陽《ひ》ざしの中を歩いていく僕とミッシェルを、牛の引く車が追いこしていく。
木でできた牛車には、イギリス人やフランス人の観光客たちが乗っていた。みなピンク色に陽灼《ひや》けして、カメラを持っていた。メトロノームみたいに揺れる牛のシッポをながめながら、僕とミッシェルはゆっくりと歩いていた。
□
インド洋。セイシェル。
僕はまた、この島々を訪れていた。前回ここにきたときは広告のロケだった。今回は完全なプライベート。書くべき小説をほんの少しと、読むべき小説をたくさん持って、南緯4度のこの島にきたのだ。
いま僕が滞在しているのは、セイシェル諸島の中の1つ、プララン島。海は遠浅で、双子椰子《ココ・デメール》のしげる谷は深い緑だ。ブーゲンヴィリアや、白いバニラの花が、モンスーンの微風に揺れている。
この島で、僕はレンタカーを借りていた。クルマは日本製の小型ジープで、こっちでは〈SA《サ》MU《ム》RAI《ライ》〉と名づけられていた。そして、ミッシェルはレンタカー・オフィスで働いていた。
僕はまた、この島々を訪れていた。前回ここにきたときは広告のロケだった。今回は完全なプライベート。書くべき小説をほんの少しと、読むべき小説をたくさん持って、南緯4度のこの島にきたのだ。
いま僕が滞在しているのは、セイシェル諸島の中の1つ、プララン島。海は遠浅で、双子椰子《ココ・デメール》のしげる谷は深い緑だ。ブーゲンヴィリアや、白いバニラの花が、モンスーンの微風に揺れている。
この島で、僕はレンタカーを借りていた。クルマは日本製の小型ジープで、こっちでは〈SA《サ》MU《ム》RAI《ライ》〉と名づけられていた。そして、ミッシェルはレンタカー・オフィスで働いていた。
□
ミッシェルは、|20歳《はたち》ぐらいだろう。白人の血に、少しだけ現地人の血が入っているらしかった。その分、肌がなめらかだった。
まっすぐな金髪を肩までのばしている。瞳《ひとみ》は薄いブルー。よく陽《ひ》に灼《や》けて、うぶ毛が金色に光っていた。
南洋の人間には珍しく、テキパキと仕事をこなし、きれいな英語を話した。イギリスの大学にいくための学費をためているところだという。
「日本のクルマはかなり島に入ってくるけど、それを借りて運転する日本人は珍しいわ」
と、クルマを借りる僕にミッシェルは言った。
僕らは、ごく自然に話をするようになった。
そんなある日、僕は近くにあるラディーグ島にいこうと思った。クルマのかわりに、牛車が観光客の足になっている、のどかな島らしい。
「ラディーグ島にいくなら私が案内するわ」
ミッシェルが言った。
「あの島は私が生まれ育った所なの。あなたに見せたいものもあるし」
と彼女。ニコリと白い歯を見せた。結局、彼女に案内してもらうことにした。彼女の仕事が休みになる土曜日、僕とミッシェルは船に乗ってラディーグにやってきた。
まっすぐな金髪を肩までのばしている。瞳《ひとみ》は薄いブルー。よく陽《ひ》に灼《や》けて、うぶ毛が金色に光っていた。
南洋の人間には珍しく、テキパキと仕事をこなし、きれいな英語を話した。イギリスの大学にいくための学費をためているところだという。
「日本のクルマはかなり島に入ってくるけど、それを借りて運転する日本人は珍しいわ」
と、クルマを借りる僕にミッシェルは言った。
僕らは、ごく自然に話をするようになった。
そんなある日、僕は近くにあるラディーグ島にいこうと思った。クルマのかわりに、牛車が観光客の足になっている、のどかな島らしい。
「ラディーグ島にいくなら私が案内するわ」
ミッシェルが言った。
「あの島は私が生まれ育った所なの。あなたに見せたいものもあるし」
と彼女。ニコリと白い歯を見せた。結局、彼女に案内してもらうことにした。彼女の仕事が休みになる土曜日、僕とミッシェルは船に乗ってラディーグにやってきた。
□
ゆっくり歩いていく僕らを、観光客たちが乗った牛車が追いこしていく。桟橋から島のメイン・ストリートへの道を、僕らはのんびり歩いていく。メイン・ストリートといっても、雑貨屋と土産物屋が数軒あるだけの静かな通りだ。
「こっちに家族は?」
と僕がきいた。
「両親は小さなホテルをやっているわ。コテージが12あるの。兄は、フランスの大学にいってるの」
とミッシェル。
「あとで、うちのホテルに案内するわ」
と言った。僕らは、ラディーグ島のメイン・ストリートを抜ける。店やホテルがとぎれる。ココヤシの影だけが、砂地の道に揺れている。
「あなたに見せたいものが、もう少しいくとあるの」
とミッシェル。僕の腕をとって歩いていく。
ミッシェルは、ブーゲンヴィリアの茂みやヤシの木の間を抜けていく。やがて、広い所へ出た。
「あれよ」
とミッシェル。立ち止まって、上を見た。僕も立ち止まって見上げた。
岩山が、そびえ立っていた。セイシェル独特の花崗岩《かこうがん》の岩山だった。岩山は、かなりけわしかった。
「見せたいものって、あそこに立っているヤシの木だったの」
とミッシェル。上を指さした。
岩山の山頂に近いあたりに、1本のヤシの木が立っていた。
「あんな高い所に1本だけ立ってるなんて、不思議だと思わない?」
ミッシェルは言った。じっと、ヤシの木を見上げている。
「ああ、不思議だな……」
