「おい、どうした」
僕は言った。
並んで坐っているマークの肩を、軽く突ついた。
マークは、われに返る。僕のほうをふり向く。
「いや……」
と、口ごもった。ぬるくなったビールを、ひと口飲んだ。
午後3時半。
ミクロネシアの島。そのリゾート・ホテルのプールサイドだ。
僕とマークは、プールサイド・バーのカウンターに並んでビールを飲んでいた。
マークとは、かなり長いつき合いだった。
彼はカリフォルニア育ちの白人。この島に住みついてウインド・サーフィンのインストラクターをやっている。
20代の終わり頃で、ハンサムだった。当然のように、プレイボーイだ。
何年か前。僕は、この島にコマーシャルの撮影にやってきた。ウインド・サーフィンのシーンが必要だった。マークに、出演してもらった。それ以来のつき合いだった。
今回も、僕らはロケでやってきた。が、今日は天気がひどく安定しない。しかたなく、午後は|休み《オフ》にした。マークも、午後は仕事がないらしい。で、ふたりでビールを飲んでいた。
僕が彼の肩を突ついたのは、そんな時だった。
マークにきかなくてもわかった。彼は、ひとりの女性客をながめていたのだ。それもかなり熱心に。
「珍しいな。あんたが日本人に興味をしめすなんて」
と僕は言った。
マークが一緒にいる女は、いつも白人だった。日本人観光客の多い島なのに、日本人と歩いているのは、見たことがなかった。
が、いま、彼がながめているのは、まぎれもなく日本人の女性客だった。
プールサイドに並んだ白いデッキ・チェアー。そこにひとりでいた。背もたれに体をあずけ、両ヒザは立てていた。いかにも、リゾートなれした雰囲気だった。
20代の中頃だろうか。ココア色のビキニ。きっちりとまとめた髪。もちろん、なかなかの美人だ。が、
「わかったよ」
とマークが言った。
「俺は、白人の女が好きなんじゃなくて、プールサイドやビーチで本を読んでる女が好きなんだな……」
「なるほど……」
僕は、つぶやいた。
確かに、そうだ。リゾート地で、白人は本当によく本を読んでいる。けれど、日本人の女性で本を手にしている姿は、まず見かけない。ところが、いまマークが熱い視線を注いでいる日本人客は、1冊の文庫本を読んでいた。
カバーをはずしてあるから、本のタイトルはわからない。薄茶の文庫本を読みながら、そばのテーブルに置いたグラスを口に運んでいた。
プールサイド。ビキニ。1冊の本。そして、1杯のグラス。
それらが、さりげなく、絵になっていた。もちろん、本人は意識していないのだろうが。
「どうして、プールサイドで本を読んでる女っていいんだろう」
とマーク。僕は微笑《わら》いながら、
「簡単さ。水着姿、つまりボディと、本、つまり知性の組み合わせが、男にとっちゃ魅力的なのさ」
と言った。僕自身、マークと同じ好みだからわかるのだ。
やがて彼女は通りかかったウエイターにグラスのおかわりを注文した。
ウエイターがバーに戻ってくる。彼女が何を飲んでいるのか、マークが注目しているのがわかる。ウエイターは、バーテンダーに、
「薄目のウオッカ&ペリエに、ライムを絞って」
と彼女の注文を伝えた。遅い午後に飲む酒としては、悪くない。少なくとも、知性が感じられる。
マークも、同じことを思ったらしい。軽く片方の眉《まゆ》を上げて見せた。
彼女は、読み疲れたのか、文庫本をテーブルに置いた。休憩らしい。
足もとに置いたサンターン・オイルをとる。腕に塗りはじめた。
そのときだった。
彼女に声をかけるために、マークがバーのスツールを立った。
プールを渡ってきた風が、文庫本のページをパラリとめくって過ぎた。