クラクション。
短く3回。本郷《ほんごう》通りに響いた。
僕は、足をとめた。ふり向く。
真夏だった。まぶしい陽ざしの下、白いクルマがとまっていた。スカイラインGT、いわゆるスカGだ。
僕は眼を細めた。運転席のウインドがおりて、女の子が手を振っていた。直美《なおみ》だった。
□
僕と直美は、幼なじみだった。
本郷で生まれ育った。小学校、中学校は同じ。高校で分かれた。
僕は都立高校へいき、彼女はエスカレーターで進学できる女子大の附属高校に進んだ。
学校が別べつになっても家が近いから、よく遊んだ。恋人とかガールフレンドという感じではない。近所の遊び仲間といったところだ。
そして、その夏はふたりとも大学3年だった。
本郷で生まれ育った。小学校、中学校は同じ。高校で分かれた。
僕は都立高校へいき、彼女はエスカレーターで進学できる女子大の附属高校に進んだ。
学校が別べつになっても家が近いから、よく遊んだ。恋人とかガールフレンドという感じではない。近所の遊び仲間といったところだ。
そして、その夏はふたりとも大学3年だった。
□
「よお」
僕は言った。直美のスカGに歩いていく。
「エアコンが故障しちゃって、いま、修理屋からとってきたところ。まいったわ」
と直美。運転席から顔を出して言った。
「エアコンか……そりゃ、きついな」
と僕。ここ何日か、暑い日がつづいていた。エアコンの故障は確かに大変だったろう。
「どこにいくの?」
と直美。
「レコード屋」
僕は答えた。もちろん夏休み中だ。自宅が東京だから、帰省する郷里もない。
「じゃ、ヒマなんだ」
「まあね」
僕は答えながら空を見上げた。
「それにしても暑いな」
と、つぶやいた。午後3時なのに、陽《ひ》ざしはカリカリと照りつけていた。
「ビールでも飲みにいこうか」
と直美。
「ああ、いいよ」
「じゃ、ちょっとクルマ置いてくる」
と直美。クルマのギアを入れた。本郷通りから、わき道に入っていく。
彼女の家は、本郷通りから50メートルぐらい入ったところにある歯科医院だった。
5分ぐらいして、直美が戻ってきた。
デッキ・シューズ。スリム・ジーンズ。VANのロゴが入ったTシャツを着ていた。
まん中分けのストレート・ヘアー。歯科医の娘らしく、歯並びがきれいだった。
僕らは、近所の日本ソバ屋に入った。小さいころからいきつけのソバ屋だった。三代つづいた古い店がまえ。だけれど、古ぼけているわけではない。
むしろ逆だ。紺地に白文字のノレンはいつも清潔で、しょっちゅう店の前に打ち水がされていた。入口のわきには、必ず季節の花の鉢植えが置かれていた。
僕らは店に入る。午後のソバ屋は、ひんやりとして、静かだった。
テレビなど置いていないから、高校野球の中継などもやっていない。和服にエプロンをかけた店のおばさんに、僕らはビールとおつまみを注文した。
いま思い出しても、そのころから、近所の仲間と軽く飲むときはよく、そのソバ屋にいくことが多かった。喫茶店やカフェバー風の店もあったけれど、なぜか日本ソバ屋なのだ。
たぶん、それは自分たちの親や、近所のダンディーなおじさんたちの姿を見て、ごく当然のように覚えたのだと思う。夏はビール。春秋は冷や酒。冬は熱燗《あつかん》。そんな好みの酒を、すいているソバ屋の片すみで飲んでいる近所の大人たちが、僕ら若い連中から見て、絵になっていたのだと思う。
鳥ワサをつまみに、僕と直美はビールを飲みはじめた。スカGで白バイをぶっちぎった話をしている直美もまた、古い日本ソバ屋の中で、ごく自然でサマになっていた。付け焼き刃ではなく、時間をかけて身についたこととは、そういうものなのかもしれない。
僕は言った。直美のスカGに歩いていく。
「エアコンが故障しちゃって、いま、修理屋からとってきたところ。まいったわ」
と直美。運転席から顔を出して言った。
「エアコンか……そりゃ、きついな」
と僕。ここ何日か、暑い日がつづいていた。エアコンの故障は確かに大変だったろう。
「どこにいくの?」
と直美。
「レコード屋」
僕は答えた。もちろん夏休み中だ。自宅が東京だから、帰省する郷里もない。
「じゃ、ヒマなんだ」
「まあね」
僕は答えながら空を見上げた。
「それにしても暑いな」
と、つぶやいた。午後3時なのに、陽《ひ》ざしはカリカリと照りつけていた。
「ビールでも飲みにいこうか」
と直美。
「ああ、いいよ」
「じゃ、ちょっとクルマ置いてくる」
と直美。クルマのギアを入れた。本郷通りから、わき道に入っていく。
彼女の家は、本郷通りから50メートルぐらい入ったところにある歯科医院だった。
5分ぐらいして、直美が戻ってきた。
デッキ・シューズ。スリム・ジーンズ。VANのロゴが入ったTシャツを着ていた。
まん中分けのストレート・ヘアー。歯科医の娘らしく、歯並びがきれいだった。
僕らは、近所の日本ソバ屋に入った。小さいころからいきつけのソバ屋だった。三代つづいた古い店がまえ。だけれど、古ぼけているわけではない。
むしろ逆だ。紺地に白文字のノレンはいつも清潔で、しょっちゅう店の前に打ち水がされていた。入口のわきには、必ず季節の花の鉢植えが置かれていた。
僕らは店に入る。午後のソバ屋は、ひんやりとして、静かだった。
テレビなど置いていないから、高校野球の中継などもやっていない。和服にエプロンをかけた店のおばさんに、僕らはビールとおつまみを注文した。
いま思い出しても、そのころから、近所の仲間と軽く飲むときはよく、そのソバ屋にいくことが多かった。喫茶店やカフェバー風の店もあったけれど、なぜか日本ソバ屋なのだ。
たぶん、それは自分たちの親や、近所のダンディーなおじさんたちの姿を見て、ごく当然のように覚えたのだと思う。夏はビール。春秋は冷や酒。冬は熱燗《あつかん》。そんな好みの酒を、すいているソバ屋の片すみで飲んでいる近所の大人たちが、僕ら若い連中から見て、絵になっていたのだと思う。
鳥ワサをつまみに、僕と直美はビールを飲みはじめた。スカGで白バイをぶっちぎった話をしている直美もまた、古い日本ソバ屋の中で、ごく自然でサマになっていた。付け焼き刃ではなく、時間をかけて身についたこととは、そういうものなのかもしれない。
□
数年後。クルマ好きの直美は、クルマの設計にかかわるエンジニアと結婚した。会社から派遣された夫と一緒に、いまは西ドイツで暮らしている。
僕はいまも、そのソバ屋にいく。ひとりで、ときには悪友と、静かな午後の店で、よく冷えたビールを飲む。アウトバーンを時速200キロで走っているだろう直美のことを、ふと思い出しながら……。
僕はいまも、そのソバ屋にいく。ひとりで、ときには悪友と、静かな午後の店で、よく冷えたビールを飲む。アウトバーンを時速200キロで走っているだろう直美のことを、ふと思い出しながら……。