僕も、つぶやいた。普通、ヤシの実が木から地面に落ちて、そこから新しいヤシが生えるのだ。けれど、あの岩山に立っているヤシの木は、いったいどこからきたというのだろう……。
僕は、眼を細めてヤシの木を見上げていた。
「こっちに家族は?」
と僕がきいた。
「両親は小さなホテルをやっているわ。コテージが12あるの。兄は、フランスの大学にいってるの」
とミッシェル。
「あとで、うちのホテルに案内するわ」
と言った。僕らは、ラディーグ島のメイン・ストリートを抜ける。店やホテルがとぎれる。ココヤシの影だけが、砂地の道に揺れている。
「あなたに見せたいものが、もう少しいくとあるの」
とミッシェル。僕の腕をとって歩いていく。
ミッシェルは、ブーゲンヴィリアの茂みやヤシの木の間を抜けていく。やがて、広い所へ出た。
「あれよ」
とミッシェル。立ち止まって、上を見た。僕も立ち止まって見上げた。
岩山が、そびえ立っていた。セイシェル独特の花崗岩《かこうがん》の岩山だった。岩山は、かなりけわしかった。
「見せたいものって、あそこに立っているヤシの木だったの」
とミッシェル。上を指さした。
岩山の山頂に近いあたりに、1本のヤシの木が立っていた。
「あんな高い所に1本だけ立ってるなんて、不思議だと思わない?」
ミッシェルは言った。じっと、ヤシの木を見上げている。
「ああ、不思議だな……」
僕も、つぶやいた。普通、ヤシの実が木から地面に落ちて、そこから新しいヤシが生えるのだ。けれど、あの岩山に立っているヤシの木は、いったいどこからきたというのだろう……。
僕は、眼を細めてヤシの木を見上げていた。
□
「キリマンジャロの雪って知ってるかい?」
僕は、ミッシェルにきいた。
「ヘミングウェイの小説ね。読んだことはないけど……」
「その小説のはじめに、確かこんな内容の一節があるんだ。キリマンジャロの山頂に、凍りついた豹《ひよう》の死体があるんだけど、その豹がなぜ、雪をふみしめて命がけでそんな高い所まで登ったのか、誰にも説明ができない」
「…………」
「いま、あのヤシの木を見てたら、ふっとそのことを思い出した」
「……あのキリマンジャロに……」
ミッシェルは、つぶやいた。ここセイシェルからアフリカは近い。
「その豹の話、本当なのかしら……」
「さあ……小説だからフィクションかもしれないし、伝説みたいなものかもしれないな」
僕は言った。
「ただヘミングウェイが書きたかったことは、なんとなくわかるな。結局、人間の知恵とか、あさはかな常識とかじゃとても理解できない、〈|何か《サムシング》〉が、僕らの世界にはいろいろとあるってことなんだと思う」
「…………」
「あのヤシの木を見てたら、それがわかる気がしてきた」
ミッシェルが僕の横顔をじっと見ている。
「そんなふうに言ってくれた人、はじめてよ。私があのヤシの木を見せても、みんなたいした興味を示さないの。私は、子供の頃からあの木が好きだったから、それがとっても悲しかった」
「子供の頃から、あのヤシの木を好きだった?」
「そう……。何か特別な思いを抱いてたのね、あのポツンと孤独な木に……。でも、きょう、あなたにあの木を見せてよかった」
ミッシェルは言った。僕らは、陽《ひ》ざしに眼を細めて岩山を見上げた。ヤシの葉が、ゆったりと揺れていた。
その夜は、ミッシェルのホテルに泊まった。彼女と二人、コテージのベランダで流れ星をながめた。セイシェルの風は、タルカム・パウダーのようにサラリと乾いて、バニラの花の匂《にお》いがした。
僕は、ミッシェルにきいた。
「ヘミングウェイの小説ね。読んだことはないけど……」
「その小説のはじめに、確かこんな内容の一節があるんだ。キリマンジャロの山頂に、凍りついた豹《ひよう》の死体があるんだけど、その豹がなぜ、雪をふみしめて命がけでそんな高い所まで登ったのか、誰にも説明ができない」
「…………」
「いま、あのヤシの木を見てたら、ふっとそのことを思い出した」
「……あのキリマンジャロに……」
ミッシェルは、つぶやいた。ここセイシェルからアフリカは近い。
「その豹の話、本当なのかしら……」
「さあ……小説だからフィクションかもしれないし、伝説みたいなものかもしれないな」
僕は言った。
「ただヘミングウェイが書きたかったことは、なんとなくわかるな。結局、人間の知恵とか、あさはかな常識とかじゃとても理解できない、〈|何か《サムシング》〉が、僕らの世界にはいろいろとあるってことなんだと思う」
「…………」
「あのヤシの木を見てたら、それがわかる気がしてきた」
ミッシェルが僕の横顔をじっと見ている。
「そんなふうに言ってくれた人、はじめてよ。私があのヤシの木を見せても、みんなたいした興味を示さないの。私は、子供の頃からあの木が好きだったから、それがとっても悲しかった」
「子供の頃から、あのヤシの木を好きだった?」
「そう……。何か特別な思いを抱いてたのね、あのポツンと孤独な木に……。でも、きょう、あなたにあの木を見せてよかった」
ミッシェルは言った。僕らは、陽《ひ》ざしに眼を細めて岩山を見上げた。ヤシの葉が、ゆったりと揺れていた。
その夜は、ミッシェルのホテルに泊まった。彼女と二人、コテージのベランダで流れ星をながめた。セイシェルの風は、タルカム・パウダーのようにサラリと乾いて、バニラの花の匂《にお》いがした。