頭には黒革包みの白革|縁《べり》をつけた兜頭巾《かぶとずきん》に紅革の忍びの緒をつけ、腰には黄金作《こがねづく》りの太刀と脇差《わきざし》、軍麾《さいはい》を挟《はさ》んだもので、あらかた映画や芝居の感じに似ている。ただ、芝居では襟《えり》に名前を書いているが、実際は名前や生国は右の袖の端に縫付けた白布にかいた。それも皆が皆ではなかった。
合言葉は山と川。女子供、逃げる者はこれを追わず、上野介の首級をあげれば、ひきあげの場所へ持参の用意に死骸《しがい》の上着で包むこと。子息左兵衛の首はとっても持参に及ばず。引揚げの出口は裏門たること。吉良、上杉より追手のかかった時は、総勢しずまってふみとどまり、勝負すること。
——すべて、すでに内達ずみの条々である。
討入りの行装は出陣本部たる堀部安兵衛宅に勢揃《せいぞろ》えのうえととのえることになっていた。
さて大石以下おもだった面々が宴に揃うと、弥兵衛老は上機嫌《じようきげん》で、
「それがし昨夜夢のうちに、生れてはじめて俳句なるものをひねり申した。句になっておるかどうか存じ申さんが、披露《ひろう》いたせばこうでござる」
言って、
雪はれて心にかなう朝《あした》かな
と吟じたので一座は手を拍《う》って喝采《かつさい》した。内蔵助自身もよほど愉《たの》しかったのだろう、手拍子をとりながら、みずから一曲をうたった。
唄《うた》はいつ果てるともなかったが、そのうち、集合の子《ね》の刻近くなったので、先《ま》ず同志をその座に残し内蔵助は十内とともに、集合本部たる安兵衛の宅へむかった。
安兵衛宅にはすでに同志が陸続とあつまっている。
同じ本所三ツ目横丁の杉野十平次宅、本所二ツ目|相生町《あいおいちよう》(吉良家裏門通り)米穀商・前原伊助宅にそれぞれ集まってから、時刻を期して堀部安兵衛方へ集合する手筈《てはず》に定められていたのである。
この時はまだ、誰も討入りの装束は着込んでいない。道場と奥座敷に車座になり、親しい者同志さり気なく談笑していた。或る者は討入りの頭巾にそっと辞世の句を書いて縫いつけている。金子|一歩《いちぶ》を襟へ付ける者もある。出陣にあたって鳥目《ちようもく》百文ずつを、各自に持参するよう定められているが、これは長働きをして空腹になった場合の給物の用意で、もし早々に深手を負うた時には見苦しいから捨てるように申合わされていた。襟へ一歩金を縫いつけたのは討死をして、死骸を引取ってくれる者の為なのである。中には木村重成の故事にならって頭巾へ香を焚《た》き込んでいる者もあった。
大石内蔵助が到着したと知ると、彼|等《ら》は一様に居ずまいを直し、はればれした眉《まゆ》をあげて銘々が会釈《えしやく》をした。同志の中には、よもやと思ったのに義に背いてか、まだ姿をあらわさぬ者がいる。誰が脱落し、誰が最後まで行を偕《とも》にするか。微妙な心理のあやは一同の胸底に翳《かげ》を落しているので、内蔵助の到着をほっとして、はればれと見上げたのだろう。
内蔵助は厳粛のうちにも微笑を含んでそんな誰彼の会釈にこたえると、彼等のかたわらを通り、
「堀部は何処じゃな?」
一人に尋ねて奥座敷へ入った。
四五人が、安兵衛を中に此処《ここ》でもひそやかな酒宴を張っていた。杉野十平次、赤垣源蔵、武林唯七ら武人派の面々である。何となく荘重な面持で横川勘平の青ざめた顔も混っている。
安兵衛は内蔵助のはいって来たのを、
「これは」
目迎えると座を移って上座に据《す》えた。それから複雑な目顔で、無言に会釈をした。手首に白い包帯を巻いていた。昨夜の傷である。
「身共にも一献いただこうか」
内蔵助は小野寺十内と並んで座につくと杉野十平次へ言った。
「は。では拙者《せつしや》から」
十平次は手ずから徳利を携えて大石の前へいって、注ぐ。
昨夜、典膳を仆《たお》したあと安兵衛は大石の許《もと》へ赴いてありの儘《まま》を告げた。同志毛利小平太、鈴田重八、中村清右衛門。右三人の即死を愬《うつた》えると、
「そのことは他の同志には内密にいたしておくように」
