部屋のラジオが、8ビートのフレンチ・ポップスを流しはじめた。
ちょっと巻き舌の女性シンガーが、早口のフランス語で唄《うた》っている。
僕は、ベッドの上で目を開けた。ゆっくりと昼寝からさめていく……。
□
赤道の南。
フレンチ・ポリネシアの小さな島。
僕は、クリスマス前の数日を、のんびりと過ごしていた。
ハワイでコマーシャルの撮影をやった。春先からオン・エアされる予定のコマーシャルだった。撮影は順調に終わった。東京でフィルムを編集するまで、少し間があった。
僕とプロデューサーのFは、スタッフと別れてエアー・フランスでこの島に飛んできた。
忙しかったロケ中の疲れを、ほぐしていくつもりだった。
小さいけれど美しい島だった。ブーゲンヴィリア。ハイビスカス。そして、ティアレという白い花が咲き乱れていた。
島には3軒のホテルしかなかった。僕らは一番高いホテルに泊まった。といっても、2階建ての小さなホテルだった。東京のシティ・ホテル1泊分の料金で4、5泊できた。
昼食はフランス式。ワインを飲みながらゆっくりと片づける。朝から砂浜で本を読んだり泳いだりしているから、当然、眠くなる。僕とFは、それぞれの部屋に戻って昼寝をする。
そんな昼下がりのことだった。僕は、つけっぱなしにしてあったベッドサイドのラジオを消した。ベッドからおりる。アクビをしながらスニーカーをはく。部屋を出た。
僕らの部屋は1階だった。ベランダからそのまま外に出られる。すぐ前は砂浜だ。
ホテルの食堂へいってミネラル・ウォーターをもらってこようと思った。部屋の裏へ回った。そのときだった。逃げていく人影が見えた。
部屋の裏側はただの空き地だ。プルメリアの木にロープをはって、自分たちの洗濯物を干せるようになっていた。僕らも、洗濯物を干してあった。
人影は、どうやら洗濯物泥棒らしかった。僕のTシャツを1枚つかんで走っていく後ろ姿が見えた。
僕は、走り出す。追いかける。
逃げていくのは女の子だった。おまけにゴムゾウリをはいていた。スニーカーをはいている僕は、すぐに追いついた。女の子の腕をつかんだ。
彼女はバランスをくずす。つんのめる。草の上に転んだ。
フレンチ・ポリネシアの小さな島。
僕は、クリスマス前の数日を、のんびりと過ごしていた。
ハワイでコマーシャルの撮影をやった。春先からオン・エアされる予定のコマーシャルだった。撮影は順調に終わった。東京でフィルムを編集するまで、少し間があった。
僕とプロデューサーのFは、スタッフと別れてエアー・フランスでこの島に飛んできた。
忙しかったロケ中の疲れを、ほぐしていくつもりだった。
小さいけれど美しい島だった。ブーゲンヴィリア。ハイビスカス。そして、ティアレという白い花が咲き乱れていた。
島には3軒のホテルしかなかった。僕らは一番高いホテルに泊まった。といっても、2階建ての小さなホテルだった。東京のシティ・ホテル1泊分の料金で4、5泊できた。
昼食はフランス式。ワインを飲みながらゆっくりと片づける。朝から砂浜で本を読んだり泳いだりしているから、当然、眠くなる。僕とFは、それぞれの部屋に戻って昼寝をする。
そんな昼下がりのことだった。僕は、つけっぱなしにしてあったベッドサイドのラジオを消した。ベッドからおりる。アクビをしながらスニーカーをはく。部屋を出た。
僕らの部屋は1階だった。ベランダからそのまま外に出られる。すぐ前は砂浜だ。
ホテルの食堂へいってミネラル・ウォーターをもらってこようと思った。部屋の裏へ回った。そのときだった。逃げていく人影が見えた。
部屋の裏側はただの空き地だ。プルメリアの木にロープをはって、自分たちの洗濯物を干せるようになっていた。僕らも、洗濯物を干してあった。
人影は、どうやら洗濯物泥棒らしかった。僕のTシャツを1枚つかんで走っていく後ろ姿が見えた。
僕は、走り出す。追いかける。
逃げていくのは女の子だった。おまけにゴムゾウリをはいていた。スニーカーをはいている僕は、すぐに追いついた。女の子の腕をつかんだ。
彼女はバランスをくずす。つんのめる。草の上に転んだ。
□
「ごめんなさい」
彼女は、この島では珍しく、英語でそう言った。肩で息をつきながら、草の上に坐っていた。
15歳か16歳。白人だった。フランス人だろう。
少しくすんだ色の金髪は、ポニー・テールに結んでいる。ギンガム・チェックの半袖《はんそで》シャツ。カットオフ・ジーンズをはいている。一見、ハワイの娘《こ》みたいだった。
「これ……」
と少女。握っていたTシャツをさし出した。僕はそれを持つ。広げてみる。
かなり古いTシャツだった。5、6年前にロスで買ったものだ。袖は白。それ以外はブルー。胸に〈LOS《ロス》 ANGELS《アンジエルス》〉と描いてある。いかにもアメリカっぽいTシャツだった。それにしても、
「どうして、こんな古ぼけたTシャツが欲しいんだい」
僕は少女にきいた。少女の身なりは、カジュアルだけど、そう貧しそうには見えなかった。少女は無言で僕を見上げた。痩《や》せているけれど、リスのようなかわいい顔をしていた。
彼女は、この島では珍しく、英語でそう言った。肩で息をつきながら、草の上に坐っていた。
15歳か16歳。白人だった。フランス人だろう。
