しかしそれにしても、最近のタクシーの運転手はえらく愛想がよくなったものだ。
初乗り料金四百七十円で行ける距離をお願いして、「あんたねェ、人を馬鹿にするのもいい加減にしなよ」とドスの利いた声でジロリと睨《にら》まれることはなくなったし、深夜、バックミラー越しにチラチラ視線を感じ、「お姉さん、今夜はお楽しみだったんだねえ」などと言われ、車はみるみるうちに人通りのない空き地へ……という恐怖もなくなった。
これはひとえに値上げによるタクシー業界の不況からきた、従業員教育の徹底によるものだろう。要するに、以前と比べて会社組織が強固になった分だけ、運転手はサラリーマン化したのだ。不祥事は御法度。客から訴えられでもしたら、それこそ身の破滅なのかもしれない。
それに比べると、昔はホントにひどかった。「タクシーに深夜、女がひとりで乗るものではない」という通説がまかり通っていて、私など、学生時代に飲んで遅くなった時に駅からタクシーで帰ろうものなら、親にさんざん「無謀だ」と罵《ののし》られたものだ。
それは決してわが家が厳格な躾《しつけ》をモットーにしていたからではなく(厳格どころか自由でした)、当時、「タクシー運転手に襲われる」という事件が相次いだためである。
深夜、タクシーに乗った若い女が、いつものコースとは違う道に連れて行かれ、はっと気づくと雑木林のどまんなか。泣けど叫べど、誰も助けには来てくれない。運転手はよだれを垂らして彼女に襲いかかり……という事件である。
実際、こんな事件が全国で何件あったのかは定かではない。一件だけ起こった事件が様々な尾ひれをつけて拡がっただけなのかもしれない。が、仮にそうだったとしても、親たちが眉をひそめて語る「暴行事件」の顛末《てんまつ》は、不思議とリアルに想像力に訴えかけるものがあった。
暴行ならず、「暴走タクシー」も多かったように記憶している。ともかくひどいスピード違反をするのだ。もう、窓から外を見ていると「びゅんびゅん」という感じ。急ブレーキは踏むわ、運転している本人は「へっへっへ」と薄笑い浮かべているわ……で、これもまた、目的地に着くまで生きた心地がしなかったものである。
「暴走タクシー」といえば、面白い体験がある。もう八、九年前になるだろうか。クリスマスの夜、仲間と新宿で集まってパーティーを開いた。飲んで騒いで、気がつくと深夜二時。私は当時、横浜に住んでいたので、鎌倉方面の友人たち総勢六名で駅周辺のタクシー乗場に行った。
行ってみて驚いた。タクシーなんか一台だっていやしない。そればかりか人々がタクシーをつかまえようと、ほとんど半狂乱で車道に出ている。これはヤバイ、と思った。朝まで帰れそうにない。
そこにサッと現れたのが、泣く子もだまる白タクの運チャン。「よぉ、これに乗んなよ。え? 鎌倉? いいよ。ひとり八千円で行ってやるよ」
八千円が安いのか高いのかわからなかった。八千×六で四万八千円が運チャンのポケットに入る計算だ。まあ、いいや、と私たちは考えた。酔っていて眠かったし、ともかく帰れればいいと思った。
で、我々は後部座席に四名、助手席に二名、ぎゅうぎゅうに詰めて乗った。私は助手席にいた。エンジンをかけた運チャンがドスの利いた声で「さぁ、しっかりつかまってなよ」と言った。それが何を意味するのか、すぐにわかった。
運チャンは突如として猛烈なスピードを出し始めたのだ。それはもう、スピードなんてもんじゃなかった。信号は徹底無視。対向車との間をジグザグ運転。何度か急ブレーキをかけ、チッと舌を鳴らす。
「白タク、歳末の無謀運転、男女六人即死」という新聞記事が早くも頭をよぎった。誰も叫び声ひとつ上げなかった。恐怖のあまり、全員が口をきけなかったのだ。
やっと横浜までたどり着き、降りることを許された時の嬉しさを想像してほしい。
翌日、鎌倉まで乗って行った友人に電話した。あれから運チャンはさらに勢いを増し、白バイに追いかけられてなお、うまく逃げおおせたのだそうな。
あの運チャン、いったい何者だったのだろうか。