大石は言った。典膳ほどの付け人は恐らくもういるとは思えぬが、事を明かして、同志に要らざる不安や危惧《きぐ》をいだかせてはならぬ、内分にするようにと言ったのである。
杉野十平次らは、だから右の三人が既に死んでいるとは知らぬ——
とかくするうちにいよいよ出発の寅の刻近くなったので、各自、武装をととのえた。
集まった総勢すべて四十七人。
一同は雪と十四日の月で真昼のように明るい通りを粛然と押して、吉良邸の屋敷|辻《つじ》ちかくに到着した。四十七の黒い影は雪の上を鮮やかに隈取《くまど》っている。天地セキとして義徒の雪を踏む足音のみが微かに鳴る。塀《へい》に沿うて一たん整列した一同は、総帥《そうすい》大石内蔵助の最後の荘重な命令を聴いた。
「今こそ我等不倶|戴天《たいてん》の仇を屠《ほふ》って本望を遂げる時が参った。各々我とわが手を砕き、粉骨砕身きっと敵のしるしを挙げられたい。万一、夜が明けても首尾よく仇を討取れぬ場合は、一同武運の窮《きわま》るところ、是非に及ばず、此家に火を放《か》け、其中に飛び込んで切腹する以外にはござらぬ。ぬかりなく、存分の働きを致されるように」
その声は凛《りん》として暁の雪空に響いたが、落着いて非常に静かな声だったそうである。
一同思わず武者振いして、骨鳴り肉《しし》動くのを禁じ得ない。ここで同勢は東西二手に別れ、表門と裏門に向った。
東組 表門の方
家の内へ斬込 九人
槍 片岡源五右衛門
同 富森助右衛門
同 武林 唯七
長太刀 奥田孫太夫
ほか五人
場の内(玄関固め)
長太刀 大高 源吾
刀 近松 勘六
半弓 神崎与五郎
同 早水藤左衛門
ほか二人
表門の内
槍 大石内蔵助
同 原惣右衛門
同 堀部弥兵衛
岡野金右衛門
横川 勘平
ほか三人
人数|〆《しめ》て二十三人
西組 裏門の方
家の内へ九人
槍 磯貝十郎左衛門
長太刀 堀部安兵衛
杉野十平次
赤垣 源蔵
ほか五人
場の内(門内固め)
槍 大石 主税
同 吉田忠左衛門
同 小野寺十内
ほか二人
長屋防ぎ
槍 不破数右衛門
刀 前原 伊助
槍 木村岡右衛門
ほか六人
人数〆て二十三人
吉良家では本年最後の茶会として大友近江守義孝を主賓に、茶の湯を楽しんで客は帰った。跡片付をして、寒夜を衾《ふすま》の中で暖かに寝込んでいた最中《さなか》である。
内蔵助は無言で軍麾《さいはい》をサッと振った。
二|挺《ちよう》の竹梯子《たけばしご》が塀の屋根に懸けられる。勇みに勇んだ大高源吾、間《はざま》十次郎、小野寺幸右衛門、岡島八十右衛門などが競って攀《よ》じ登る。
堀部弥兵衛老人までが、負けじ魂で後れじとばかり梯子に手をかける。血気の人々は屋根より次々と雪の上へ飛び下りた。梯子は向うからこちらへと掛替えられ、人々は乗りこえたが、原惣右衛門と神崎与五郎は屋上の雪に足を滑らし、どっとばかり大地に転落した。弥兵衛老には大高源吾が手をかして抱きおろした。
只《ただ》ならぬ物音に愕《おどろ》いた門番三人が、何事かととび起きて来たのを有無を言わさず、一人は突殺し、あとの二人は引捕えて柱にくくりつける。
その間に玄関前正面へ四十七人連署の『浅野内匠頭家来口上書』を結《いわ》えつけた竹竿《たけざお》が立てられた。
[#この行2字下げ]去年三月、内匠儀、任奏御馳走ノ儀ニ付、吉良上野介殿ヘ意趣ヲ含ミ罷《まか》リ在リ候《そうろう》処、殿中ニ於《おい》テ、当座ニ遁《のが》シ難キ儀御座候カ、刃傷ニ及ビ候。時節場所ヲ|弁ヘ《わきま》ザル働キ不調法至極ニツキ切腹仰セツケラレ、領地赤穂城ヲ召上ラレ候儀、家来共マデオソレ入リ存ジ奉リ、上使ノ御下知ヲ受ケ、城地差上ゲ、家中|早速《さそく》ニ離散仕リ候。右|喧嘩《けんか》ノ節御同席御抱留ノ御方コレアリ、上野介殿ヲ討留メ申サズ、内匠末期残念ノ心底、家来共シノビ難キ仕合ニ御座候。高家御歴々ニ対シ家来ドモ鬱憤《うつぷん》ヲサシハサミ候段ハバカリニ存ジ奉リ候得共、君父ノ讐《あだ》ハ共ニ天ヲ|戴カ《いただ》ザルノ儀、黙止シ難ク、今日上野介殿御宅ヘ推参仕リ候。ヒトヘニ亡主ノ意趣ヲ継グ志マデニ御座候。私共死後モシ御見分ノ御方御座候ヘバ、御披見願ヒタテマツリ、カクノ如クニ御座候、以上。