少しくすんだ色の金髪は、ポニー・テールに結んでいる。ギンガム・チェックの半袖《はんそで》シャツ。カットオフ・ジーンズをはいている。一見、ハワイの娘《こ》みたいだった。
「これ……」
と少女。握っていたTシャツをさし出した。僕はそれを持つ。広げてみる。
かなり古いTシャツだった。5、6年前にロスで買ったものだ。袖は白。それ以外はブルー。胸に〈LOS《ロス》 ANGELS《アンジエルス》〉と描いてある。いかにもアメリカっぽいTシャツだった。それにしても、
「どうして、こんな古ぼけたTシャツが欲しいんだい」
僕は少女にきいた。少女の身なりは、カジュアルだけど、そう貧しそうには見えなかった。少女は無言で僕を見上げた。痩《や》せているけれど、リスのようなかわいい顔をしていた。
□
「アメリカ製だから?」
僕は、きき返した。少女は無言でうなずく。
少女をつかまえてから10分後。僕らは、ヤシの並木をゆっくりと歩いていた。
「なぜ、アメリカ製が好きなんだい?」
僕は微笑《わら》いながら英語できく。少女もかなり上手な英語で、
「とにかく、アメリカが好きなの」
と答えた。
「アメリカが? 好き?」
「そうよ。服も、音楽も、何もかも好き」
少女は言った。声の調子が明るくなった。眼が、輝いている。
僕らは、島のメイン・ストリートにやってきた。メイン・ストリートといっても、小さな商店が3、4軒あるだけだ。午後の陽《ひ》ざしが、くっきりとした影を落としている。通りに人影はなかった。
「見て、あれが私の初恋の相手よ」
少女が言った。
彼女が指さしたのは、商店の壁。金属製の看板がはってあった。それは、マルボロの広告だった。おなじみのカウボーイが、煙草に火をつけていた。
「なるほどね……」
僕は、かすかに苦笑した。
「いつの日か、アメリカにいくの」
少女が言った。きっぱりとした調子だった。僕は、苦笑しながら、うなずいた。
「ノドが乾いたな、何か飲もう」
と言った。少女と一緒に店に入った。僕はライム・ソーダ。少女に、
「何か飲んでいいよ」
と言った。少女は明るい声で、
「コーク」
と言った。冷えたコカコーラの缶が出てきた。僕はパシフィック・フランで払う。
僕と少女は、店の入口にもたれて缶のトップを開けた。少女は元気よくコークを飲む。彼女にとっては、コークもまた夢のアメリカの一部なんだろう。
こんなに美しく静かな島から、わざわざアメリカにいかなくても……。僕はそう思った。けれど、ふと思いなおす。
考えてみれば、僕らの少年時代もそうだった。U・S・Aの3文字に、わけもなく憧《あこが》れたものだった。
それがアメリカでなくてもいいのだ。誰もみな〈ここではないどこか〉を夢見る。そして旅立つ。
そして〈ここではないどこか〉を夢見なくなったとき、人は退屈な大人になるのかもしれない……。
僕は、少女に、
「あげるよ」
とTシャツを渡した。また、冷えた缶を口に運ぶ。眼を細めて空を見上げた。紺《こん》に近い南太平洋の青空に、ヤシの葉が揺れていた。
僕は、きき返した。少女は無言でうなずく。
少女をつかまえてから10分後。僕らは、ヤシの並木をゆっくりと歩いていた。
「なぜ、アメリカ製が好きなんだい?」
僕は微笑《わら》いながら英語できく。少女もかなり上手な英語で、
「とにかく、アメリカが好きなの」
と答えた。
「アメリカが? 好き?」
「そうよ。服も、音楽も、何もかも好き」
少女は言った。声の調子が明るくなった。眼が、輝いている。
僕らは、島のメイン・ストリートにやってきた。メイン・ストリートといっても、小さな商店が3、4軒あるだけだ。午後の陽《ひ》ざしが、くっきりとした影を落としている。通りに人影はなかった。
「見て、あれが私の初恋の相手よ」
少女が言った。
彼女が指さしたのは、商店の壁。金属製の看板がはってあった。それは、マルボロの広告だった。おなじみのカウボーイが、煙草に火をつけていた。
「なるほどね……」
僕は、かすかに苦笑した。
「いつの日か、アメリカにいくの」
少女が言った。きっぱりとした調子だった。僕は、苦笑しながら、うなずいた。
「ノドが乾いたな、何か飲もう」
と言った。少女と一緒に店に入った。僕はライム・ソーダ。少女に、
「何か飲んでいいよ」
と言った。少女は明るい声で、
「コーク」
と言った。冷えたコカコーラの缶が出てきた。僕はパシフィック・フランで払う。
僕と少女は、店の入口にもたれて缶のトップを開けた。少女は元気よくコークを飲む。彼女にとっては、コークもまた夢のアメリカの一部なんだろう。
こんなに美しく静かな島から、わざわざアメリカにいかなくても……。僕はそう思った。けれど、ふと思いなおす。
考えてみれば、僕らの少年時代もそうだった。U・S・Aの3文字に、わけもなく憧《あこが》れたものだった。
それがアメリカでなくてもいいのだ。誰もみな〈ここではないどこか〉を夢見る。そして旅立つ。
そして〈ここではないどこか〉を夢見なくなったとき、人は退屈な大人になるのかもしれない……。
僕は、少女に、
「あげるよ」
とTシャツを渡した。また、冷えた缶を口に運ぶ。眼を細めて空を見上げた。紺《こん》に近い南太平洋の青空に、ヤシの葉が揺れていた。