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水平線ストーリー06

时间: 2020-08-01    进入日语论坛
核心提示:恋とは何か君は知らない風が吹いた。プールサイドを、たそがれの風が渡ってきた。風は、ココナツ・オイルの匂《にお》いと、ピア
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恋とは何か君は知らない

風が吹いた。
プールサイドを、たそがれの風が渡ってきた。風は、ココナツ・オイルの匂《にお》いと、ピアノの音を僕のところに運んできた。
ピアノは、エレクトリック・ピアノだった。といっても、安っぽい音ではない。かなりタイトで重みのある音だった。
軽くジャズのワン・フレーズを演《や》った。ビル・エバンス風のフレーズ。その切れっぱしを、サラリと弾いた。
デッキチェアーに寝っ転がっていた僕は、思わず体を起こした。
      □
 タイ。プーケット島。
リゾート客のための島だ。その島にいくつかあるホテルの1つに、僕は滞在していた。
かなりグレードの高いホテルなんだろう。日本人のパックツアー客は、いなかった。僕以外の客は、すべて白人だった。
いまは、たそがれの5時。
ほとんどの白人客たちは、プールサイドから部屋に引き上げていた。
僕は、プールサイドのデッキチェアーにかけていた。たそがれていく空の色をながめていた。ピアノの音がきこえてきたのは、そのときだった。
僕は、音のした方を見た。僕のいるところからほんの15メートルぐらい先。低くて小さなステージがある。ステージには、ドラム・セット。ギター・アンプ。そして、エレクトリック・ピアノがあった。
もうしばらくすると、このプールサイドでディナー・タイムがはじまる。そのときに演奏するためのステージだった。
いまはまだ、客の姿はない。タイ人の従業員たちがテーブルをセッティングしている。ステージの上。中年の白人男が1人だけ、ピアノの前に坐《すわ》っていた。音質のチェックをしているらしかった。
男は、僕に気づいた。僕は彼に微笑《わら》いかけ、
「ワン・モア・フレイズ」
と言った。彼は、小さく肩をすくめた。さらに、ワン・コーラス弾いてくれた。
彼は、やがてピアノの前から立つ。音質チェックを終えたんだろう。ゆっくりと、僕の方にやってきた。
「ジャズが好きなのかい?」
「まあね。大学のとき、1年ほどジャズ・バンドにいたんだ」
と僕は言った。
「お礼に、ビールでも1杯、おごらせてくれないか?」
と言う僕に、彼は、うなずいた。
僕は、タイ人のウエイトレスを呼んだ。小柄でかわいいウエイトレスがやってきた。
「僕はバドワイザーにするけど?」
と僕は彼にきいた。
「私もバドワイザーがいい」
と彼。ウエイトレスは、優しく微笑《ほほえ》んでバーの方へ歩いていく。その後ろ姿を見送って、
「タイの女の子はみんなかわいい。けど、ビールはいまいちだな」
僕は、つぶやいた。ピアニストの彼も、
「同感だよ」
と白い歯を見せた。フィルという名前だと自己紹介をした。僕も名のる。軽く握手した。
やがて、よく冷えたバドワイザーが運ばれてきた。
      □
「キハラっていう日本人のジャズ・プレーヤーを知らないか?」
フィルが、きいた。何か、雑談をしている最中のことだった。急に思い出したように、フィルがきいてきたのだ。
「キハラ……」
僕は、つぶやいた。少なくとも、ジャズ・プレーヤーとしては、きき覚えがなかった。
「知らないなァ……」
「そうか……」
「で、そのキハラがどうかしたのかい?」
フィルは、ビールをグイと飲む。
「つい2、3年前、キハラはこのタイで演奏してたんだ」
と話しはじめた。
「彼は、キハラは、サックス・プレーヤーでね……」
「腕が良かった?」
「そりゃもう……」
とフィル。ちょっと遠くを見る表情。
「鋭いナイフみたいな切れ味のフレーズを吹くサックス・プレーヤーだったよ」
「ナイフか……」
「キハラは、その頃、イエロー・バードと呼ばれていたんだ」
「イエロー・バード?」
「そう……。つまり、東洋人のバードって意味さ」
とフィル。ニッと微笑《わら》った。そうか……。あの伝説のジャズ・プレーヤー、チャーリー・パーカーは確かバードと呼ばれていた。
「そして彼は若かった。いつか一線のプレーヤーになるだろうと、私たちはみんな思っていたよ。ところが……」
「ところが?」
「彼は、タイ人の娘と恋に落ちたんだ。黒くて大きな瞳《ひとみ》をしたかわいい娘だった」
「…………」
「そして……彼の演奏は、急に鋭さがなくなっていった」
「…………」
「鋭く、とがって、聴く者に鳥肌を立てさせるようなフレーズを、彼は吹かなくなった。吹けなくなったのかもしれない……」
「それで?」
「彼は、リゾート地のホテルやクラブによくいる、私たちみたいなごく平凡なプレーヤーになった……。自分でそう望んだのかもしれない。やがてそのタイ娘と結婚したらしい」
「いまは?」
「バンコクで見かけたという噂《うわさ》もきいたし、シンガポールのホテルで演奏してたという噂もきいたが……いまは、わからない……」
とフィル。暮れていく水平線を見つめて、
「いまも、ふと思うんだ。あのタイ娘と出会ったことが、彼、キハラにとって幸福だったのかどうかってね……」
僕は、軽いため息をついた。冷たいビールを、かみしめるように飲んだ。
「それは、神様にもわからないんだろうな、きっと……」
と、つぶやいた。
      □
 僕は、足を止めふり向いた。プールサイドでフィルたちの演奏がはじまった。ごく軽い調子で〈You Don't Know What Love Is〉を弾きはじめた。〈恋とは何か君は知らない〉。
この〈君〉とは、フィルであり、僕であり、すべての男なのかもしれないと思った。僕は、自分の部屋に向かって、ゆっくりと歩きはじめた。
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