元禄十五年極月 日
浅野内匠頭長矩 家来連署
前章にも書いた通り、表門は手をつけず飛び越えたが、裏門には三村次郎右衛門が大かけやを揮《ふる》って之《これ》を打破り、大石主税、堀部安兵衛以下二十三人は疾風《はやて》の如《ごと》く一度にどっと雄叫《おめ》き入った。
歴史に燦然《さんぜん》たる赤穂浪士の討入りはこうしてはじまったのである。
(筆者が四十七士とせず義士四十六人と書いて来たのは、裏門攻めに加わった筈の寺坂吉右衛門の行跡に、いろいろ不審の点があるからで、討入り当夜にも門前から姿を消して事実上は参加しなかった。むろん「四家へお預けの上、切腹」の人数にも加わっていない)
討入りから、めざす上野介の首級を挙げ、引揚げにかかったのが卯《う》の刻(午前六時)すぎだから、正味二時間の乱闘だった。隣家の土屋主税邸では、吉良邸の騒がしさに暁の夢をさまされ、高張|提灯《ぢようちん》を煌々《こうこう》と立て連ねて家士が警固した。十内はその方に向って「我等は故浅野内匠が遺臣。亡君の恨《うら》みをはらさん為今夜上野介どのの御首頂戴に推参仕った。武士は相身互い、何卒《なにとぞ》お手出しは無用にねがい申す」そう高声に呼ばわって回ったという。
丁度そんな頃である。裏門より攻入った一行のうしろに影の如く添うた一人、ふたりの姿があった。
人影は、丹下典膳の叔父で丹下久四郎とそのお供である。
典膳が浪人して七年。丹下家は叔父久四郎によって辛うじて家名をとどめていた。もともと典膳は丹下家の本家筋にあたる。それが隻腕《せきわん》となり、家を断絶させたので大いに恥じて叔父久四郎とも交渉を絶っていたのが、七年ぶりで一昨十三日の朝、突如、使いを寄越し、今宵《こよい》かならず谷中の七面社へ遺骸引取りにお出《い》で下さるようにと言って来たのである。
典膳が吉良の付け人になっているとは叔父は知らぬ。
「遺骸と申すが、一体、だ、誰の遺骸じゃ?」
使いに尋ねると、
「わっちゃ、何も存じません。ただ、そのようにお伝え申してくれと頼まれて参りやしたので」
「その方の身許は?」
「人入れ稼業《かぎよう》白竿組の身内で巳之吉と申しやす」
「今宵、七面社じゃな?」
「へい。なるべくなれば五ツ刻《どき》前にお出で願い度いと……」
「左様か。では兎《と》も角《かく》も罷り越す」
久四郎はわけは分らぬ乍《なが》らに同日、七面社へ出向いてみると、既に典膳は安兵衛の刃《やいば》に仆《たお》され事キレていた。その死骸に取|縋《すが》って、声をあげて男泣きに慟哭《どうこく》する白竿長兵衛——
叔父久四郎に遺骸を引取りにと頼むからには、最初から安兵衛に典膳は斬《き》られる覚悟だった。そう思うと、横川勘平もさすがに暗然とうなだれていた。安兵衛は久四郎が典膳の叔父と知ると居ずまいを正し、
「武士の義に殉じる道に二つはござらぬ。いずれ、典膳どのの友誼《ゆうぎ》に酬《むく》いる日も参ろうか」
そう言って鈴田重八ら三人と、典膳の死骸を、雪の降りしきる中で手分けしてねんごろに取片付け、さて十五日払暁、丹下さんに代り我等の壮途をお見届け下さるようにと頼んだのである。それで丹下久四郎はひそかに義士の壮挙を見届けに来た。尚《なお》、つけ加えておくと、久四郎の他にも、大石内蔵助の一族で大石三平、堀部弥兵衛の甥堀部九十郎、近松勘六の忠僕甚三郎なども夫々《それぞれ》義挙のなりゆきを案じて夜もすがら門外を徘徊《はいかい》していたという。
夜明けの卯の刻、ついに上野介の首級は挙げられた。一同は本望成就して晴れやかな面持《おももち》で泉岳寺に引揚げた。天下は義士への仰讃《ぎようさん》で沸きたった。さまざまな伝説と虚実おりまぜた挿話《そうわ》、逸話が四十六士の身辺を飾った。
そんな中で、只一人、くるしい酒をあおり、連日男泣きに泣いていたのは白竿屋長兵衛である。
「ば、馬鹿《ばか》な……誰がいってえ偉えんだ。……誰が赤穂浪士に本当に尽くしたんだ。吉良の付け人にまでなって……分らねえ、わっちにゃ、お侍のすることは分らねえ……なあお三、な、泣くんじゃあねえよ……」